クレジット
タイトル: 一番低い星の束を持って、あなたに再び会うために。
著者: ©︎EianSakashiba does not match any existing user name
作成年: 2025
大阪駅の中央連絡口から出てすぐの隣接施設、そこの花屋に寄る。20時を回っており迷惑をかけることだけが不安だったが、店員は急に必要になったのだろうと優しい接客をしてくれた。
「そうですね…おまかせだったら…カスミソウなんてどうですか?」
緑を基調とした極彩色の店内を徘徊した店員は、小さく白い花をつけた何本かを持って戻ってきた。
「夏の花ってヒマワリがメジャーですけど、実はカスミソウも~…」
話が入ってこない。1年に1度の大仕事である以上、何年経っても緊張はする。
「それにほら、今日って~…」
結局店員の話に従い、白いカスミソウと青い花の花束にした。
「ご用途に合えば幸いです。ありがとうございました」
片手で持てるほどの大きさだったが、端に集められた花たちは純粋な祝福をしようと溢れんばかりに存在を主張していた。
劇場型SCPという区分がある。そのSCPは発生地点の周囲を巻き込みながら、一連の活性化イベントを一定周期で行い続けるSCPである。外からの干渉に強いかは種類によるが、範囲内の人間どころか物品や建物に至るまで寸分狂わない舞台を進行させられることから、強制力自体は強いものがほとんどだ。
このSCPをどう収容すればよいか。1つは活性化イベントを邪魔しないこと。世界を滅ぼすならば阻止が必要だが、基本的に再現で収まっている以上は一般への隠蔽だけ行い、その演劇に誰も入れなければ良い。
もう1つはプロトコルの名目で財団職員がイベントに参加し、活性化の影響を最小限に抑えること。そのオブジェクトが財団職員の役を与えられ、そう思い込んでいればより有用な収容手段だろう。
時間まで駅員専用の控室で待つ。ここにいる全員が僕も含め財団職員だ。僕の体や衣服、買ってきた花束に入念なチェックが行われ、オブジェクトに侵入した瞬間異常な反応をしないか、異常のないものかどうかのチェックだ。
「お時間です。どうかご無事で」
駅員に偽装した職員に言われ席を立つ。控室の扉を開ければそこは、21時03分の現実に存在しない駅ホームだ。いやに月が大きく見えて、灰色がかったコンクリートの足場に青白い夜空が境界を溶かし、それらすべてが「お前は今SCPの活性化イベント渦中にいるのだ」と認識を迫る。
わざとらしい汽笛の音が虚空から近づき、時代遅れのSLが僕の前で止まる。顔の見えない車掌が帽子を目深に被り、煤に塗れた右手を差し出した。
「切符を拝見…ありがとうございます。ご乗車ください」
僕が今、持っているものは花束だけだ。車掌は切符代わりのそれを本当に拝見するだけで取り上げなかったので、この空間で唯一の色は煤けることがなかった。
木造の車内に照明は灯っていなかった。朽ち果てた月光を頼りに4人掛けの対面席に座る。全ては頭に叩き込んだ特別収用プロトコルの通りに。僅かな揺れの後に列車は動き、ほどなくして地面を離れた。
女性客が現れる。眉間に皺が寄る近寄りがたい雰囲気だったが、彼女は私の顔を見るやパアっと満面の笑みを見せた。感情を表現することに全力だった点も、僕が彼女に惚れた理由の1つだった。そんな回想もお構いなしに舞台は進む。彼女が対面に座った。
「誕生日と結婚記念日おめでとう。これ…好みに合うか分かんないけど」
カスミソウとブルースターの花束を渡す。彼女はそれを受け取り、胸元に大事そうに引き寄せた。
「ありがとう。お星様みたいで本当に綺麗」
「そりゃあ、まあブルースター言うくらいだからな」
「ね。この青くて大きな花は図形みたいな星でしょ、そしてこっちの白くて小さい花は…夜空から見る遠い星の輝きみたい」
本当に、なんでこんな日に結婚したんだろうと後悔が一瞬去来する。せめて1日でも違えばオブジェクトの曝露者に理不尽に選ばれることはなかったのに。そう思った。
その後に誕生日だからだろうと自己弁護を心の中で唱え、彼女の顔に視線を戻す。ボリュームのある花束が、わずかに目元を隠していた。
彼女へのプレゼントを渡し、次の停車駅まで決して席を立たないことを念頭に置く。
「そっちはどう?夫婦で職員なんだから、ある程度の隠し事はナシでしょ」
「ぼちぼちだよ。出世や地位目当てだったら財団に入ってないだろ」
「ま、それもそうだよね…」
彼女は花束を大事そうに抱えたまま離さない。とりとめのない会話は途切れがちになり、それが気まずさからなのか安心からなのかすら読み取れない。
「すごい景色…天の川って言うんだよね」
外の月はより一層大きさと青白さを増し、星々が形成している川は邪魔な雲を流して追い出していた。なるほど用意した花束は天の川をイメージして作っていたのかと今しがた合点がいった。
「もう、ひょっとしてこれも店員さんに作ってもらったんでしょ」
声に出していない図星を突かれ、数秒のフリーズがあった。
「顔に出てたか?」
「あなたの考えていることだったら、何でもお見通しなのです。何でも」
なら。と僕の口が言うことはなかった。これは舞台で、変に進行を途切れさせるのは許されていない。異常の只中にいる以上、読心でもなんでも起こりうる。
「てっきり、あなたこれを嫌がらせでチョイスしたのかと思ってた」
「なんで」
「ある意味、私たちにぴったりすぎるから」
最初は不味ったかと思った。花言葉くらいは質問しておくかと思ったが違うらしい。どういうことだろうか。彼女は顔の前にある花束を少し持ち直した。その反動で小さな青と白の星々が、かすかに揺れた。
「カスミソウの英名。ベイビーブレスって言うんだって」
ひゅっと、喉の奥が勝手に鳴った。月はもう、車両の窓を覆うほど大きくなり、近くに来ている。
「そしてブルースター、これ英語圏では男の子の出産祝いなんだよ?本当に自分で選んでないの?」
「選んで、ない」
「…本当かあ」
彼女は顔を覗き込む素振りすらなく、僕の本心を読んでしまった。カスミソウの天の川は目に見えて川の流れを大きく広げ、彼女の顔も体も隠してしまう。
「さっきさ」
駄目だ、言ってはならない。これは舞台で、彼女は役者ですらない。このSLで生きている人間は僕1人だけだ。僕の帰還が第一だ。眼前の妻のかたちをした異常を変に刺激してはいけない。
「僕のことなら何でも分かるって、言ったよな」
「うん」
月の表面が目視できた。そこにあったのはクレーターや兎の模様ではなく、9の数字だった。
「なら、ならさ…顔を見せてくれないか」
9を通り過ぎた短い針と、ちょうど5を指した長い針が、穏やかな口角の上がり方に見えた。月だと思っていたものは巨大な懐中時計だった。ずっと何年もこの舞台を演じていたのに、僕は初めて月の正体を知った。
「君の顔が見たいんだ、君に触れたいんだ、君に会いたいんだ。1年に1度会える?ふざけるなよ」
「こんなのが…こんなのは会うって言わない。雲や天の川に阻まれて、すぐ近くに君がいるだけだ。いるだけなんだよ…それは再開とは言わないんだよ」
遠くに明かりが見えた。次の駅の明かりだった。逢瀬のおしまいが、目に見えて迫り始めた。
「本当にごめんね」
綺麗なキラキラと輝くカーテンの向こう側から、泣きそうな声が聞こえた。
「私もだよ。私も一緒なの。絶対に顔を見れない存在を、絶対に触れられない存在を、すぐ近くにいるだけの存在を、この夜で待ち続けているの」
「僕もだ」
彼女が待ち続けている会いたい相手は、きっと僕の他にもう1人いる。その謝罪も、僕とその子に向けたものだろう。
「ごめんな。本当にごめん。まだ、君のお腹にいるんだよな」
「うん。幽霊みたいになった私のお腹にずっと留まってる。あなたの言葉を借りて言うなら、留まってるだけ」
月の懐中時計は非常なほどに正確で、音を立てて時間を刻んでいく。月から離れ始めた列車は、対照的に次の駅へと近づいている。
「次、また1年後会うときにさ。プレゼントするために考えておくよ」
「何を」
「その子の名前、男の子の名前」
きっと今回の演劇も、前向きな終わり方ではないだろう。オブジェクトを不用意に刺激して、最愛の人を泣かせた。それでも、それでもなお───
「僕は前に進みたい。ずっとここで留まってあなたたちが悲しみに沈むのなら、僕は次の駅に行きたい。止まってしまった3つの時計の針を、再び進めるように直したい」
「…あの月みたいに?」
「うん…君の方こそ、覚えていてくれてた」
涙が止まらなかった。でも笑顔で別れた方が、次の出会いに希望を持てる気がした。だから声色だけでも無理に笑おうとした。
「当たり前じゃん。だって初めてのプレゼントなんだよ?月が綺麗ですねでもクサいのに『本当は君にあの満月をあげたかったんだけど…』なんて、どんな口説き文句なのよ」
彼女も笑っていた。声が笑っていた。あの日のように明日に僅かな希望を託す笑顔はできない。僕らはもう、また会うために笑って舞台を締めくくるだけだ。また会うために名前を付けるだけだ。それだけでもよかった。それだけでも前に進める気がした。
SLから出て改札に向かう階段を降りる。収容チームが不安そうに待機していたが、僕の姿を確認するや否や安堵の雰囲気に変えた。周囲の隠蔽すら気にしていない様子から、とっくに終電どころか駅全体を閉鎖している時間らしい。
「僕は、どのくらいオブジェクトの中にいましたか」
僕の声色を聞いた途端、収容チームの表情には少しの心配が戻った。
「4時間8分51秒です。活性化イベント時の内部は時空間の歪みがあることは分かっていましたが、ここまでの長丁場は初めてですよ」
「ひどく衰弱している様子です。ひとまず認識災害やミームをはじめとした異常の『付着』がないか確認してから、まずはお休みください」
「その後、内蔵小型カメラの探査記録映像を確認してからインタビューを行います。今回の贈答イベントの品物は初めて花束を指定しましたが…それが原因で何かあったんですか」
疲れていると分かっていながら矢継ぎ早に質問される。仕方ない、収容チームも本当は休ませてあげたいのは山々だろうがこれが仕事だ。僕も彼らも異常なオブジェクトに隣り合わせなのだからそっちを気にかけるのが正常だ。
その後財団のサイトに戻りおよそ3時間弱の休息を取り、映像確認をインタビューと並行して行った。映像に乱れも改竄もなく、僕の泣いている姿がそこにあった。インタビュアーとの会話で、改めて僕は自分の失態を謝罪した。
「すいません、オブジェクトを不用意に刺激してしまい…当たり障りのない会話だけするべきでした」
「仕方ありません、奥様に関してはデータベースを通じてですが私たちも理解しています」
「僕と同じ境遇の、別の方に担当を変わってもらうことになるのでしょうか」
「この結果で降格や左遷扱いにはならないでしょうし、あなたと同じ境遇の人材集めというのも難しいと思います。まずは考えていきましょう、名前。必要であれば我々も手助けします」
「ありがとうございます。心強い限りです」
「ではこれでインタビューを…」
「あ…すいません。要請を出したいのですが」
なんだろうと不思議な顔でインタビュアーは僕を見た。
「休暇申請ですか?お疲れ様です、担当の職員に話を繋いでおきましょう」
「休暇もそうなのですが…殉職職員の遺品引き取りの申請で」
そうしてインタビューが終わり、遺品引き取りの申請は1時間で通った。休暇申請の方は数日から1週間弱お待ちくださいと言われたが、まるで彼女の遺品がずっと待っていたかのような早さだった。非異常の物品だったし、身内の職員が申請しているからここまで早く通ったのだろう。
7月8日の朝焼けの中、引き取ったそれを手に取る。強い衝撃で壊れ、時の止まった懐中時計。
恋人へのプレゼントなんて初めてで、気取ったものを気取ったセリフで渡してしまった。当時の彼女の表情は…苦笑いの中に嬉しさが隠れていた。忘れていない。忘れるわけがない。事実彼女もずっと忘れず、この機械仕掛けの月の近くにいた。1年に1度しかない銀河鉄道に乗って。
次の休暇に街に出て、この時計を直してもらおう。そうして、もう1度時を進めるために彼女とあの子に会うんだ。
空が白んで目覚め始める街並みと、数年ぶりに再開した懐中時計から花の匂いがした気がして、僕は「また来年に会おうな」と呟いた。



