「完成」 20██/█/█
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そちら側がどうして自分を見つけられなかったのか不思議がっているようだが無理もない。
その頃の自分はほんの子供だったし、あの子と過ごしたのは父親の地元に行った1日間だけだ。
彼女の名前すら覚えていない。
余暇を求めた親が情操教育だのなんだの理由をつけて、姉に写生キットと自分を押し付けてハイキングコースに放り込んだ、そんな日のことだった。
道はなだらかで姉の機嫌も良かったから何も起こることなく山道を進んでいき

彼女と出会った。

向こうは家族でキャンプに来ていたらしく、両親は少し先の店に夕飯の材料を買いに行っていたらしい。年が近かったこともあり彼女と姉はすぐに打ち解けた。何を話したのかは覚えてもいない。ただ、姉はずいぶん長い間話し込んでた気がするし、そこから写生キットを開いて彼女のスケッチを描くのを眺めていたので、彼女の姿はしっかりと記憶に刻まれている。
胴体部に取り掛かろうとしたところで、彼女は親に呼ばれて帰って行った。姉はそのスケッチを彼女に渡すつもりだったのだろう。
つまらなさそうにスケッチブックから彼女の絵をちぎり、自分に持って帰って捨てておくように投げてよこした。
まじめな子供でもなかったのに、その絵を家に帰るまでに捨ててしまわなかったことも、思い起こせば彼女に惹かれていたからかもしれない。

帰ってから驚いたね。ゴミ箱に捨てようとして絵を取り出したら「あの子」が紙の上で笑ってるんだから。しばらく騒ぎ倒して父親に一発殴られたくらいだ。


地元から帰ってからは、「あの子」に友達をたくさん作った。最初は絵が多かった気がするが、彼女の特徴を思い出すために書いたメモの「あの子」がしゃべりだしてから、いろいろな方法を試してみることにした。粘土で「あの子」を作って、「あの子」の書かれたキャンパスの前にたくさん並べてた。大抵は「にてない!!!」って怒られたっけな。
元来引っ込み思案で、めったに人にしゃべりかけることのなかった子供だったから、小学校は友達どころかクラスメイトに名前すら憶えられていなかったし、家族には気味悪がられていた。
そんな自分にとって「あの子」たちはいい友達になってくれた。

家族は「あの子」たちをどう思っていたのか?
目につかないようなところに隠していたから、知らないんじゃないかな。
全員隠していたのかって?
定期的に整理していくつかの「あの子」は処分してた。その頃はそれが何を意味しているのか分からないくらいにはバカだったんだ。

中学校に入るころにはうまく世間との付き合い方も学ぶことができて、絵画はそこそこの腕にになっていた。作品展にも教師の勧めで何回か出品して評価をもらえるようになって、クラスの中にも、世間の中にも「天才肌」として居場所を見つけることができるようになった。実際には16年ずっと「あの子」を作り続けてたんだから、天才でもなんでもなくて努力の結果だった。小さい頃からなんでも飽きっぽくて投げ出していた自分がこれほど熱中できたのは、つくったものを見た「あの子」たちの反応を見るのが楽しかったからなんだ。


高校のころは一番意欲的に絵を描いていた。彫刻もやってみたし、文章も書いていた。少ないながらもいい友達がいて、対等にしゃべってくれる「あの子」以外の女の子も現れた。
相変わらず「あの子」たちは、出会った時のままの幼い姿だったけど、こちらへの語り掛けからは大人びた雰囲気が漂うようになっていた。「あの子」は自分の高校生活についていろいろ聞いてきて、どんな些細なことでも驚いてくれた。

「最近の私のほうが、私よりもきれいでちょっぴり悔しいな。」
キャンバスの中の「あの子」は、そういいながらも、微笑んでいた。
それこそ、絵にかいたような青春時代だった。世の中のいろんな物事は成長して、次々とその素晴らしさを花開かせていっていた。
「あの子」の姿だけあのころのままで止まっていたけれどもそんなのは問題じゃなかった。

問題があるのは、自分のほうだった。


この頃には自分の創作目的についてちゃんとした結論が出ていて、その目的は果たされそうにないことがわかり始めていたからだ。
知っての通り「あの子」たちは彼女に基づいた知性や性格を持つが、その活動は媒体に大きく依存する。粘土像の「あの子」は身振り手振りはできるが、しゃべることはできない。ペン画の「あの子」は紙の中しか移動することしかできないし、ノートの中の「あの子」とおしゃべりすることはできても、それは文字を通じてのものであって、会話というより文通だ。

自分は生身の彼女に会いたかったんだ。会って、「あの子」たちを見てもらって、どう思うか聞いてみたかった。
髪はもっと長くなってるんだろうか、もっとウェストをほっそりさせるほうがよかっただろうか、どんな服が似合うかわからなかったから、好きな色を聞いてみたかった。
そしたらキャンバスの「あの子」のワンピースに色を付けて、彼女にプレゼントしたら喜んでもらえるんじゃないか?いや、どうだろう、そもそも彼女は自分のことをどう思うのだろう?
だけども「あの子」たちはあくまで彼女のことをかたどった何かでしかなかった。

「あの子」たちは新しく作るごとに、子供っぽいところが抜けて大人びていったが、彼女の情報はいくら調べても全く分からず、原因不明の重病を患いどこかの病院にいるが、もう外に出てくることはないだろうという風の噂だけだった。「あの子」たちも彼女との記憶を共有しているわけではないらしく、彼女が今どこにいるのか、何をしているのかは全く分からなかった。自分は生身の感触に飢えていたのだろう。粘土でも、石でも、紙でもない。人間の、それも女性の手の感触を、吹き抜けていく風みたいに涼やかな声を求めていたのだ。自分の頭の中は年相応の妄想で溢れていた。その妄想がどこからやってくるのかわかっていなかったんだ。
思いは日々強くなって、次第に実生活にも影響が出始めた。周りは事情を知らないもんだからノイローゼのようなものだと判断してくれたらしい。気に掛けるそぶりはあっても、干渉はしてこなかった。
月日は流れ、高校生活は3年目を迎えた。油画に強い学校から推薦が来ていたため、苦しむ同級生たちを横目に考え続け、やがて答えが出ないまま、高校を卒業した。


彼女への想いが、思っていた以上に自分を蝕んでいた。それに気が付いている「あの子」もいた。

「あなたはなんだってできるのに、どうしてそんなに悲しそうなの?」

久々に開いたルーズリーフにはミミズがのたうち回ったような字と、きれいな細字が書き込まれていて、その最後尾の文字がこれだった。

「人形の私にいろいろ教えてもらったの。あなたが”私”ならもっといろんな人とお話するし、もっとお外にお出かけして、ぼさぼさの髪も切ってもらうんだけどな、悲しいことがあったら髪を切るの」

「髪を切っても悲しいままだよ。第一、君は紙の中にいるし髪なんて切ったことないだろ。」
「もう!!いじわる!本物の私はそうしてたんだもん」
「君は、自分が本物になれたらなって思わないのか」

普段なら、やらないような無神経な問いかけだったが、ぼやけた頭にそれを止めるほどの気力がなかった。

「本物ってどういうこと?」
「つまり、彼女みたいに生身の人間になって外を歩いたりしたいと思ったことはないのか」
「んーとね。人形の私が私と違って、本物の私とも違うみたいに、生身の人間の私は、それは私じゃなくて別の私ってことになるんじゃないかな。もちろん本物の私でもないと思う」
「あと、いろんな私たちと会ったことがあるけど人間の私は本物の私以外にいないと思うの」
「どうして?」

ルーズリーフの「あの子」とはとても長い付き合いで、自分のことを良く知っていた。意思の疎通が一番やりやすかったことが大きい。ほかの「あの子」たちより詳細にいろいろと考えていたんじゃないだろうか。

「だって、あなたが私じゃないってことは、私のことを考えることは私を作ることじゃないんでしょ?もし人間の私がいるなら、それは本物の私が考えるようなことを考えて、私がするようなことをする人ってことでしょ?そんなことしなくてもその人にはその人の人生があるんでしょ?じゃあ、わざわざ私の人生を真似する必要ないと思うの。自分の人生を使ってほかの人みたいに生きようとする人なんているのかな?」

この、頭が錯覚を起こしそうな文章に似た何かを自分は思い出した。学校のパンフレットをめくっていた時だ。その時はあまり深く考えなかったが、つまりこういうことなんじゃないのか。
不幸にもそのパンフレットは机の下に他の古雑誌と一緒に積まれていて、目当てのページはすぐに見つかった。シンプルなワンピースを着た女の子がこっちを見て微笑んでいる。このまま額に入れて飾ってやりたいような笑顔。その子だってその気でいるはずの、「芸術作品」だ。
頭に血がめぐり出し、やるべきことが見え出し、感じたことのない種類の活力を感じた。焦燥感じゃない、天にも昇るような、それでいて飲み込まれそうなエネルギーを。

「わかった。ありがとう。君のおかげだ、いいことをおもいだしたんだ」
「え?…う、うん。いやいいんだけれども…なにを?」
「彼女は人間だ、だから人間を素材にする必要があった。人間の中に彼女を作らなきゃだめだ。」
「????」
「君は人間じゃないし、粘土でもないのは君が紙に書かれた彼女の特性だから
「もう少し小さく書いて。じゃないと私「自らの人生をもって、脚本に書かれた概念である”他人”の人生を表現することこそが役者の

そこまで書いて、自分はページの余白がないことに気が付いた。


それからほとんど家に帰らない生活を送った。油絵をきっぱりやめて劇作のコースに入りなおしたが、いい素材が見つからなかったので、劇団を立ち上げた。努めて明るく振舞い、特に女の子たちのグループの中に居場所を求めた。絵も描かずに女遊びに興じている自分を見て、父親は自分をぶん殴ったが、教授からの戯曲に対する評論を見せてからはそんなこともなくなった。
むしろ姉には非常に喜ばれたし、積極的に知り合いの女の子を紹介してくれるようになった。
公演に対してはストイックに取り組み、評価を伸ばし、素材を探す。その過程を繰り返すことは楽しく、1年間はすぐに終わった。
2度目の夏がやってくるころ、自分はおもいがけなく素材を手に入れることができた。一つ年下で、髪の毛は栗色、大きな声で良くしゃべる。
記憶と照らし合わせても、あまり似ているとは思えなかったが、笑うときの目をみてその子を彼女にすることに決めた。

最後の「あの子」が何を考えていたのかはよくわからない。1年がかりで書き上げた「あの子」はほとんど余白がなかったし、万が一のことを考えて口立てという台本を渡さない方法で「彼女」に台詞を教えていた。周りが一体この時自分に対して何を思っていたのかもよくわからない。普通の女の子のリアルな内面を描いた一人芝居として、「彼女」に干渉されないよう人との交流を狭めた。そのかいあって「彼女」の様子は変わっていった。あまりしゃべらず、人とのかかわりを避けるようになっていて、混乱しているのが目に見えて分かった。稽古の途中で泣き出した「彼女」を満面の笑顔で抱きしめている自分を見た姉の友達が、病院に連れていくよう姉をさとしていたらしいが、姉から特に何かされるわけではなかった。毎日が楽しかった。モノを作る喜びが日増しに高まっていて、1か月の間ほとんど寝てなかったし、飯は床のリノリウムをはがして食べていたか、さもなくば「あの子」の内いくつかを紙と一緒に食べていたんじゃないだろうか。どっちにしても良く覚えてない。

アトリエを出たのは稽古が終わって、「彼女」を「あの子」たちのところに連れていく時だった。ほとんどしゃべらない「彼女」を両親に紹介してから自分の部屋の鍵を開けた。
なんでかって?「あの子」に見せたかったからだよ。作り終わった彼女を。

でも結果として「彼女」は完成しなかった。「あの子」が教えてくれていた通り、生身の私は本物の私じゃなかったわけだ。
「彼女」は必死にあの子のふりをしていただけだったんだろうな。当たり前だ。声から何から何まで違ってたのに。なんとなく自分でもわかってたんだろうな。
「彼女」と「あの子」たちは落ち着いたか?……そうか。どれだけ治るかはやってみなきゃわからないってか。
それから後のことは、そちら側の知っている通りなんだ。駆けつけてきた奴にでも状況は聞いてくれ。仕込んでたカメラで何もかもばっちり撮れてるんじゃないのか?



なあ、もういいだろう。おしえてくれよ。

自分はいったい誰に「どう思う?」てきいたんだ?
わからないんだよ。いつもはこんなこと言わないんだ。ただ「あの子」たちのまえにそっと置くだけなのに。

じゃあ誰が言ったんだ。「彼女」じゃないんだ。「あの子」たちでもない。



録音されてない?あの騒音の中で、自分のつぶやきは一言もたがわずに録音してたのに?

はは…


それさえわかれば完璧なあの子がつくれるのに……

そうさ、完璧だった。声からなにからなにまで。彼女だったんだ。

身を焦がして気も狂わんばかりに求めたその声で一言自分にこういったんだ。





「気持ち悪い」って。

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