Info
タイトル: 口頭試問
原題: Defence
翻訳責任者: FattyAcid
翻訳年: 2025
元記事リンク: https://scp-wiki.wikidot.com/defence
著作権者: HarryBlank
作成年: 2021
初訳時参照リビジョン: rev.33
口頭試問

1994年
8月3日
前方の道は左右に分かれていた。彼らの前を走っていた黒いセダンは右に曲がった。ライルもそれに続いて右に曲がった。
「何やってんだ?」ハリーが言った。「逃げ道だったじゃないか、ライル!」
「私たちは、ここまで車で来るとは誰にも伝えなかった」ライルは言った。彼はとても落ち着いていた。「グランドベンドを抜ける間、誰も私たちの後を追ってきてはいなかった。彼らは遠くから侵入者を簡単に見つけることができて、出迎えのために無記名の黒い車を2台用意していたわけ。この状況からただ逃げ出した所で、良い一日になると本当に思う?」
ハリーはそれに何と答えていいか分からず、先頭の車が彼らを舗装された脇道へと導く間、黙って座っていた。一瞬、遠くの木々の間、迫りくる暗闇の中で、青白い痩せた人影がこちらを見つめているのが見えたと思った。そして車は、保安検査場を過ぎて左に曲がった。バーは開いていて、検査員もいなかったので、車は一目で練兵場だと分かる砂利が引き詰められた広大な長方形エリアの真ん中へと進んだ。整った白い兵舎が、あらゆる角度から彼らを睨みつけ、2台の車と醜いピンクのトラックは震えながら中央で停車した。
ライルはエンジンを切った。彼は「これで終わりだな」と、ハリーに笑いかけながら言った。「シャワーに髪の毛を残しすぎだったぞ」
ハリーの興奮した頭は最初、これを何か深い意味のある別れの言葉だと解釈したので、しどろもどろな返事にさえ少し時間がかかった。最終的に彼が捻り出した返事は「何だって?」だった。
「二人とももうすぐ死ぬからさ」ライルは言った。彼は運転席側のドアに寄りかかり、ベンチシートの工具箱の上に足を乗せた。「言いたいことは言っておこうと思って」
ハリーはうなずいた。それは他の何よりも意味をなしていた。「君の恋人が、」彼は慎重に、慎重に言った。「私の恋人だったらよかったのに」
ライルはうなずき返した。「それは良い考えだったかもね。アンタには前から伝えようと思っていたんだけど、実は──」
車の屋根を叩く音が、コン - コン - コンとライルの注意を引いた。彼は肩越しに、トラックの横に立つ、警棒のようなものを振り回している黒スーツの悪党をちらりと見た。「どうしたんです、警官さん?」
その悪党がドアを開けると、ライルは転げ落ちた。ハリーは助手席側のドアが開く前に、何とかラップトップ用の鞄を座席の下に蹴り入れることができた。それから、力強い腕が彼を引きずり出した。

ハリーは、黒いセダンからそれぞれ二人の黒いスーツを着た男が降りてきたことに気付いた。ライルのトラックの後を追っていた二人は彼らの後ろに陣取り、先頭を走っていた二人は今は小さな行列を率い、パレード広場に並ぶ目立たない兵舎の建物の一つに向かっている。ハリーは息を切らしながらも、たくさんのことを観察していた。
(死にそうなときにやるべきことこそ、こういうことだ)
「もしこれが強制徴募隊なら」ライルは言った。「私の食事は極端に貧弱で、塹壕に入るには背が高すぎるし、ちょっとした風で吹き飛ばされてしまうことも知っておくべきだね」
誰も彼に耳を貸さなかった。
悪党どもは彼らを宿泊小屋バンクハウスへと連れて行った。ハリーが大いに驚いたことに、そこには寝台バンクがあった。(歯ブラシを持ってこなかったな)と彼は思った。ライルなら大声でそう言っただろう。だが、ハリーはライルではなかった。
全ての寝台はキッチリと整えられ、テーブルや棚には何も置かれず、汚れ一つさえ無く、部屋全体が執拗にモップがけされたばかりのようだった。部屋の片隅には素朴な木製の扉があり、護衛たちは隊列を組んで二人を取り囲みつつ、その扉の方へ行くよう誘導した。彼らは口で勧めず、手で進ませた。ハリーは、怒ったトラック運転手が致命的に下手な運転手を殴り倒すビデオを見たことがある。今の状況は、それを思い起こさせた。
三重にロックされた扉の向こうには、何もない部屋があった。悪党の一人が、電灯のスイッチカバーを横にし、スイッチの奥深くに埋め込まれた何かを押した。すると、軽くピッという音がして、それまでぴったりと収まっていた 二つの壁パネルがスライドし、姿を表したのは……
「へえ、」ライルは言った。「寝台の下に梯子があるだけだと思ってたんだけどな。『ホーガンズ・ヒーローズ』みたいな感じで」
(そんなことはあり得ない)エレベーターが誘うように開き、悪党どもが二人を中へ押し込んだ。(ここは1階建ての建物だ。なぜエレベーターがある?)
下りの道のりは果てしなく長かった。エレベーターは震えながら、地面の奥深くへと降りていく。それは、周囲の全てが現実とは思えなくなるほど深かった。(分かったぞ)とハリーは思った。(自分は夢を見ているんだ。だからライルの奴に、実は彼のガールフレンドのことが好きだなんて言ってしまったんだ)ライルが彼を死の危険に陥れる可能性は、それほどあり得ないことではなかったが、ついにエレベーターが決着をつけた。
ドアが再び開き、背が高く痩せ細った男が現れた時、彼の疑念は完全に確信へと変わった。その男はダークグレーのスーツ、眼鏡、ネクタイを身にまとい、粋で颯爽としており、両手を背中に組んで辛抱強く待っていた。
「紳士諸君、ようこそサイト-43へ」スカウト博士が言った。

「これでインターネット接続の説明がつくな」ライルは言った。
エレベーターは彼らを、SF映画の真っ只中へと連れてきた。壁にはハリーの知らない機械がちりばめられ、不気味な道具を満載したカートや荷役台の上の不吉なほどに厳重に閉じられた木箱が電動台車に乗せられ、彼らの前を通り過ぎていった。白衣の科学者、青い上着の警備員、オレンジ色の上着の技師が、地上にある小さな軍事基地の面積では収まりきらないほど広大な空間の、広くてタイル張りの清潔な廊下を歩いていた。(どれくらい下に降りてきたんだろう?)
「どれくらい深いところなのですか?」ハリーはどもりながら言った。
「およそ1キロメートル」スカウトは答えた。彼は手を伸ばしてハリーの肩をつかみ、彼を支えた。ハリーは突然、自分がふらついていたことに気づいた。「ここはカナダ最大の施設で、数十万平方メートルの実験室と、それらを補助する設備がある。職員は300人以上、所有している異常なアーティファクトは数え切れないほど」彼はにやりと笑った。「まあ、数え切れないほどとは言ったが、実際には定期的に数えている」
ライルは彼を指差した。「異常なアーティファクト」
スカウトはうなずいた。
「それはどういう意味ですか」
スカウトは肩をすくめた。「もうすぐ分かるはずだ。それが君がここにいる理由ではないかな? 湖のほとりの小さな別荘に、私が何を隠しているか知りたかったのだろう?」
ライルはうなずいた。「小さな」彼は同意した。「別荘にねえ」
ハリーは自分の声を取り戻した。「あなたは何者なんですか?」
スカウトは眼鏡を直した。「ハリー、君は私が何者か知っているだろう」
ハリーは首を横に振った。「本当の正体の話です」
「終身在職権を持つ大学教授だとも」スカウトは言った。「同時に、SCP財団のサイト管理官でもあるがね」
ハリーはライルが先に質問するだろうと予想したが、ライルは突然考え込んだ様子だった。ハリーは自ら質問した。「SCP財団とは、一体何なんです?」
スカウトは廊下の先を指さした。向かいの壁はほとんど見えず、そこからあらゆる方向に無数の廊下が分岐していた。「見せてあげようか?」

廊下には重そうなエアロックの扉が並び、それぞれ警告ラベルで飾り立てられていた。Fowke-41。Fowke-619。SCP-PENDING。ハリーには、それが何を意味するのか全くわからなかった。
「ここにいるのは、昨夜ここへ来た者たちだ」スカウトは言い、よく油が差されたバルブハンドルを、ドアが大きな電子音を発するまで回した。扉を開けると、机2脚、椅子2脚、書類棚、そして全面ガラス窓があり、その前に白衣を着た斧のような顔をした年配の男性が立っている、家具がほとんどない小さな観察室が存在した。
「新入りたちは慣れたかな、エドウィン?」スカウトは尋ねた。
意地悪そうな紳士は彼らに視線を向け、せき払いをした。ハリーはせき払いをする人を今まで聞いたことがなかった。彼はそれを文学的な表現方法だと思っていた。「空調の調子がいまいちで、機嫌が悪いようです。今朝、エージェント・誰それが襲われました」
スカウトはうなずいた。「私からJ&Mに連絡して、何か対策できるか聞くとしよう」彼はハリーとライルを手招きした。「こちらに来て見てみなさい」
スカウトが壁の窪みに取り付けられた電話器に向かって歩いている間、ルームメイト二人はガラスに近づいた。ハリーは、ためらいながら歩いた。その凶暴な奴がどう見えるか、自分は本当に知りたいのかを確信できなかったのだ。ライルはすぐに彼を追い越し、ガラスに顔を押し付けた。「なんてこった、ブランク、見ろよ!」
ハリーはしぶしぶ、彼のそばにゆっくり近づいた。後ろにいた科学者、エドウィンは頭を傾け、二人を軽蔑の目で見た。
ハリーはガラス越しの光景を見た瞬間、その科学者のことを忘れてしまった。頭の中にスペースが必要だったのだ。
裸の男と裸の女が部屋にうずくまっていた。男は額を拭きながら何か喋っていたが、声は聞こえなかった。壁はどうやら防音だったようだ。女は自分の背中を掻いていて、出血していた。彼女の爪は蛍光灯に照らされて光っていた。二人とも身体が毛むくじゃらで…… いや、そういう衣装を着て……
……いや、二人とも確かに、足が犬のものだった。
ハリーは少しだけ頭が変になったように感じた。
「自分たちは今、何を見ているんだ?」ライルは目を輝かせ、顔の筋肉が今までに見たことのない方向に動いて尋ねた。
「ネクサスオブジェクト、分類番号Fowke-137」エドウィンが告げた。
「ネクサスオブジェクト?」ライルは獣のカップルから目を離さずに復唱した。
「ネクサスとは、異常な活動が異常に活発なエリアのことを指す」エドウィンは説明した。彼はあくびをしそうになっていた。「ここの周辺はネクサス-94だ。地元の未確認生物が数匹、君らが車でやって来るのを見ていたに違いない。だが、この生き物は更に北方に由来する。エスキモーはこれらを "アドレット" と呼ぶ」
スカウトは電話を切った。「イヌイット」彼は言った。「エスキモーじゃない、イヌイットだ」彼の発音は奇妙だった。ハリーは当惑の奥底から、生まれて初めて正しい発音を聞いたのだという予感を突然抱いた。
エドウィンは肩をすくめた。「それはただ、分類の問題です」
スカウトはため息をついた。「彼はエドウィン・フォルカーク博士。私の副官だが、いつもこんな調子だ」
「誰かがやらなければならないので」フォルカークはつぶやいた。彼は部屋の出口まで歩いて扉を開け、一旦立ち止まった。「この2体を終了する必要がある場合は、連絡をください。いずれにせよ、私は殺害方法について調査するつもりでしたので」
彼は扉を閉めた。
ライルはそのコメントを聞いていないようだった。ハリーも必死に聞いていないふりをしようとした。その代わりに、彼は心の奥底で燻る何かに集中した。「それらは…」そう言うことさえ奇妙な感覚だった。「それらは、人間なのでしょうか、ヴィヴ?」
スカウトは二人の間に立ち、腕を組んで肩をすくめた。「正確にはそうではない。私としては、それらは生き物だと言うつもりだ。伝説によると、ハドソン湾周辺には5匹いるとのことだが、3匹しか見つけられていない」
ハリーは、暑さに悶える生き物たちから視線を逸らし、スカウトの調べようのない顔を調べた。「私には2匹しか見えません」
スカウトはうなずいた。「そのような存在を世界に知らせるわけにはいかない。我々は正常性を維持している。分かるかい? これは氷山の一角に過ぎないんだ」
ハリーは、モーガン・ロバートソンの小説『愚行』と、その小説がタイタニック号の沈没を完璧に予言していたことを思い出した。彼は黙ってうなずいた。
スカウトは続けた。「我々は、それらをここや世界中の同様のサイトに集めて隠蔽し、可能な限り足りないものの無いようにし、快適に過ごさせる。しかし、我々は完璧ではなく、物事がいつも計画通りに進むわけでもない。時には間違いを犯すこともある」
(間違いというのは…… 犬人間を単に失くすことだろうか? それとも…… 犬人間を亡き者にすることだろうか?)もう一度、彼は言葉を口にすることができなかった。
スカウトはハリーの肩を叩いた。「我々が扱うものの広範さについて、少し見せよう」
ハリーはライルをガラスから引き離さなければならなかった。友人の顔には、今までに見たことのない穏やかな歓喜の表情が浮かんでいた。

ツアーの残りの時間はあっという間に過ぎた。ある部屋では、防護服を着た科学者二人が、アコースティックギターのラベルを入念に剥がしていた(スカウトは「ヒトラーを殺したギターだ」と役に立たない説明をした)。別の部屋では、少なくとも3枚のオーバーコートを着た汚らしい老人が研究者とチェスをしていた (スカウトは「ボノーム・セトゥール」と言った。「24時間のうち23時間は、まったく感じのいいやつだ」とも)。ある部屋はほぼ完全に土と発育不良の植物で満たされ、観察窓は霜で縁取られていた。少なくとも3体の黄疸にかかったような細長い死体が、葉の間をあてもなく彷徨い、寂しそうに互いを見つめ合っていた (「ウェンディゴだ。彼らは冷たい森にたむろして、人間を人食いに変えようとする。この生息環境が上手く機能するとは予想していなかったが、まあ、見ての通りだ。やってみないと分からないものだな」)。
再び、彼らはかなり短いエレベーターで保安チェックポイントに到着した。そこには、ベルトに高性能テイザー銃らしきものをぶら下げた、黒服を着た真面目そうな職員ばかりが配置されていた。スカウトは二人をチェックインブースの前まで案内し(ガラスの向こうの女性はまばたきさえほとんどしなかった)、舷窓のある二重扉の前で立ち止まった。「これはリリハンメル君も興味を持つだろう」スカウトは控えめにそう言った。
廊下の向こう側には窓が並んでいて、窓の後ろの空間には……
「楽園だ」ライルは言った。彼は非常に淡々とそう言った。
コンピュータ端末。マイクロフィルム機器。点滅するライトで覆われた、大きく、ハム音を立てるサーバー。誰かが少しだけ昔風のアクセントを加えたかったのか、旧式のリールテープ装置もいくつか置かれている。
「窓に顔を押し付けないでくれ」スカウトは付け加えた。「君のよだれを拭くために、清掃・保守セクションを呼びたくはない」
「エイリーンにこれを見せられたらいいのに」ライルは息を切らして言った。彼はホールの真ん中でくるくると回っていた。両手を自由に振り回して、握ったり離したりしていた。走り出したいようにも見えたが、方向が定まらなかった。「この場所は何ていうんです?」
スカウト博士はコンピュータ研究室の扉の一つを開け、頭を突っ込んだ。「リリハンメル君に、ここが何なのか教えてもらえるか?」
背が低く丸々とした体型で、眉間には不安そうな深いしわがあり、ハニーブロンドの髪、分厚い黒の眼鏡、それに白衣の女性が研究室から出てきて、ハリーに向けて恥ずかしそうに笑ってみせた。ライルはまだ彼女に気付いていなかった。「ここは本人確認・技術暗号セクション」彼女は説明した。「私たちは、サイトの技術的な業務の全てを担っています」
ライルは回転を止めた。彼は首を片側に傾け、頬を噛んだ。そして横目で女性を見た。「大学のラボはもう君には物足りないのか、エイリーン?」

ライルの恋人、エイリーン・ヴェイクサールは、大学を中退してはいなかったようだ。エイリーン・ヴェイクサールは、地下1キロメートルのサイト-43で学位を取得していたようだった。
「財団は幅広いプログラムを提供している」彼女は、サイトにおける自分のセクションである、テクノロジーの迷路を歩きながら説明した。「世界中の大学を合わせたよりも多いんじゃないかな。それでも、最高の人材だけを採用していると思う」彼女は無表情のスカウト博士をちらりと見てから続けた。「まあ、それも厳密には真実ではないけれどね」
スカウトは同意してうなずいた。「ああ、どのような学者であっても役に立つ場面はある。たとえ、何かの実例としてだけでも」
ハリーはウェンディゴを、アドレットを、不愉快なフォルカーク博士のことを思い出した。そして何よりも、車で数時間離れた場所で二人の博士課程学生がベッドで安眠している間に、暴力的な襲撃を受けたらしい名もなきエージェントのことを思い出した。彼は身震いした。
「一つのサイトがすべてを処理できるわけではないから」ヴェイクサールは続けた。彼女はライルと話し始めたが、ライルは夢見心地であまり聞いていなかったので、今はハリーと話していた。「でもサイト-43は、選択肢が多いところよ。より深くを目指す探究者にとっては、ね」彼女は自分のジョークに口を閉じて大きく微笑み、青い目を彼に向けていた。彼は同時にいくつかのことを考えていた。
既に彼らは、小さな大学の全学生を収容できるほどの広さの職員寮を移動していた。カフェテリア、ロッカールーム、ラウンジ。そのそれぞれに、トロントの大都市圏をも凌ぐほどの多言語を話す人々が集まっていた。
「より深くを目指す」ハリーは唐突に言った。「それが私たちをここに呼んだ理由ですか?」彼はスカウトの引き締まった顔をじっと見た。「仕事を提供してくれるんです?」
「寮の廊下ですべき話ではないな」スカウトは答えた。「もっとドラマチックな場所でしようと思っていたんだ」

記録・改訂セクション
ハリーは地味な扉の上に架けられたシンプルな看板を見つめた。「この中には何が?」
「少し得るためには、少し与えなければならない」スカウトは言った。彼はハリーと廊下の間に立ちはだかった。「本だ」
ハリーは瞬きした。「本ですか? 何の本でしょう?」
黒い革のラップトップ用鞄を持った、黒い上着のエージェントが彼の横に現れた。ハリーは顔をしかめた。「どうしてこんなものを持ってきたのか、自分でも分からないな」
スカウトは首を傾げ、エージェントは鞄をハリーに渡した。ハリーはそれを受け取った。ハリーはそれについて考えた。
ハリーは考えた。
「その本というのは…… あなたの異常な物体の一つですか?」
スカウトは肩をすくめた。
「あなたは…… あの本の著者…… モーガン・ロバートソンが、タイタニック号を沈めたと思いますか?」
スカウトは笑った。「それは少し飛躍しすぎているな。ロバートソンが現実改変者だったという証拠はまだない。だが、君が博士論文で示唆したように、彼は予知能力を持っていたかもしれない。あるいは、ドラマの中でもっと奇妙な役割を演じていたのかもしれない」彼は鞄を指差した。「我々は『愚行』に関するファイルとロバートソンに関するファイルを持っているが、『倨傲』については知らなかった」
「確かに」ライルは同意した。それは彼がこの30分で最初に放った言葉だった。「あなたがたは間違いなく倨傲について学ぶ必要がある」
スカウトは丁寧にうなずいた。「記録・改訂セクションは過去を調査することで、現在の異常な物体や出来事を発見する。その本を譲ってくれれば、我々の仕事に役立つことだろう」
ハリーは鞄を胸に抱きしめた。「もしそうしなかったら?」
「前に言ったよ」ライルはきっぱりと言った。彼は喉を切るような動きをした。
スカウトは瞬きをした。そして疑問を抱くように眉を上げながら同じ動作を繰り返した。
「殺すってこと」ライルは説明した。
スカウトは首を横に振った。「いやいや、記憶を消すだけさ。殺人は非現実的だ」
ハリーはライルの腹を突いて、そう言ったはずだと言いたい衝動を抑えた。「何が違うんです?」ハリーは代わりに尋ねた。「どちらにしても本を失うことに違いはありません」
スカウトはニヤリと笑った。それは、ハリーが全く別の時に、本が散らかったオフィスで見たのと同じ、少し怖い笑みと同じだった。「違うのは、私たちがよりクリーンなコースを取れば、君は数ヶ月後にここに戻ってきて正規の方法で研究を手伝えるようになるということだ」
ハリーは鞄を開き、本を取り出した。手に持ってみると、羽のように軽く、そして難しい決断のように重く感じた。「博士論文はどうなるのでしょう?」
スカウトは両手を差し出し、手のひらを上にした。「君を担当する審査委員と話し合ってみよう」
ハリーが本をスカウトの左手に、そして自分の左手をスカウトの右手に置いたとき、扉の後ろから足音が近づいてくるのを聞いた。スカウトが潜在的に異常な本を手に取り、道を譲った瞬間、ハリーの論文審査委員の他の二人がドアを開け、笑いながら彼の横を通り過ぎた。そのうちの一人は、すれ違うときにハリーの肩を叩いた。
「我々は何をも偶然に任せることはない」スカウトは言った。「すぐにそのことを学べるだろう」

1995年
3月11日
「……そして、これがこの資料から学べる最も重要な教訓だと考えます。今日ではもはや用いられることのない思考様式は、しばしば私たちにとって避けられないほど異質であり、理解が曖昧な目に見えない世界に対する熱意を私たちに感染させることがあります。歴史家は、冷静な視点を、バイアスを見抜く目を、歴史主義の感覚を決して失ってはなりません。私たちは批判的に考えなければなりません。物証の導きに従わなければなりませんが、レトリックを証拠と取り違えてはいけません。私や、私を絶えずサポートしてくれた審査委員の皆様、そして私の殲滅的exterminal査読者は……」
ハリーは大声で笑い、額に手を当てた。「おっと、私の外部external査読者です。殲滅的ではないと、そう思いたいですね」
審査団の全員が笑った。ただし、外部査読者を除いて。ハリーが短いスピーチを始めてから、フォルカークは表情ひとつ動かさなかった。
彼は再び結論を述べ始めた。「……皆様や私が、知識の発展のため、自らが理解している限りの真実を語るのに対し、過去は私たちに別の声で語りかけてきます。それは奇妙な声です。L. P. ハートリーの印象的な言葉の通りですね。『過去は異邦である。そこでは物事のやり方が違う』と。20世紀初頭のいわゆるオカルト文学ほどに、それが顕著な所はありません。それは、世界が実際にどうだったか以上に、人々が世界をどう想像していたかについて多くを教えてくれるのです」彼は息を吐き、両手を広げた。「以上です、ありがとうございました」
他の研究科から来た穏やかで礼儀正しい教授である審査委員長は、彼に励ましの笑顔を向けた。「ありがとう、ハロルド」彼は目の前の机上にあるスケジュールを見下ろした。「私のメモによると、スカウト博士が最初の質問をしたいとのことですが、間違いありませんか?」
スカウトはうなずいた。ハリーは、背後の大きな開いた窓から背中に降り注ぐ暖かい光に身をよじった。スカウトの眼鏡は、薄暗い木製の壁のオフィスの中で、輝く二連星のようだった。彼の最初の質問は単純なものだった。「ハリー、君はこの論文を書いている間に、かなり方向転換したね。今や、これは呪術的思考について警鐘を鳴らす物語になっているのかな?」
ハリーは唇をすぼめた。モーガン・ロバートソンと彼の魔法の本のことを思った。完全に魅了の魔法をかけられたライル・リリハンメルのことを思った。彼は今、SCP財団での博士号取得に恐らく必要となる、一連の課程の二つ目を始めたところだった。エイリーン・ヴェイクサールのことも考えた。彼女は口を閉じたまま、またもや魅惑的な笑顔を浮かべ、1か月後のサイト-43での初日にコーヒーを飲みに行こうと約束した。彼はコーヒーが好きではなかったが、目の前に広がる可能性は好きだった。彼はその可能性について考えた。
彼は愚行について考え、また倨傲について考えた。
彼は微笑んだ。「呪術的思考が可能な場所もまた、存在します」彼は言った。「しかし、その場所はここではありません」
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