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自身のやってきたことを振り返るとき、しばし奇妙な感覚にとらわれることがある。あまりにも思考が深くなってしまったとき、しばし、考えるのをやめることが重要だろう。それについて考えもしないほうが良い。そうでなければ、いずれ、すべて間違っていたと考えるようになってしまうだろう。そして誰か第三者の力添えがなければ、それがどういうことかも、理解してしまうだろう。しかし私は…私は、時たま考えてしまうことがある。

かつて私のキャリアは絶好調だった。私は多角的に物事について観察することを学び、客観的に開発を評価することに長けていた。そうだ。だからこそ私は、余暇で自分にそれを行うという間抜けを許している。

私は今私の日記を持っている。そして、それに私を苦しめていることへの答えが提示されていることに驚いた。私は驚き、慄き、その7歳の自分の記した記録に興味を持った。私は年齢の幼さと教育の度合いを考慮しようとしているが、私がどのようにしてこの過ちを犯したのかがわかっていない。私を取り囲んでいた虚偽はとても明確だったから、もし私がもっと聡明で成熟していれば、私は思考することも無く、それを取り払うことができただろう。しかし悲しいかな、私は、嘘の喧騒の中から、道を探し出すことにあまりにも満足しすぎていたに違いない。

わたしはたった7歳だったのだ。

ここにそれはある。「今日の日記。」… おそらく、おそらく私は、より明確な違いを得るために、ここに書かれている記録を読むべきだろう。これではない?.. すまない、続けよう。

「今日の日記!(私は実際のスペルを無視して、この小さなボロボロのノートに書き込んでいる。この年齢なら仕方ないことだろう。)きょお、私はほんとおの家族と会いました!」

そう、そこには不思議なことに、「本当の」という言葉が書かれている。ほんとおの、私はこの言葉の重要性を示すため、それを強調しようとしているようだ。もちろん私は、このような表現を、私のところに来た人に使うことが、根本的に適切ではなかったことを理解はしていなかった。しかし、私はすべてが本当の真実となり、私に起こっていたことは、すべて狂った誘拐犯によって作られた、悪い夢であったと明確に確信していた。私は、あなたであってもそのように感じただろうと思う。

私は私にもっと注意をはらうことができた人たちを信頼するかのように、常に忙しい両親を本当には愛していなかった。子供は常に利己的な存在であり、他のものには関心を寄せず、物事の細部にのみ注目する。結局のところ、幼少期のほうが大人よりもより多くのものを見ているものだ。私も、その例外ではなかった。

わたしの、新しいおかあさんはとってもやさしいです!彼女は、ほかのお母さんのように5月の間中ずっとサミー・デリーを見ているわけじゃない。彼女はとてもすばらしいです!

私はこれによって自分をとても安心させることができたが、自身を記憶に浸して、このとき客観的に見て何が起こったのかを評価したところで、もはや確かめるすべは無かった。彼女は目を細め、私をぼんやりと見つめていたが、ほかのすべての人たちが同じように子供たちを見守っていたので、彼女を一般的な女性として私は認識していた。彼女の暖かな手は、私を慎重に扱い、それは、本当の母親のやさしさからくる愛撫であったと思っていた。

もし、以前からの嘘を私がすべて受け入れた場合、これがすべてそういうものからではないと、どうやって知ることができただろうか?

そうだ、私はこのナンセンスな事柄を信じ、とても信頼していた。しかしこのとき、私は明らかに私に起こったことに当惑していた。私は、何か、本当にナンセンスなことを受け入れる準備ができていた。あんたはまた信じるだろうことを、私に保障していた。

新しいお母さんは、すばらしいことに、私は女性として戻ってきたのだといっていました!

私は認めなければならない。それは本当にすばらしいことだった。小さな子供は、私の得たいものにたどり着いた…私には信じられない。純粋なティーンエイジャーと手を結ぶ行為は、私の鈍った頭に、無数のすばらしい考えを思い起こさせました。その子供は、もちろん、すばらしかった。明るく、楽しい情景は常に、ほかのものより、速く、簡単に我々を驚かせる。

私は、ここで私のように苦労している人たちが好きです。ここにはたくさんいい人がいます。そして私のお父さんは、私に、すぐに妹のカトライを見ることができると言ってくれました!

そして、この妹は本当に私の前に現れたのだ。しかし、彼女が私たちの中に入ってすぐ、私の人生は変わり、私の周りのすべてが、新たな力によって回り始めた。私はいったい何が起きているのかに興味があった。それが本当はどうであったかを理解するだけの時間はなかったのだ。

この新しい人生は、想像を絶するようなものを数百と私に提供するだけの準備ができていた。私はそこに踏み込み、みなが良くご存知のとおり、道を踏み外した。しかし、これは単純な成長ではなかった。なぜなら、それはあくまで日常であったからだ。彼らは、彼らにとって必要なことを私には指示しなかった。私は、私の望むままに行動した。どちらかといえば、私は、それを望んでいるのだと確信していた。

私は教えられました。私は非常にきれいに書けるようになりましたが、まだ自分の仕事をさせてもらえるほどではないようです。親は姿を消してしまいました。彼らはすべて消えてしまいました。とても悲しいです。

これは13歳のころのものだと思う。または15か?まぁいい。このとき、私はここから抜け出すために、新しい人生に十分に没頭していた。

ようやくだ!私は始めての遠征に行くことができる!あと少し学ぶことができれば、私は私の仕事を得ることができる。手伝ってくれ。夕方にはそれが始まる。

最初の遠征…そのときの私は、あまりにも情熱的で、外出できるだけで幸せだった。私の周りで起こった驚くべき多くのことは、若い少年を魅了し、自らをそれに浸し、蓄積された嘘を含んだ、すべてのものに気づかないことを選ばせた。

そして今の、私の仕事は。私は俳優だ、ハハ、何らかの形をとったものだ。私は誰とでも遊び、誰を信じることもできる。それが求められたことだ。私はこの別の人生にどのようにして落ちてきたのかわからず、どのように育ち、どのように分岐点が奪われたのか、私に想像することはできない。しかし、いや、私はそのような瞬間に居合わせる想像をする。脳の中でのひらめきが、考えを爆発させ、思い浮かべることで思い出を洗い流す。

奇妙なことだが、いくつかの奇跡によって、私は異なる意見について学ぶことのできる力を身に着けることができたのは事実だ。もしすべてがいくらか違っていれば、私は自分自身で適切な人生を語り、学ぶことができただろう。正直なところ、これは私に誇りを与えてくれている。私の同僚にはこれ以上はなにも起こりえないこと、そして一方では、想像を絶するような恐怖で満たされているであろうことを確信しているからだ。これら二つの側面を互いに比較し、お互いの立場からそれを評価することは、時に興味深い。

保育器によって再び補充する。少女、3歳。非常に良好。彼女は私のパートナーを彼のところへ連れて行った。私がうまくいきさえすれば、私にはそれを手に入れる権利がある。彼女は運び屋として働く必要はない。あまりにもかわいすぎる。

彼らは、同じように彼女を連れて行ったようだ…私の親愛なる妻は、娘を傷つけることはしなかったが、私には何もできなかった…

私は考えすぎなのだと思う。間違いなく、あまりにも。そろそろ働く時間だ。

私はすこしすべきことがある。決められた場所に行き、そこのレバーを引くと、反対側には、幼稚園や遊び場、または誰もいない奇妙な暗い部屋が広がっている。最後のひとつは、これまでのところ、私にはあまり適した場所とはいえないようだ。私はそこでは仕事ができない。この「奇妙な現象」に好奇心を抱いている、ガラス越しの白衣の人間たちが混乱し、我々をこの仕事から解放してくれることを願いながら、絶えずすばやくマスクを変えて、静かな子供たちを育てなくてはならない。他の人に感謝しているのは、ツールのほんの一部のことについてだが、しかしこれは、静かな作業を妨げてしまうものだ。明確に。

今日の私は運が良いようだ。つながった先は遊び場だった。ツールをここに持ってくる必要があったのは先週だけだ。私は保育器の管理担当官から、ボーナスをもらえることを願っている。そしていい配当を、恐怖クーポンなんかをもらえることを。そして、私は思考をやめ、行動を開始する。

- やぁ、こんにちは!私はあなたの新しい友達ですよ~、あかちゃん。私がゆらゆらとんとんしてあげましょうか~?

ところで。あなたは余暇の間に、あなたには能力があると、思い込む必要がある。それは確かだ。

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