匣より出でるもの
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「……はあ?」

所長の発言を聞いての、第一声である。

重要な申し送り事項がある、と一人だけ呼び出しを食らったのが先ほどのこと。高度機密との理由で連れてこられた小さな会議室にて開口一番に告げられたその一言は、俺を絶句させるには十分な代物であった。

聞き間違いかなにかである可能性を考慮して、ついでに『実は冗談だった』というオチにわずかながら期待を込めて、どうにか言葉を絞り出す。

「『財団』に出向……って、あの、『マナ』のことですよね?」

「私も初めはそう思ったんだがね、間違いなくあの『財団』だよ。ああ、このことはくれぐれも内密に頼む。業務上必要だろうから、という理由で開示はされてるが、本来、私の権限ですら──」

「いやちょっと、ちょっと待ってください。すいません、脳の処理が追っつかないですって」

なにせ、直属の上司が『緊急事態につき臨時出向』という内示が出たのが昨晩のことだ。その出向先がこともあろうに『財団』だって?拘束された、の間違いじゃないのか?一体何が起こって──、いや、それよりも、もしそれが事実だとして。

罠、ではないのか?常識的に考えれば。 

「疑うのも尤もだな。まあコイツを見てくれ」

ロクに状況も呑み込めない状態で、言われるままに所長の差し出した資料を受け取る。

パラパラとめくっていくうちに、気付く。

このリストは……まさか。

「ああ。そこに記載されてるのは全部、財団による拿捕、または行方不明の扱いとなっていた実験対象だ。第3研の管轄分もあるから、後でしっかりと目を通して貰うことになる──とにかく、人員提供に対する見返りとしてコイツらを即時返還、他にも財団が拘束している一部職員の解放というオマケ付きだ」

はっきり言って何が起こっているのか想像もつかないが、ようやく思考能力が回復したのか、どうやらこの会話がタチの悪いジョークではないらしい、ということくらいは分かってきた。

財団から、検体が返還される。この言葉が意味することは、もはや考えるまでもない。

それが──それが事実ならば、つまり。

教科書通りの物理法則が支配する日常と表裏一体の関係にある、パラテックが支配する裏世界。その絶対的な番人にして、恐怖の独裁者にして、我々のような組織にとってはいわば目の上のタンコブである『財団』が、あろうことか、我々に譲歩を申し出たということではないか。

少なくとも、俺が研究者としてこの組織に入ったとき以来、未曽有の大事態だ。

一体、何が起こっている?財団は、何をしようとしているのだ?

パニックになる自分を理性で無理矢理に抑えつけて、考える。彼らがこれほどのことをする理由。それは──。

「……これ、相当『ヤバい事態』ってことですかね」

「だろうな。財団が外部組織と連携するというのは稀にある話とは聞くが、ここまで緊急に、あろうことか譲歩までして協力を持ち掛けるというのは、いささか不可解だ。相当な異常物品を発見したか──何せ今回の一件、その目的については最高機密扱いのようでね。ことによると、世界滅亡レベルの何か、だったりな」

「……笑えない冗談ですね。で、なんで彼なんですか」

「ふむ、ウチの部署以外にも複数の人員が引き抜かれる、という噂は聞くが……募集要項の一つにこうあったそうだ。『超常ヒト生物学・超常人間工学に特に精通している者』とね。だからこそ私にお鉢が回ってきたのだろうが」

なるほど。確かにその条件ならば、理解こそできなくとも納得がいくというものだ。なぜ第3研なのか、なぜ彼なのか。贔屓目のつもりはないが、ことヒトという生物に対する情熱で彼の右に出るものは、ウチには愚か世界中を探してもそういるとは思えない。

「そうまで言われて、まさか生半可な実力の研究者を引き渡すわけにもいかんのでね。やれやれ、ウチでは貴重な戦力だったのだが、なんにせよはた迷惑なことだ」

「『はた迷惑な輩を押し付けることができて安心した』の間違いでは?」

「……笑えない冗談だ」

やはり所長にも思い当たる節があるのだな。

彼が群を抜いて優秀な研究者であることは周囲の誰もが認めるところではあるが、いかんせん研究以外のことには過度に無頓着であることもまた、関係者には知られていた。

爽やかな印象とは裏腹に、必要最低限を除く協調性や、研究に対する倫理観の不足、というより欠如。

共に働くことになる財団の研究者は、さぞ苦労するだろうなと思う。まあ案外、財団という組織にはああいった人間がゴマンと存在するのかもしれないが。

なんにせよ、彼ならば問題ないだろう。環境が変わったからとて研究に支障が出るようなタイプではないし、それも考慮しての人選ということかもしれない。

「上層部と財団がどういった腹積もりかは知らんが、彼には精々頑張ってもらうとしよう。財団に恩を売るというのは、決して悪いことじゃない──そして」

しばらくの間はよろしく頼むよ、第3研究所ヒト科生物研究主任代理。

他言無用であることを強く念押しした後、こう言い残して所長は去っていった。

 
 

さて。

なにやら不可解なことだらけだが──、理解するのは諦めよう。

今回の検体返還で、凍結されていた研究が次々と再開されることになる。人員の割り当て、予算の確保……頭が痛くなる問題が山積みで、余計なことを考えている暇などない。

結論の出ない疑問に拘泥せずとも、世界は不可解で異常な事象に満ちている。それらを研究し、解明するために、我々はここにいるのだ。

そう自分に言い聞かせて、俺はデスクにうず高く積まれた引継ぎ資料に向き直った。

 
 


 
 

白衣の男が、護送車から研究所へと降り立った。

日夜研究漬けだった男にとって、旅行などという娯楽は久しぶりであり、ましてや海外旅行などもってのほかであった。

海外旅行とはいっても、銃を携行する特殊部隊員らに囲まれ、窓もない護送車に乗せられたその光景は、バカンスとは程遠いものではあったが。

周囲の緊迫した空気とは裏腹に、男の態度はひどく落ち着いたものであった。

いよいよだ、と男は思う。

利益度外視の予算と、雑務に縛られない実験環境。

一般社会にとっては、数十、数百年と未来の科学。

そして、物理法則の限界を超える異常、超常。

男が研究者として求めた最高の環境が、そこにあった。

本来の壮大なる目的など些末な問題だ。敵対組織かどうかなど関係ない。たった2か月?やってやろうじゃないか。

私が夢にまでみていた研究を、必ず形にしてみせる。

例え世界が滅びようとも、人類は、私は、不死鳥の如く蘇るのだ。

風に翻った白衣の背中には、この施設、ひいては組織のシンボルともいえる『盾に三つ矢の印』はない。

代わりに『左巻き二重螺旋の印』を堂々と主張するその男は、出迎えた研究者の前で足を止め、不敵な笑みを浮かべてこう言った。

 
「初めまして。私、日本生類創研より参りました、凍霧と申します。さあ」

人間造りを、始めましょう。

 
 


 
 

空っぽの匣は、パンドラの匣にはなり得ない。

狂気によって生み出される匣の中身は、希望か、それとも。

 
 

  ゲームオーバーまで、あと52日。

 
 
 

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