ブラッドオレンジ
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目を開けると、飛び込んできたのは、眩しいほどに輝く光だった。

内線からは誰かが叫ぶ声が聞こえてくる。
「起きてください、D-187。二分以内に準備をお願いします」

僕はゆっくりと起き上がると、数日間過ごした自分の部屋というものをじっくりと見渡した。
小さな部屋だ。大きく見積もっても五メートル平方といったところだろうか。部屋の隅には掃除用具入れがある。
白い。全てが白い。僕を取り囲む四方の壁も、そこに取り付けられた机と椅子として使える板も、この快適とは程遠いベッドですら、白い。

殺菌された空間の中に孤島のように浮かぶたった一つの色。
それはオレンジ色のつなぎ服だ。輝くオレンジ色の。
つなぎ服を身にまとう。僕に丁度合うサイズだ。
この恐ろしいオレンジ色は当然除くとして、この組み合わせは全て当たり前のものだった。僕の服装はたったの二種類。右側には内側に伸びる三本の矢が円を貫通したものと、それを取り囲むように二番目の歪んだ円がある。左側には登録番号が見えるようにされている。
僕の新しい名が。

「D-187」

内線越しに誰かが、再び連絡をよこしてきた。
「ドアを開けますよ。我々に見えるところに手を置いていてください。攻撃的な振舞いを見せた場合は、警告なしで処刑します」

僕に選択の余地などある筈ないので、ドアの前へと立って両手をあげて、背筋を伸ばした。
敵意がないことをドアの向こう側へと示す。それはともかく、こんな事に何の意味があるのだろう?抵抗したところで、僕はあの警備員にすぐに倒されるに違いない。ここの人たちが頼んでくる小さな仕事をこなして、社会への借金を何とかしたら出ていくのが最善だと思う。
と、いう訳で、僕はドアの前に立つことを選んだ。ドアが開くと、僕に対して過剰なほどの装備をした警備員が現れる。全身黒の重そうな服を着ており、ヘルメットとマスクで素顔は隠している。
白い空間に黒を纏う彼らの姿は、異質なものだったけれど、僕と比べれば圧倒的に景色に溶け込んでいた。

「出ろ」

僕はその言葉に従う。
手がちゃんと見えるようにあげたまま部屋を出ると、外に別の警備員がいることに気付いた。その人は僕と全く同じ格好をしていた。
今まで気づかなかったけれど、彼らの服の右胸にも、僕のつなぎと同じシンボルがあった。これが何なのか分からないけれど、きっと重要な何かしらの意味を持っているのだと思う。

警備員の一人が僕の前に立つと、着いてこいと強要してきた。
もう一人の警備員は僕が何かしないかをその眼で見る為だろう、後ろにとどまったままだ。
僕は警備員に着いていく。とにかく、それ以外に選択肢がない。
僕ら三人組があるく廊下は、どこを見ても僕の部屋のようだった。白くて。
一歩、また一歩。この大きいのだろう建物の中の廊下を通り過ぎていく。博士のような恰好をした人たちともすれ違ったけれど、彼らのは羽織っているものも真っ白で、背景の中に溶け込もうとしているみたいだった。全ての光景が、奇妙な雰囲気を作り上げている。まるで全ての人が、僕を目に入れないようにしているかのような、不安感を。
進めば進むほど、僕の心には暗雲が立ち込める。

僕らは大きなドアの前に辿り着く。他と同じ、白色の。
このドアの滑らかな装飾は目を引く。特に蛍光の黄色いパネルには、僕には意味が分からない情報がいくつか書かれていた。

チャンバー 109-B
SCP-914
オブジェクトクラス: Safe

側には何なのかよく分からない機械を写した白黒写真があって、僕は凄く良いと思った。
そのすぐ隣にある読み取り機に、警備員がカードを入れる。
ドアが開いた。

ドアの奥には機械があった。機械は三つのパーツに分けられていて、この部屋の三分の一以上を占有する形になっている。真ん中のパーツには、変な制御パネルが取り付けられていて、Rough、Coarse、1:1、Fine、VeryFineという、設定だけが表示されていた。その下には機械を作動させられる錠でもあるんじゃないかと思う。この機械が収容されている区画には両側にそれぞれドアがあって、「入口」、「出口」と記載されていた。入口の方は開いているけれど、出口は開いてない。
僕にはこの機械が一体何の役に立つのかと同じくらい、ここに呼ばれた理由も分からなかった。

新発明のテストでも手伝えば良いのか?
政府は死刑囚をこういう類の計画に使用することにでもしたのだろうか?
理解不能だ。
この部屋も白い。他の全部屋が白いのと同じように。白衣姿の科学とかやってそうな研究員の姿に、常に彼の付き添い役の警備員。
僕らの背後では巨大なドアが退路を塞ぐ。
僕らは五人だ。三人の警備員に、一人の研究員、そして僕。
研究者と、彼に付き添っている警備員が何か話し合っているようだが、僕が辛うじて聞き取れたのは、ほんの少しの単語だけだった。

何を話しているのか、正確に理解することは出来なかったが、僕についてと、この巨大な機械についての話をしていることだけは分かる。
僕が特に何も行動を起こさずにいると、研究員と付き添いの警備員は話し合うのをやめ、僕の右側に居る警備員の方を向いた。
「まもなく実験を開始します。被験者を機械の方へと連れて行ってください」
「承知しました。博士」

他の警備員が僕に話しかけてくる。
「君には今から入口の方の区画に移動してもらうけど、こっちが命令しない限り、動くなよ。何もしようとするな。何かしようとすれば、どうなるかはよく知ってるだろ」
「どうして僕は入口の方へ行かないといけないのさ。それに正確には何が起こ……」
警備員は僕が話すのを遮った。
「質問する許可は与えていない」

最初に僕を連れて行くように指示された警備員から、行くように合図される。もう僕に他の選択肢はない。
僕の寝室とは何もかも対称的な、暗い収容チャンバーへ足を踏み入れると、明かりというものはこの部屋の外から来るものだけとなった。スモッグ姿の男性がコントロールパネルの方へ移動するのは見えたが、機械にどんな設定を入力しているのか見えるほどの眼の良さはない。

鍵が錠に入る音が聞こえた。
何なんだよ!
あーもう、クソが、クソが。冗談抜きでそれ以外何も感じられない。
ドアが閉ざされる。
畜生め。余すところなく暗闇に包まれてしまった。
何が起こっているんだろう?
開けてくれ、とドアを叩き続ける。
機械は騒がしい音を立てると、電源が入り、作動した。

ああ、もうおしまいだ。
僕は……


ドアが開いた。
ちょっとだけ、寒さを感じる。
悪くはない。むしろ真逆だ。
今までにないくらいに気分が良い。
僕の目に映る世界は何もかもが変わった。上手く言葉にできないが、より多くのものを同時に感じられるんだ。

何も分からない。でも一つだけ分かる。行かなければならない。
三人の警備員が僕の前に立ちはだかる。あの科学者もいた。
警備員は銃を引き抜いた。
遅すぎる。でも僕は違う。
跳び上がった、何よりも速く。だが分からない、どうやって優位に立ったのかなんて。
両手は血に染まっていた。
まあそんなことは今いい。逃げることが最優先だ。
僕の何もかもが変わった。見方、感じ方、何かが触れる感覚、そして、殺しへの感情も。
今までと同じものは何一つない。
僕の目に映る全てが血の赤をしている。全てのものが思い出させてくれるんだ。全てが。
悪魔に憑りつかれたようだ。赤い。手はもう赤だ。赤だ。皆もう赤だ。赤だ。服にも増えていく、赤のシミが。赤だ。アラームが鳴り響く。ライトが赤く光った。

逃げなきゃ。

廊下を走り抜けようとしたが、人にぶつかってしまった。他人に関わってる時間などない。怪我なんか関係ない、僕は走り続けた。撃たれたって関係ない、走るのをやめるわけにはいかない。僕の行く手を阻む者は、全員殺してやる。追手の一人が窓を跳び超えると、彼が降り立った部屋からは叫び声が聞こえてきた。僕は止まらない。兵士の分隊が、僕へと発砲してくる。僕は走り続け、奴らに奇襲をかけてやるのさ。


これ以上はもう無理だ。痛い、どんどん頭が回らなくなっていく。
この組織の人たちが、僕を探している。聞こえてくる。
きっとすぐに見つかってしまう。
僕は数えきれないほどに殺してしまった。彼らは殺すだろう、僕のことを。

僕は死ぬ。生死なんて重要なのかな?もう分からない。彼らは近づいてくる。何も分からない。けどたった今、全てが変わった。この瞬間から、全てが変わった。
機械と接触した時からじゃない。
目が覚めてからだ。
僕は小さな部屋に隠れている。ほとんど箒入れと言っていいようなものだ。暗くもないが、明るくはない。
全てが同じようなものに感じられるけれど、そうではないんだ。

震えがどんどん激しくなっていく。これ以上正気ではいられない。
もう無理だ。
おしまいだ。何も聞こえないし見えもしない。
奴らに襲い掛かってやる。
何も心配するようなことはない。
逃げはしない。だが生き残れもしない。

たった一つ、僕に終わりを教えてくれたものがある。
この世のものとは思えないほどの輝きを放つ光。
青い。

██████博士SCP-914実験報告

入力: 被験者D-187、白人男性、28歳、63kg、身長173cm。(設定: Very Fine)
出力: [データ削除済]。被験者は研究セルから逃亡し、その過程で8名の警備員、███博士、███████博士を殺害しました。被験者は逃亡を継続する為に、ロックがかかっていた3箇所のSCP収容エリアへ一時的な不調を引き起こしました。特別対策チームは被験者に向かい発砲を開始し、結果として対象は重傷を負いました。対応したチームの人員は部分的な記憶喪失と、配管に大規模な腐食による損傷を引き起こしました。対象は数時間後に死亡し、肉体は青い灰に分解されました。これにより近くにいた研究チームの人員が失明しました。

SCP-914を用いた生物学的実験は、現在中止されています。

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