僕は父さんが嫌いだ。
デリカシーの欠片も無いし、すぐに怒鳴って暴力に走るからだ。
でも、僕は父さんを愛していた。
血のつながった唯一の家族だし、曲がりなりにも蒸発した母親に代わって男手一つで僕を育て上げてくれたからだ。
その父さんが今、テレビに映し出されている。
両手を縛りあげられ、全裸で吊るされた状態で。
始まりは、ある日の学校の帰り道だった。
いつも部活で夜遅くに帰る僕を、父さんは迎えに来てくれた。
「恥ずかしいから迎えに来なくていい」と言ってるのに、しつこいほどに迎えに来て、一緒に家まで帰っていた。
父さん曰く、「会社帰りに丁度通りかかったから」迎えに来たのだという。
ある日、部活から帰るとき、学校を出た僕の目の前に一台の黒い高級車が止まった。
何で高級車が止まったのか分からず、人違いだろうと思った僕は無視してそのまま通り過ぎようとした。
――その時だった。
「間宮 弘人様ですね」
後ろから声を掛けられたのだ。
咄嗟に振り向くと、そこにはスーツ姿の長身の男が立っていた。
「誰ですか?」
思わず聞き返す。
「失礼しました。私は弟の食料品というレストランのウェイターでございます。お父様の願いでお迎えに上がりました」
弟の食料品なんて聞いたことがないレストランだな、と思いつつも促されるままに車に乗り込む。
車が出発する。
しかし、向かっているのは家とは真反対の方向だった。
「あの、どこに向かっているんですか?」
疑問に思い、問いかける。ウェイターはこちらを振り向かないまま、静かに答える。
「弟の食料品の本店に向かっております。今晩は息子様にディナーをご馳走してくれ、とお父様から言われておりますので」
「あの、父さんが?」
「はい」
正直に言って、驚きしかなかった。貧しい家庭であるウチのどこにそんな金があったのか分からないからである。そんな疑問を抱きつつ、僕はただ車に揺られていた。
そして。十数分車を走らせた頃だった。
「到着しました。こちらになります」
車が止まる。目の前には、大きな洋風の家が建っていた。
「どうぞ」
そう言って、ウェイターは車の扉を開ける。
僕は、ウェイターについていくようにして家の中に入った。
家の中は想像以上に広く、そして美しかった。
レトロな雰囲気を堪能しながら、家の中を歩き進めていく。
しばらく歩き、食堂らしき場所に出る。
「こちらにお座りになられて少しお待ちください」
言われるがままにカウンター席に座った。カウンターはまるで新品同様に磨かれており、まるで鏡かというくらいに光を反射していた。
しばらくして、ウェイターが小型のテレビを持ってやってくる。
テレビにDVDディスクを入れ、電源をつける。テレビに映し出された映像には、何かが映っているのが見えたが、映像は不鮮明で何が映っているのか、すぐには分からなかった。
映っているものの正体を探るようにして、目を凝らす――
映っているものを見て、驚いた。
……そこに映っていたのは、まぎれもない僕の父さんだった。
かくして、今に至るわけである。
テレビに映し出されている父さんの近くに、人影が映し出される。
人影の様子はまるで、シェフのようだった。
人影が、父さんに何かを言っているのが見える。そして、次の瞬間、父さんの口が動くのだった。
「弘人、誕生日おめでとうな。今まで迷惑かけただろうから、今日は特別な料理を食べさせてあげることにしたんだ――何、代金は気にしなくていいからたくさん食べるんだぞ」
――そうだ、今日は僕の誕生日じゃないか。
どんなに嫌っていても、どんなに鬱陶しく思っても父さんには変わりない。親は自分の子供を第一に思う生き物であるから。
「――今まで、ごめんな」
次の瞬間だった。
人影によって、父さんの首が絞められる。十数秒が経った頃だろうか。父さんは完全に動かなくなった。
人影の手が首から離れる。
苦しみながら死んだはずの父さんの顔は、優しい笑みを浮かべていた。
その異様な光景に、思わず絶句する。
「あの、これは……?」
ウェイターに対して問いかける。しかし、笑っているだけで返事はなかった。
「では、ここから調理に移らせていただきます」
そういって、ウェイターは備え付けの冷蔵庫から、程よく脂の乗った肉を取り出した。
嫌な予感がして、ウェイターに対して問いかける。
「あの。この肉は」
ウェイターは笑みを浮かべながら答える。
「はい。こちらはお父様の腹の肉になります」
思わず、口から言葉が漏れ出る。
「はい?」
ウェイターは加熱された鉄板に肉を押し付ける。
へらのような金属製の道具で肉を鉄板に押し付けるたびに美味しそうな匂いが立ち上る。
しばらく肉を押し付け、道具を使って裏返す。
裏についていた香ばしさを想起させる焦げ目が恐ろしいほどに食欲をそそり立てる。
裏返して焼いた後、肉を高級そうな白い皿に載せ、ナイフで切れ目を入れていく。
切れ目から、若干の赤身が顔をのぞかせる。焼き加減は間違いなくレアだろう。
気が付いたころには、驚くほど調理の工程に見入っていた。
流石にまずい、と思うも、何故か逃げられない。
警察に通報しなきゃ、逃げなきゃ。そう思っている時だった。
「お待たせいたしました。ステーキになります」
目の前には、父さんの肉がステーキとなった状態で出されていた。
食べてはいけない。
そう分かっていても、その見た目が、匂いが、父さんの声で「食べてくれ」とささやくように感じる。
そして――
――僕は肉を喰らった。
ナイフで一口大に切り、フォークを刺し、口に運んで咀嚼する。
程よい固さで、噛みしめるたびにあふれる肉汁がたまらない。
一口、もう一口と食べすすめ、父さんの肉でできたステーキはあっという間になくなってしまった。
「お味はどうでしょうか」
「……美味しいです。でも、切ない、心の中が締め付けられるようになる、この気持ちは」
肉を食べきった僕の目から涙が落ちる。
「それは――このメニューの真髄である"過ちの味"です。貴方が今までお父様とあまり接していなかったこと、冷たくしていたこと――それでも愛していたこと。これらの気持ちがあってこそ、この料理は真の妙味を引き出すのです」
ウェイターは穏やかな笑顔を浮かべながら、優しい口調でそう告げた。
「そう、ですか」
渇いた笑いがこみ上げてくる。
「こうなるんだったら、もっと父さんと仲良くするべきでした」
館の中に、悲しさ交じりの渇いた笑いがこだました。
あれから数日後、父さんは行方不明者扱いになっている。
親戚の方に引き取ってもらった僕は、それなりにいい生活をしていた。
優しい叔父さん、叔母さんに、少し贅沢な暮らし。
あの出来事は夢だったんだと思う。
あんな現実離れしたことがあるわけ無いし、あっていいはずもない。
だけど、あの味が未だに舌にこびりついている。
唯一の肉親である父さんを失った僕の心が満たされることは終ぞなかった。