ひとり。笑顔を奪う。

/* These two arguments are in a quirked-up CSS Module (rather than the main code block) so users can feed Wikidot variables into them. */
 
#header h1 a::before {
    content: "相貌失認";
    color: black;
}
 
#header h2 span::before {
    content: "Prosopagnosia";
    color: black;
}
評価: +37+x
blank.png

 自殺なんかする奴は莫迦だと、そう信じていました。

 ええ、分かっています。これが遺書の一文目に書いてあるのはあまりに歪なことだと分かってはいます。それでも、これだけは初めに言っておきたかった。

 そしてやはりこの期に及んでも、私はまだ自殺を馬鹿にしています。あんなものはただの逃避に過ぎない、臆病者と弱者の錯乱の産物だ。私のその思いは小学、あるいは中学で、道徳の授業の正解を鼻で笑った時から一貫しているのです。

 どんな苦痛も、それを失ってしまう哀しみよりはマシなのだと信じています。それを乗り超えた後に楽しみが待っているから、なんて綺麗ごとを言うつもりもありません。

 そもそも、私は世の中が美しいことを知っています。人類の可能性の素晴らしさを知っています。現状に不満がないから、死ぬ理由もないと言われればそれまででしょう。しかし、そうでなかったとしても、私は死を選ぶことはないと思っています。たとえこの世が生き地獄だったとしても、生きているだけ儲けもの。

 無神論者の私は死後の世界など信じていないので、死ぬことは自己が全て消え去ることと同義です。そして、それほど恐ろしいことはありません。

 かつて何処か外国の詩人が「No man is an island」、直訳すれば「人は誰も孤島ではない」なんてことを言っていました。しかしそれは逆に、孤島となった人間は人間ではないということに他なりません。

 ええ、私は元来協調性がありませんでしたから、孤立することはよくありました。しかしそれは孤独ではなく、孤島ではない。今の私とは全くわけが違う。はい。そうです。私は今、孤独であるからこそこの遺書を書いています。

 ここ数週間は自室に閉じこもり退廃的に暮らしていたので、日付と曜日の感覚はもうまったくありません。だから確かなことは分かりませんが、おそらく1週間くらい前だと思います。そのくらい前から、世界は変わりました。そして、私だけが取り残されました。

 いいえ。友人が私を無視するとか、両親が私を虐めるとか、そういうことではありません。みんな、いつも以上に私に良くしてくれます。

 良くしてくれる、だけです。

 それ以外は何もありません。

 みんなにこにこと笑っています。そしてそれは、私がいなくても同じことです。

 1日目は幻覚を疑って病院に行った。医者も笑っていた。2日目には喚き散らし友人と両親を殴った。みんな笑っていた。3日目には部屋に閉じこもった。外からは笑い声が響いていた。耐えられずに開いたSNSも幸福に満ちていた。

 これ以上の絶望があったら教えて欲しい。

 4日目には無神論者たる私の聖書と言ってもいい、敬愛するバンドの軽快なフレーズすら、もう聴けなくなっていました。その中に描かれた苦悩は、もう部屋の外には無い。それに直面してしまう苦しさがあまりにも嫌でした。

 5日目にはインターネットで私と同じように、笑顔以外を持つ人間を探しました。結果として、私はそれに5分と耐えられなかった。その場所ですらあまりにも歪な、無色透明の幸福で塗り潰されていた。

 それと同じ日か、6日目か。私は「あちらから探してもらう」手段を考えて、結果として左腕を切り刻んで写真を撮りました。いや、逆だったかも知れません。左腕を切り刻んだ後、それをインターネットにアップしてSOSとする手段を思い付きました。私はこのような安っぽいカッターと安っぽい言葉を、値段もつかないようなハッシュタグで切り売りする奴らを随分嘲っていましたが、今、結局同じようなことをしている。しかしこれを皮肉とするのは間違いでしょう。皮も肉も切ってしまいましたし。

 しかしそのハッシュタグですら、幸せに満ちていました。いいえ、切れた血の跡は昔の愚者たちと何も変わっていないのに。安っぽい言葉は、随分と楽しそうになっていた。ふざけるな。お前らと俺の傷を一緒にするな。PCを蹴り飛ばしました。それですら私を笑っている気がした。

 多分7日目か8日目か、9日目か10日目。それが今です。ああ、いや。もう取り繕うのはやめにしよう。これを読むのが誰であっても同じことで、どうせお前も笑ってんだ。俺が何を書いても、お前は。

 しかしまあ、この期に及んで『人間失格』の真似事をする自分の面倒臭さとしたたかさにはびっくりした。小説家志望の矜持としてそれを選んだのなら愚かが過ぎる。遺書ですら他人のパロディすら書けないのか。いや、もうどちらにせよ、こんな世界で何か書くつもりはないけれど。

 腕を切り刻んだ。飛び降りたり首をくくったりする気力がなかったから。失血死出来るかは知らねえ。出来なかったら次は首を切る。

 俺は死にたくなかった。けど、やっぱり、人間は孤島じゃない。このどうしようもなく独りな現状に、あと一日とも耐えられない。

 これは自殺ではなく、他殺なんだと思いたかった。俺以外の人間全てが、俺を殺したってことで納得したかった。でも、今更SNSに反応が来たせいでそれは否定された。この状況で諦めない奴がいたらしい。けど、もう遅えよ。もう止血する方法もわかんねえし、反応くれたやつに返答する勇気と気力がねえ。まあ、いいや。

 お前はそのまま生きて、笑ってろ。俺は弱いから、耐えらんなくて、死ぬ。


以上はSCP-F331発生後初めて発見されたSCP-F331-2の遺書です。民間人である平見 奏氏によって執筆されました。

この文書は平見氏のSNSアカウントに財団が連絡を取った際、平見氏1の父親である平見 優氏から返答と共に送られたものです。これは平見 奏氏が死亡したことにより継承イベントが発生し、平見 優氏がSCP-F331-2へと変化したことによるものと考えられます。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。