2023/7/17
あったのかすらわからん梅雨がとうとう明けたらしい。蝉が例年に比べて少ない気がする。これはこれで静かだしまあ良いだろう。エアコンを消した途端魚がゆで上がって死なないか心配ではあるが。クーラーの効いた部屋でのんびりしているだけで自動的に金が入ってくる職業というのはアパート経営者ぐらいしか無いと思う。こんな素晴らしい仕事を遺してくれた親父に感謝。
かと言ってずっと快適な家でじっとしてるのもアレだと思ったので、こうして駄文をスマホへと書き込んでいる。気まぐれに書くつもりだ。
2023/7/20
イモムシを見つけた。
昼飯を買いに行っているタイミングで久々に雨が降った。涼しげな霧雨だったらまだ良かったが、いきなりドバッと降るゲリラ豪雨だったから参る。コンビニの帰りびしょびしょに濡れてしまった。
そのコンビニの近くの街路樹で、茶色くて毛の生えたイモムシを見つけた。なぜか餌のあるはずの枝ではなく木の幹についていて、雨に濡れて動けない様子だった。かわいそうだったので落ちていた枝にそいつをつけてやり、ビニール袋に入れてダッシュで帰宅した。家にプラケースがあったのでそこに入れておいてある。
無責任に拾ってしまったがどうするか。明日種類を調べてみよう。
2023/7/21
イモムシの種類はわからなかった。似たようなのは見つけたがサイズが明らかに合わない。似たイモムシはせいぜい数センチ程だったが、こいつは5〜6センチくらいはある。図鑑やネットで調べても全く出てこなかった。蝶か蛾かすら分からない。だが、とりあえず適当にキャベツとか人参とかの野菜を入れておいたらどれも穴だらけになっていた。どうやら何でも食べるらしい。黙々と食べているのを見たら、段々と可愛く見えてきた。飼うか。
できれば綺麗な蝶になってくれよ。これからはこの日記(?)はこいつの成長記録にするのもいいかもな。小学生の頃、モンシロチョウのイモムシを皆で育てていたのが懐かしい。
2023/7/26
久々に思い出したので書く。前から一週間ほど経ってしまった。夏バテのせいか頭痛がする。
イモムシは確実に大きくなってきている。5センチほどのサイズだったのが今では倍以上に膨らんでいる。
餌が消費されるペースも早くなっている。まあ早いと言えど所詮は虫だから量はたかが知れているので餌に困ることは無いのだが。明日キャベツを買ってこないと。
2023/7/28
イモムシのケースを掃除するために開けたら、中から小さな生物がわさわさ出てきて焦った。俺の部屋に一斉に散らばって見つからない。
苦労して探して殺すのも気が進まない。それに、中々可愛かったから許すことにする。度々芋虫の上に乗っかってその体を丹念に舐め取っているのを見るに、少なくとも芋虫の敵ではないのは確かだ。
同居人として迎えよう。彼らは俺に敵意が無いと理解するやたちまち壁に穴を開けて住み始めたようだ。
2023/7/31
もう七月も終わりだ。暑さは更に過酷さを増している。入居者たちから家賃を受け取りに行くのさえ億劫になる程に。
彼らは大きくなっているように見える。部屋の穴から増えているようだ。俺からも出てきた時は流石に驚いたがすぐに慣れた。
さらに芋虫はデカくなってきた。今の百均のちっこいプラケースに入りきらないほど。そろそろ蛹になる頃かもしれない。調べたところ、どうやら蝶や蛾には枝や壁に付いて蛹になるタイプと土に潜って蛹になるタイプがあるらしい。こいつがどちらか分からないが、とりあえずは大きめのプラケースを出して枝と餌を入れ、土も厚めに入れておいた。どんな蛹や蝶になるか楽しみだ。
2023/8/3
家賃の徴収が終わるとすることが無いので最近はずっとイモムシを見ている。
蝉が鳴き始めたが、イモムシが蛹になる気配は無い。むしろ前より餌をよく食い、キャベツひと玉くらいなら一日で平らげるようになった。サイズも俺の掌をとっくに越している。彼らもますます増えて壁にでかい巣を作り始めた。
皆益々可愛い。
2023/8/6
何だか頭痛がひどい。ふらふらする。
熱を測ったら38.6もあった。夏風邪のようだ。三日間寝ているが全く良くなる気配が無い。
イモムシは大丈夫だろうか。彼らは風邪をひいてから出てこないから大人しくしているようだが。余りものの適当な野菜を入れてあるがもうすぐ無くなる頃だ。何とかして買いに行かなくては。
2023/8/
ぐしゃぐしゃの夢を見た。俺の部屋にあるものぜんぶぐしゃぐしゃに溶けて、境目が曖昧になっていた。俺のからだも。
目が覚めてもまだ感覚がおかしい。今日が何日なのかすら分からない。夏風邪ってこんなにつらかったのか。こんな状態でも文を書くのをやめられない。イモムシは大丈夫だろうか。世話したい気持ちはあるが、今更見るのすら怖い。彼らが世話でもしてくれれば有難いのだが。
2023/8/12
やっと熱と頭痛がおさまってきた。久々に見たイモムシは幸い元気そうで、手を近づけると自ら乗ってくるようになった。プラケの中には入れた覚えの無い野菜がいくつか入っていて、冷蔵庫には彼らが沢山入っていたから餌をやってくれていたようだ。流石俺から出ただけあるな、中々気がきく。
頭痛が酷い。頭痛だけじゃない、背中も腕も痛い。夏風邪の後遺症かもしれない。壁と同じように穴の空いた熱帯魚が水面にひっついてこっちを見ている。
見ている。睨みつけている。
2023/8/13
ひっついた熱帯魚が消えている。イモムシはまだまだ元気だ。部屋がやたら暗い。
なぜか腹が減らない。お陰で同居人が今も増えている最中なのに食費を節約できている。
昨日熱帯魚が消えてから、彼らはかなり増えた気がする。集まる時、今では二の腕ほどもある芋虫の上の全体に乗る黒い山になるほど。
↓俺の腕から出てきた彼らの写真
2023/ /
イモムシはでかすぎてとうとう特大プラケにすら収まらなくなった。今や猫サイズだ。放し飼いにすることにした。彼らと共に勝手にエサを漁ってくれるから手間いらずになった。まあエサはちゃんと買ってるが。
彼らは止めどなく現れるからエサが足りない。餌をくれと穴から囁いてくるのがいたたまれなくて眠れない。俺もまともな飯を最近食っていない気がする。食欲がない。
でも食おうとしても食えないもんは仕方ないじゃないか。
それに、今の俺にはこいつらがいる。こいつらの成長を見守るまでは構うものか。
早く大きくなってくれ。
2023/ /
イモムシが玄関前でじっとしている。
蛹になるのか?彼らはイモムシを守るためか玄関でせわしなく歩き回っている。出たくもない外に繋がっている玄関を埋め尽くす波と化して。
同居人たちがわさわさと現れる。床、壁、棚、俺、その他から穴をあけてでてくる。
やっとわかってきた。俺はこの為に今まで生きてきたのか。この時の為に。
俺は明日生まれ変わる。熱帯魚と同じように。確信がある。
今夜が楽しみで仕方ない。
めりめりめり。
足取りは重い。あのアパートに行くのがここまで気が重い行動だとは思っていなかった。一歩毎に僕にかかる重力だけ増しているような感覚すらする。
壁が黄ばんだアパートの階段に足をかける。瞬間、増大していた重力がさらに倍になった気がした。錆びた手すりを掴む。ざらざらとした不快な感覚。土が丸見えになった階段付近には雑草が伸びて蟻が巣を作り、錆びついた段に足を掛けるとぼぉんと間抜けな音を立てた。彼女の部屋は203号室。階段を登り切り、重くなった指をインターホンに押し込んだ。掠れた返事らしき声。きぃ、がちゃ。ドアが開く。背けてしまいそうな目を必死に戻す。
久々に見た寝巻き姿の彼女の顔はどう見たってやつれていた。心配した声をかけても「大丈夫」だの「ただの夏風邪だから」だのと誤魔化そうという魂胆の丸見えな返事が返って来るばかり。それすらも擦れて掠れ切っていた。
「大丈夫なんですか、心配してましたよ」
「来なくていいって、言ったと、思うけど」
「とりあえずこれ、渡しに来ました」
手元のスポーツドリンクと軽食が入ったビニール袋を手渡すと、彼女の表情は少しだけ綻んだ気がした。
彼女は先輩後輩の関係から始まった付き合いではあったが、互いに別々の大学へ入学してからも度々連絡を取り合っていた。急に最近連絡が途絶えていてどうかしたのかと確認しようとLINEにどうかしたのかと送り付け、数日後に漸く返って来たのは要約すれば「心配させちゃってごめん」「ただの風邪だから心配しないで」などという曖昧な文面。なんでも夏バテに加え、住んでいるアパートの管理人が変死を遂げて心労が溜まっていたとかで体調を崩してしまったらしい。
最初の頃は心配しつつも様子を見ていたが一週間して返信どころか既読すら付かないというのは流石に異常だ。電話も一応してみたが返事は無かった。彼女には何だって一人で抱え込むようなところがあった気がする。アパートの管理人が「変死」を遂げたと言っていた癖に状態も何も聞かなかったのも考えればおかしい。もしも身に何かあったとしたら。
居ても立ってもいられなくなった僕はついに彼女の家に見舞いに行くことにしたのだ。快活な彼女が弱っている現実を見るのはつらい。部屋の様子を見せて、と聞いてみたが汚いから駄目だと言い張る。だが昔は互いに汚い部屋に遊びに行ったじゃないか。ともかくこれで明らかに何かを誤魔化そうとしているのは察せた。
「ちょっと様子見るだけだから見せてください」
「ひどいよ?」
「心配なんですよ、手伝いしますから」
「仕方ないな」
玄関に足を踏み出す。
足元に這い上がってきたのは、悪寒。百足や蟻の類の蟲が足元に這い上がってくるような、悪寒を感じた。
玄関からリビングに繋がっていた小綺麗な筈の廊下は異様に暗い。電灯はしっかり点いているのがはっきり見えるのに、光が弱っているように薄暗くなっていた。暗いせいで足下が見えない。時々何かぱり、と乾いた落ち葉を踏んだような感触と音がする。気持ち悪い。ふらつく三半規管を持ち直し、僕はゆっくりとした足取りで前を歩く彼女に追いつこうとリビングのドアを開けた。
ぞわ。
“何か”、いや何か”たち”が、視界の全体で、蠢いた。
電気が点いているはずなのにやたらと暗いのは廊下と一緒、いやもっと酷い。1メートルほど先はぼやけ、その先はまともに見えない。思わず壁に手をつく。凹んだ感触。
手をついた壁をふと見る。
穴。穴。穴。黒い穴。壁に開いた、親指の太さと同程度の無数の穴。確実に中に何かいると確信させるほど黒く暗く歪な穴。引っ込めた手は震えていた。それ以上見るな、すぐに逃げろと神経が叫ぶ。首が勝手に横に滑る。
僕は多分生まれて初めて、「蜂の巣」という慣用句が使われるべき状態を理解した。これほど相応しい表現は無い。黄ばんで見える壁だけじゃない。そこに繋がる床、家具用品。その全てに、夜闇を濃縮したような穴はぽかんと口を開けていた。
「どうしたの?」
どうしたのじゃねえよ。気にしろよ。気がつけよ。固い何かがぱらぱら落ちてるのも、やたら暗いのも、部屋が蜂の巣になっているのも。
「な、 んでも、ない」
掠れた声を絞り出す。馬鹿か。さっさと指摘しろ。
声が聞こえたのは僕の記憶が正しければ寝室があったはずの方向。闇の中から声は続く。
「ねぇ」
「言ったっけ?うちにペットができた話」
何を言っている。
何だ、それは。
ぞわぞわっ。
つい先程から感じていた、”何か”が蠢く気配の大元。それは一つに纏まって現れた。
闇に浮き立って見えたそれらは、寝室に繋がっているドアの隙間から現れた。やけにもたつくのそのそとした動きで。
輪郭から見る限り猫ほどのサイズのそれと、それの上に乗る、犇き動く小さな”何か”たち。
「ほら、その子」
「ぎ、くぁ」
なんとかまともに覚えているのは、錆びた階段を落ちるように下っている最中の落下していく感覚から先だけだった。その間僕は「うわぁ」とも「ぎゃぁ」とも形容し難い声を多少なりとも発し続けていたらしく、闇にも穴にも包まれていないマンションのドアに縋りついた頃には喉がカラカラに掠れてしまっていた。
何だ。何なんだあれは。「二度と関わるな」と警告されたような気がした。
駄目だ。駄目だ。彼女に何があった。あれは何だ。
知らなくては。あのアパートを。そこに蔓延る何かを。彼女がおかしくなった理由を。
僕はあのアパートの前に立っている。相も変わらず壁は黄ばんだまま、階段は錆びたままだ。変わったのはドア前の雑草がかなり伸びたことぐらいか。
軋む階段を登り、僕はチャイムを押す。
返事は無い。
もう一度押す。
返事は無い。
「入るよー」
試しにドアノブに手をかけ、押してみる。ぱきり。鍵は開いていた。というよりかは感触からすると、朽ちたようになって割れ開いたというのが正しいか。
闇は部屋を更に包んでいた。日差しが強い中ドアがしっかり開いているのにもかかわらず。懐から懐中電灯を取り出して点ける。
穴は玄関前にまでぽつぽつと開いている。
そっと靴を脱ぎ、電灯の光量を最大にして廊下に足を踏み入れる。
足元には固くて割れる何かと、ぼこぼことした感触。下を見るな。前だけを見ろ。
ぞわ。
やはり何かいる。絶対に何かいる。穴に潜んでいるのか物陰に潜んでいるのかは知らないが、とにかくいる。
怖がっている暇は無い。さっさと彼女の安否を確認し、何とかしてこの何かの巣と化したアパートから連れ出さなくてはいけないのだから。
ぞ、ぞわ。ぞわ。
来るな来るなと何かたちは警告するように蠢く。悪いが構っている暇は無い。見えている訳ではないが、光を当てると確実にそれらは闇へと逃げていく。
廊下を進み、冷たいドアノブに手を掛け、開いた。
ぞ、ぞ
わ。
ぞわ。
「っ……」
壁に、もはや月のクレーターのようになった穴が開いている。
それは、部屋の奥の一点に集まっているように見えた。最大光量にした懐中電灯ですらスマホの電灯モード以下の距離しか照らすことしかできない状態ではあるので確かではないが。
一歩歩く度、それらは僕を避けて陰へ奥へと逃げていく。この固いものを踏む感触とぞわぞわとした空気は多分慣れることはない。さっさと彼女を探して出ろ。ダイニングテーブルらしきものを闇の中から伝い、手探りで寝室の位置を探る。ドアノブの冷たい感触が手に伝わる。
やめろ。開けるな。見るな。今すぐ戻れ。
誰が戻るか。ここまで入って来て帰るなんて。
ドアを開く。
その散らかった部屋には何の気配も感じず、やけに静かで穏やかな闇が静かに包んでいた。
ひらひらと灰色の何かがいくつか舞っている。それは開いたドアから静かに玄関の方向へと出ていった。
床に、何かが落ちている。
ようやくまともに光るようになった電灯で照らす。
穴の空いて落ち窪んだ、目。
頭に出来た、蜂の巣。
穴、穴、穴。黒い穴。
その暗い穴を固めたような物体は、間違いなく彼女であった。
ざわ。
穴から、”それ”は這い出た。
ぞわ
ぞぞゎ
ぞゎ
ぞわ ゎ
ぞわ
ぞわ ぞゎ
ぞ ぞぞゎ
ぞゎ
ぞわ ゎ
ぞわ
ぞわ ぞゎ わ
ぞわ
ぞ
わ。
ぞわ。
ぞぞ
ゎ ゎ
「ぁ」
林に落ちている石をひっくり返したような。あるいは蟻の巣をスコップで掘り返したような。
暗がりから現れたのは、親指と同じくらいの大きさの、蟲。
それはざわざわとドアから這い出て、あっという間に闇へと消えた。
彼女だったものを揺り動かしてみる。まるで虫の標本のような乾いた音と触感。
嘘だ。嘘だ。こんなの現実じゃない。
彼女が、蟲になってしまった。
いや待て。
あのひらひらとしたものは何だ。
電灯を放り投げ、玄関へと走る。
ドアの前の光に、数匹の灰色の蝶が逆光と共に舞っている。
間違いない。
彼女だ。
そうだ、あんな蟲が彼女な訳は無い。この舞い踊る姿は、彼女に似ていた。
手を差し伸べてみる。
「帰ろう?」
案の定、彼女たちは腕へと掴まってきた。
さぁ、家に帰ろう。夕飯はどうする?どこで寝ようか?
肩の荷が下りたような感じだ。間抜けな階段の音も今では心地よい。彼女があのマンションに来るのも久しぶりだ。
肩に付いた彼女たちと宝石のように輝く卵を見つめながら、僕は道を行く。
ぱしぱしぱし。
領域番号:UE-█████-JP
概要: ”コーポ ███”という名で登録されていたアパート。部屋の内部は昼夜問わず非常に暗く、壁面全体に大量の5cm程度の穴が空いている。管理者の██ ██氏と居住者█名が各部屋で部屋の壁面に開いているものと同様の5cmほどの穴が全身に空いている状態で死亡しているのが確認された。
部屋の内部及び居住者の死体の内部には5000匹以上の体長約5cmの未知のアリ科(Formicidae)と見られる生物の死体が発見され、居住者の死体と共にAO-█████-JPとして収容された。また各部屋の玄関には体長約70cmの鱗翅目(Lepidoptera)の幼虫の脱皮殻に酷似した物体が発見されている。
収容日時: 2023/09/28
場所: 日本 神奈川県 ████市██████
保安プロトコル: 居住者を退居させ、財団傘下の不動産企業に買収させて立ち入りを禁止する。
追記: 調査の結果、領域周辺に生息しているクロシジミ(Niphanda fusca)が漸増していることが判明。対象には異常無し。アパート内部のアリ科生物との関係性は不明。1
2023/10/14追記: 近隣区域のマンションで酷似した特性を持つ区域を発見。経過観察中。