紛れもないヒューマンエラーだなと、詰所内自販機で売られているコーンポタージュを啜りながら上司は言う。
とある駅構内に存在する第四軌条詰所。常日頃はがらんとしている室内に珍しく隊員がぎっしりと集まり、皆書類の処理に追われている。起因となったのは、上司の言ったヒューマンエラーだった。
財団が使う備品、つまり記憶処理剤、自白剤、弾丸、その他諸々の劇薬と銃火器は原則として消耗品だ。故に各地で定期的に補充する必要があり、そのデリバリーは墜落リスクなどを考慮して基本的に既存の鉄道交通網を使用する。
「で、問題はそんな危険物宅配サービスを"マジの従業員"がやっちゃった事だ」
「フェイルセーフどうなってんですか」
記憶処理剤の運搬を一般人にやらせるという特大のやらかしは誰かの陰謀や何かの異常でもなく、人間の不注意から起きた。よくあるヒヤリハットの積み重ねが、一つのインシデントとして表出した。
「理由としては財団側の郵配システムの更新で不具合を起こしたらしい、ヴェール絡みもあるから現場で一般積荷と明確に対応を変える事もできないからバグったままで諸々が進んじまったみたいだな」
「となると上の物流部門も今の私達と同じく、めちゃくちゃ詰められてるんだろうな」
事実、駅構内に存在するこの部隊詰所も理事会直属の検査部門によって臨隊検査が実施されていたところだ。とは言え、今回はシステムの不具合に巻き込まれた側面が大きいので表立った処分はまず無いだろうという話ではある。
その代わりに「誰が何処まで運搬物の内容や配送先含め、何から何を知ったのか」を鉄道網の正常性を保全する機動部隊、さらに言えば記憶処理剤の鉄道運輸の直接的な業務を管轄していた「第四軌条」である私達がする事となった。皮肉な事に、交通の保全こそヴェール維持の最前線と他機関に話したてている我々でこうした事件が起こってしまったわけだ。かくして、山のような報告書を書かなければいけなくなったということになる。
「で、運輸省による非公開の立入検査という名目で調査を実施した結果がこれ」
対象: 松濤信雄氏 (新宿駅に勤務する一般の作業員)
インタビュアー: 本町隊員 (機動部隊て-0 "第四軌条" 新宿本隊回収部隊所属)
付記: 松濤氏は当事案の焦点となっている財団が保持していた機密物品を輸送していた作業員です。松濤氏が運んでいた物品に関しては本来運ぶべきでは無かった危険物を輸送していたとしています。また、本町隊員はその地位を運輸省の管理員と偽装しています。
<抜粋開始>
本町隊員: それでは、質問なのですがよろしいですか?
松濤氏: まぁ、俺から言えることもあんまり無いんだけどな。
本町隊員: 事前に危険物を運搬する予定がある、と上司から告げられましたか?
松濤氏: いや、そういうのは無かったな。ただ、いつも通り受け取って、いつも通りの場所に持って行って……それで終わりだった。
本町隊員: 受け取った人は恐らく普段の人と違ったと思いますが、違和感は抱きませんでしたか?
松濤氏: 無いな。確かに違ったかもしれないが、人が変わる事くらいザラだろう。
本町隊員: 確かにそうですね。それでは、内容物についてももちろん知らなかった、ということですね。
松濤氏: ああ。その通りだ。何回も言ってるけどな。
本町隊員: 了解しました。御協力感謝致します。
<抜粋終了>
「……なんか、予想と違いますね?」
査収した全ての記録はその失態の存在を肯定していない。眼前にある情報に「何かを知っている」と証明するに足りる論拠、それを含む文字列は一節すらも含まれない。
「そう、今の所は配送物の内容について直接的な情報漏洩した確証が取れてない」
「インシデントそのものは起きてるんですよね?」
「そこは記録媒体やら各サイトの在庫情報から確定してる、問題は事後処理なんだ」
「事後処理?」
財団記憶取扱倫理規定
第8条: 記憶処理は次に掲げる場合にのみ行うことができる。
一 / 対象者が逸脱或いは異常に曝露している場合。
二 / 対象者が公開制限された情報を認知している場合。
三 / 対象者が財団の職員である場合。
四 / 対象者が要注意団体の構成員であるなど、財団と何らかの利害関係者である場合。
文庫本程のサイズがある持ち運び用の記憶取扱倫理規定を取り出し、第8条のページをさっと開く。
「記憶処理ですか」
「倫理的な、記憶処理の話だ」
ドアからは分隊長が現れる。諜報部門や運輸部門まで足を運び、報告書を記すにあたっての情報を持ち帰ってきたのだ。
「隊長。お疲れ様です」
「なーに、慣れっこさ。普段慣れない事務仕事をこなしている君達の方が余っ程お疲れだろうよ」
確かに、二桁枚数の報告書を執筆している第四軌条処理部隊の姿は、ヴェールプロトコルに支障を与えるような異常実体に対処する本来の姿とはかけ離れているように思える。
「それで、どうでしたか?」
「JAGPATOの戸籍管理課と諜報部に依頼してた調査結果は、どっちとも白だ。異常に暴露したケースでも無いから記憶処理を施すのは難しいだろう」
「誰かが気付いてその場で処理したみたいな線は」
「それも無いです。確認した限り、処理剤の使用報告と残薬数に齟齬はありません」
段ボールを回収した隊員本人が告ぐ。
「これじゃあ一番適用出来そうだった条項の二ですら厳しそうですね……記憶処理に関してはしないの方針で行くしか無さそうです」
少し、重たい空気が流れる。それもそうだろう。財団職員たるもの、少しでもヴェールに接触した記録を持つ一般人は減らしておきたい。自身の業務内で関わるような場合では尚更だ。
「我々の顔を知ったから、とかでは無理でしょうか」
「倫理委員会が許さないだろうな」
「厄介事が増えた予感がします……」
すると先程まで報告書を眺めていた分隊長が立ち上がる。
「よく考えて欲しい。我々第四軌条が行えることは沢山ある。鉄道、駅、そしてその周辺というかなり広範囲を指揮系統を他部門に依存せずに行動する事が出来る。」
確かに、私達がしっかりと業務をこなし、即応事案にも臨機応変に対応出来れば、そもそも彼がまた異常を目にする事は無い。記憶処理に頼る必要も無くなるだろう。先程まで死んだ目をしていた職員に光が見える。
「明日からも、頑張りますかぁ」
ある隊員が伸びをすると、皆が続けた。
「いやいや、まずはこの書類を片付けましょうよ」
その言葉で現実へと戻った隊員は、再びボールペンを走らせ始めた。
いつもの業務の合間に、貨物駅の搬入口に腰かけ、138円のコンビニパンを頬張る。
周りの作業員と世間話をして過ごす、何ら変哲のない運搬業務を粛々と行う毎日。
ただ、今まで仕事であった変な事と言えば何か、と尋ねられると、妙な事を思い出す。
危険物の運搬。運輸省の立入検査。事情聴取。
結局私が何を運んでいたのか、何を運ばされていたのかはわからない。
それでも、私はただ運送業務を粛々と遂行する。それ以上でも以下でもなかった。
上司のコーンポタージュにはまだ粒は残っていたようだ。ただ、出てこない一欠片を知る者は永遠に居ない。そして、そのままゴミ箱へ捨てられる。ちっぽけな取り留めのない記憶のように。