こうして、わたしはわたしになった。

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ねむれ ねむれ よるはそらにほしがふる とりもりゅうも へびもねむる

ねむれ ねむれ あかしはこころに じひはやちよに

母の歌は安心する。昼こそ離れてそれぞれが仕事に行っているが夜には家族3人で囲炉裏を囲み、布団越しにぽんぽんと優しく叩かれながら眠る。私は母の容姿も、声も好きだ。

母はムラのみんなから嫌われていた。正確には母と夫婦になった父も、母の腹から産まれた私も嫌われていた。母は「にんげん」と呼ばれる種族らしく、毛皮も牙も角も鱗も尾も…とにかく色々となかった。ムラは「にんげん」を忌み嫌っているらしく、掟や穢れなどの理由からムラにいられるだけでありがたく思えと言われ続けていた。

私は…不満があるわけではなかったが、父と母がいてくれるだけで幸せだった。私は本心からそう言っているのに、2人にそのことを話すたび、私に暗い顔で謝った。私はそんなことしなくてもいいのにと思った。私は言葉だけでは、心の底から幸せであることを伝えられないと思った。私は行動を以って感謝を伝えようと思った。

かわいいこよ ははのもとにかえりなさい すべてはひとつにまわりかえる

あすへのみちも うみのあおさも よるにはゆりかごのなかでねむる

私に対するムラの迫害は、私が何かをしようとするたびに酷くなっていった。ムラのみんなは掟に背いた罰だだの、お前にはにんげんの血が流れているから尾も牙も小さいだので、殴られたり服を剝がれて、剝き出しになった鱗をとんかちで叩かれたりした。そんな姿を帰ってきた父と母は茫然とした表情で見ていた。父はどうやらムラ男が総出でかかってきても返り討ちにするほど強いらしく、あいつらにげんこつをしてきてやろうかと言った。私はそんなことはしなくていいと咎め、なぜけものとにんげんは交わってはいけないのかを父と母に問うた。

「このムラを創ったろっかくさまは知っとんな。ムラの境内に祀られている「原初のけもの」だ」

「うん、知っとる」

「ろっかくさまは元々はにんげんだった。しかし獣になりたくて、不思議な宝玉と約束を交わして獣の体になったんや。そうしてムラの長になったろっかくさまはこう言うた。にんげんの血を我が家系に交わらせてはいかん。これは掟じゃと」

「納得いかん。にんげんと獣が交わってもろっかくさまがにんげんに戻るわけじゃないやろ」

「ろっかくさまはね、今もあの境内に生きていらっしゃるんだよ。そしてこのムラに住むけものは皆、ろっかくさまの体の一部さね。だから自分の体ににんげんの血が交わることを嫌うのさ」

「そんなもん迷信じゃ。死なぬけものなんぞおらん」

私は泣いて布団に飛び込んだ。しばらくしてから瞼を閉じた暗闇に、母の歌が聴こえてきた。

きっちょうはかわにながれ はなはいつしかさきほこる

てはまつと おさなごにいいきかせし とりのはね

私は次の日、仕事帰りにムラの境内に訪れた。ここにろっかくさまがまだ生きているとムラのみんなどころか両親も信じていることになぜか腹が立った。鳥居をくぐった先の建物を覗いてみると、やや橙色に変色した赤い玉が6つ、壺の中に置かれていた。宝玉というには小さいと思った。豆粒よりも少し大きいくらいか。だが、私はその玉を怖いと思った。とにかく色と大きさしか形容できないが、ここにいてはいられないと踵を返したとき、

「わふうん」

一匹のけものが足元にちょこんと擦り寄ってきた。ふさふさの真っ黒な毛は両目を覆い隠すほどに深く、また四つ足で歩いて角がない。

「なんじゃお前、よりによって角なしか」

「わふ…?」

自分が境内から出てもついてくる。案の定というかムラのけものに見つかり、難癖を付けられた。

「なんじゃこいつ。見たことない獣じゃのお。半端もんが角なしを子分にしとる」

「うっさい、そんなんじゃのうて勝手についてきたんじゃ」

「ほお、ならこいつがどうなっても構わんのやな」

そう言うと集団の1人は尻尾で黒いのの腹を殴り、そのまま勢い良く川に放り投げた。黒いのは情けない声を出して川に沈んでいった。

「ほら、取ってこいや。にんげんと体が似ているなら泳ぎはわしらより得意じゃろ」

「知らん言うとろうが」

私はそのまま踵を返して家に帰った。父と母は今日の私が傷ついていないことに安堵していたが私の心は混乱していた。別に助けなくて良かったのに。私らしくなかった?あれほど行動で示そうと意気込んでいたのに、自分のためではなく他人のためになった瞬間にこれほど薄情に見捨てられることに失望したのか?

ああ、きっとそうなのだろう。私も結局あいつらと何ら変わらない。自分のことしか眼中にないけものだったのだ。

思考が後ろ向きになっている。もう疲れたなと思い、目を閉じる。

めのまえであなたがうつむき ひかるしずくをながしたら

わたしがぬぐい うたかたにつれていこう

父に叩き起こされた。最初は寝坊したかと思ったが違う。外の明るさは太陽のものではない。これは───

「炎…?」

「逃げるぞ!ムラの誰かが火をつけた!」

なぜ、どうして。そんな疑問を言う暇はなかったし、言ったところで2人が知っているはずもないだろう。家の裏口にも火の手が上がっているが正面よりはましだ。外に出て山に身を隠そうと走ろうとした瞬間、強い力に突き飛ばされた。

「ち…ちよ…?ちよ!!」

振り返ると、1人のけものと1人のにんげんに、大量の矢が、刺さっていた。

「だめ…あたしは…行って…」

「馬鹿野郎!お前を置いていけるか!」

おそらく、火をつけたのは、私たちを外に出すためで、それ、で

「あんたの方こそ馬鹿言ってんじゃないよ!あたしたち、だけならともかく、この子は…この子どうすんだい…!」

ダメだ、思考が、まとまらない、2人の背中から、血が、止まらない。

「…!おりょう!!」

「なっ」

「おっかあを看ていてくれ、すぐに戻る」

そう言うと父は体を何倍にも大きくして、全身の毛を逆立てながら山とは逆方向に飛んで行った。しばらくして何かを引きちぎる音と悲鳴、雄叫びが聴こえてきた。

「看ていてって、そんな、どうすれば───」

「りょ、う」

私の腕に横たわる母が、静かに私の頬に触れた。

「ごめ、んね。こんなことに、なったのも、あたしが、いけなかった、んだ」

そんなことないと言いたかった。言葉が喉を通らない。私の心がわからない。

「お願い、生き、て。どん、なに、辛いことがあっても、あなたを必要としてくれる人が、絶対どこかにいる、から」

そうだ。どんなけものでもにんげんでも必要としてくれる人がいる。

それなのに私は両親に気持ちが伝わっていないと勝手に決めつけていた。3人で寄り添い、言葉を交わすだけで幸せだったのは2人も同じだったのだ。

「おっとう、お願い帰ってきて。おっかあと一緒にいようよ。だからお願い」

そばにいて。

助けて。

誰か。


未熟な半獣の衝動が辺りに力なく響く、しかし結局何も起きない───

はずだった。

突如として誰かが母と子の間に割って入った。暗くてよく見えないが、その姿はこのムラでは珍しい姿、体格も小さく武器も持たない存在。人間であった。

「あなた、ケガは?」

「おれは、無い、大丈夫」

「そう、よかった。…『助かるか助からないかは』五分ってところね…なら『助けてみせる』…!」

人間はりょうに向き直りつつも、ちよの体、特に出血している背中を中心になんらかの液体を塗り、魔術的な紋様を浮かび上がらせた。りょうはあまりの出来事に呆然としていると脛の辺りをこつんと叩かれた感触を覚えた。

「…?あっ!お前無事だったのか!?」

暗闇にいくらか慣れてきた目が捉えたのは川に投げ捨てられた真っ黒な獣だった。安堵が沸き上がりつつあるりょう、ではなく黒い獣に人間が話しかける。

「そろそろ人間の姿に戻ったら?いつまで犬でいるのよ…」

「知らんのか、犬の姿というのは斥候や潜入に関して最適解なのだぞ。足の速さはもちろん大衆に好かれる愛くるしさなど…」

ナメクジといい犬といいいさあ…ツキシルベの忍びは動物に変身するのが必須条件なわけ?そういうのって召喚するもんじゃないの?」

「他の流派の内情なぞ知らんし、フィクションの話ならお門違いだ。…おいわっぱ、ここは危ない。とりあえず下がるぞ。アオキナ貴様もだ!なぜ火の粉がかかるここで治療している!」

「いぬ」という獣の𠮟責にアオキナと呼ばれた女は少し魔法陣の位置を変化して答えた。

「この子の父親が村人全員と殺し合いしている。オズマ、カムイ、グネイル、デグツ以下4名が父親を連れ戻すまでこの次元からの転移どころか、この場所を離れることも危ないの」

「…!どうりで貴様1人はおかしいと思ったが、あやつら4人ががりでないと作戦は遂行できないと判断したのか?」

「村人全員が獣人っていうのもあるけどまあ強いって噂だよ」

「…ここが合流地点と」

「待って!」

りょうは2人の会話に慌てて割って入った。

「おっとうを、連れ戻してくれるってことか?」

「ええ、大丈夫。お母さんは緊急の治療が必要ではあるからここで治してるけど、今はもう眠ってるから」

「なんだ、治療は終わったのか…貴様ら家族を連れて我々の上司に合わせることが今回の命令なのでな」

色々と答えてくれるあたり危害を加えるつもりはないらしい。だが1番の疑問がまだりょうには残っていた。

「お前ら、一体───」

「ちよ!おりょう!」

大声と共にちよとりょうの体はぎゅっと抱きしめられた。大きな獣の目にもう赤い狂気は宿っていなかった。

「すまなかった、すまなかった…!俺は家族をのけもんにして何をやっとったんじゃ!ほんに、ごめんなあ…」

「いいんだよ…あんたが怒ってくれたのは、あたしたちのためなんだろ?」

まだ意識が朦朧としている中、獣に寄り添った人間が獣の涙をぬぐう。

「無事でよかった…一緒にいよう。3人一緒に」


泣きながら抱き合っていた一家ははっきりと気づいていなかったが、りょうの父親の後ろからさらに人間が火の海の中から出てきた。彼らは3人に聞こえないように、誰が発言したかわからないように小声で話す。

「よくやったわね…正直五体満足では帰ってこれないと思った」

「いや、俺たちが戦場に着いた際にはそこのお父様以外の村人は全滅していた。そして肝心のお父様も、火傷と弓矢による出血でひどく衰弱していた」

「まあ、痛み分けってところでしょ。ある意味暴走してなかったら私たちが危なかったし」

「その後は…カムイが説得を?」

「ああ、何倍もでかい図体を前に見事な胆力だった。腐っても一族の末裔といったところか」

「舐めないでください。ただの動物ならともかく話の通じる獣人なら言葉と身振りで理不尽な暴力とも対等に渡り合います。今でこそ一族は散逸しましたが…いつか必ず全員戻って来るように『話し合って』復興します。」

「俺にはぐったりした獣を前にガタガタ震えるのは如何せん勇気あるように見えなかった。万が一の俺たちを信用してなかったのか?なあ」

「いきなり仲介の後方支援から現場に駆り出されればこうもなりますよ。もう私を前線に出すのはやめてください。生きた心地がしなかった」

「おい」

「ん?」

「どうしたお前…そんな犬なんかになって」

「父親が村人を皆殺しにしたこと…他の2人には言うなよ」

「分かってる、そこまで残酷じゃないさ…んであの3人まだ泣き止まんのか」

「十分待ったし、できるなら家族団欒の時間に水を差したくなかったんだが…こっちから話を切り出すか。おいカムイ、いってこい」

「…襲われそうになったら助けてくださいよ」

そう言うとやや瘦せ気味の男が「そろそろこちらの事情をお話してもよろしいでしょうか」と、りょうたちに話しかけてきた。半獣と人間は瞬時に警戒の感情を露わにしたが大きな獣はある程度の情報共有をしていたらしく、2人を手で制しながら話しかけた。

「正直言うて、おれはまだオンシらが言うちょることが信じられん。この世界ではない別の世界から来た、なんぞ…」

「ええ、当然の反応だと思います。ですが私たちは貴方達を力ずくではなく丁重に連れてくるように命じられました。貴方達が納得するまで、噓偽りなく言葉を尽くします」

「オンシらじゃあ話にならん。その命令した奴と今ここで話がしたい。明らかにおれらのことを知っちょる口ぶりじゃな?別の世界から来た言うとったのに」

「申し訳ありません。それは不可能です。ですが我々の組織は決して貴方も、その家族も差別しないと約束します」

「…確かにオンシらはおれとおれの家族を助けてくれた。だがおれはにんげんなら誰でも信じるというわけではない。愛した女がけものじゃなかったから、結果的ににんげんだっただけだ」

「ですがその…奥さんもおそらく最初から村にいたはずではないはずです。獣人しかいない世界で突然人間は生まれない。…おそらく村のどこかに急に現れた、のでは?」

男はいくらか歯切れの悪いような、含みのあるような言い方でそう言った。ちよが僅かながら動揺し、獣人が目を見開いたところを見ると図星らしい。

「…おそらくその情報はここで言うつもりがなかったやろな。むしろ信頼を勝ち取るには逆効果じゃ。どこでそのことを知った」

「我々は事情を把握しています。どうか…お願いです。その日異種族である人間に向けた優しさを私たちにも───何だ?」

交渉に熱中していた2人は他の人間が騒がしいのにやっと気づいた。やや遠くから細身の男に呼びかける声が聞こえる。

「カムイ!カムイ!大変だ、全員『体質』が使えなくなってる。念のため手動でポータルも開こうとしたけど使えない!このままじゃこの世界にずっといることになる」

声が言い終わる前に突如として、空が割れ、そこから無数の「何か」が現れた。

村の中で育ったりょうは、それが何かわからなかった。

ちよと獣は、それが鉄であると遠目ながらに確信した。

人間たちは、それが機械のスクラップであることを理解した。

それぞれの立場から空からの侵略者を目視で捉えた時には既に車輪やクレーンの残骸、錆びたカッターが触手のように、固まった3人の家族へと襲い掛かっていた。

「え?───」

「危ない!!」

その家族に最も近い位置にいたカムイがかばうようにしてその前に出て、スクラップの奔流へと吞まれた。彼の全身は鉄に揉まれ、血肉と骨をまき散らしていた。

「あああああああ!!!」

叫ぶようにして彼の仲間の1人が空中へと飛び出し、最早ほとんど残っていない彼の亡骸を救出しようとした。その様子を地上の全員はほんの一瞬、固まったように眺めていたが

「デグツ!スクラップの中心!誰かがいる!」

「!?」

その瞬間飛び出した人間、デグツは先程とは比較にならないほどの大波に飲み込まれて地面に叩きつけられた。スクラップの中から現れたデグツの体は足の骨が不自然な方向へ曲がっており、両わき腹に鉄の刃物が刺さっていた。

それと同時にふわりと地上に降りてきた人物が1人。全身は小柄であり、顔つきも幼い。だが全身からその意思が介入しない純粋な殺意を放っており、「正気ではない」という威圧感を与えるには十分だった。

「…」

空より降りてきた鉄の人間は右手をくいっと捻った。すると周囲に浮きながら散乱していたスクラップがその一点に凝縮して、おおよそ100mに届きそうなほどのカッタークレーンアームに変形した。またその集合に間に合わなかったものは鉄の人間の周囲へ急速に集合して、矢を思わせるようなデザインのブレードへと変形した。明らかに物理、質量、その他すべての法則ルールを無視した神のごとき御業だった。

「ここにいる…全員を…」

やや高めの男の声、感情をまるで見つけられない。

「殺せと…言われている…」

鉄が大地に振り下ろされようとした瞬間、

「末影博士!!!」

魔法陣を使って治療をしていた女、アオキナが叫んだ。その目は鉄にまみれた生気のない人間の姿を捉えていた。また鉄の男も、その大きく見開いた双眸で女を見ていた。

「す、え…?」

「財団サイト-81IU所属末影 仁、あなたのことです、間違いありません!財団が壊滅したあの日から、遺体の見つかっていないサイトメンバーの名前と顔を忘れたことはありません!」

女は矢継ぎ早に言う。

「私は雅灯 しん!かつてはSCP財団日本支部に所属していました!私のいた基底世界が滅亡してからはライフラフトという組織に匿ってもらい、今も私と同じような人たちを保護するために活動しています!」

「う、うあ…」

「なぜそのような姿になったのですか!?そしてなぜ、あなたがこんな…こんな真似を…」

「ぐううあああああ!!!」

末影と呼ばれた男は目に見えて苦しみ始め、かれが自分の体のように扱っていたスクラップも制御を外れ、地面にボトボトと落ち始めた。男の叫びがこの大地と共鳴し始めているように感じるほど、叫んでいた。

不意に、ザッザッと、草をかき分ける音がした。火の手が上がっていない暗い山から聞こえてきた。

「おいおいマジかよ?このだだっ広い多元宇宙でよりによって同じ基底世界出身のやつが鉢合うのかよ…」

1人の人間が悠々とした足取りで末影にゆったりと近づいていた。まるで今起きていることが当たり前かのような、あるいは周囲の状況を全く気にしていないような。大地の地響きが止まない。

至天蟲を運用するのは結構骨が折れるんだぜ?財団職員は忠誠度テストもやってるっていうから蟲を体に入れても精神が安定するって聞いたのにさあ…」

まるで仕事の愚痴でも言うような口調で末影の頭をこつんと叩く。炎が燃え盛り空気が熱い。地響きが大きくなる。

「お前かつての同僚見ただけでこのざまかよ!やっぱり実戦投入はまだ早かったかなあ…いやでもどの道ここまで来たんだしオペレーション中止には出来ないかあ」

「してん、ちゅう…?末影博士の体に、至天蟲を感染させたんですか…?」

「ああ、そうだが?…一応クリアランス5のアノマリーだったはずなんだけど、お姉さんライフラフトに入る前は結構偉い人だった?」

「あなたは誰…一体何者だ!」

「うん?SCP財団」

りょうたち以外のこの場にいる全員の空気が凍りついた。自分たちの知っている財団像とは遥かにかけ離れているからだ。

「ああ、そこのケモノ家族は知らないみたいだし説明しておくか」

そこまで淡々と話していた男は口を閉じ、鼻から大きく息を吸って、大きな声でこう言った。

「私はSCP財団という組織に所属しています。まあ?といっても?私たちが元々あった財団をぶっ壊して乗っ取ったってだけですけどね。元々この組織は異常な事物、実体!その他様々な現象の収容と研究を目標にしていたみたいなんです、けどお…」

「今はちょっと違うんですよね、私たちの使命はとあるオブジェクトの蒐集、それによる星神ティアマトの降臨です」

あくまでその説明はりょうたち3人に向けて話していた。体を抱き合っている家族に向けており、機械の残骸も遠くで上がる炎も意に介さない様子だった。だが、財団に所属していると言った男は1つの出来事には興味を持っていたようであった。

「…ああ、地響きが止まないと思ったらもう目覚めてたんですか?予定より早いんだけど、殺し合いでもしてた?」

そう言って男はその体を真っ赤に染まる炎の方に向き直るとそこには───

「な、んだ、あれ」

誰がともなくそうつぶやいた。木製の民家は全て燃え尽き、村とも呼べなくなった炎の海に6つの巨大な生物の首が星空に向かって伸びていた。それぞれが共鳴するかのように雄叫びを上げ、末影の叫びと共に地響きを上げていた。

SCP-5034、調査によると「肉の天使たち」て名付けたんだっけ?ただの人肉食愛好俱楽部にはいささか洋風チックなネーミングセンスだね」

そう言うのが聴こえると、りょうは自分が抱いていた感触が不意になくなったことに気づいた。驚いて周囲を見渡すと、ベラベラと意味のわからないことを喋っていた男がちよの首筋に鋭い機械のスクラップを押し当てていた。

「おっかあ!」

「ちよ!おいお前、ちよを話せ!」

激昂した2人に対し、男は目線だけを斜め上にずらして、今まで以上におどけたような口調で言った。

「いやあ、だって余所見してたら獣人の腕の中でも簡単に取れちゃいますよ?…少し説明してあげましょっか」

そう言うと男は淡々とした口調で、しかし全く警戒を緩めずに話し始めた。

「あの6つ首の竜はね、貴方達がろっかくさまと崇めていた神様ですよ」

「何…!?そんなはずなかろう!ならなぜあのようにムラを蹂躙している!?」

「もうあんなもん村って呼べねえよ…まあ話を戻すと元々は首が7つあって今より全然強かったし、何なら認識阻害能力までついてたらしいけど、まあ本物のティアマトじゃないし偽物のさらにコピー…ってところかな?相当劣化してるよ、アレ」

「今より、強い…?」

「元々は『六角』って男も調べたところ人間だったんだよねー、それでこの地に流れ着いたときにあの偽物のコピーと契約したの、自分を『獣』にしてくれって。まがい物の神様の力で本懐が叶った『六角』は角が生え、全身を毛が覆う獣になった。それがこの世界の始まりの神話、君たちの最初のご先祖様ってわけ」

「おれたちが、神様の、血を引いてるのか…?」

「あー、りょうちゃん?だっけ?君だけは唯一多次元からの漂着じゃなくてこのムラで産まれた不完全な獣なんだけど…まあお父さんが獣なんだし血は引いてるんじゃない?いくらか薄そうだけど」

男はそんなことは別に興味がないといったように話を続ける。

「んで、『六角』に力を与えた神様も見返りを求めたわけよ。そのあたりの文献は解読できない部分が多かったから推察になるんだけど、ろっかくさまっていう名前で今まで浸透してたから『六角自身の体を取り込み、一体化する』ことが条件だったんじゃないかな。それだと同一視されて信仰されている理由にも説明がつくし、肉の天使たちが『六角』に対する信仰心ごと取り込めて力を増幅できるし。それでもうひとつの方がはっきりしていて…」

突如として鋭い音が鳴り響き、竜の悲痛な叫びと共に炎が消えた。6つ首の竜は結晶状の何かに囚われ、徐々にその動きを鈍くしていった。りょうは最初それが何かわからなかったが、ムラのみんなが作るのが難しいと言っていた「こおり」という物体であることが辛うじて判断できた。

「『これから村で産まれた獣の血肉を喰らわせろ』らしい。だから当初の目的ではこの子が村人を皆殺しにして肉の天使たちの劣化コピーを覚醒、後の2人にその対処を任せる予定だったんだけど…だから殺し合いでもしてた?って言ったんだよねー」

その身以上の大きさの氷に閉じ込められた竜がずぶずぶと地面に沈んでいく。ゆっくりとだが、炎という明かりがなくなった目測でも判断できるスピードだった。

「…沼の悲しみ氷の魔女は無事にやってくれたか。…やっぱりイレギュラーがなかったら至天蟲はちゃんと体になじむんだな」

そう言うと男は項垂れて錯乱していた末影の体を軽く蹴り、

「ほーら、あの2人はもう力を使いこなしてるぞ?君も頑張れ」

それに反応して末影は僅かな呻き声を上げると周囲のスクラップを緩やかに浮かし始めた。

「私たちの目標は星神ティアマトの残滓を集めることなのでこれで目標は達成されたんだけど…まあこの女もティアマトと関係してんじゃないのって話なんだよね。だっておかしくない?この次元には獣しかいないはずなのにある日急に現れたって…明らかにおかしいんだよ」

そう言い終わる前にライフラフトの人間が割り込むようにしてちよの奪還を試みたが、主人が制御を取り戻しつつある機械の残骸が立ちふさがった。

「その手を放せ、その家族はこちらが保護するように言われている!」

お前らライフラフトの狙いは元々この家族だったんだよね?ますます怪しいなあ。それにさ、君たちの戦闘装備じゃ適わないよ絶対。元々救助専門でしょ?」

その言葉が正解であるかのように人間たちはじりじりと機械の波に流されていく。末影の身体も接近戦を試みようとして波に自ら流されていった。

スクラップの中に子と両親、男が孤立した浮島のようににらみ合っている。先に口を開いたのは男の方だった。

「じゃあね、この女さえいればここは用済みだから。なんか最後に贈る言葉でもある?」

あっけらかんと、人をおちょくるような言葉だった。りょうはその言葉に怒りを覚えたが、目の前の底知れない化け物に体がすくんでしまっている。何もできない。普通ならここは飛び込んででも母を奪還するべきなのに、行動できない。結局は自分の保身のためなのか?と一瞬のうちに考え、りょうは歯を食いしばりながら泣いた。自分の何も出来なさが悔しかった。そんなりょうを見て男は「おいおいどうした急に」とおどけた態度を崩さず言い───

めがさめて おもうのは わがこのこと

りゅうも とりも へびも まどろみからさめはじめる

人を愛した獣と、獣に寄り添った人が同時に歌い出した。合図もなく同じ歌詞、同じ節で歌った。

「りょう、すまん。お前にこんなことを背負わせたくないんや。でも、ここからせめて、お前だけでも生きてほしいんや。」

何を───

「ごめんよ。ほんとにごめんよおりょう。あたしが母親としてしてやれたことなんて本当に何もないけど。それでも、わがままを聞いてくれるかい?」

言っているの───?

「自分のために生きておくれ。誰のためでもない。お前のために。うたをやめないで…」

言い終わる前に、2人の顔からとめどなく血が溢れ始めた。鼻から、耳から、口から、目から、とめどなく血が溢れぐったりとし始めた。

「自死だと…!?さっきの歌か!?クソっ!」

男がかつて母であった亡骸を汚らしそうに投げ捨てる。ぐったりと地面に落ちたそれには、命の気配はもうない。

な…

「なんで…?」

りょうは意味がわからなかった。生かすために死んだ?こんな私を?何を託した?こんな私に?いったいなぜ───

「一緒にいるだけで…よかったのにっ…なんで死んじゃったんだよお…?」

十分に育っていない子の心に募るのは悲しみ、戸惑い、そして、怒りであった。

それは自分たちを迫害してきた村人へなのか、

事情を話さず自分たちを保護しようとした人間達へなのか、

村をめちゃくちゃにした財団の男へなのか、

自分を残して死んでいった両親へなのか、

何も行動を起こせなかった自分へなのか、

あるいは、その全てか。

「ウうわあアアあああアアあアアッ!!!」

その慟哭は蟲の傀儡よりも、1つ欠けた竜の首よりも激しく、大きく轟いた。小さいと揶揄されていた体は山と同じほどに細長くなり、口は裂け牙は生え揃い、大きく禍々しい7つの角と共に、全身が鱗で覆われた姿へと変貌した。

先程あの男が言っていた「竜」という生き物にそっくりで、しかし「偽物の劣化コピー」よりもずっと大きく、禍々しく、深紅の鱗を纏っていた。

赤龍せきりゅうの…うた..あたしじゃ…適合でき…ない…このムラで…産まれた…にんげん…」

「ごめん…ね…さい…ごの…1つくび…せおわせて…し…まっ…て…」


母の声が聞こえた気がした。

だが、今はどうでもいい。

この怒りの炎を、燃やし尽くすために動くのみだ。

尻尾を地面に闇雲に振り下ろす。死ね、死ね死ね死ね!みな死んでしまえ!私にはもう誰もいらない!誰を殺したって構わない!視界の右側にぼやけて末影というにんげんが大量の鉄を従えて飛び込んできた。

「邪魔だあ!」

喉の内側から熱いものがこみ上げてくる感触に身を任せて吐き出した。激情が炎となって口から放出される、鉄は炎で溶けたものの末影は原型を残した程度に焦げて夜の森の中に墜落した。

「…ッ!?」

尻尾を氷によって地面に接地され、突如として足元に出現した黒いドロドロに飲み込まれそうになる。なんだ?どこにいる、どこから見ている…!

「クソ、クソ、クソ…!憎い、憎い、憎い…!!」

動きたい、動きたい!せりあがってくる炎を飲み込んで、内側から全身を発火させて氷を溶かす。焦げた体は一瞬にして再生した。

「どこだ!!出てこい!!殺してやる、殺してやる!!」

「財団を名乗ったあいつらならもうここにはいない、逃げてしまったようだ」

凛とした声だった。ずっと下の地面から言っているはずなのにはっきりと、頭の中に聞こえてくる声だった。

「とりあえずは、戻れるか?話がしたい」

はっきりと、まっすぐと、頭の中に声が届く。冷静な声色に怒りが搔き消える。私の体はゆっくりと出来損ないの半分にんげん、半分けものに戻ってしまった。

「よし…いい子だ。そして、すまなかった」

「好きで戻ったわけじゃねえ、なんだお前、死にに来たのか?」

精一杯の脅しをかける。相手は顔中毛むくじゃらだがピンと背筋を伸ばしており、にんげんのくせに下手なけものよりも威厳があるように感じた。

「私は『浮田』、大海原にぽつんと浮かぶ組織『救命いかだライフラフト』のパトロンであり、『六角』の旧友であり、今回君たちの保護をお願いした人間だ」

「お前があいつらの親玉…」

「最初になぜ君たちを保護しようとしたのかだが、これは財団を騙る組織に対する妨害が目的であった。彼らは「星の神ティアマト」と呼ばれる神格にゆかりのある特定の異常な物品を集め、それを媒介にこの宇宙を壊すほどの化け物を呼び出そうとしている。我々はこの宇宙に散らばるはぐれ者たちを助ける組織だ。宇宙自体がなくなるのは阻止したい。故に我々がそれを先に確保すれば彼らの野望を阻止できると考えた」

「…宇宙ってなんだ、知らん言葉を使うな」

「だがここで誤算が発生した。私にとっても、相手にとっても。今回この次元に介入するにあたって、互いに把握している狙いの物品が1つしかないと思い込んでいたのだ。あちら側は『六角」が残した1つ欠けの宝玉、そしてこちらは…」

『浮田』はこちらの眼をじっと見据えた。

「…君の母君『船越』が教え伝えた『うた』である」

「…うた…?」

「そうだ。聴いたものをティアマトの分身として覚醒させる旋律、だがただの人間であった『船越』は自分が星の神の現身には耐え切れない、どれだけ『うた』を覚え聴いて歌っても意味がないことを嘆いていた。そこで彼女が取った行動が、君なのだ」

「おれを、そのティアマトとかいう化け物の分身にしようとした…だからおっとうと結婚して産んだってことを言いたいのかよ…?」

「そうだ。何度か旋律を君の体に適合させるために聴かせていたのではないかな?」

何度か、だと?毎晩聴いてたよ。

あれは、私のためじゃなくて、自分の本懐を遂げるためだった。自分のためだった…

「ともあれ奴らが『ティアマトの残滓』と呼んでいる物品が互いに1つしかないと思い込んでいた我々は互いに予想外の損害を負った。彼らがこの次元より退却したことにより我々も移動するためのポータルを開通することが出来、今君の前にいるということだ。こちらの次元跳躍に関して彼らは何らかの妨害を行っていたのだ」

「…おれを、どうするつもりだよ」

「我々と来て欲しい。その炎、1人では持て余していたように見える。財団を騙る狂信者を皆殺しにするために」

『浮田』が発した「皆殺し」という強い言葉は、私の怒りを再び燃やすには充分であった。どの道ここにはもう何もないし、いざとなったらこいつも殺せばいい。私が私のためにする行動は、もう決まっていた。

「…財団を騙るってことは財団って名前じゃないんだよな、そいつらの名前は?」

「最初に気になるのはそこか?」

「皆殺しにする奴らの名前だ。心に刻んでやる」

そう言うと『浮田』の後ろから雅灯と言っていた女がボロボロになって現れた。足を痛ましく引きずりながら雅灯は魔法陣で宙に1つの紋様のようなものを描いた。

龍の体がぐるりと一周した円。その円に3本の矢印が突き刺さったような紋様だった。『浮田』はそれを睨み付けて、こう言った。

「カオス・インサージェンシー」


こうして、人間でも獣でもなかった出来損ないのりょうわたしわたしになった。今はライフラフトの通常時の活動はせず、他の構成員からは存在を秘匿されて力の制御を特訓している。あの『浮田』という人間はすさまじい財力を持っているらしく、支援している団体もライフラフトだけではなく複数ある、らしい。

『浮田』は私に隠している情報がある。何より私の母───あれらをもう両親とすら呼びたくないが───を知っていたことの説明は全くなかった。だがどうでもいいことだった。大事なのは全てに対する復讐だった。死んでいった存在も、私自身だとしても関係ない。

私たちを見捨てて復讐に奔ったあの獣は正しかった。私には最初から、帰る場所なんてなかった。たとえこの世のすべてを焼き尽そうと私の死体すら燃やすとしても。

決してこの赤い炎怒りは絶やさない。それが、私の決めた本懐だ。

待っていろ星神ティアマト。お前の全てを、跡形もなく燃やしてやる。

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