財団陸上競技大会─第一日
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第1回 サイト8021財団陸上競技対部門大会

競技関連案内
開催日 2023年08月03日(火)
開催会場 サイト-8108併設陸上競技場(サイトスタジアム8108)
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プロローグ─双雨エントリー


「部門対抗陸上競技大会、ですか?!」

双雨照は素っ頓狂な声を荒らげた。右肩に腰掛けられたてるてる坊主まで気の抜けた表情で驚いていたようにも見えた。普通らしからぬ単語を聞き入れ、彼女は思わず切株のオフィスチェアから立ち上がりそうにもなった。

「朝っぱらから声が大きい」虫部博士は前もって耳を塞いでいた手を下ろした。「異動じゃないんだから」

虫部博士のオフィスは、まるでアマゾンのバイオームをそのままに移植したような、自然の成り行きに提供された話の場だった。サイト-8181は、不自然なそれの形状を覆い隠すためだけに建設された、言わばそれ自体が虫部博士の自宅のようなものだった。それだけに、サイト-8181は常に豪華だった。和賀はアンティークと不釣り合いな自然との調和を何よりも好んだからである。

「丁度今朝公開された、健康科学部門の新しいプロジェクトらしい」彼は真新しい資料の一枚を摘まみ上げた。

「競技大会……」彼女は前屈みになり、アクアの髪に隠された右目が垣間見えた。「それってつまりは、財団規模の運動会みたいなものですよね?」

「その通りだ」和賀は口角に挟まった電子タバコを吹かした。肺と室内は常にクリーンでなくてはならない。

照は健康科学部門の福利厚生の手厚さに辟易した。運動は苦手、と簡単に割り切れるほど、彼女の運動神経を舐めてはいけないらしい。財団という大きな括りで、運動神経をピンからキリまでに分けてやると、決まってキリに入ると語った。更にそれをキリをピンからキリまでに分けてやると、決まってそのキリに入るとも付け加えた。彼女の両眼は、最早フラクタル状に構築されたそれを無限に訴え続けていた。和賀は一種の認識災害のような気を感じ取り、苦笑して目を反らした。

「どうして健康科学部門は運動会なんかを?」照は可能な限り、その提案を否定してやりたかった。

「最近の職員はサイトの常用設備を利用し過ぎている。いつ何時のイレギュラーな事態を想定して、起動部隊やエージェント、設備の助力に縋らずとも収容を達成する必要だ」和賀はそれに対し、過不足のないように語る。「勿論、起動訓練に人員を回すといった直接的な意見もあったが、飽くまで部門が掲げるのは職員の健全だ。そういった意見と、モチベーションの向上に方針を固めた取り組み、それが健康科学部門の結論だそうだ」

「私だって、オブジェクトの1つや2つだって収容できますよ?」彼女またもや前屈みになった。

彼は極めて冷静に訊いた。「何を、何体?」

「Safeを、2つ……」

「蝶々とスライムの件だな?」

「はい……」照は素直に頷いた。

「全く以てその通りだ」和賀も若干参ったような態度を見せた。肯定を示すその言葉が、今や彼女にとっては何よりも憂鬱なものに見えた。「付け加えると、それが収容違反だけだとは誰も言ってない」

照の現状の気分は複雑だった。言ってしまえば、自分も電子タバコを初めてやりたいような心持ちだった。その感情の読めない視線が、自然の中に生きた和賀には痛いはずだった。

「しかし、無論エージェントや起動部隊のメンバーであっても参加資格はあるらしい」彼はオフィスチェアに大きく凭れ掛かり、天井の蔦の不合理なる塊を見上げた。それは全く以て不合理だった。

「それじゃ不利が過ぎませんか?」照は訊いた。

「それだから部門対抗制なんだ」彼は応えた。

「なるほど」彼女は変に納得し、大袈裟に頷いてみせた。そしてもう一度大会案内に目を落とすと、さりげなく書き添えられた“部門対抗制”の言葉の重みを思い知った。「なる……ほど……」

彼女は気象部門に所属している。他の部門と比較しても所属人数に不利があるという事実が、頑なに纏わり付いていた。最も彼女の判断をうやむやにさせたのは、部門対抗制という言葉がそれを更に強調させる要因にしか見えなかったからである。

競技大会と聞いて、彼女がまず始めに連想したのは照屋五木の存在だった。五木は彼女と同じく気象部門に所属している。五木は、要するに「入道雲のような男」だった。異常気象型オブジェクトの観測に成功した要注意団体の内部調査によく寄越されていると聞かされていた。影こそは薄いものの、文化的な職員の象徴とも見える気象部門の輪の内側では異質な存在だった。

「気象部門なら、照屋がいるはずだ」和賀はそれを見透かすように言った。

「だとしても、基準として部門対抗制が認可されたのはおかしくないですか?」

「確かに、おかしい」彼は間違いなく断言した、はずだった。「しかし、人事部門率いる、各部門の同意を受けた上での話し合いだった」

「部門評価の参考になる。場合によっては部門異動も避けられないだろう」和賀は意を決するように言い切った。「気象部門も承認済だ、職員への期待を上乗せして」

「陸上……」彼女は右手に握られた大会の案内の資料を、力無く見下ろした。それにはエントリーシートが付属しており、決心が付き次第すぐにでも申込みができる点についても、彼女からしてみると悪趣味な欠点と言えた。

和賀は言った。「今後のボーナスも決まるらしい」

「ボーナス……」そもそも競技大会という単語自体が、社内行事として孤立しているものであると考えていた彼女にとっては、そこに聞き慣れる言葉があることが苦痛なはずだった。遂に彼女は吊るされたように立ち上がった。そして、おそらく出口の扉が確保されているであろう方角へと歩いた。

「エントリーは早めに済ませておくと良い、年齢別エントリーとは言え定員制らしいからな」和賀の声は背後の深いジャングルの奥地から聞こえた。「あと、スナックのカスは拾って帰ってくれ」

「はい──」彼女は惰力に任せて振り返る。勿論、そこには木があった。

「あれ?」照はここで初めて大会から意識を移すことに成功した。それも悪い予感を伴って。「虫部博士~?」

照は再び振り返った。無論、そこには木があった。「あれ?」

彼女は、自身が振り返ったかどうかでさえも忘れてしまったらしい。

◇◇◇

彼女の声は深いジャングルの奥地から聞こえた。

和賀は迷わず内ポケットより耳栓を引っ張り出した。それを取り付ける彼は、心底から心理的に飽和したような顔付きだった。彼は一度自然に育てられた髭を撫でると、腕を組んで気配を消すようにチェアに沈み込んだ。

しかし、同時に彼は二つの意味で安堵していた。一つはこれが一度だけではないと言うことだ。最初の一度や二度は手を貸してやったはずだ。しかし勤務時間外での対応も二桁を超える変わってくる。それでも彼女の持つ結果だけは例外だった。およそ3時間を熱帯雨林気候下で過ごすようなこともあったが、不思議と彼女にとっては吝かでもないらしい。スナックの袋が、たまたま二袋持ち込まれていたことを幸運に笑うだけだった。

もう一つは……後にとっておこうと、彼は静寂の中で口を噤んだ。

◇◇◇

双雨がジャングルを脱出したのは、太陽が沈んだ後のことだった。

サイト-8181のエントランスを出て、月の光の元で手慣れたように軽く蔦を払い落とした。彼女の右手には変わらず縒れた案内用紙とスナックの袋がしっかりと握られていた。というよりかは、握らされていた。双雨はすぐに用紙を持ち上げた。他の重要な予定を側へと置き、彼女はただ紙に記載された事実だけを目で追っていた。

「ひとまず──」彼女は唸った。「五木のところに行かなきゃ」

彼女は少し歩いた、そしてすぐに気付いた。それは、当たり前ながら双雨が気象部門へ顔を出すことを意味する。それも丸一日中彼女の空席が確保されたあの職場に。たとえあの虫部博士のオフィスで遭難していた申告としても、流石に4回目となるとどういう処置が下されるのかは火を見るよりも明らかだ。彼女の足取りは重い。

「はぁ──」一度溜息を挟むことにした。彼女は飽くまで気を沈めたがっていた。しかし、ある程度確立された未来に逆らうことも無駄だと知り、それも深呼吸に変えた。「よし」

双雨は軽くジョギングの姿勢をとった。そしてこれはいずれ来る大会のためだとも自身に言い聞かせた。ここからオフィスまでは300mとない。彼女は走った。

足取りは、驚くほど軽くなっていた。




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