昔は夜が好きだった。静かな世界は自分だけのもののようで、居心地が良かった。
今、暗くて孤独な夜は、僕の周りに取り憑いて離れない。
はぁ、と溜息をつく。眠りから覚めて目にする景色はいつも夜。
いつも少し視界に朝日が差し込むのを期待しているけれど、今日も夜は僕を離してくれなかった。
昔好きだった夜は、僕から二度も恋人を奪い去った。
今でも忘れられない二度の絶望。
毎日夢に見るのはその場面のリプレイ。そのショックで飛び起きて、目にするのはまた夜。そんな毎日。
彼女が通り魔に命を奪われた時、僕は家事をしていた。彼女から『家に行く』と連絡が来たのは22時を過ぎた頃、『夜道は危ないから迎えに行く』と電話で言っても、彼女は『大丈夫だよ、大袈裟だなぁ。』だと笑っていた。
まぁ、大丈夫か。そんな甘い考えが良くなかった。
連絡が来てから1時間、2時間、3時間。心配になって連絡をしても返信は来ない。
一向に到着しない彼女に対する最悪の想像は、翌日否応なく現実として降りかかってきた。
白い布を被せられた彼女は、人間にとって一番大事な21gが抜け落ちていた。
悲しみに暮れた。どうしてあの時迎えに行かなかったんだ、と自分を責め続けた。
その日の夜、僕の前に一丁の拳銃と、彼女が現れた。
不思議と、困惑することはなかった。
ただ、月夜の下で優美に舞う彼女を、いつもの笑顔で楽しそうに舞う彼女を撃ち殺さなければならないと、それが自分の役割だと、そう思った。
きっと、彼女の踊りを見続ける選択も出来た。でも、僕はそれを選ばなかった。
好きだった夜は、二回も僕に絶望を投げかけた。
今日も彼女のことを考える。僕から彼女を奪った夜の中で。
彼女も夜が好きだった。
「夜はどんなことも受け入れてくれるから、優しいの」
そんな夜に彼女は消えていった。夜に魅入られたのだろうか。素敵な女性だったからなぁ。
考え事に耽る僕の部屋に扉が開く。入ってきたのは、彼女と同じくらいの歳の女の子だった。
「ちょっとお散歩に行きませんか?」
そう言って歩き出す彼女の後についていく。外に出ると、彼女が宙に浮く。
どうしようかと戸惑っていると、僕も宙に浮いた。
「どうですか、空中散歩は?」
不思議な感じだね、と答えて質問を返す。君は一体誰なの?と。
振り返ったのは、紛れもなく夜に殺された彼女だった。
あぁそうか、君だったのか。
彼女はもう死んでいるはず、殺したはずだと分かっているけれど、目の前で彼女が歩いていることに違和感は無い。
久しぶりの彼女との散歩は楽しかった。他愛無い話をして、昔みたいに笑いあって。
ちょっと下を見るのは怖かったけど。
どれくらい話したのだろう、気が付くと、彼女が2度死んだ場所にたどり着いていた。
「……?あなたは、朝を迎えないのですか?」
どうしてそれがわかったのと返す。実は、もう二度と夜から逃げられなくなったんだと。
神様も酷いことをするよねと自嘲して笑う。
「そうですか、それは例外、ですね。一つ聞きますが、私とのお話は幸せですか?」
もちろん幸せだよと答える。だけど、ちょっと怖いかな、また君がいなくなってしまうんじゃないかって。
その言葉に、彼女は抱擁を返してくれた。
「ならば、共に落ちましょう。」
その言葉と同時に、僕らは落ちていった。すごい勢いで地面が近くなって、あぁ、やっと死ぬんだなと覚悟した。
目を覚ました。頭が、全身がズキズキと痛む。左手と右足が動かせない。見やると、ギプスで固定されていた。
どうやら僕は生きているらしい。
何よりも今日も夜に包まれていることが、生きていることの一番の証拠だ。
彼女はどうなったのだろう。
事の顛末を聞いた。彼女は、また死んでしまったらしい。
また、彼女は夜に溶け込んでいった。
また、僕は彼女を守れなかった。
また、一緒になれなかった。
この時間が永遠に続けばいいのに、毎回そうは思っているのに。
彼女の元へ行こう、そう思っているのに。
今回も、死にきれなかった。のうのうと命を繋いでいる。
涙が止まらない。3度目だというのに、よくもまぁこんなに泣けるものだ。
一体何が悲しいんだろう。また彼女を見殺しにしたこと?彼女の元にいけなかったこと?また夜から逃げ出せないこと?
僕は屑だ。何度も恋人を見殺しにして、何度も自分は責任から逃げて、何度も自分だけ生き永らえて。
本当に彼女に対する償いは出来ているのか?どうするのが正しいんだ?どうするのが間違いなんだ?
なぁ、僕はどうしたらいいと思う?
夜が優しいなんて思い込みだよな。お前のせいでこんなに苦しんでいるのに。
そんな問いも恨みも飲み込んで、夜は今日も僕を包んでいる。