夜空を研ぐ
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 故郷で突発的に発生した飢饉によって、私は主人から暇を出された。財政が回らなくなった以上、武士とはいえ末端の人間が追われるのは、至極当然のことだった。農業の心得もなければ、手先も特段器用というわけでも、数字が処理できて、商売ができるほどの脳もない。剣の腕はと言うと、飢饉だの何だので剣を振るどころではなく、もう何年も使っていない。木刀くらいは振れるだろうが、真剣を扱えるとは到底思えなかった。昔は真っ直ぐ振れたものだが。

 今後の身の振り方を考えねばならない。何日かの旅をし、ひとまず江戸に向かうことにした。仕事を選り好みしなければ、江戸に仕事は掃いて捨てるほどある。剣は……もう使う予定もないので売っぱらう。どうせあったところで振れない。売れば当分の生活費の足しにはなる。身軽になったのを確認すると、もう故郷の思い出になるものは何も持っていないのに気付く。故郷の紅葉を見ながら、刀の手入れをしていた思い出が蘇る。特別な日でもない、日常の思い出。郷愁に浸っている暇はない。頬を叩き、歩みを進める。

 寄場に着くと、日雇いだ何だの仕事が大量にあった。金を手に入れるのにあれこれ言ってられないので、賃金の比較的良いものを受けていく。それが何ヶ月か続いた。

 いつものように寄場に行き、仕事を選ぶ。明らかに賃金の良いものがあった。なんでも、小屋の調査だそうだ。道中、獣が出るだの文字を書ける人間が必要だので、元武士の者を募集していた。仕事を受け、依頼人の居場所に赴く。杖を使ってこそいるが、身なりのいい若い男が出てきた。

「募集を見て来たのだが」

「おぉ?ってことは、あなたが小屋の調査をやってくれると?見ての通り、生まれつき足がダメになってるもんで、江戸近郊以外には行けないんですよ。どうぞ、中入ってください。詳しい話をします」

 男に乗せられるまま、屋敷の中に入る。

「今回、調査してほしいのはここの小屋です。調べ次第、すぐにここに戻ってきてください。あとで記録のための紙と御懐中筆を渡します。元武士であれば、多少、文字の心得はあるでしょう?」

 男は地図のある一角を示した。ここからそう遠くはない。

「周囲には集落があったっぽいんですが、つい何年か前に全員土地を捨てて出てったそうなんです。村の痕跡があるので、その辺りを調べてくれれば」

 男はまだ続ける。

「あぁ、それとこの辺は獣が出るそうです。見たところ、元武士ではあっても身を守る手段は持ち合わせてないように見えます。よろしければ刀、貸し出しますよ?そんなに良いものではありませんが」

「では、お言葉に甘えさせていただきたく」

 一通りの仕事の説明が終わった。「現地の情報を現地で記録してくれ」とて、刀と一緒に紙と御懐中筆を渡された。武士をやっていたからか、刀はすっと腰に馴染む。妙な安心感があった。

 数刻ほど歩き、目的の場所に着く。万が一、何か恐ろしい獣が隠れていたら応戦しようと考えてきたが、特にそんなこともなかった。私は小屋に入る。目を疑うような光景が広がっていた。

 小屋の中には、黒と暗い青が混ざったような色の壁と天井に、ビー玉大の丸い物体が至る所に浮いていた。色も球体ごとに違う。大きさも、よく見ると大きなものから小さなものまで様々だ。それらはゆっくりと、回るように動いている。現実離れしていたが、明らかにそれは私の肉眼に映った景色だった。しばらく、呆然と立ち尽くしたあと、中の球体に触れないように、小屋の入口で記録をする。あの球体に触れては、現地をそのまま記録できないし、何より「触れるとまずい」という勘が働いた。

「……幻想的で、現実にはとても思えなかった。浮いている球体を見ると、どうしてか自分が小さくなったような気がした……」

 記録にしては一部、主観こそ入ってはいるが、そうとしか説明出来ない。日も沈みかけていたが、私は急いでこの小屋を後にした。この興奮が冷めやらぬうちに、依頼人に報告しなければと思った。要はここでのことを話したいだけだ。

 依頼人の屋敷に戻る。もう日は暮れていたが、あの若い男は朝と何も変わらない様子で、杖をついて出てきた。屋敷の中に入る。

「調査のほど、どうでした?」

「こちらを」

 現地で記録した紙を渡す。現地の様子を、そのまま話した。

「……結構。ありがとうございます。こちら、報酬金です」

 寄場で提示された額を受け取る。

「あと、刀と御懐中筆もそのまま持って帰ってください。とても良い記録が取れましたし、追加で、ということで」

「感謝する」

 屋敷を出ようとした途端、若い男が私に向かってまた話しかけた。

「あの小屋、元々は異国の建造物をどこぞの建築家が写し取ったものだそうです。知り合いの天文学者によると、あの空間では宇宙の一角を再現しているのだそうで。あなたが話していたビー玉大のものを壊すと、実際の星も壊れるとも。あぁいうのの記録は、こっちの筋に高く売れるんですよ。また似たような情報見つけたら、今度はこちらから出向きます」

 「心得た」とだけ答え、屋敷をあとにする。宇宙の再現、と言われてもピンとは来なかった。

 江戸から少し離れ、少し静かな平野に移り、持っていた古い砥石で貰った刀を研ぐ。この時間が、最も時を忘れさせてくれる。土地こそ違えど、故郷の感覚と同じだった。雲ひとつない夜空を見上げる。あの小屋で見たものとは似て非なるものだが、今日は見方が違って見えた。初夏の夜特有の、ぬるい風が吹く。

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