映写機蒐集物覚書帳目録第〇七二四番
大正十五年蒐集。傭人徳川夢声とくがわむせい君発見。以降同一の蒐集物なし。
然れども、この蒐集物の影響を受けたるもの多く現在第一種未来視顕現であると分類。
此は、巷間にて扱われている活動写真の映冩機である。形状は一般的な映冩機となんら変わらず、フイルムを装填しリイルを回せば動き出す。そこで映し出される映像、いわゆるキネマトグラフもまた、概ねフイルムに収められたものと変わらない。しかしながら、当該蒐集品は今から數十年ないし數百年先の出来事、つまり未来の出来事についての映像を映冩せしむる機能を持っている。たとえフイルムが空であったとしても、同様の異常性を発揮せしむる。なおこの未来視の発現は個人差があるように思われる。上映開始から即現れるもの、或は開始から數十分経過して発現したもの、またはエンド・クレジツトの代わりに未来映像が挿入される場合もあり。
異常性が発覚したのは大正十五年六月頃。当時、蒐集院は市井の人間を傭人、つまりAgentとして雇い入れる事多々あり。その中に熟練の活動辨士あり、それが徳川夢声君であった。彼は映画館を仕事場としつつ、その巧みな話術で様々な蒐集事案に携わって来た。その彼からの報告が届いたゆえ、蒐集院関東傭人総代たる私は内務省に連絡。警視庁特事取扱方へ連絡をとり映画館を封鎖、当該蒐集物を確保せしめたり。
取り扱い方としてはシムプル極まりなし。要は、電力を供給せずただただ収蔵すれば異常性の発現は認められず。また、未来視を行なった人間がそれを悪用するような自体も出来する事なし。おそらく、映写機が映し出した未来の映像とはあまりにも至近か、遥か遠き未来の事であったのだろう。当該蒐集品は本院へと送られ研儀にかけられるも、伝染性アノマリイ・エフエクト発生は確認されず。
昭和二年完封措置を決定
蒐集院関東傭人連総代 柳田國夫ここに記す
添付書類1〝財団〟からの問い合わせ
“財団”なる米国の異常性収拾機関より問い合わせあり。以下ここに記す
貴君らのもつ映写機様の収拾物品、即座に当方へ引き渡されたし。思慮するに、貴君らの手に余る代物なり。事実、当該objectの影響を受けたもの数多し。objectの正当な管理についてのinitiativeは当方らにあり。重ねて当該物品を米国へ搬送せん事をここに乞うもの也。
昭和元年 5月25日 財団駐日支部 研究者██████
注 当時我がl国には既に、財団の小団体が存在していた。
明治20年頃より我が国にその萌芽が見られる。おそらくはお雇い外国人を介してのものであろう。
だが当時は、国内の正常性維持機関としては蒐集院の力が強かった。そして当時の財団は、蒐集院ほどの影響力を持ってはいなかった。
しかしながら、彼らの報告は時に無視できぬほどの確度があると言う事も事実であった。そのため、引き渡しは拒否と相成ったものの、本院は蒐集物の影響を受けたるものの調査の開始せり。
以下に添付せしは、蒐集物の影響の顕著さを表すモデル・ケエスなり。
添付書類 2症例に於ける報告
傭人の古川緑波ふるかわろっぱ君より報告例あまたあり。
大正15年5月30日 大牟田██氏よりの報告
「鬼のような恐ろしい顔の男が、情婦を殺害して家族や警官を殺害した」との事。
8月にて同内容の事件発生 未来視的中大正15年 7月6日 田中██氏よりの報告
「山陽本線が脱線するようだから、東北への里帰りはやめようと思った」との事。
9月に同様の事故発生 未来視的中大正15年 8月15日 陸軍士官学校生 畑中██氏よりの報告
「死者の群れが皇居を覆っていた」 昭和元年の時点に於いて詳細不明大正15年 9月12日日 女学生 上村██女史よりの報告
「 今上が亡くなり、多くの人が泣いているのをみた」との事。
12月末に大帝崩御 未来視的中
添付書類3 陸軍省特務機関よりの問い合わせ
貴君らの所持する蒐集物は、現今の体制下に於いて我が帝国を利する事大なり。現在我々は、帝国内部に於ける超常物の利用に於ける先進的機関を準備中なり。よって、かの蒐集物の未来視情報は我が機関の優先的に利用を望むものなり。以上の事由を以って、当該蒐集物の引き渡しを望む事大なり。
検討を願う。
昭和元年 6月20日 葦船龍臣
注 〝先進的機関〟とは後年の帝国の権力体制内で猛威を振るった〝負号部隊〟
この問い合わせ者はその前身である〝葦船機関〟、その首魁に他ならない。葦船氏は蒐集院内部に於いては権謀術数の大家として知られていた。かしながら、当時の私は十分な考慮を重ねてこれを断固として認めず。以降、葦舟機関からの問い合わせ数度に及ぶも、それらの全てを無視。
添付書類4 理外研よりの問い合わせ
貴機関に於ける蒐集物の情報提示を受け、問い合わせを行う。かの蒐集物の未来情報は、我が国の理学推進に於いて誠に有用と存ずる。我ら理外研究所は、その利用を熱望している。
大日本帝国が科学立国たるは、万民の望みであろう。
ゆえに、蒐集物の引き渡し、または貸与をここに申請する。
昭和元年 7月6日 研究員█████
注 昭和元年に於いて、帝国の理学振興の熱やまず。
超常物品及び現象の解明に於いてもそれは同様なり。外研はそのために設立された超常研究機関なり。学徒として彼らの要望も一理あらんと思われる。しかしながら、かの未来視情報は一機関の取扱には手に余る物なり。熟慮の結果、その問い合わせを一蹴せり。
添付書類4 調査結果及び書簡の提供について
調査の結果、様々な層に蒐集物の影響が見られた。しかしながら、それでもなおかの蒐集物の未来情報は帝国の情勢に害を与えず。また、諸機関からの問い合わせについても応ずるの用を得ず。
当院に於いて完封措置を行うものなり。
注 当該蒐集物について非常に有効な証言が記載されし書簡を得る。その結果、私の知人である小穴隆一君及び谷崎くんより、その証左となる書簡及び日誌を受領す。
以下にそれを添付す。
書簡1
芥川くんへ
君との文学論争はなかなか愉しかった。
しかし僕は考えを改める必要を感じ得ぬ。
くだらない事に心を悩ませず、静養してくれ給え。またいつか、銀座のバアででも一杯やろう。
君の友人 谷崎潤一郎
昭和2年 6月8日
書簡2
ああ、銀座の「ライオン」か。ただひたすらに懐かしく思えるよ。僕の近況と言えば変わりない、伏せってはいるがね。ところで最近妙なのだ。ただひたすらに────ひたすらに見える。ああ、今もそうだ。歯車、歯車、歯車、ただその一時だ。君は未来視と言う物を信じるか?僕は最近それをよく見るのだ。
君の友人にして論敵 芥川龍之介
昭和2年6月10日
書簡3
どうやら君は随分と痛手を受けたらしいね。
思えば君の不倫騒動も、あるいは文学全集の出版に際する醜聞も、君を傷つけた。もっと同業者の連中に喝を入れ、口を閉ざして筆を執る様に言い含めるべきだった。僕は君の事が本当に心配だ。
でも、歯車だって?
それは君が見たという分身──Doppelgängerと同様の何らかの幻覚ではないのか?僕が君に何をどうしてやれるかわからぬ。心身を大事にしてくれ給え。
昭和2年 6月15日
書簡4
少し説明が足りなかった様だ、これは僕の心身の問題でもある。だからもう少し、わかりやすく説明するべきだろう。若干長い話となるが、この部分はこらえて欲しい。
確かに僕はDoppelgängerを見た。この人生に於いて数度だ。だがそれは僕の幻視という能力に根ざしたもので、今の体調とは関わりない。それは夏目先生もよく幻視をされたという話だから、驚くには及ばない。結論から言おう、僕はあの映画を見た。あの河童────しげ子夫人から逃れた後だ。
僕はあの時「ジゴマ」の再演を見た筈であった。だが、そこに映ったのは金属の化け物だ。
轟々たるエンジンの音を響かせた巨大な──あまりにも巨大な航空機の映像だ。その航空機は爆弾を次々と落とし、東京は火の海と化した。そして、ついには凶悪なる────非常に凶悪な兵器を使用した。思うに、日本はこれから先戦争に負けて滅びる定めにあるらしい。いつかはわからないが。
あの映画を見てから、僕の幻視はおかしくなった。その日から、もう一人の自分を何十回と見かけた、それどころか話しかけてくる。驚いたのは、そのもう一人の自分が日に日に衰えてゆく事だ。
ここ最近見るDoppelgängerは────髪が真っ白だった。手は枯れ木の様に衰え、眼鏡の奥に煌々と火が燃えている。 晩年の夏目先生を幻視したものか、と思ったほどだ。
そしてこう言うのだ、イエロオストオンを目指せ、と。体力が続かなくなってきた、また手紙を送る。
昭和2年 6月20日
書簡5
君は本当に参っている様だな。君はこんなに親切に物事を無償で説明する男ではなかった。僕の知る君は本当に傲慢な男だ。だがその傲慢さは、英雄豪傑好漢がごとき傲慢さだ。だがそれは、僕が知る限りでは人間性において至上のものだ。
君はたとえ主上や王侯貴族を前にしたとしても、気にせずものを言うだろう。君の置かれた現状が、君の傲慢さを失わせていやしないか、それだけが僕は心配だ。だが、君が白髪の老爺となるまで生き恥を晒すとはなかなかに痛快だ。
君はまだ、僕との論争に幕を下ろしていない。それは作品で示すべき性質のものだからな。しかし、奇妙と言えば奇妙だ。イエロオストオン?米国のアイダホ州にある国立公園か。観光に行くのであれば見事ではあるだろう、だがあそこは荒地以外には何もない土地だぜ?
君はしばらく筆を取らぬほうがいいよ。君の無事を祈っている。
昭和2年6月23日
書簡6
僕の幻視について、理解を示してくれず落胆している。
否、そのほうがむしろいい。僕の分身が語った事をここに記そう。 かの分身は過去の僕であったのだ。僕はそれを幻視していた。そして今は、未来の自分と語らっている。
おそらく、かのキネマが僕の幻視に影響を与えたものと思われる。未来の、と言うのは昭和45年の僕だ。何を言っているかわからないだろうから結論を書こう。
昭和は一度やり直されている。君と僕は二度生まれ、巡り会い、論争をした。
未来の僕が言うに、世界はひとたび滅んでいる。そしてやり直されている。僕は幻視によってその事を知り、未来の自分とやり取りをしたのだ。どうやら僕も君も、昭和40年を過ぎても生きるらしい。
僕らは60代を過ぎても未だに論争している。確かに僕は見たのだ。
僕が見た歯車は、歴史そのものであっただろうか。
昭和2年 6月30日
以上は、当事文壇の最先端を走っていた文人の書簡である。なお、彼は蒐集物の影響をもっとも顕著に受けた人物と思われる。以下、彼の日誌をその証左として挿入する。
日誌1
昭和2年 6月1日
もう一人の僕についてここに記す。彼はなんとも傲慢な事に、僕にかつての歴史を見せ始めた。
それは白日夢のようでもあり、だがしかし、生々しい現実として立ち現れていた。
空に電球が浮かび上がる。明かりが不意に消え、それと同時に街も消え去った。
日誌2
昭和2年 6月3日
書店の中を僕は歩いている。そこはどうやら丸善であるようだった。だが、僕が知る丸善よりもフロアはより広く、取り扱われている書の数も多いように思われた。 彼は書棚の前を歩く、その売り場には僕の作が並んでいる。彼はその一冊を手に取る。題名は「或阿呆あるあほうの一生」とある。それは、僕にとっては本にするかどうかわからぬ作物であった。しかしそれは、間違いなく書棚に並んでいた。
唖然とする僕を尻目に、髭を生やした老爺の僕はニヤリと笑みを返した。
日誌3
昭和2年 6月5日
牛の顔をした女性が廃墟の街を歩いている。あたりには米兵と思しき軍服の人影が多く、持っている武器も僕の知らぬ方のものだった。もう一人の僕はそれを物陰で見ている。彼女が街を歩くたび、米兵が倒れてゆく。米兵の体は癩病患者のごとく膨れ上がり、あるいは血の混じった反吐を吐いて倒れてゆく。空を銀色の翼が横切り、爆撃が始まる。
日誌4
昭和2年 6月10日
僕は街を歩いている、そこはどこかだだっ広い街路出会った。街角の大きな商店に、僕の見たこともない機械が並んでいる。それは四角い筐体にガラスの窓がついており、極彩色の映像が流れていた。その中で三島由紀夫なる人物がクーデタを叫んでいた。僕はそれをぼんやりと眺め、口の角を憎々しげに釣り上げた。彼は死ぬつもりなのだ。だが、僕にはそれがどうにも滑稽に思えた。
日誌5
昭和2年 6月12日
肉の僧正が囲みを解いて街を襲う。あたり一面肉と化した化け物だらけで、陸軍は必死で応戦するも効果なし。それを見たもう一人の僕は、息を切らせながら走る。そこで僕は米兵に助けられる。
日誌6
昭和2年 6月15日
老成した谷崎くんと僕が、多摩川べりを歩いている。二人とももう随分な年寄りだった、僕は谷崎くんと、太宰くんの事は残念だったねと話していた。残念か、と僕は言う。彼は随分と僕に親しくしようとしたが、僕はどうすればいいか、最後まで分からなかったよ、と呟く。空を巨大な音がして、機体のてっぺんにプロペラを備えたと思しき飛行機械が飛んでゆくのが見えた。
あれは米軍のヘリだろうね、と谷崎くんは言った。
日誌7
昭和2年 6月25日
強風で街が吹き飛ばされる。その風は蝶、あるいは鳥の群れが引き起こすものだという事がわかる。大勢の人が空中で五体を寸断され、血と肉の破片があちこちに飛び散る。もう一人の僕は、その血を身体中に受け、顔をしかめる。
日誌8
昭和2年 7月1日
長野に巨大な黒い玉が現れ、それはぐんぐん大きくなって様々な物を喰らい尽くしていく。
よく晴れた日で、富士山が虚ろ玉に飲み込まれるのが四谷からもよく見えるほどだった。あちこちで人が走っているのが見える、米兵のものと思しきトラックが走り回っている。そこで僕は米兵に「英語のわかるものはいるか」と尋ねられる。
日誌9
昭和2年 7月20日
僕はだだっ広い荒野を歩いている。強い日差しに倒れそうになるが、僕はたゆまず歩き続ける。
ここだ、という確信があった地点に僕はたどり着く。そこは古い木造りの屋根の小さな建物だ。
僕はその建物の中へと入る、そこには目立たない場所に地下へと通じる抜け道があった。僕はそこを通った、巨大な機械があちこちにある。僕はその再奥を目指して歩き続ける。
果たして、僕はそこへたどり着いた。僕は苦心して起動キーを探し、それを見つけた。
巨大な四角い水槽のような機械に英文で文字が浮かび上がる。
巨大な機械が振動する。もう一人の僕はそれ見て安心し、拳銃で自らの頭を撃ち抜いた。
上に示すとおり、対象の人物は蒐集物より多大なる影響を受けたと見ゆ。
以下は、当該人物の末期的状態を示すものなり。
書簡7
幻視に悩まされ1月近く経つ。僕は限界のようだ。
僕は一度ならず暗闇の中で、もう一人の僕と話をした。
未来の僕は、現在の僕に、自死を思い留まるようには言わなかった。今の僕も未来の僕も、意見は一致していたのだ。
ぼんやりとした不安だけが、そこにある、と。
残念だが、もうここで筆を置くことにする。谷崎くん、君との論争はなかなかに楽しかった。
人類の歴史にもしも再び僕らがいたのなら、また出会える事を願って。
君の友人 芥川龍之介
昭和2年 7月23日
書簡8
芥川君が死んだ。彼から送られてきた書簡をここに添付する。
結局のところ、彼が見たものの正体はわからずじまいだった。
彼が言った事が事実かどうかも。
彼はもういないのだから、確かめる術もない。
昭和二年 7月24日 谷崎潤一郎
ここまでが、蒐集品の影響を受けたと思しき人物がやりとりした書簡である。この書簡は文学史上に於いて多くの人を震撼せしむるやもしれぬ。だが蒐集物に関わる以上、これもまた封印せざるを得ぬ。
そして時は下り、昭和30年。当該蒐集物は財団へと譲渡される事となった。その際、再度の研儀が行われる事となった。その際の被験者として、谷崎潤一郎君が志願してくれた。彼はその長大な交際範囲から私を突き止めた。彼は既に、超常機関なる存在を嗅ぎ当てていたらしい。そして彼は、映画を見る事となった。その結果を以下の添付書類に記す。
添付書類6
最近、夢を見る。否、幻視と言ってもいいだろうか。
あの映画を見てからと言うもの、繰り返し繰り返し、かの荒野が夢に出る。
映画を見たときもそうだった。僕はあの実験で、ロッパの「ハリキリ・ボーイ」を見たのだ。だが実際に映し出されたのは、どこまでも広がる土漠。そして聳え立つ巨大な巌。
あれは間違いなく、イエロオストオンだ。そして、そこには僕が居た。
かの芥川君が言ったように、僕もまた、映画を通じて未来の自分を幻視したのだろうか。そして未来の僕は言った、イエロオストオンを目指せ、と。だが、老体を抱えた僕に何ができようか。
唯一できる事は、この書簡を蒐集院の同士に手渡すのみである。しかしこの収取物が、かの芥川龍之介の死因であるなどとは、僕は考えたくない。
文人芥川龍之介は、蒐集物や幻視などに関係なく、それ以外の理由で死んだのだ。
それは、彼の英雄の様な美しい傲慢さゆえのものであるべきだ。そう、それはただぼんやりとした、将来への不安だったのだ。
昭和30年 7月24日 谷崎潤一郎 記