アイテム番号: SCP-2390-JP
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: 2390-JPは地域伝承と関わる事による実質的な自己収容性を有しているため、異常性や伝承との関連性が解明されるまで財団の介入は研究活動のみに留められます。
研究のため、日比谷フミ博士、岡本喩月研究員が動頃いごろ町に派遣されています。都合のため、前述した職員は定期連絡と研究報告が義務づけられています。
説明: SCP-2390-JPは年に1度、宮崎県動頃町に在住する人物1名を対象として発生する認識異常です。対象となった人物の顔面は60分に2~3回程度の頻度で画像のようにズレが生じ、歪んで見えます。これは実際に顔面が歪んでいる訳ではなく、視覚的な影響であると考えられており、この効果は直接視認した場合に限らず発生します。当異常性は、発現から1年で消失します。
特筆すべき点として町民の大半は2390-JPの性質を知っており、その中でも町の伝承に詳しい人物は対象を「ヲニシロに選ばれた者」という肩書で呼称します。ヲニシロの意義は不明なものの、異常性が対象の日常生活に大きな支障を与えた例はないようです。
こういった特徴から2390-JPは一部の研究機関では文化結合症候群の一種として扱われていました。そのため財団が介入する前から一般社会でも研究例が存在していましたが、主に地理上の問題によって研究は充分ではなかったようです。現在のところ2390-JPは町以外ではほぼ知られていないほか、町内でも話題にならず、差別的な扱いを受けない事から、当異常の規模や研究優先度は比較的に低いものとされています。
補遺1: 収容方法
初期の財団は、地域伝承と強い関わりを持つ収容困難なアノマリーに対して、A-303記憶改竄剤やアドラス12精神向上剤といった薬品を使用する事で強制的に収容を可能にさせる間違った収容手順を行う事がありました。これはヒュレノス事件、ガンジサーダ集団同一記憶保持事件などの重大なインシデントを招きました。
この事件から、前述のようなアノマリーを発見した際は初めに研究活動を実施し、異常性を充分に理解してから、倫理委員会や破局的現象偶発事故時対応計画部などと合意を得ることで初めて収容に踏み込むように規定されました。
そのため2390-JPの収容に関しても、初期対応部会は調査班を派遣して初期研究を実施させました。結果として得られた情報は説明に記載されている通りです。後に部会は、アノマリーの収容優先度を決定する定例会議において2390-JPを「優先度は低いが、情報不足のため更なる研究を要する」と評価しました。
この事から第二次研究のために派遣されたのが日比谷フミ博士、岡本喩月研究員です。日比谷博士は高齢のため現役から退いていますが、動頃町に住んでいた経験があるため、岡本研究員の調査を後方から支援できるとの判断で派遣されました。そのため人員に余裕ができた際は追加配備が予定されてはいますが、今のところ実質的な調査員は岡本研究員のみとなっています。
補遺2: 2390-JP研究関連資料
岡本研究員が所有していた支給PCのメモ帳アプリから回収されたテキストファイル#1(06/11)
なぜ私がこんな話し口調でこの日記を書いているのかというと、日記を書きたくなったが書き方が分からないからだ。分かるまではこの書き方で行くが、なんで急に日記を書こうと思ったのかといえば、ここが日記を書くのに適した環境だからだろう。
というのも、今私は町が地域おこしの一環として貸し出している古民家の1つを借りてこれを書いている。これが驚くほど綺麗で広く静かで、まさに日記も書きたくなるような環境だった訳だ。要するに、特別な環境に移って興奮しているという事である。実質1人で実地調査に行かせる財団に最初は不満があったが、怪我の功名と言うべきか。
さらに運が良い事に、私が借りた家の隣は博士の実家だ。ひょんな事もあるものだと思ったが、博士は夜型でいつも遅くまで起きてるらしく、起きている時は画像のように玄関から博士の家の電気がついているのが見える(後で気付いたが、単純に盗撮な気がする)。テキストファイル#2(06/12)
図書館で『詩歌嗜鬼(しいかのしき)』を借りた。ここは鬼をモチーフにした物語が多く、なかなかに興味深い。『ヲニシロ』もきっと『鬼代』と書くのではないだろうか。
博士は『昔住んどった頃は道も天気も悪くてどこも行けんかった』と。現役の時は気象管理部門にいたらしく、詳しく話してくれた。動頃町は盆地だが、地理的な要因が重なって山は年中天気が悪く、自然災害に悩まされていたらしい。良く言えば天然の要害、悪く言えば閉鎖的だが、それ故この町では独自の文化が幾つか発達しているという。とにかく、昔の町民は天気が良くなる頃合いを待ち、いざ良くなれば一気に移動していたと。それが町名の由来とも言われている。
博士の家には面白い木像があった。背が高く、力強い筋肉を持っていながら、手には巻物と筆を持っているという実に不釣り合いなものだ。何者なのか聞くと、博士は『鬼』だと答えた。イメージとは異なる造形に驚いたが、どうやらこの町には鬼信仰文化があり、節分では豆まきをしないという。
印刷されたページ#1
鬼は粗暴で醜悪なイメージをよく持たれるが、『十訓抄』では源博雅という管弦の達人が、優雅に笛を吹く者を鬼と知らずに笛を交換しあうエピソードがある。鬼の中には詩歌や音楽を嗜む、優雅なる者もいたのである。
そして動頃町にも、十訓抄と同じ時期に成立した説話『姦雅(かんが)』に、鬼どうしが歌合を楽しむエピソードがある。ただし不可解な面として、当時の動頃町は説話や詩歌を嗜むに足る知識を持った町民がおらず、正確な作成時期や作成者は明らかになっていない。
『姦雅』は鬼の荒々しい面と繊細な面がありありと描かれており、実に細かい表現が用いられている。それはまさに、前述したような優雅なる鬼が書いたのではないかとさえ思わせるほどだ。
坂下慧「鬼才」『詩歌嗜鬼』(日本箕関堂,21-22,2004)
インタビュー記録ファイル#1(06/19)
対象: 森 八千枝(もり やちえ)、赤坂 満(あかさか みつる)、三原 潤(みはら じゅん)
付記: 別々にインタビューしたものを簡潔にまとめている。方言は標準語に改編済。
貴方はヲニシロをご存じですか。
森: 10年前、高校生の時に友人がヲニシロに選ばれました。
赤坂: ヲニシロの事はこの町の多くの人が存じ上げています。祭事との関わりもありますよ。
三原: 病院に勤めていた時に、敗血症で入院されていた患者さんがヲニシロに選ばれました。
森: その友人、いつもは普通なんですけど、ふとした瞬間に口が2つに割かれたようになって血の気が引く事がありました。ですが不思議な事にみんな、ああ、ヲニシロに選ばれたならしょうがないよね、抜けるまで頑張ろって。理解してくれているようでした。だから生活に支障は出なかったようです。
赤坂: この町には『寄擬語(きぎのかたり)』というヲニシロを祀る祭事があります。ああ、ヲニシロというのは神の名です。
三原: 妙な事ですが、患者さんに何か特別な措置をするのかと思えば、会議でもBDZの投与だけしようって事ですんなり落着しました。当時はその町に来て日が浅かったから事情があるんだろうと思って黙ってたんですが、やっぱり変ですよね。知ってるのに関わりたくないみたいでした。
森: 知ってはいます。動頃町はお祭りが沢山あるので、少し失礼ではありますが、寄擬語は“影が薄い”のです。例えば同じ宮崎なら高原や高千穂には夜神楽があり、屋台で賑わうのですが、寄擬語は屋台を出すのも禁じられていますし、高木の上げ馬のように派手さもありません。
赤坂: 寄擬語は厳格な行事で、予定にない行動は適切な進行を妨げてしまうので、ヒステリー持ちの方やお子さんなどは観覧できないんです。ですが、ヲニシロに選ばれた人と寄擬語の関係性は実はありません。年に1度、誰かがヲニシロに選ばれますが、それは例えるなら自然現象のようなものです。
三原: すみません、存じ上げません。
テキストファイル#3(06/19)。
まとめると『ヲニシロ』という神がいて、年に1度その神は町民1人を選ぶ、という事か。たぶんヲニシロは何らかの目的で選んだ町民の顔を『奪っている』のではないかと思うが、そこはよく分からないな。そして町には寄擬語というヲニシロを祀る(影の薄い)祭事がある。ただ、ヲニシロを祀る行事でありながらヲニシロに選ばれた人物と関係がない、というのも妙な話だ。
病院の話やヲニシロに対する周囲の対応も少し妙な気がする。こんな視覚に影響される異常に対して、誰もが理解を示し、関わらないようにするものなのか?調査を続けなければ。
テキストファイル#4(06/21)。
寄擬語は動頃町で年に1度行われる祭事であり、厳格な行事としても知られる。祭事の運営者は再現可能なオリジナルの物語を5つ持ち寄って、関係者は事前にリハーサルした上でその物語を再現する。その間、傍観者は観客としての役割を徹底しなければならない。要するに物語を妨げたり、物語への集中をやめるな、という事である。去年の寄擬語でなされた物語のうち、その1つを以下に示す。
【肆】鬼の魂を見ゆ: 町はずれのある神社には、鬼の霊が棲むと云われていた。その霊は危害を加える訳では無いが、時に筆を持って現れ、悩みながら鳥居に何かを書くのだ。それは文章どころか文字ですらなく、また書いたものも数分で消えるのだが、皆これを呪文の類いだと思い、大層不安に感じていた。
ある日、その噂を聞いた『カミの声を聞ける』子供5人がその神社にやってきた。子供達は、色々な神社の参道で手を一列に繋いで歩く事でカミの声や姿を感じる事ができたと言う。だが実際には、参道は人だけでなくそこに棲まうカミの通り道でもあり、手を繋いで一列に歩くとカミも通れなくなってしまう。つまり子供達は、「どいてほしい」という神の声を宣託か何かと勘違いしていたのである。
ともあれ子供達はその神社で無邪気に手を繋ぎ、一列で参道を昇る。すると、ある男の子の前に鬼の霊が現れ、こちらへ歩いてきた。どうやら男の子以外には霊が見えていないようだったが、男の子はある種の高揚感を味わい、近付いてくる霊に向かって恐れずに歩みを進めた。やがて男の子はその霊とすれ違う。その瞬間、子供達は歩みを止め、こちらを見た。吃驚して尋ねると、逆に子供達から「なんで手を裏返したの」と当惑の面持ちで尋ねられた。訳も分からず自分の腕を眺めると、手を繋ぐために外側に向けていたはずの手の甲は内側にひねられていた。沈黙が場を支配したが、男の子はすぐ『霊とすれ違った』と語り、場を盛り上がらせた。
その後帰宅し、男の子は日記にその出来事を書き連ねようとした。しかし、そこで手が止まる。書けないのだ。内容は思い浮かんでいるのに、手を動かすとそれが文字にならない。男の子はハッとして鉛筆を投げ出し、神社へとすっ飛んでいった。そこでは、先程の鬼が筆を手に鳥居に何かを書こうとしている。男の子は隠れ、鬼が何を書くのか恐る恐る見つめた。やがて鬼は筆を滑らかに動かす。そこで男の子が見たものは恐ろしい呪文などではなく、大層美しく書かれた詩歌であったという。
この物語は東区の神社を借りて語り部1人と大人3人、子供5人で再現された。
なお、寄擬語において参加者全員が気を付けなければならない事がある。それは『信じない』事である。物語の内容を本当の事だと信じず、これが架空であるという事を承知していなければならない。
テキストファイル#5(06/21)。
以上はこの数日で手に入れた寄擬語の情報である。
興味深いのは、これが百物語のような要素を含んでいる点である。百物語では怪談を持ち寄って語るというが、寄擬語は物語を持ち寄って、それを再現する。
ただ『信じてはならない』というのが妙だ。それこそ怪談なんかは本当に存在するんじゃないかと思わせる事を意図して構成されたものも多い。だが寄擬語は、物語を楽しんだり怖がったりする事というよりも『物語』それ自体の構成や構造を律儀に達成する事を意図しているように感じる。それも、観客にまで指定を入れる徹底ぶりだ。
なぜそこまでしないといけないのだろうか。それに、ヲニシロを祀る行事でありながらヲニシロという文字が本当に1文字も出てこなかったのは驚きだ。詩歌を嗜む鬼の話も気になるな。
テキストファイル#9(06/24)。
書かれるべきは行方不明になった直前の動向のはずで、勤務先や普段の活動を書くものじゃない。なんでこんな事を?
ヲニシロに選ばれた人でもなきゃ、あんな歪んだ顔写真にはならないはずだ。それにヲニシロに選ばれた人でも、顔が全く分からなくなるくらい歪んだ例はこれまで確認されてないし。ヲニシロに選ばれてる最中に死ぬとこうなるのか?関係性を調べなければ。
テキストファイル#10(06/24)
6~8番目のテキストファイルがない。誤って削除したか?まぁ話題の甘味屋をメモしてただけだし、問題はないか。
テキストファイル#11(06/25)
今朝、鏡を見たら自分の顔が一瞬ズレた。どうやら私がヲニシロに選ばれたらしい。何たる偶然だ。小さな町だから私が選ばれる確率は別に低くはないが、運がいいと言うべきか。財団には既に連絡済みだが、梅雨の問題などで対応には時間がかかるらしい。
にしても、神から選ばれるのだからてっきり宣託でも聞けるのかと思いきや、顔がたまに歪む以外何も変わりはない。調査に支障はなさそうだ。
インタビュー記録ファイル#2(06/30)
対象: 三角 雛(みすみ ひな)
付記: 三角氏は4年前にヲニシロに選ばれた経験がある人物である。
[抜粋開始]
岡本: 本日は誠にありがとうございます。
三角: ええ、こちらこそ。
岡本: はい。その、先につかぬ事をお伺いしますが、普段は何をなされてらっしゃるのですか?
三角: 私ですか?総合芸術と言いますか、主に小説と音楽を。いつもは講演のために市内の方に出ています。今回帰ってきたのは、しばらく用事が無いからですね。
岡本: なるほど、それは運が良かったです。では、前少し話した通り、ヲニシロについて色々語っていただきたいのですが、そもそもヲニシロとは何の神なのでしょう。産土神なのですか?
三角: いえ、ヲニシロというのは物語の神です。聞いたこと無いでしょう?
岡本: ええ、珍しいですね。
三角: 歴史が浅いのです。ヲニシロが物語の神として祀られるようになったのは明治維新より後で、それより前に動頃町に神はいませんでした。代わりに、詩歌や芸術が好きな異形達が町にいたらしいです。
岡本: なるほど。ではなぜ明治維新が分岐点に?
三角: 明治維新は宗教改革でも有名です、分離令ですね。分離令で寺や仏を排した事は有名でしょうが、それが行きすぎて土着信仰まで排する流れも実はありました。つまり、さっき言った異形達は存亡の危機にあったわけです。
(沈黙。)
三角: その後はどうやら、10月3日に『ヲニシロ』という物語の神を立てる事で落着させたと伝わっています。正直これで解決したのかは怪しいと思ってますよ、じゃあ異形達はどこ行ったって話ですし。
岡本: ええと、異形が詩歌を?
三角: はい。明治時代の田舎には読み書きできない人も沢山いました。つまり詩歌は上流階級の嗜みだったんです。そして動頃では異形達がその上流階級で、毎日のように歌合を行い、物語を描いていました。
岡本: 面白い話です。にしてもなぜそんなにも存じ上げてらっしゃるのですか?
三角: ああ、ヲニシロと私の活動に色々あったからです。少しショッキングな話ですが、大丈夫ですか?
岡本: 話せる範囲でぜひ。
三角: 分かりました。ヲニシロは物語の神であると同時に、転じて創作の神です。特に『創作する責任』を負う神です。
(沈黙。)
三角: 私は子供の頃から漫画を描いたりピアノを弾くのが趣味で、高校生にはここから宮崎市内に移って創作活動に没頭するようになりました。若かったというか、私は自分の作ったものに対して無責任でした。創作の経験は?
岡本: ええ、まぁ。
三角: 良かった。とにかく私は、いじめや自殺、虐待といったテーマを無責任に扱った作品を世に出してきました。ネガティブなのはウケが良いですし。創作を通して他人を安易に攻撃し、蔑み、考えも無しに嚙みつき、踏みにじっていました。
(沈黙。)
三角: やがて大学生になって上京して、色んな人と出会いました。その中には不愉快な人もいた訳です。私を友人だと思っている、邪魔なタイプの人が。ですので私はその気持ちを創作にぶつけようと思って、不満や愚痴を小説や音楽にして世に出しました。その日からその子は大学に来なくなりました。
(沈黙。)
三角: 最初はどうでもいいと思ってたんですが、数日後、ニュースでその人の事を見ました。自殺していたんです。人伝いに遺書を見る機会があったのですが、そこには『私の精神的な支えであったアーティストの新作を見て、死ぬことを決めた』って書いてありました。
岡本: それは、ショックだったでしょう。
三角: もちろん。その人が私のファンであった事もそうですが、何より私の創作が人を殺した事が特に。家庭の事情や色んなしがらみのせいでその人は元々希死念慮に悩まされていたそうですが、自殺の決め手となったのは私の創作に他なりません。
(沈黙。)
三角: そこで初めて『創作は人を殺す』と知りました。何より、他人に悪意を向け、害悪を与える自分の行為に対して、いざという時は責任を取れるという意識があった私にとって、『責任』という言葉を無責任に使っていたと気付く機会となりました。
岡本: 責任。なるほど、そこからヲニシロに繋がるのですね。
三角: はい。今はこうやって話せてますが、あの頃は本当に自責の念でおかしくなっていました。その時ふと思い出したのが、ヲニシロだったのです。創作する責任を負ってくれる神。私にとって救いの糸のようでした。人を殺しうるものを書いても、責任を取ってくれるのですから。
(沈黙。)
三角: でもむしろ私は、責任を意識して創作するようになりましたよ。講演会やコンサートでも、話す時は責任を意識しています。自分の発言に責任が取れるように。
岡本: なるほど、そのような話をしてくださりありがとうございます。ですがその、いま語ってくださったのは創作の神としての側面ですよね?物語の神としての側面は何かありますか?
三角: ありますよ。例えば物語を見る責任を負ってくれるとかです。
岡本: 物語を見る責任を負ってくれる?ええとその、それは例えば何に使えるんですか?
三角: 自己責任系の怪談をノーリスクで読めます。
(笑い。)
三角: さっき言った通り、創作は人を殺します。自己責任系怪談も同じで、この世にある芸術には実害を及ぼすものも混じっています。それらをノーリスクで見れるのは、私のような実害を与える創作の経験者にとって安心なんですよ。
岡本: 中々すごいというか、何というか。
三角: 面白いでしょう。ああ、責任の無責任さについて話しましたけど、本質的に責任を取るのは難しい事です。自己責任系怪談もそうで、読んで実害が及んだところでどう責任を取れというのかって話ですし。それに現実で責任を取るというのは地位を捨てて自己を犠牲にする事で、無責任な行為に罪悪感を抱いたり軽く謝るだけで責任を取れる訳ではありません。そう、凄く難しいんですよ。私も責任の取り方なんて知らないんです。
(沈黙。)
三角: だから、リスクとなる行為をできる限りしないようにしています。無責任に見ようと、聞こうと、話そうとしない事、知らずにいる事、自分だけで処理できないような事象に関わらない事。難しいですが、大事な事だと思ってます。
岡本: 頭に入れておきましょう。にしても本当に興味深い話です。小説家なのですよね?何か、ヲニシロを題材に書いたりはしなかったのですか?
三角: 貴方も気を付けた方が良いかもしれませんね。先程申し上げた通りですよ。物語にするのは簡単ですが、一度物語にしたものを現実に戻すのは難しいのですから。すみません、演説的な話し方をしてしまって。不快でしたら本当に申し訳ないです。
岡本: いえ、話しやすくて助かります。そう、それで、ヲニシロに選ばれた際の事についてまだ聞いてませんでした。どんな感じで、そして何をしてました?
三角: [削除済]
岡本: なるほど。
[抜粋終了]
テキストファイル#13(06/30)
何かおかしい。インタビュー終盤、ヲニシロに選ばれた時の事について聞いた時、録音装置が急にノイズを発して聞き取れなくなっていた。私自身、何を話されたのか覚えていない。
そしてインタビュー中に内容を書き起こしていたパソコンのメモ帳を見返したら、たったひとこと『[削除済]』と。何だこれは?明らかに不自然だ。精神影響の類いだろうか。
印刷されたページ#2
鬼という語は本来「死者の魂」という意味であり、ツノを持って金棒を振る鬼のイメージが形成されたのは『酒吞童子』伝説が生まれた室町時代より後と言われる。それより前、鬼は妖怪全般を指し、「カミ」や「モノ」と読む事があった。
特に、動頃町でもともと鬼は「カミ」と読まれており、「オニ」と読むようになったのは明治時代以降である。では「神」はどう読んでいたのかというと、そもそも動頃町には神格的存在としての神の考え方が存在せず、鬼の概念が遥か昔から存在していたのに対し神の概念が出現したのは交通の便が良くなった江戸時代以降である。そのため、一時期は鬼・神両方を「カミ」と呼んでいた。なお神の荒魂・和魂の二面性に類似した概念を鬼が既に持っていた事を要因の1つとして、歴史の浅い神は鬼より格下としての扱いを受けており[…]
岩原幸知子『鬼の正体』(先質館,57-58,2006)
テキストファイル#16(07/05)
[削除済]
テキストファイル#17(07/05)
[削除済]
メール下書き(07/05)
|FROM: 岡本喩月 |TO: サイト-8190緊急通報窓口
夜分遅くに失礼いたします、2390-JP研究調査プロジェクト調査員の岡本です。調査を続けていたところ、精神影響の効果を受けている可能性が浮上したため、ご連絡させていただきます。後程、証拠と共に詳細資料を送付いたしますので、確認をお願いします。
2390-JP研究調査プロジェクト[Code: 008G413]
岡本ユヅキ[No.33785711]
テキストファイル#18(07/05)
メールが送れない。何をメモしてたか思い出せない。
テキストファイル#19(07/07)
これも前に見た妙な捜索願と似ている。2003年6月25日発刊の新聞を切り抜いたものだが、顔が歪んでいるし、特徴や動向を書いておらず、本当に探す気があるのか疑ってしまうほどだ(そもそも新聞に人探しのお願いなど書くのか?)。
乏しい情報、歪んだ顔写真、探す気のない捜索願。この人たちには何が起こったのだろうか。
印刷されたページ#3(07/09)
『物語化』というのは私が提唱している概念です。ノンフィクションを思い浮かべれば分かると思いますが、あれは実際に起きた事の大枠を映像にしていますよね。つまり事実のうち、重要なもののみを選択して物語にしています。
そしてそれは貴方の脳内でも無意識に行われています。私達は過去を思い返す時、記憶の大枠のみを選択して物語的に再構成しているのです。ですがこのプロセス中、実際には経験していない事象が混じったり、逆に現実を物語化してしまう事が稀にあります。前者は一度くらい経験した事があるでしょう。
ただ、後者は深刻です。脳内で行われるはずの物語化が現実で行われるという事は、現実で経験した事のうち重要なものしか記憶できず、細かい部分が消し飛んでしまうという事です。更には、消し飛んだ記憶どうしを無理に結びつけるために『場面』が勝手に記憶内に挿入されるか、現実に挿入される事があります。後者の場合はつまり、不合理で不必要な行為をしてしまうのです。縁結びになぞらえて『記憶結び』と呼んだりしますが、何かと何かを結び付ける行為には気を付けた方がいいですよ。結ぶのは簡単でも、一度結んだものをほどくのは難しいのですから。
話が逸れましたね。現実の物語化を行ってしまう人は、精神病の患者さんにたまにいらっしゃいます。そして自分の不合理な行動を、神や鬼といった超自然的な存在のせいにしがちです。そうでもしなきゃ説明できませんからね。
もし精神病でもないのに現実が物語化されてしまったら?それなら、それは超自然的な原因を疑うべきでしょうね。異形が何らかの悪意や作為を持ってその人を物語化する、とか。
「アーティスト:三角 雛氏に迫る - 物語化とは何か」,『季刊誌アルマ』2004年4月8日号,p.65,アルママガジン社
テキストファイル#20(07/11)
メモ帳以外なにも開けない。
パンフレット『寄擬語とは』、赤マーカーで囲われていた部分の抜粋および下に書かれていた文章の転写。
[…]寄擬語は原則、年に1度行われます。運営は持ち回り制で、西区、北区、東区、南区と時計回りで交替していきます。あくまで原則、年に1度なので、何らかのトラブルが発生して再度行わなければならなくなった時は再度行われる事もあります。こういう時は緊急時なので、持ち回り関係なしに連携して関係者のみで急いで行われます。ですので基本、緊急時に対応できるようにどの地区も予備の物語ストックをいくつか持っています。
トラブルが具体的に何なのかは寄擬語の性質ゆえにお伝えできないのですが、1999年と2003年にトラブルが発生しまして、そのため今の寄擬語は本来の日付とは時期がズレています。原初の寄擬語は明治2年(1869年)10月3日開催でしたが、1999年に起きたトラブルによって7月12日に、2003年に起きたトラブルによって6月25日にズレる事となりました。その後は現在まで6月25日に統一されています。[…]
今までなぜこの描写に気付かなかったのか。
『何らかのトラブルが発生して再度行わなければならなくなった時』という記述、これがそもそもおかしい。『トラブルで実施できなくなった』ならまだしも、これは明らかに儀式的な側面を疑わざるを得ない。それに10月3日は『ヲニシロ』という神が生まれた日だ。
何より、7月12日、6月23日というのは例の2人の妙な行方不明者捜索に書かれていた日付と一致している。『ヲニシロに選ばれた人物と寄擬語に関わりはない』ってのは嘘だったのか?
寄擬語とは何だ?本当は、何を意図した儀式なんだ?運営に質問しなければ。
テキストファイル#22(07/13)
運営に急ピッチでアポを取り、電話取材を行った。前回のことを踏まえ、電話録音、録音機での録音、三脚での自分の撮影、内容の手書きメモといった手法を用いた。
結果、録音はノイズ音でほとんど聞き取れなかった。極めつけはこの手書きメモ。信じられない。間違いなく私の字で『[削除済]』と書いてある。三脚での撮影でもこの行為が記録されていた。受け応えはちゃんとしている感じだったが、何を話したのかも覚えていない。
私の身に何が起こっている?財団に通報する試みは全部失敗している。私は何を間違った?
テキストファイル#25(07/14)
家から出られない。玄関が開かない。カーテンの向こうは真っ黒で、光1つ映していない。前日までうるさかったセミも鳴いていない。電話もできない。
テキストファイル#26(07/14)
自室に閉じ込められた。扉は開けておいたはずなのに、扉がいつの間にか閉まっていた。今ここにはメモ帳しか開けないパソコンと小物類しかない。
ヲニシロ。初めから変だと思っていた。どうして神様なのに呼び捨てするのか、どうして『創作の責任を負う』という都合の良い、まるで創作者のためにあるかのような特性を持っていたのか。
そもそも、神が無条件に上位の存在であるという考えが思い込みだった。水中の覇者たる河童も、陸じゃ何もできない。神も例外ではなく、鬼が覇権を握る動頃町では神が無条件に上位存在であるとは限らない。むしろ逆だった可能性がある。
ヲニシロは、神でありながら生贄としての役割を持っていたのではないか?『ヲニシロに選ばれた』というのも、ヲニシロという神から選ばれたのではなく、ヲニシロという役に選ばれた、つまり私がヲニシロという神になったという事だったんじゃないか。
これから自分の身に何が起こるのだろうか。分からない。ただ、私はもうどうやって町民にインタビューを実施したのか、どう図書館に行ったのか、あらゆる物事の過程を思い出せなくなっている。
寄擬語が何なのか最後まで分からなかったのが心残りだ。明治時代、ヲニシロが生まれたあの日。寄擬語が始まった日。あの日、本当は何が起きていた?寄擬語は何のために始められたんだ?
テキストファイル#27(07/14)
[削除済]
テキストファイル#28(07/14)
ああ、分かった。結び付けてしまったのか
テキストファイル#29(07/15)
以上は、岡本研究員が借りていた家に残されていた全ての研究関連資料を時系列順に並べ替えたものです。07/15に日比谷博士が岡本研究員の失踪に気付き、財団に通報した事により事態が発覚しました。調査を行ったところ、岡本研究員との付き合いがあった複数の職員が、岡本研究員についての情報のほとんどを忘却しており、唯一覚えていた内容はいずれも『地域学や民俗学の研究員をしていた』のみでした。
岡本研究員の情報の中で時系列的に最も新しいものは、日比谷博士によって撮影された、近隣の電柱に貼り付けられていた行方不明者捜索の紙です。岡本研究員の失踪は動頃町の町民には隠蔽されていましたが、それにも拘らず出現していたため、財団はこれを何らかの異常存在と関連があるとみて調査を行っています。紙面は以下の通りです。