第一八七九番
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格子窓蒐集物覚書帳目録第一八七九番

大正二十五年十二月捕捉。研儀官が天皇機関の御前にて発見。破壊・移動の双方能わず、天皇機関との間に硬質硝子の仮設を試みた際は硝子が薄い煙と化した末に消失。天皇機関への害は未だ確認されず、帝の御身も動かせ得ぬ為、常に研儀官五人以上による監視下へ置く事とする。

「格子窓」は天皇機関の御前に三尺程の間を空けて浮遊するイギリス様式の格子窓である。縦約一尺、横約六寸。いかなる壁にも密着せず、硝子には帝都の光景が映し出され、半刻に一度程の頻度で切り替わっている。
この景色は実際の帝都と対応しており、暁星屋百貨店等(詳細な情報は別頁を参照する事)が確認される。選出される景色の傾向として、多くの民衆で賑わっている場所が多くみられているようだ。

「格子窓」は大正二五年十二月二七日、イギリス人技術者ハンク・スチュアートが天皇機関との謁見中、自ら服毒死した事件の直後に出現した。遺体は直ぐ外へ運ばれたが、後の調査でも異常性は確認されなかった。スチュアート氏の謁見はこれが二度目であり、一度目には帝との対面に強く感動していた様子が当時の担当者によって確認されている。

添付文書


スチュアート氏の邸宅で之なる文を発見。「格子窓」に関連する可能性の高いものとして記録する。


 此の文を私の半生をもって始めさせて頂くこと、どうかお許し下さい。充分貴方へ想いを伝える言葉を持ち合わせておらぬのです。口惜しくも私が、異人であるが故に。

 かのビショップ夫人がそうあったように、私もまた東洋に焦がれた一人でした。
 幼い時分より病に侵され、漸く人並みに身体を動かせるようになった頃、異国への旅。その伍文字 ― 勿論当時は、この麗しき国の言葉など知る由もありませんでしたが ― に憧れ、「嘗て此れなる東の国へ、西洋の技術指南に出向いたのだよ」など言う父のか細い縁を手繰り、技術者として何とか日ノ本を訪れたのであります。

 貴方が虎ノ門で凶弾に斃れられたのは、その直ぐ後の事でした。
 忘れもしませぬ。私は当時、日本に仕入れられた西洋家具はどんなものだろうとあめりか屋を訪れ、此の群衆は何だと其れに紛れ、漸く貴方の巡幸を知ったのです。
 船に帆を張った様な、パンという音がしました。見覚えの有る母国のステッキ銃が隣から突き出ていると解り、其の腕を咄嗟に捕まえた頃、御召自動車からは悲鳴が上がっていました。

 此の国の貴人が銃撃されたのだ。そう解ったと同時、周囲の空気の塗り替わるような感覚が致しました。
 民衆を包まんとした暗澹たる不安と混乱は不思議にフワリと和らぎ、青空も木々も道路も冴え冴えとした感じがして、私や群衆は勿論、腕を掴まれた難波何某すらもポカンと口を開けていたのを、よく覚えております。

 そう間も無く警官がやって来て、私に名前や所属等を二・三聞くと、後程また話をしに来るという旨と短い感謝の言葉と共に罪人を連行して行きました。

 大正は、急速な発展を始めます。
 西洋の技術など飛び越えた自動人形や義肢の広告が出され、雲を凌駕せん程のビルヂングの建設が進められます。
 異人である私などにも、その恩恵は与えられました。この煌びやかな帝国で生涯を終える心算だと話すと、多くの人は之を歓迎し、職人の輪に私を混ぜ込んで下さったのです。

 私が此の国で生涯を終えようと心に決めたのは、貴方への深い敬愛があってこそです。
 素晴らしい栄華は貴方がケエブルに繋がれ、その夢が表出したからこそだと人伝に耳にしました。其れと共に、貴方の目を閉じられる迄も知る事となりました。
 貴方が御幼少のみぎりより病に蝕まれ、洋行を望まれていたこと。幾度も大病を患いながら皇帝の座に立ち、民の安寧に尽力されていたこと――否、されていること。銃弾に斃れ、その意識を夢のみに浸してまで、貴方は民の事を御考えになっている。

 ホロホロと落つる涙を、止める術を知りませんでした。 
 もしあれなる凶弾が貴方を捉えなければ、屹度あかるい未来が貴方を待っていたように思えてならなかったのです。
 鈍重なる病は御身を退き、開いた瞼より下される精悍な眼差しが、闊達と自分を生きる未来が。

 何の因果でしょうか。その後帝国を支えんとした技術者として、あるいは罪人を最初に捕らえた異人として、私は貴方への謁見の機会を賜り、帝都東京へ発ちました。そうして、こう考えたのです。
 湿った土の下に眠る事も能わず、狙撃に遭ったかの帝は不幸だ。屹度不自由だ。せめてその菩提を祈りたい、と私は、貴方の前に立ち、……

 ……アア、アア……!

 その幸福に微睡む御顔の、何と美しい事。
 御髪より伸びるコオドの、何と美しい事。
 病に御身を蝕まれてなお民の為に座した御身の、何と、何と美しい事!

 陳腐なる悲観など吹き飛ばす程、貴方は強き御方だったのです。
 まこと遅ればせながら其れを理解した時、私は願いました。

 ― 嗚呼、どうか。恐れ多くも畏くも、私は貴方の眼の一つとなりたい。
 貴方の成されたこの御国の栄華を、其処で生きゆく臣民の笑顔を、沈む事無き日ノ本の、この飛輪の輝きを! 嗚呼どうか、どうか、貴方の直ぐ傍で映し出すことが叶ったならば、この身に其以上の幸福はありませぬ。

 卑しくも技術者として、この帝国のテクノロジイへ幾つか口を出しました。その度に義躯を勧められましたが結局五指の一本たりとも、私は肉体のままでありました。
 義躯を以て現に生きれば、夢見る貴方に会う事の能いませぬが故 ― 其れは私にとって、何より重要な事柄でした。

 陛下。

 屹度お守り致します。一層お慕い申し上げます。
 私の浪漫は、貴方にのみ御座いました。


大正二六年一月追記。皇居に夏鳥思想連盟数十名が押し寄せ、天皇機関を破壊せんとする事件が発生。敷地内に足を踏み入れた時点ですぐさま警備員が駆け付けたが、その眼前で侵入者の全てが薄い煙と化した末に消失する事象が確認された。前例からこの事案の顛末には「格子窓」との関連性がみられる為、以上記録する。なお監視官の証言によれば当該事案の発生時も「格子窓」に変化はなく、絢爛豪華なる赤坂御所でテニスに興じる宮さま方の様子が始終映し出されていたとの事である。

(記・和魂爲匡)

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