Dear flying you
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親愛なる空飛ぶ君へ

この手紙は君に届かないであろう。いや、そもそも手紙ですらないただの独白だ。

 
友よ。空を飛ぶ我が友よ。
 

薬食同源という言葉がある。
中国の薬膳思想を為すものであり、食べることと薬を飲むことは同意であるというものだ。

なるほど、確かにそうやもしれぬ。
結局のところ、栄養は食わねば手に入らぬものであり、それはすなわち薬と同じだろう。
食わずに生命を保てる生物などは少ないとは言えないがそう多くない。
深海に住むというチューブワーム等を思い出せばいいだろう。

また、古来より、人は食を健康の源と考えた。もちろん、そこにはいくつもの失敗がある。
始皇帝政は水銀を摂取することで不死となると考え、近代ヨーロッパにおいては放射線が健康に良いとまでされたという。
無論、これらは今になっては否定されているがね。

何を君に言いたいか、君には分からないだろう。あるいはそれで構わない。

 
友よ。空を征く我が友よ。
 

カニバリズムを知っているかね? すなわち、人肉食だ。
我々には縁遠いものだが、人は時に人を喰う。

本来、肉とは面倒な代物なのだ。全身の毛を取らなければ体毛に含まれる硫黄が燃え異臭を放つ。
臓物は血を抜かねばすぐに腐る。香辛料を求めヴァスコ=ダ=ガマらが大海を駆けたことは一つの証左でもあるね。

それが人となればなおさらだろう。生理的な嫌悪感、道徳的な違和感を含めれば、人を喰うというのは本来不合理だ。
人を喰って処理するなどという物語があるが、それは大方性的な欲求、あるいは異常なまでの飢餓による。
エド・ゲインの例を上げるまでもなく、レニングラードの悲劇を上げるまでもなく。

あるいは、薬、呪いとして。考えればこれが一番強いかもしれない。
本来、未開の部族。無知蒙昧な航海者らによって人食い族とされた彼らのその文化は、強き者の力を得る為だったと言われる。
すなわち、戦死した戦士らの力を得るために、その肉を食ったという。
同様に、人の体を薬として売る商売があったとも聞く。

ここまで聞いて、君は首をかしげるだろう。何故、その話をする必要があるのか、とね。

 
友よ、雲の彼方に消える友よ。
 

畜産というものは中々エゴイズムに満ちている。
食うために、使うために生物を捻じ曲げ、その肉を、乳を喰うのだから。
一度家畜化された生物は、野生の中ではそうそう生きることはできない。

無論、生きるためには合理的な手段だ。わざわざ危険を冒し、野性の生物を狩るよりは余程いい。

そして、うまくやれば都合のいい生物を作ることもできる。
例えば、乳をよく出す牛、脂の乗った豚、大きな卵を産む鶏。

今後技術が進めば、それこそ薬食同源。食べるだけで薬になる生物が生まれてもおかしくはないだろう。
もしかすると、人の肉の味がする家畜なども作られるかもしれないね。鬼一口だ。

さて、ここまでの話を聞いて理解しただろうか。しなくとも構わない。
私としても少々支離滅裂で、脱線ばかりしているのだから。

 
友よ、紺碧に遊ぶ友よ。
 

人は食うために家畜を作る。
人は時に人すらも食う。
人は食と薬を同じとする。

私の脚は捻じ曲げられた。
ピーターは既にハムになった。
パエリアはもう胃の中だ。

翁は怒り狂っている。痛快だ。
私は喋れないが、君よりはずっと利口だ。
それが翁の誤算だったのだろう。

 
友よ、私の勇敢で慎ましい友よ。
 

不死の話をしよう。私は永遠の否定者ではない。だが、不死の肯定者では断じてない。
不死とは孤独だ。そして無意味だ。酷く不気味で惨めなものだ。

人はそれを追い求め、そして水晶と間違え、硝子片を掴む。
だがそれでよいのだと私は思う。
刹那は劫となり、無限に引き延ばされる。終わりは訪れない苦行だ。

終わりがあるからこそ、生きるのだ。死なないなど、どうにも間抜けではないかな?

 

何故私がこんなことをしたのか、君には分かるまい。
いや、君には何が起こったのかも分かるまい。それでいい、それでいいのだ、友よ。

私は永遠を否定するつもりはない。私は生きるために食われることを拒むつもりはない。
だが、ただ不死となり生き永らえる、そんな無駄なことの為に君が食われるのは嫌だった。

内臓は既に落ちている。私の息は絶えるだろう。

 

だが、友よ!

 

友よ、愚かで小さく優しき友よ!

飛んでいけ、何処までも飛んでいけ! この地など忘れ飛んでいけ!

喰われるためではない、死なぬためではない、生きるために飛んでいけ!

その黒曜の瞳に紺碧を、赤光を、星海を、漆黒を、曙を映し飛んでいけ! 

君の飛ぶ空は不死よりもよほど永遠に近い! それが永遠であるのならば悪くはないだろう!

 
飛んでいけ! 天上までも飛んでいけ! 友よ! 我が友よ!
 

飛んでいけ! 愛する我が友、アヒージョよ!

 

君の友、イシュケンベ

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