日本国 大阪。かつて"天下の台所"と呼ばれたその街の裏側に、超常なる食通たちが集う飲食店街がある。"パラフードの聖地"とも形容されるその場所の名は、「新世界キッチン」という。
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右を見ればアンブローズ・レストランの系列店、左を見ればイェンロン料理研究会の名を掲げた料亭。どの店からも食欲をそそる香りが漂い、ギラギラと輝く電光掲示板の灯りが道行く人々の満足そうな表情をうっすらと照らし出す。その中に、この場にひどく不似合いに見える、どこか飢えたような雰囲気を漂わせる2人が歩いていた。
「師匠、この場所は一体…?」
「馬鹿野郎、見て分からねえか。食い倒れの街、大阪だ。」
「いえ、それは分かりますが…。大阪にどのようなご用事があるのかと思いまして。」
「なに、可愛い弟子に稽古つけてやろうかと思ってな。」
どうやら師弟関係にあるらしい2人。師匠と呼ばれた男は50代程であろうか、しかし年齢に似合わぬ闘気、あるいは誰に向けられたものとも知れぬ殺気、そういったオーラを纏っている。弟子と呼ばれた方は、至極普通の若者に見える。但し、頭部が豚に置き換わっていることを除けばだが。
「俺はお前には期待してるんだぜ。寿司に関しちゃ素人に毛が生えたみたいなモンだがな、その心の闇はかつての俺…いや、それ以上かも知れねえ。」
「ありがとうございます。」
「ちったあ謙遜しろよ。まあいい…そう言う訳でな、今から馴染みのハンバーグ店に連れて行ってやろうと思う。」
「ハンバーグ…ですか。師匠が初めて俺に授けてくれた力もハンバーグでしたね。」
「ああ、お前はハンバーグと相性がいい。その豚面もハンバーグと適合した証、いわばハンバーグからの祝福だ。…勝の兄貴は呪いなんぞと呼ぶかも知れんがな。」
「…」
「得意を伸ばせ、強さのことだけを考えろ。下らねえ規範に囚われるな。偏食上等、それが"闇"のやり方だ。」
「…はい。」
闇を纏いし2人は雑踏の中へと足を踏み出した。
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同時刻、通りを挟んだ向かい側にも2人組の人影…いや、2柱組の神影があった。
「『ゲブの懐かし料理販売』は我が社のサービスのうちでも特に好評なものの一つだからね。さらなる売上向上と顧客層拡大を狙い、ここに実店舗を出したいと思っているんだ。」
「なるほど。しかし…見た所ここは激戦区です。食に関しては専門ではない我々がやっていけるものでしょうか。」
「その点に関しては…それほど大きな問題ではないだろう。ここの店のほとんどは独創的な創作料理であり、新しい味の店だ。我々はそもそものコンセプトが違う。それに、店で食べて終わりではない。当然お客様には通信販売サービスのご案内をする、宣伝も兼ねた出店だ。」
「ええ、本業はあくまで通信販売。それも一つの懸念です。こちらに人手を割くことに問題は?」
「ふむ、原材料の仕入れが心配なら新たに豊穣神なり地母神なりを探してきて契約しよう。調理スタッフやホールスタッフは…ゴーレムを使用しようかと思う。滅菌した砂で作れば衛生面も問題ないだろうし、この場所に店を構えればレイライン上から十分なエネルギーが供給できると試算している。」
「ゴーレムですか。人件費の削減にはなると思いますが、土人形のいる空間で食事と言うのは少々雰囲気が良くないかと…。」
何やらビジネスの話、あるいはオカルトの話に夢中な様子の彼らは、2者ともに人ならざるものであることは確かであったが、その容貌には幾分差があった。片方はほとんど人間と変わらぬような形であるが、もう一方はと言うと、頭が鳥に、より厳密に言えばアフリカクロトキという種のそれに置き換わっているのであった。
「…では店内に幻術を張っておこうか。店員の見かけが気にならなくなるやつ。」
「それって詐欺か何かなのでは?」
「そうか、じゃあホールスタッフは新たに雇い入れるとしよう。」
「それがいいでしょうね。」
「社に戻ったらゲブとも再度打ち合わせだな。…折角来たんだし帰る前に何か食べていこうか。」
そういって彼らは通りへと足を向けた。
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「師匠、今のは。」
「ああ、間違いねえ。お前と同じ、闇の適合者だ。」
「鳥…でしたね。一体どのような寿司を。」
「鳥で寿司ったら…チキンか、鴨、フォアグラや北京ダックなんてのもいたなあ。」
「でも、クチバシはそんな感じじゃなかったですよ。」
「馬鹿野郎、そんくらい分かってら。暗くてよく見えなかったが…ありゃあ"トキ"だな、多分。」
「トキですか?確か絶滅危惧種…じゃなかったですかね。」
「力のために絶滅危惧種を屠るとは…あの野郎並大抵の闇じゃねえぞ…。」
「師匠がそこまで…。」
壮大な勘違いであった。人間は自分の持つ枠でしか世界を見ることができないのである。そうして彼らは、すれ違いざまにチラリと見えた神格の横顔をあろうことか…闇のスシブレーダーだと判断するに至った。
「しかしトキなんてどう調理するんです?」
「鍋にする…と聞いたことがあるな。味は悪くないが生臭いとも聞く。」
「生臭いですか。魚もそうですからね、案外炙って握りにしてもいけるかもしれませんね。」
「食ったことも戦ったこともねえから分からねえなあ。どれほどのモンか、一度手合わせ願いたいもんだ。」
「もう人混みに紛れてしまいましたね。どうします、追いますか?」
「いや、いい…寿司の世界なんてそう広くもねえ。俺らみてえな邪道モンに限るなら尚更だ。いずれ巡り会うこともあるだろうよ。」
男はそういってカカカと笑った。
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「おいおいトート、今の見たか?」
「はい。豚の頭…どう見ても人間ではありませんでしたね。」
「あんな見た目の知り合いはいないが…君は心当たりあるかい?」
「確か…ハワイ神話のカマプアアは豚の姿では無かったかと。」
「流石は知恵の神だ。だが、彼からはなんというか…神の気を感じなかった。」
「社長はそういうの敏感ですよね。とすると、彼らは神格ではないのでしょうか。」
「ああ、人間な気がする。あの姿になった理由はわからないが…ミーノータウロスの親戚か何かだろうか。」
自分の持つ枠でしか世界を見ることができないのは人間だけでは無かったらしい。もちろん、かつて知恵の神とも崇められた存在がスシブレードを知らぬはずは無かった。しかしその暗部…闇寿司と闇のブレーダー達のことを知らなかったのは仕方のないことであった。
「後天的かもしれませんよ。その手の変身譚はギリシャに多いのでは?」
「変身譚か…なるほど、そうか分かった。キルケーだな。彼女が怪しげな魔法薬で人間を豚に変えているに違いない。」
「確か…太陽神の血を引くニュンペーでしたか。しかしどうしてそんな真似を。」
「そんなこと…ビジネスに決まっているだろう。」
「どこに需要があるのです?人間がお金を払って豚にしてくださいと?」
「重要なのはその後だ。変身術を解除すると元よりも美しい容姿になる。だから豚に変えた後、何日か後に解除すると…美容整形の完成という訳だ。これなら頭だけ変化していることにも説明がつく。」
「美容整形…ですか。なるほど。」
「ああ、我が社は男神率が高いから、そういう分野では遅れを取っている。実に由々しき問題だな。近いうちにどこかの女神でも講師に呼んで勉強会でも開くか。」
「…ではスケジュールを調整しておきます。」
深く考えているのか思いつきなのか、よく分からない青年神の言動を前に、トキの神は慣れたものといった様子で手帳を開いた。
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各々の目指す場所へと向かい、路地の闇へと溶けるように姿を消した2組。彼らが再び相見えることはあるのだろうか。それは神のみぞ知る。