座敷童蒐集物覚書帳目録第〇九一四番
一三六三年四月捕捉。研儀官大崎直持が陸奥国にて最初の個体を発見。「座敷童」は様々な家屋に複数出現しており蒐集は困難を極めたが、各出現地に研儀官を派遣して「座敷童」の説得を試みた所、一七二一年までにその多数を岩手県二戸市にある当院保有の南部曲家へ招請することに成功した。一八六八年以来、新しい「座敷童」の出現は確認されていない。
「座敷童」は岩手県を中心に人の住む家屋に出現する。多くは十二歳、広くは三歳から十五歳である和装の男女であり、御神楽のような音を立てる、夜中に糸車を回す、人が寝ている布団の上に跨る、枕を返す等の悪戯を好んでいるようだ。
「座敷童」はお手玉、折り紙等を用いての遊戯も好んでいる事が解っており、これを利用して研儀官が当院保有の南部曲家へ招請するという旨の説得を行った。南部曲家に招請された「座敷童」は、主に当院が配置した遊具を用いて「座敷童」同士で遊んでいるようである。「座敷童」の外出は目撃されておらず、招請の際も瞬きの間に元居た家から消失し、南部曲家に出現するという方法がとられた。
人間が「座敷童」と接触した場合、「座敷童」は前述した遊戯に誘ってくる。断った場合は弱い力で蹴りを仕掛ける、持ち物を盗む等の小さな悪戯を仕掛けた後に走り去っていく。了承した場合は遊戯を開始し、多くは二時間前後で終了する。特に満足した場合には季節に応じた花を一輪手渡してくる場合もある。この花に不可思議な点は無いが、「座敷童」がどこで花を調達しているのかは不明。
「座敷童」の機嫌を損ねた際、どのような事例が発生するか不明確な為、担当の研儀官は「座敷童」からの誘いを極力断らず、話す際には「座敷童」ではなくそれぞれの名前で呼称することが推奨される。また食物等を供える際には小豆飯が最適であるという回答が得られている。以下は「座敷童」と遊戯を行った際の記録である。
遊戯記録 一七六八年 十二月
お手玉を用いて遊ぶ。
「座敷童」は五歳の女児、十二歳の女児、十三歳の女児。名前は梅、みつ、桃。
二時間を掛けて五歳の「座敷童」にお手玉遊びを教えることに成功。
遊戯記録 一八二二年 四月
折り紙を用いて遊ぶ。
「座敷童」は十歳の男児、名前は亀。
一時間半を掛けて折鶴を作成。担当研儀官が作成途中の千羽鶴を持ち込んで完成させたところ、「座敷童」から山桜の枝を手渡される。
遊戯記録 一八五四年 六月
いろはかるたを用いて遊ぶ。
「座敷童」は九~十二歳の男児ならびに女児五人、名前は省略。
二時間半を掛けて行われ、担当研儀官は読み人を担った。終了の際「え」の札を紛失、後に畳の隙間より発見された。
遊戯記録 一九四〇年 八月
独楽を用いて遊ぶ。
「座敷童」は六歳から十四歳の男児十一人、名前は省略。
五時間を掛けて大会形式で行われ、担当研儀官は二位だった。「座敷童」十数人から白色の朝顔と"感謝の手紙"を手渡される。
(記・太郎虱)