アイテム番号: SCP-3000-JP
オブジェクトクラス: Pending1
特別収容プロトコル: SCP-3000-JPとSCP-3000-JP-1が収容されるロッカーは、監視カメラとカント計数機によって常に状態を把握され、1.1Hm前後に保たれます。
説明: SCP-3000-JPはアジア系男性の死体です。遺伝子解析による身元の調査は成功していません。分析により生前現実改変能力があったと考えられます。
2020年6月9日、中村町に滞在していた副島博士によりSCP-3000-JPが発見されました。同日、機動部隊た-10("太鼓置き")によって回収され、収容に至りました。なお副島博士及び機動部隊た-10("太鼓置き")がなぜ6月9日に中村町に滞在していたのかは不明です。
以下は発見時にSCP-3000-JPが所持していた物の一覧です。
- 55×91mmの紙片
- 2006年度発行の中村町広報誌
- 「日本一の都」の文字が彫られた表彰メダル2
- ご当地キャラクターの描かれたボールペン
- 町内防災マップ
- 郷土史の書籍計42冊3
- 繭玉で作られた「家内安全」のお守り
- SCP-3000-JP-1
SCP-3000-JP-1は富士通製のUSBフラッシュメモリです。SCP-3000-JP-1にはテキストファイル4が保存されています。そのファイルの最終更新日が同年6月30日であったことは特筆すべき事項です。また、SCP-3000-JP-1内のテキストファイルはいかなる手段でも削除・編集を行うことはできません。これはSCP-3000-JPの異常性によるものだと考えられます。
SCP-3000-JP-AはSCP-3000-JP-1内のファイル内に合計2006回登場する語句です。どのような手段を使っても黒く塗りつぶされた状態5でしか読み取ることができません。文章の内容から地名や人名として使われていると思われますが、その内容と特徴が一致する実在の地名、人名はいまだ発見されていません。
補遺01: 副島博士からインタビューの申し入れがありました。以下はその音声記録です。
<録音開始, 2020/6/30>
川内博士: 思い出したというのは何の事でしょう?
副島博士: SCP-3000-JPのことです。私が発見したあの、男の死体についてです。
川内博士: 承知しました。聞かせてください。
副島博士: まあ前も言った通りに、いつの間にかあの場所にいたのか分からないままではあるんですけどね。気が付いたら知らないところにいて目の前には死体があって、機動部隊もいて……。なんとか死体を持ち帰ったのは博士もご存じのとおりです。
川内博士: では思い出したというのは何の事ですか。
副島博士: その状況がやはりおかしいことですよ。観光地の真ん中、お城のそばに死体が転がっているなんて。しかも観光客はそれに気づかず写真撮影なんかしていたんですよ。SCP-3000-JPを発見した直後の写真、見ていただいたでしょう?本が積み重なっていたんですが、1メートル以上あったんですから。
川内博士: 観光客はその本の山に気が付いていなかったのでしょうか?
副島博士: そう思いますね。親子連れがたくさんいて、子どもがワーッと走り回っていたんです。あんな物があったら親が引き止めたりするものではないでしょうか。
川内博士: SCP-3000-JPだけではなく、その周辺の物体にも気が付かなかったということですか。それも何か異常性によるものではないかという事ですね。
副島博士: そうです。それに、私たちがSCP-3000-JPを見て感じたことも同じくおかしなことですよ。
川内博士: 観光客が見えない物が見えたことでしょうか?あの時博士は何かを装備していたのでしょうか?
副島博士: 私は何も、けど機動部隊は携帯型のスクラントン現実錨にカント計数機など持って、防護用スーツも着用していました。
川内博士: はい。現実改変対策のものですね。
副島博士: あのような装備は申請をしなければ用意できるはずがありませんよね。偶然居合わせたはずがない。
川内博士: 申請があったという話は聞いていませんが……。
副島博士: SCP-3000-JPに現実改変能力があったと茂上博士が言っていました。今までのおかしな点はそれによるものではないかと思ったんです。
川内博士: SCP-3000-JPはそこまでの力があったということなのでしょうか?
副島博士: 大きな力なのか小さな力なのかはまだ何とも言えない。けど私はSCP-3000-JPに対して何かアクションを起こしていたのではないかと感じたんです。その記憶や、記録が消えてしまっているだけで。そう、思ったんです。
川内博士: 分かりました。また何か思い出すようであればお知らせください。
<録音終了, 2020/6/30>
終了報告書: インタビュー後、サイト管理官のデスクに申告書が出現しました。内容はスクラントン現実錨等の装置の使用及び機動部隊の出動に関するものでした。副島博士は「記憶はないが、おそらく自分が提出したものではないか」と発言しています。
追記01: 以下はSCP-3000-JP-1に保存されていたテキストファイルの内容の抜粋です。
※文章では元のテキストファイルを再現するため、SCP-3000-JP-Aを██表記のままとしています。
先生がおっしゃったとおりに記録をつけ始めました。何が何日にあったのか分からないといけませんね。今まで日記が続いたことはないですが、今度こそしっかりしなければ。
私だけが本当の██を知っているのならこれが責任なんだと思います。
違和感を感じたのは2月11日のイベントです。██家の今の当主さんが講演をしたんです。
私はもちろん行きました。好きだってこともありますし、毎回人が少ないともうやらなくなるってこともありますからね。
会場はいつもより人が多くて驚きました。こんな人数椅子間に合うんだろうかと心配しましたが、大丈夫だったのかと感心しました。
関心っていうのは知り合いが役場勤めでそういうイベントやらされる部署なので、あいつもなかなかやるなという意味です。
今までそんな立派な人を呼べなくて資料館長とかにそれっぽい話させていたのになあ。
というかんじで当主さんの話が始まったんですが、その内容がおかしかったんです。
17代目当主の武将██は参勤交代の際この町に立ち寄り、宿で民の歓待を受け、その礼に正宗の大太刀を授けたのだというのです。
しかし私の記憶では、参勤交代ルートに██町はありません。かすれもしないのです。寄る理由もありませんし。
けど今の当主の方は立派でたくさん本をお書きになっている人ですから、間違うなんてありえないとも考えました。
あの時私は自分の記憶違いだと思ったんです。物忘れなんてしょっちゅうですから。
これが記憶違いだけではないと感じたのは、4月1日のテレビ放送でした。
私の家の目の前の湖の底から埋蔵金が出たっていうんです。
ずっと昔から住んでる家ですよ。湖の近くで地盤が悪いっていうんで安く買った土地ですよ。祖父の代から住んでるとはいえ、埋蔵金が埋まっている可能性なんて聞いたことはない。
それがいきなりテレビで「3000万の大判小判がわっと出た」です。
四月馬鹿かと思ったら次の朝刊の一面を飾っている始末で、何がなんやらわかりませんでした。
そもそも私は夜に工事の音すら聞いていないんですよ。
それから、おかしな出来事はほとんど間を開けずに起こり続けました。
クラブの先輩の倉庫から██氏の肖像画が出たのもその一つです。
今までの肖像画ではみな顔に傷を描いていましたが、これには傷はありませんでした。
だから本当は顔に傷などない、後世の創作ということになりました。駆けつけた学者がそう宣言しました。
けれど、顔に傷があることは昔遺骨から分かっていたはずです。
それを私が知ったのは同じ学者が書いた本からです。好きな本でした。たくさん線を引いてふせんをつけた本でした。
だからすぐに帰って、インターネットで調べ、そして本を読み漁りました。本の方が正しいはずだからです。
けど、私が持っていた情報は、どこにもなかった。
本はタイトルも変わって線もふせんも別の場所にすり替わっていました。
そういうものになっていたんです。
先生の言うなんとか値というものよくわかりませんでしたけど、私がなにかおかしなものを出していたということでしたよね。それを先生たちが見つけて、私のところに来てくれた。
どのくらい自分がおかしいのかも、そうなった理由も、私には何もわかりません。
ただ、全部知らなかったのは確かです。
自覚があったならこんなことは起きようがなかったんですから。
先生。
この間はあまり話せませんでしたが、私は町おこしチームに所属していました。
田舎です。平均年齢が60超えの小さな集団でたいした力もありません。
さびれゆく町の夢を語り合うだけの、生産性もほとんどない集まりです。
町の色々な名所を訪れては、「こんな素晴らしいものが他のどこにあるだろう」とため息をつくのが毎度のお決まりです。
けれどこんな素晴らしいものを地元民で独占することは望んでいない。
日本中からたくさんの人が見に来てくれればどれほど幸せだろうかと。
██ゆかりの町として沢山の人に親しまれるのが私たちの望みでした。
こんなことをみなが妄想するのは、██の存在が大きいからです。歴史上の人物として、日本中の人間が知っています
けどおそらく世界中の人々は、こんな小さな町とかの有名な大名██に何の関係があるのか知らないでしょう。私も成人してから知ったのですから。
██家は地名が由来の名字なんですね。
長年このあたり一帯を治めていた██家ですが、時代の流れ、逆らえない力によって別の地へ本拠地を移すことになったのです。
そしてその左遷先であった場所はおおいに栄えました。██家とその遺産によって。
天守閣を持つ立派な城がそびえたち、今もなおにぎわう城下町が存在し、町の歴史を観光資源として多くの人間を呼んでいる大都市です。
それは、本来我々が受け取る恵みだったのではないか?それが正しい歴史であるべきなのではないのか?
あの都市は私たちの地であるべきなのです。
██家というアイデンティティは元となった地名の、そこに住む我々に持たれるべきではないですか。
けれどどうです。この町は、ただの田舎のひと地域に過ぎない。街を歩けど通行人はなく、次々と個人経営の店が閉じてゆく。あと少しで創立100年となる小学校が廃校となってしまったことも忘れられない。大型店舗が来るなんて話もありましたが、それから10年何の音沙汰もありません。██家ゆかりの城の跡はありますが、いまはただの草の生えた空地のままです。
ここはこのまま廃れ行く町なのです。
故郷愛がないなんて、言ってくれないでください。執着がなければ望んだりなんてしない。もっと栄えて豊かな町だったなら、もしかしたら、妻も息子も…………。
けれど先生、私の願望は身勝手でしたね。
母方の家系は養蚕家だったんです。養蚕が下火になり、周りの養蚕家がすべて転業しても続けようとしました。私の両親はやめさせようとしましたが、まったく聞きませんでした。それで破産しました。
子どものころ私は蚕を気持ち悪がって、また最後に殺してしまうのが残酷に思えて、祖父母を拒絶したことがあります
そんな昔の思い出を、町の広報誌を見て思い出しました。
この町で養蚕業が途絶えたことはなく、今も続ける世界で唯一の町なのだそうです。
祖父母が死んだ意味は、あるのでしょうか。
そんな私の記憶の矛盾は、次々現れていきます。
いや、現実が私の記憶と違っているのだとも、思います。
町は賑やかになりました。
放置されていた田んぼに水が入り、若い人たちが田植えに参加しています。
桃が柿が梨が賞をいくつも取ったそうです。
老後に絶望していた農家の友だちがうきうきと話してくれました。
なんで私は彼を祝福してあげられないのでしょうか。
幸せなのなら私も██町もそれでいいんじゃないかと思いもするのです。
けどこれは、ほんとうじゃないと意識します。
意識しないとなにかまたおかしくなるんじゃないかと、そう思って怖いんです。
先生がどうにかしてくれるのを信じて、何もしないで待つことにしました。
テレビを見ればわが町がいかに██家のおひざ元として素晴らしいのか語ってくれます。
外に出れば見知らぬ店にながいながい行列が出来ています。
私みたいなのが言うのはおかしいですが、先生、はやく来てください。
もし私が塗りつぶすしてるなら、どこまでぐちゃぐちゃにしたのか、と、思った。
先生の電話の声が焦っているように聞こえたので、。
先生の仕事よくわかりませんが、立派な人にめいわくかけるのはよくない。
私はいい年の男なんだから、責任とるもの、だ。
多分よけいなことする。
する前にしておく、うまくいくか分からないけど。
私がおかしいって分かる、先生までおかしくするのは嫌だ。
新聞結んでた紐に家で一番古い椅子を持てきた。
先生がほめてくれた椅子だていうことは、覚えていてくれたらいい。
そういうことはきえないでくれるといい。
これはにげです。
けしてほんとうによくなるか、分からない。
けどほかにみつからなかたから。
本当のただしいことはずっと消えないでほしい。
█木寸 ██シ台██
補遺01: SCP-3000-JPの起こした現実改変を修復する試みは現在成功していません。現実改変の対象やその具体的な内容がSCP-3000-JP-1内のファイルからしか推察することができず、SCP-3000-JPが現実改変能力を持つことから、正確性に欠けることが理由です。