お天道様が見ている
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「おはようございます。今日も今日とて、いつものお散歩コースの途中からお送りいたしましょう。しかし、連載が始まってからもう一年ですか。ついに話のネタが無くなりまして、最近は部下から面白い話などを  

ウグイスの鳴き声に混じって、見知らぬおじさんの声が聞こえてきた。毎週土曜日の朝。三つあるベンチの右端に座るおじさんは、いつもああやって虚空に向かって語りかけている。雲一つ無い青空の下に座るおじさんの姿はまるで定年退職した老人のようだが、まだ現役のようだ。
毎週、まるで配信者のように何気ない日常を描写し続けるおじさん。字面も絵面も異常そのものだ。どう考えても関わらない方がいいそれは分かっているのだが、気になるものは気になる。本当に危なかったら逃げればいいし、と誰か  恐らく自分自身  に向けた言い訳を口にしながら、私は玄関から外に出た。

「そうだ。先日、部下とバーベキューに行ったのですが、野菜が玉ねぎしか無くて……。おや?」
「おはようございます。」
「おはようございます。すみません、うるさかったですかね。」

かなり、と答えたいところだが、ぐっと我慢する。気になっているのはそこではない。

「その、毎朝ここで何を? ビデオ通話とか?」
「ああ……お話しているんです。」
「誰と?」
「お天道様と。貴方にも見える筈ですよ。」

ほら、とおじさんが指し示す。常識の警告を無視して空に目を向け  違和感を覚えた。辺りは明るいのに、少しも眩しくないのだ。数秒間見つめて、ようやく違和感の原因に気づく。
そこに浮かんでいたのは太陽などではなかった。
巨大な瞳が、こちらを覗いていた。



あの奇妙な夢から二ヶ月経った。いつもは夢なんてすぐに忘れてしまうのに、不思議とあの夢は記憶に残っている。未だに思い出すだけで鳥肌が立つが、それだけだ。

「おはようございます。今日もいい天気ですね。」

最初、私は自室からお天道様と話していた。しかし、所詮は安アパート。隣人からクレームが来るのは容易に想像がついたし、実際その通りになった。だからと言って、お天道様とのお話をやめる気にもなれなかったため、あの夢のおじさんと同じように、近所の公園で話し始めたのだ。今から七週間ほど前のことである。

「今日は特別ゲストとして、通りすがりの酔いどれおじさんを招待しました。」
「酔ってねェわ。吐いたから醒めてる。」
「失礼しました。」

私一人では話のネタが無くなりそうだったので、こうして他人の話を聞くことにしたのだが、この選択は正解だったらしい。
仕事の愚痴や子育ての悩み、引退後の展望について、上機嫌なおじさんは饒舌に語り始めた。適当に相槌を打つだけのつもりだったのに、じっくり聴き入ってしまったのが悔しい。

一通り話し終わったのか溜息を吐いたおじさんは、そういえば、と質問を口にした。

「さっき言ってたテントウムシだっけ? てのはどんな人なんだ?」
「お天道様ですか?」
「ああ、それそれ。」

そういえば、お天道様について話していなかった。説明するよりは見てもらった方が早いだろう。

「お天道様はいつも私たちを見ているんです。ほら、あそこで。」
「ん? ああ、本当だ……。」

納得したような声を上げ、おじさんは跡形も無く消失した。一体どこに、という疑問は湧かない。おじさんはおじさんの舞台へ行ってしまったのだと、直感した。
変化はまだ止まらない。
一つ、二つとお天道様の視線が消えていく。日が暮れるような滑らかな変化ではなく、階段を降りるような、段階的な変化だ。

「今日までありがとうございました。」

遠ざかる背中を幻視して、半ば無意識にそう呟く。
完結した作品を読み続けるほど、世の人間は暇じゃない。続編があるのなら尚のことだろう。

「あなたは行かなくてもいいんですか? きっと、彼の方が面白いですよ。」

最後に残った一筋の光に声をかける。自覚できるほどの自嘲を含んだ声は、やけに湿っていた。何秒か……あるいは何分か。もしかしたら一瞬かもしれないが、永遠にも思える時間を過ごす。それでも光は消えない。

「物好きですね。……お天道様がいるのなら、話さないと。ここは一つ、私の平凡な身の上話でもしましょうか。」

一言自分に言い聞かせて、お天道様に質問してみる。当然返事は無い。だが、それでいい。
月明かりよりも弱々しい光を見つめながら、私は再び話し始めた。

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