裏切者の末路
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 十年と少し勤めたサイトを、夜風をかき分け、鞄を抱え込むようにして早足で去る。再びここに帰ることはない。指定された都内の某大型ショッピングモールの駐車場は歩いて数分の距離にあり、そこまで鞄の中のUSBメモリを送り届けさえすれば良い。

 USBメモリの中には財団日本支部の最高機密。普通は自分のような職員が持つことなど到底許されないものであり、露見すれば処分を免れることなど出来ないだろう。好奇心のみを理由に単独で情報の取得を試みた者の末路は想像に難くないし、たった一人で財団という巨大な組織に歯向かおうなどとは思っていない。

 協力者との初接触から丁度四週間。『蒐集院』なる、財団の前身を名乗る組織がなぜ自分個人をスパイとして選んだのかは不明だが、なかなかに美味い話だった。財団勤務といっても基本はパソコンに向かう仕事、技術部門のサブのサブで業務内容はシステムエンジニアとほぼ同じ。予算も給料も比較的少なく、それでいて勤務時間はむしろ他より長い。そんな中、相当の量の金額と身の安全を保障してくれるとの約束。ここで有能さを見せることができれば、この先も上手くいくかもしれない。

 具体的に入っている情報は、緊急オンライン会議の音声データ。それも日本支部理事会、文字通り日本支部の最高意思決定機関のもの。今日の午前中に起こった大規模情報災害により開かれた緊急会議の音声を、まさにその災害のために手薄になったところを突いて奪取した。
 蒐集院の協力者からの情報によると、理事の中でも『鵺』という名で呼ばれている存在こそが彼らにとって最も価値があるらしいが、結果的に首尾は上々だったと言えよう。

 モールの裏手に回る。待ち合わせ場所は立体駐車場の三階。殆どの店は今日の営業を終了しており、すれ違った人は数人のみだった。

 
 
 


 入手したばかりのデータを聞く。一通り音声に耳を通し、その後渡された電話番号にかける。それで財団生活は終わりだ。イヤホンをつけ再生を開始する。

『鵺です。遅くなりまして申し訳ございません』
『ええ、大丈夫です。始めましょう、ああ、今回についての報告はすでに?』

 驚いた。耳に入ってきた『鵺』と名乗った声は、少し低めの女性のようだった。落ち着いてはいるが若く聞こえる。
 理事ともあろう人が、女性の、ましてや二、三十代? 口を開いたもう一人の声は深い老人のもので、まるで親子か祖父と孫かといったような具合だ。

『大丈夫です、受けています』
『分かりました。それではまず、サーバー内情報災害に伴う、数種のKeterクラスの特別収容プロトコルの一時的変更について、次にサーバー増設計画の前倒しについて』

 傍聴対策の一環でわざわざボイスチェンジャーを使っているのか? 理事同士の面識はないとしたら納得はできるが──

『では、まず一つ目の────Webクローラが──特別──』『それよりも────方──』

 欲しがられていた『鵺』の声はほとんど聞こえない。相槌等にとどまり、情報が得られない。情報も聞いたことのないものばかりで分からない。

『ええ。では────』『成程。では十一月の──────管理者を────』『──四行────』

 
 
 


 立体駐車場のエレベーターに入る。この後は、待ってくれている協力者の車に乗り、データの受け渡しを済ませてそのまま安全な場所へ逃がしてもらう、という手筈になっている。
 少し緊張して体が固まる。健康診断でももう少し運動するべきだといわれたのが急に思い出される。

「お待ちしておりました」エレベーターのドアが開くと年を重ねた男性の声。「こちらへ」

 夜も遅くなり、ショッピングモールも空いているのは映画館と駐車場だけ。この時間にわざわざ駐車場のエレベーターを一階から登ってくるものなど、確かに自分以外にはいないだろう。来る時間も大まかには分かっていただろうし、すぐに声をかけられたのも当然か。

 案内されたのは、駐車場の奥に停められた黒の高級車。あまり詳しくないが、どことなくレトロな雰囲気が漂っている特徴的な見た目をしていて、運転席には既に人が座っていた。
 出迎えてくれた老人に車に乗るようにと言われる。程なく、車はスロープを下って外へと走り出した。

「有難うございます。こちらが、データの入ったUSBメモリです」
 鞄から取り出して、隣に座っている老人に見せる。親指より少し大きいほどの電子機器がこの後大金に化けると思うとたまらないが、それだけでは終わらない。有能さを何とかアピールして次につなげることが必要だ。

「緊急理事会の音声ファイル、でございますか。申し訳ございませんが、一応確認させていただいても?」
 頷くと、老人はノートパソコンを開いて何やら操作を始める。音声ファイルのバックアップを取っている様子。

「どうです、全て、お望みの『鵺』の情報である発言記録も──それに財団のサーバー増設計画についての機密事項も入っています。
「これがあれば、今回の情報のみならずこれからも継続的に、あー、継続的に、新たな情報を得ることだって可能になるでしょう」

「ええ、本当に素晴らしい。報酬の増額も──いえ、更に良い返事をお伝えすることになりそうです。単刀直入に申し上げますと──後ろ盾に我々を据える気はありませんでしょうか?」

 やせた老人がこちらを向く。想像以上にすんなりと終わり、これでバックグラウンドも得ることができた。
 財団への裏切り。口にすることすら恐ろしいものだったが、やってみれば案外簡単なことだったようにも思える。

「勿論です、有難うございます」
 当然すぐに承諾。疑いをはさむ余地などない。丁度車が信号待ちから発進する。

「こちらこそ有難うございます。ところで、なのですが、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか? あなたの考えも聞いておきたいことがあるのですが」

「はい、どういったことでしょう? 私に答えられる範囲でしたらなんでも」

「では──『鵺』についてです、貴方にはの存在の重要性を最初にお伝えしたと思いますが、なぜ『鵺』を我々が特別視しているかお分かりになりますでしょうか?」

 数瞬の思考、沈黙。車が曲がる。「仲間になれ」と誘っておきながら、ここで急にクイズのようなことをさせられるとは思ってもみなかったが……頭の回転力や洞察力か何かを測られているのだろうか。
 ともあれ、我々という言葉が意味しているところは──

「そうですね……日本支部理事である『鵺』と、日本支部の前身であった蒐集院の間には何か関係があるのでしょう。具体的には……そうですね、財団日本支部がとその理事会が設置される前、元々『鵺』は蒐集院の幹部だったか、もしくは反対に蒐集院の敵対派閥の代表のような存在であったか……といった事では無いでしょうか?」

 いや、沈黙を続けてはいけないと思い口に任せて喋ってみたが、この推理はあまりにも穴だらけだ。蒐集院が鵺を注視する理由というのが何か最近の出来事に端を発する場合、今述べたことは見当外れも甚だしいが──

「……成程、前者が正解です、素晴らしい。ではもう一つだけ。『鵺』個人はどのような存在だとお考えですか?」

 ──どうやら合っていたらしい。しかし次の質問は……鵺個人がどういう人かなど全く見当もつかない。今度こそ本当に思いついたことをそのまま話すしかない。

「はい、まず、音声記録を聞いた印象ですが……ええ、まず声は若い女性のものでしたが、まさか日本支部理事に二十代、三十代の人がなる訳にもいかないとなると、恐らくボイスチェンジャーか何かを使っているのでしょう。
「しかし理事会のメンバーはお互いのことぐらい知っているでしょうし、わざわざ使う理由は……そうですね、とても用心深い性格なのでしょうか。自身についての情報が直接漏れることの無いように、という。後はですね──
「ああ、他の理事と比べ、会議中での発言が明らかに少ないように感じました。それに、何と言いますか──『鵺』のことをほかの理事たちが気遣っているといいますか……何というか、全体の雰囲気を見るに、『鵺』は日本支部理事の中でもかなり偉い立ち位置にいるのではないでしょうか?
「コードネームからも得体の知れなさが出ていますが……後は、それに会議の冒頭、遅れてやってたのにも関わらず──緊急の会議だから、というのも勿論あるのでしょうが──他の理事達が遅刻を気にした様子も殆ど見られませんでした。
「これは最初の、用心深い人物である、というものとも一致します。つまり、『鵺』は日本支部理事の中の最高権力者かそれに類する存在で、だからこそ通話でもボイスチェンジャーを使っているような用心深さが──
「ああ、いえ、『鵺』が日本支部で最も偉い存在だとするなら、他の理事も『鵺』の情報を知らない可能性があります。そのために声を変えているのかもしれませんね」

 ダメだ、纏まりがない。もう少しでも考えてから喋ればよかったとも思うが、吐いた言葉を飲み込むことはできない。不安になって伺った隣の老人の表情は──笑みを浮かべていた。

「有難うございました。とても良い考察でしたが、そろそろ着いたようでございます」

 車が止まる。老人がUSBメモリを懐にしまう。話すことに夢中になっていて正確な現在地は分からないが、都内からは出ていないぐらいの時間だった。

「ここが?」
 窓の外はまさに高級住宅街といった見た目の家々が並んでいる。このうちのどれか一つが蒐集院の施設、あるいはセーフハウス的なものになっているのだろうか──

 突如。首筋に何かが当てられた。続いたのは軽い刺激。蚊に刺されたのと区別がつかない程の────

「さて、これでスパイの役目は終わりでございます。有難うございました」

 車のシートに倒れこむ身体、老人の声。利用されただけ、情報を盗み取るのに、用済み──確かなのは元から随分と甘い話だったこと。なぜ? こうなることは明らかに予測できたのにどうして──意識が遠のいて────

 
 
 


「──というような次第にございました。今後は一層、不慮のインシデントの際の第三者による情報漏洩の対策も強化します────どうかされましたか? お顔が優れないようですが」

 豪邸の中。黒いスーツに身を包んだ老人が、おかっぱ頭の少女に話しかけていた。既に夜の零時は過ぎており、少女のほうは目が薄くなっている。

「いや、何というか……授業抜けてきたせいで緊急会議に遅れたり、理事の皆が年齢的に配慮してくれてたりするのを、私が偉いからだって勘違いするのはちょっと……」

「ええ。笑いをこらえるのが大変でございましたとも。次からはボイスチェンジャーを使うというのはどうです? 二十代か三十代と思われる声だったようですが」

「ぜっったい定例会議が終わった後にめちゃくちゃにイジられるから嫌。あとまだ十代後半。ああ、で、話題の彼は?」

「はい。既に記憶処理を受けております。健康診断の際に掛けられた、財団への忠誠心を減らし警戒心を薄くするという暗示は完全に解かれていますし、自分が機密事項を横流しようとしたことも忘れております」

「お疲れさまでした。蒐集院の残党役としての演技、楽しかった? 堂に入っていたようじゃない?」

「いえいえ、ご冗談を。……しかし、今回のデバッガー役の彼は中々優秀でした。セキュリティの穴を見つけ出すことができたのは彼が初めてです」

「まあ、情報を入手したのがこっちが用意した人間でよかった。これが本当に敵対組織による手が伸びた職員によるものだったらと思うとね」

「はい、本当に。ほかに迷惑が及ばないよう『鵺』の情報を、と言っておりましたのに出てきたのは会議一つ分丸ごとです。最初から仕組まれていたことでなければどうなっていたことやら」

 そして。豪邸での歓談は中々終わらず。次の日も学校がある日本支部理事『鵺』は朝起きて後悔する羽目になる。

 
 
 


 ──一方。デバッガー役としてセキュリティに穴がないかを探させられていた彼の元には、異動の命令が届く。
 今後の情報の流出を未然に防止することに(知らないうちに)成功した彼は、その能力を評価されて諜報部門へと異動になった。給料も上がったが、突然の異動の真相を知っているのは、『鵺』とその側近数名だけであった──
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