私の通っていた小学校には3ヶ月に1回、「カンユ屋さん」が訪問販売で「カンユ」を売ってくれた。わからないならスマホで肝油ドロップと検索すれば写真が出てくる。まあ要するに子供が好きそうな味をした、ゼリー状のサプリだ。可愛らしい動物の絵がプリントされた缶に入っていて、緑色の缶に入ったオレンジ味とピンクの缶に入ったメロン味がある。
私の頃は学校に食べ物なんか持ってきたら担任に怒鳴られるから、そのカンユ屋さんからカンユを買った生徒は下校を待たず、全員休み時間に隠れてこっそり、うまいうまいと食っていた。羨ましいと言ってるやつにもったいぶって1粒だけあげていたやつもいた、小学生なんてそんなもんだったさ。当時の私を含めみんなその場の感情で動く。
私のクラスメイトである横田君もカンユを買ってもらえず羨ましがる側だったが、彼はそのような態度を出さなかった。彼はまあ、両親の良くない噂とか経済的な問題とか、そういった所からいじめの標的にされている男の子だった。だから自分がカンユを1粒でも無心すれば殴られたり踏まれたりすると自覚していたのだろう。横田君は全く喋ったり感情を顔に出さない、悲しい方向に聡明な子だった。
さて6月のある日、カンユ屋さんが来る前日に私のクラスの誰かが「みんなでお小遣いを持ち寄って横田君にカンユを買ってあげよう」と言った。私を含めその場にいた十何人が賛同した。横田君に借りを作ろうだなんて先を見据えている奴なんかいなかったさ。みんなその場の感情で動く。結果として想定以上の軍資金が集まり、横田君は300粒のでっかい缶に入った肝油ドロップを手に入れた。私はその時初めて、横田君の年相応にはしゃぐ顔を見た。その後に年相応の泣きじゃくる顔も見ることになるのだが。
最初に言っただろうか、肝油ドロップというのはおやつではなくサプリだ。なので1日3粒までと摂取量が決まっているのだ。どこからか噂を聞きつけた気の強いいじめっ子が、美味しそうにカンユを食べていた横田君にそういった難癖を付けて泣かせた。それだけならまだよかったんだが、予想以上に大事になって学級会の結果、我々の横田君へのプレゼント大作戦は横田君のご両親を含めたそれぞれの家に通達された。当然我が家でもみっちり怒られたが、私が半泣きになって事情を説明すると最終的に両親は許してくれた。だが結果として「こんなくだらないことでうちの子がいじめられる可能性があるのは勘弁してほしい」という主張を掲げた心配性のPTAの要望からカンユ屋さんの訪問販売は撤廃されたし、翌日から横田君は4日学校を休んだ。
夏休みが終わった9月、年相応に元気が有り余っていた当時の私はいの一番に登校してやろうという野望を果たすべく朝の6時前に学校に到着した。他の生徒どころか先生すら投稿していない校舎は当然鍵がかかっており、私は不貞腐れながら校庭や花壇を手持無沙汰に散策した。
校舎から少し離れた、学校の敷地ぎりぎりの屋外に設置された焼却炉に、2人の人影があった。私と同じ考えのクラスメイトかと思い近づいたところ、それはいつも来ていたカンユ屋さんと、横田君の姿だった。
「横田君、久しぶり。」
「うん、ひさしぶり。」
「ここで何をしてるの?」
「カンユ屋さんからカンユの缶をもらってたんだ。」
「缶?なんで?」
「余ってるからあげるっていわれたんだ。」
「ふーん……」
横田君は笑っていた。カンユ屋さんも笑ってこちらを見ていた、と思う。
もちろん、小学生ながらにおかしいと感じたところはあった。だがそれよりも早く校舎に入りたい気持ちが勝っていたし、何より久しぶりに会ったいじめられっ子が笑顔ならばいいか。そう考え、私は言葉少なにそそくさとその場を後にした。頭の中の考えとは別に、ここにいると危険だという気持ちになぜかさせられた。
二学期になって横田君は明らかに笑顔になった。いやそれどころかいつも笑顔だった。特にカンユの缶を開けて中を覗いているときは殊更に口角が上がっているような気がした。
みんな横田君のカンユの缶が気になった。カンユの缶の中からカラカラと音がしていたから、何かが入っているのは明白だった。だが何が入っているのか実際に聞いてみても、いじめっ子が詰め寄っても横田君は無口のまま、その笑顔を崩さなかった。やがて皆横田君のことを気味悪がるようになり、彼は変わらずカンユの缶を持ち歩いてニコニコとしていた。私も怖く思っていたが、その恐怖と同時に好奇心も感じていた。
12月、例年ならカンユ屋さんが来ていた日。私は3ヶ月前と同じように早朝に登校した。焼却炉の方に足を進めると、そこには3人の人影があった。
1人は体格からして横田君であると確信できる。だが問題は後の2人だ。どちらもカンユ屋さんではない、全く見たことがない顔だった。一体誰
「ねえ。」
不意に、横田君の声がした。明らかにこちらに呼びかけているものだった。明らかな死角から見ていたのに、こちらを向いていた。
「亮君、そこにいるんでしょ。出てきていいよ。わかるから。」
横田君がカンユの缶をじゃらじゃらと鳴らす。見てはいけない、答えてはいけないと本能が告げていた。足が動かない、耳をふさげないと体が恐怖していた。
「おお、君が亮介君か。おはよう、横田の父です。」
「同じく母です。いつもこの子から聞いているの。1番のお友達だって。」
横田君の後ろに並んでいる2人がそう言った。間違いなく、自分は横田君の両親だと。
「いやあ実は、我々が学校から連絡を受けた半年前にこの子のことを殴ってしまったんだよ。ぼこぼこと。2人で顔をぼこぼことね。」
「そうしてカンユを没収して食べようとしたらこの子たら動き出しちゃって。お前らは食べるなってカンユの缶で殴ってきたのよ。ぼこぼことね。」
「ねえ、亮君はカンユ、持ってない?持ってたらひとつぶでいいんだ。ぼくにくれないかなあ。」
「あっ、ずるいぞ。こいつったら。おおい亮介君、ひとつぶでいいから俺にくれないか。」
「ちょっと。ろくに稼ぎもないくせに食おうとしてるんじゃないわよ。私にちょうだい。ひとつぶ、ひとつぶだけでいいから。」
いつの間にか私の手にはひどくへこんで、茶色に変色した赤い液体が付いた、緑色のカンユの缶を握られていた。自分の体の震えに共鳴するようにじゃらじゃらと、中から音がした。
「こっちにこいよお。」
「こっちにきてえ。」
「こっちにきてよう。」
私は最後の勇気を振り絞って死角から3人の顔を見た。
横に並んだ3人の顔は笑っていた。
顔面が血だらけになった皮膚で、眼球がなくなって眼窩がむき出しになった目を細め、歯が全てなくなって口を吊り上げ、まるで今出血したような色の血を地面に落としながら、
満面の笑みで、こっちを見ていた。
そこからはもう覚えていない。体の拘束が外れたかのように逃げた。なんでカンユの缶を握っていたかも気に留めないで無我夢中で逃げた。缶はいつの間にか手から離れていた。
速攻で家に帰った私は泣き叫びながら布団を身体から被った。なんだどうしたと心配するじいちゃんばあちゃんを尻目に、両親はバカをやってないで早く学校に行けと私を強引に車に乗せ学校に連れて行った。
その日を最後に、横田家3人は姿を見せることはなく行方不明になった。横田君関連の話を聞かないようにしていた当時の立ち振る舞いに加え、小学生という立場もあって真相はどうかわからない。収集できた情報としては、生活的困窮による一家心中、といったありふれたゴシップくらいだ。
あれから大人になり、私は自動販売機の補充をする仕事をしている。缶やペットボトルを手に持つことが多くなり、私は不安と優越感が入り混じったような感情で仕事をこなす。
それは、ペットボトルと違って缶は中に何が入っているか見えないという不安と。
そんな缶を自分が握っているという、自分でも言語化出来ない優越感だった。
今日も自分は缶を持つ。中からじゃらじゃらという音がするのを期待しながら。