晴明院の簡抜された品物に関する注釈集
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晴明院とは平安時代に安倍晴明によって創立された、平安宮の廃墟の下に位置する私設の正倉である。それは日本社会の有力者から皇室に奉られた異常宝物のための貯蔵庫である。院に収蔵されたそれぞれの異常宝物のために、宝物の来歴を詳述した掲示が書かれている。

法律上の所有権は皇室に賦されるが、実質的な管理は陰陽寮により行われる。

この注釈集は、西暦1897年4月14日に白澤作戦の一環として異常事例調査局関西本部に提出されている。白澤作戦の狙いは、歴史上内地に現れた可能性のある全ての異常宝物と事象の目録を作成することにある。


説明
未知の霊長類のものである毛皮一枚、蜘蛛の外骨格に類似した鎧に覆われ、背面に八本の節足動物の脚(各 1.8 m)が付属。

掲示

これは文明生活に背を向け土中に住まう蜘蛛、土蜘蛛の死骸である。生前この生物は京都、蓮台野に棲んでいた。魔術を用いて乙女の香を装い、臣民を時ならぬ死に誘っていた。土蜘蛛の巣にある髑髏はその数二百に達した。

源頼光により土蜘蛛の魔術は見抜かれ、その狼藉のために当然のこととして退治された。京都の最も背丈のある男より長いその脚は易々と斬られた。土蜘蛛は素早い刀の一閃により頭を落とされ、その刀は以後"蜘蛛切"と呼ばれるようになった。その後死骸は源頼光の英雄的働きを知らしめるために再度組み合わされた。

長保四年、摂政藤原道長がこれを朝廷に献上する。これが陛下の治世に仇なし、臣民を害するものには報いが避けられないという証となることを願う。

取られる行動: さらなる標本の捜索(生死不問)。原住民の移動における本居の説に従うならば、生きた土蜘蛛の標本が手に入る見込みは北海道が最も高い。


説明
赤、青、黄、緑、白に彩られた着物一着。白い羽毛が襟と袖に沿って並ぶ。

掲示

これは天上界の住民、天人の羽根ある衣、羽衣である。羽衣は地上に降りることを意図した天人によって身につけられ、そして天人にとって天上界へ戻る唯一の手段である。羽衣なき天人は人に等しい。

天仁元年に天上界の天京(Amatsu-miyako)から来た天子夫人(Lady Amatsuko)がこれを宮廷に授けた。このことを天子夫人の陛下への愛の証としよう。

取られる行動: 一切不許可。

注: 他の羽衣あるいは人と天人の混血またはその子孫を探すべし。


説明
仏教の僧衣を身につけ、首に数珠を巻いた、犬と獅子の特徴を備えた四足歩行の肉食獣の乾燥した死体一体。口は常時開閉し、'ア'(開口時)と'ウン'(閉口時)の音を発する。

掲示


これは仏の道を志した狛犬、悟善大師(Master Gozen)である。彼は他のあらゆる狛犬と同じく獣として生を受け、生ける者の肉を喰らっていた。弘法大師が唐から帰還した後の偶然の出会いの際、彼は己の生来の慈悲深さに気付き、空海の弟子となる。仏教徒として悟善大師は肉食を止め、によって自らを養った。悟善大師は人語を喋ることは出来なかったが、漢字を学んで肉球を使い書くことにより、仲間の僧や俗人と会話した。空海の入滅の後もなお、悟善大師は仏の道を広め続けた。

空海の入滅後数世紀、悟善大師が晩年に近づくと、彼は出羽地方の僧に近づき、即身仏(自ら木乃伊化した仏)になることを選んだ。悟善大師が摂ると水はより少なくなり、最終的に何も口にすることはなくなった。彼の皮膚は乾き、蒼白となった。皮越しに骨が見えるようになった。それでもなお、彼の顎は'オーム'の聖音を発するように絶え間なく開閉し続けた。

元仁元年、悟善大師はこれを朝廷に献上した。悟善大師は京都の御所を襲った数多の火災についての話を聞いており、宮廷からそのような難儀を除きたいと願っていた。即身仏として、悟善大師は京都の御所を守るために永久の祈りをささげようとしていた。

取られる行動: 一切不許可。悟善大師の存在は晴明院の外部に知られるべきではない。

注: 陰陽寮内の伝説によれば、悟善大師は最終的に平安宮を放棄する原因となった1227年の大火に対する守護者とされたという。


説明
跪く姿勢の女性に類似した巨礫一つ。著しい特徴に狐様の耳と三本の尾を含む。

掲示

これは殺生石であり、またかつて鳥羽上皇に邪念を抱き、下野国那須野原で処刑された妖狐、玉藻前の死骸であるともされる。彼女の怨霊は死骸に留まり、石へと変えた。それに触れた人間は玉藻前の霊に圧倒され、必ず死に至らしめられる。

暦応二年、将軍足利尊氏がこれを朝廷に献上した。この事を幕府による吉野の僭称者を成敗することへの献身の証としよう。

取られる行動: 異常な特徴を確認。異常事例調査局の将来的な作戦のための更なる応用の対象とする。


説明
一組の蒙古鎧、蒙古弓一丁、頭蓋骨一つ。

掲示

これらは蒙古の戦士の兵装と頭蓋骨であり、その者たちは比叡山で目撃されていた。その戦士と僚友らは天の穴から現れ、混乱をもたらした。彼らは比叡山と延暦寺の全域を荒廃せしめた戦の中で正しく誅に付された。しかし延暦寺の僧たちのために嘆く必要はない、なぜなら彼らは蒙古の戦士を寺に匿い、同じく刑を受けたからである。

元亀二年、第六天の魔王、織田信長がこれを朝廷に献上した。これを国々は武力によって統一されることの証としよう。

取られる行動: 海外からの本土侵略、および反日概念としての仏教の可能性に重きを置いて、'比叡山の蒙古人'事件が異常事例調査局の歴史課程に組み込まれた。


説明
種子島火縄銃一丁と弾丸九発。

掲示

これは欧州からの兵器である種子島銃のうちの一丁である。この国にこのような兵器は存在しない。銃は弓である。弾丸は矢である。侍に期される鍛錬を経ていない平民の手の中ですらも、それらは戦場でたやすく人を殺す力を振るうことができる。多大な数と継続した斉射により、種子島は眼前のあらゆる敵を圧倒するであろう。長篠の原でこれらの銃の威力を目撃した武田氏の兵らは、甲斐の祖国か地下世界の闇の底深くに縮こまることとなった。

天正二年、第六天の魔王、織田信長がこれを朝廷に献上した。これを国々は武力によって統一されることの証としよう。

取られる行動: 異常な性質は確認されず。

注: 陰陽寮のある伝承によれば、織田信長は異常宝物を詳細不明の場所で自分のために秘蔵しながら、晴明院へは意図的に異常な性質のない品を贈ったという。前述の場所の候補地としては、名古屋城(織田氏に属する)あるいは安土城跡(織田信長により建立された)のいずれかが考えられる。両地の発掘に関しては未定。


説明
未知の文字が刻まれた青銅製の球体一つ。球体の半分は発光性である。

掲示

これは朝鮮人らが龍の子供と見做す手のある蛇、イムギが携帯していた宝珠、如意宝珠である。宝珠の燦然と光り輝く部分へ触れることにより、如意宝珠は活性化し、言葉を話すようになる。如意宝珠は話すにつれ、周囲の者の言葉を学び続ける。如意宝珠神々の時代についての大量の知識を蓄えている。

この如意宝珠大名加藤清正に、イムギを悩ませた三名の配下を咎めて処刑した行いに対し、恩を感じたあるイムジン河のイムギにより、授けられた。

慶長二年、国の関白であり太政大臣であった豊臣秀吉がこれを朝廷に献上した。朝鮮征伐は益なきものではなかったと知らしめよう。

取られる行動: 異常な性質を確認。宝物は部分的に現代日本語を学習した。国家の課題に一致するよう修正を加えることにより、異常事例調査局の歴史課程における東アジアの歴史の有用な情報源となる。

注: 朝鮮半島での発掘が可能になった際には、イムジン河でイムギおよび/または龍を捜索すること。


説明
'観音菩薩'と彫られた鋼鉄製の梵鐘一つ。

掲示

これはかつて、鍛冶屋千子村正が鍛造した百の刀より作られた梵鐘観世音村正である。村正の刀は、戦うために抜かれた際は必ず血を流さねばならないという呪いを帯びている。太平の世に道具として鋳られ、和順たる観音の名に縛られてもなお、呪いは残っている。この梵鐘を撞くことにより、その音を聞く者は皆斬首されるだろう。斬首はそれぞれ、鍛錬された侍に振るわれた刀によるものと違わない。

元和6年、将軍徳川家康がこれを朝廷に献上した。観世音村正が晴明院に封じられ、この地で今後訪れる太平の世の光を見ることがないことを願う。

取られる行動: 異常な性質を確認。蓄音器により生じた音を録音する実験に成功。将来の異常事例調査局の作戦におけるさらなる利用の対象とする。


説明
日本の龍の姿が刺繍された袋一つ。

掲示


これは龍の王、龍神から藤原秀郷へ、琵琶湖の龍を苛んだ大百足を退治した英雄的行いのために送られたものの一つである無尽の米袋である。無尽の米袋の中は人の食用に適した無限の米粒の世界である。無尽の米袋の存在の元では、餓えは存在しえない。

何世紀もの間、無尽の米袋は彦根藩の井伊氏に受け継がれ、藩に課せられた地租を支払うために果てしない量の米が引き出された。井伊直興は一族の悪行を悔い、無尽の米袋を将軍に引き渡した。

正徳四年、将軍徳川家継がこれを朝廷に献上した。聖上の皇統と支配が無尽の米袋の米のように不朽であることを願う。

取られる行動: 異常な性質を確認。兵糧米補充を目的に異常事例調査局兵站部門への恒久的譲渡を認可。

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