ピンと来ないけれども、理解はできると思うんだ。
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ティム・ウィルソンと息子のフェリックスはハイキングの休憩地点に差し掛かっていた。林床から突き出した2つの大岩は、まるで赤とオレンジの落ち葉の海に佇むモノリスのようだ。父親のウィルソンは片方の岩に歩み寄っていそいそと腰を下ろし、キャンペーンハットを脱いで額の汗を拭きながら息子を手招きした。

「ほら、来なさい!」 ティムは傍らの岩を身振りで指しつつ笑顔で呼びかけた。「お前には日陰のを取っておいたから!」

フェリックスは目線を地面に向けたまま、溜め息を吐いて頷いた。ティムは僅かに眉をひそめて、息子がゆっくり道を進んでくるのを見ていた。彼はもう長らく奇妙な振舞いを続けていたが、ティムは今まで思春期によくある事だと決めつけていた。卒業を、そして大学生活を間近に控えて不安が募っているとか — しかし、それにしては悩んでいる時間が長すぎる。

まだティムが親権を持っていた頃、2人はよくハイキングに出かけたものだが、数年前に彼が永久に引っ越して以降は滅多にその機会が無かった。一緒に素敵な冒険をすれば息子が抱えている問題を解消できるかとも思ったが、どうにも上手くいかなかったようだ。ティムが頑張ってジョークを捻り出したり、野生動物について語ったりしているのに、フェリックスは墓場のように静かだった。年上のウィルソンはフェリックスが岩に座るのを見ながら髭を掻きむしり、そこの小さな結び目をほどいた。

腰掛けた2人の間に1時間も続いたかと思われるような気まずい沈黙が流れた。辺りから聞こえてくるのは、頭上の木々を揺らす穏やかな秋風だけだ。1枚の黄色い葉がふわふわと上から降りて来て、ティムの前に着地した。

ティムは眼鏡の位置を正し、フェリックスを眺めた。打ちのめされたように見える。肩を落とし、目は腫れぼったくどんよりしていて、絶え間なく足踏みしている。ティムは人間の専門家でこそなかったが、息子が悩んでいるのを理解するのに専門知識は必要無かった。彼は咳払いして口火を切った。

「なぁお前。何を考えているんだい?」

フェリックスは答えない。彼の目は眼下の落ち葉を見据えている。

「フェリックス?」

彼はビクッとして背筋を伸ばし、拳を固く握ったまま、腫れた目でティムを見つめた。

「どうしたって言うんだ?」

沈黙。

「私はお前が心配なんだよ、フェリ-」

苦悩に満ちた叫びを胸の内から発し、フェリックスは顔を手の中に埋めた。叫び声が森の中で木霊する。ティムは躊躇い、息子が苦しんでるのを見て心を痛めた。彼は神経質に唾を呑み、この状況ではどう接するのがベストかを考えた。

「あのな、私は余り物知りではないかもしれない。それでもいつだってお前の力になってやりたい」

ティムが身を乗り出すと、フェリックスは顔を背けた。ティムは溜息を吐き、膝に手を置いた。ウィルソン父子は比較的静かに座り続け、フェリックスのすすり泣きだけが合間に聞こえた。暫くして、フェリックスが微かにティムに呼び掛けた。

「と- 父さん…」

「うん、どうした?」

再びの沈黙。ティムは熱心に足踏みしつつ、息をひそめてフェリックスの次の言葉を待ち受けた。

「父さん、僕は男の子が好きなんだ、それで-」

フェリックスの口から瞬きよりも早く言葉が飛び出した。フェリックスは身動きを止め、たった今自分が打ち明けた言葉への恐怖、不安、ショックに硬直していた。ティムもまた固まったが、気を取り直すのは早かった。彼はようやく再びの息を吐き、丸い顔にじわじわと小さな笑みを浮かべた。ついうっかりと含み笑いすら漏らした。

「ふふ。それでも良いさ、息子よ。大した事じゃあない、私は在るがままのお前を愛してる」

フェリックスは少し身をよじり、ゆっくりと父に向き合った。2人はしっかりと目を合わせた。ティムの穏やかな褐色の目と、フェリックスの焦点が定まらない緑色の目が交差する。まだ何かが噛み合っていない。

「フェリックス?」

彼の目が大きく見開かれ、そこにもう一度涙がにじんだ。

「やめて、父さん… 僕は今の自分でいるのが幸せじゃない…」

「どういう意味だ? 自分の在り方を変えることはできんよ。とやかく言う輩もいるだろうが、それでも立派な私の息子-」

「父さん! やめてくれ!」 フェリックスが立ち上がると、背中のバッグが傍らに落ちた。一瞬前まで彼の目に溜まっていた涙が上気した頬を流れ落ち、塩気のある悲しい川を作っている。

「何をやめろと言うんだね? 私はお前を理解しようとしてるんじゃないか、フェリックス、なのにお前はそうさせてくれない! 私に何も打ち明けてくれないのに、何をやめるべきかをどう分かれって言うんだ?」 ティムも立ち上がった。怒気を帯びた声は極致まで高まっている。いったい何が愛しい息子を悩ませているのか、どうすれば助けになれるかを知ろうと必死だった。

「僕は自分が好きじゃない! この生まれ持った身体が嫌いなんだ、こんなのは… こんなには正しくない! 毎日毎日自分のものとは思えない体で目を覚まして、鏡を見るたびに気分が悪くなる。だって… こんなのは僕じゃない… 僕は可愛い姿になりたいよ。可愛らしくなりたくて堪らないんだよ」

「自分では分からんかもしれないが、お前は十分にハンサムな男の子なん-」

フェリックスは苛立ちのあまりに叫び、バックパックを数ヤード遠くへと投げ捨てた。

「僕は女の子になりたい!」


その後の休憩時間は静かだった。フェリックスの感情は高ぶったままで、ティムは言葉を失っていた。2人は最終的に、ハイキングを続けようと無言で同意した。連帯感も熱意も最早無く、足を引きずりながら泥道を進んだ。何時間もの荒涼とした静けさの中で、ティムはずっと黙考していた。

性別やジェンダーについて、ティムはそれほど思考放棄してはいなかった。動物界ではほぼ全てが雄か雌かのバイナリだ。例外が出ても大抵、必要性で簡単に説明付けられる。例えば生息数の圧倒的多数が雄である場合に雌に変化するカエル。群れのリーダーだった雌が死ぬと、次に地位の高いアルファ雄が雌になってリーダーの座を継ぐクマノミ。ウナギ、エイ、ハゼ… こうして考えると、ジェンダーを変化させる動物は数多い。動物にできる事が、どうして人間にはできないのか?

ティムは立ち止まり、フェリックスがゆっくり近付いてくるのを見つめた。

「なぁ、お前」

返答は無い。

「いいかね… 私はまだピンと来ていないかもしれない。だからといって… まぁ何だ。私は喜んで学びたいと思っている。そして、例え何があろうと、私はお前の味方だ」 ティムは彼特有の優しげな笑顔でフェリックスの肩を叩いた。

一瞬、ティムは自分が非難され、怒鳴り付けられるのではという予感がした。その代わりに、フェリックスは父を固く抱きしめ、顔を彼の肩に埋めた。ティムの腕も同じくらい固く彼女を包み、湧き上がる限りの愛で我が子を抱擁した。感情が最高潮に達し、2人は涙が枯れるまで泣き続けた。やがて、2人は身を離した。ティムはヴェストのポケットからハンカチを取り出し、涙まみれの眼鏡を拭った。

「じゃあ… 多分、フェリックスという名前は今後は止しておくかい?」 ティムはそう訊き、遠近両用眼鏡を優しく鼻梁に乗せた。

「フェイがいいな。フェオウィンの略。“森の精霊”っていう意味なんだ」

ティムはその名前を、遠い昔に読んでやったおとぎ話に出てくる森の妖精の名前として覚えていた。率直に言って、娘がそれを覚えていたことに驚かされた。「本当に素晴らしい名前じゃないかね、私の小さな蝶よ」

「ありがとう、父さん…」

どちらもこの先の未来に何が待っているかを知らなかったが、まだそれは問題ではない。今、ティム・ウィルソンと娘のフェイは並んで美しいオレゴン州の荒野を見渡している。2人は幸福だった。

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