闇寿司忍法帖
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8月23日朝9時47分、渋谷。傍目から見ればカップルもしくは兄妹だと思われるであろう2人が駄弁を弄しながらスクランブル交差点を渡っていた。
眼鏡を掛けた長身の男、"みどり"は暑い中黒のズボンと白のYシャツにネクタイをしっかりと締め、片や赤色のネイルを着けた女、"くれない"は腹部を出した派手な服装で身を包んでいる。

「はあ、最近暑すぎない?」

「これでもまだ涼しいほうさ、今日は38度まで気温が上がるそうだよ。」

「マ?1やってらんないわー。ねえ、あんたのその傘貸してよ。日傘にするからさ。」

「駄目に決まってるだろう、これは僕の仕事道具なんだから。」

「ちぇー、相変わらずお堅いね。」

「そこまで言うなら自分で日傘を買えば良いじゃないか。先週も仕事があったんだし、お金ならあるだろう?」

「服とかメイク道具買うのに使っちゃったから今は無一文!それに無駄に物持ちたくないしー。」

「はあ、全く……」

渋谷駅構内に入り、大波のような雑踏を押し分けながら地下へ向かう。"翠"はできることならすぐにでも電車に乗って落ち着きたかったが、先に"紅"を宥めておいたほうが良いと判断してのことだった。それに、電車の予定時刻までまだ時間がある。

「それで、今日はどこまで行けば良いんだっけ?」渋谷駅地下のショッピングロードで日傘を選びながら"紅"が尋ねる。

「静岡だ。」

「静岡か、あたし行ったことないなー。」

「僕も初めて行くよ。滞りなければここから1時間半くらいで着くそうだ。昔と違って楽に行けるようになったからね、全く良い時代になったものだよ。」

「……何時代の人よあんた。」

レジ係の店員から釣銭と日傘、そしてついでに買った飲み物を受け取り、"紅"に日傘を渡す。これでしばらくは任務に集中してくれるはずだ。

「というか今更だけどさ、こういう仕事なら"あおい"さんが適任なんじゃないの?」

「あの人は今別の仕事を任されてるらしいよ。具体的な内容は守秘義務だって教えられてないけれど、こっちに手が回らないってことはよほど難しい仕事か遠くに出張しているんだろう。」

「ふ-ん、じゃあ仕方ないか。"しろ"ちゃんには荷が重い仕事だしねー。」

──闇寿司忍者の中でも選りすぐりの実力者で結成された組織、その名も"五色組"。"翠"、"紅"、"蒼"、"素"、"玄"の隠名を与えられた五人がそれぞれ、忍具の作成及び運用の主導、くノ一衆の統括、若手忍者の育成などを担っている重要な役職である。それゆえに、彼らの任務はいずれも重要性、機密性、そして難易度が高いものであることが多い。
そんな"翠"と"紅"に今回引き渡された任務、それは──

("くろ"さんが抜け忍に、か……)

改札口へ向かいながら、心の中で"翠"が呟く。
忍術の開発及び普及の主導を担っていた"玄"、名は音羽 半十。十年以上忍者として活動してきた者の中から選出され、主に新人忍者の育成を担う"素"を齢二十六の頃から務めるほど実力が高く、"翠"も"紅"も若手忍者として活動し始めて数年は彼に手厳しく鍛えられた思い出がある。そんな彼も今は齢五十を過ぎ、数年前に右目を負傷し失明したため"素"を引退、その後は頭領である百地芭麗栖の勧めで義眼をつけ"玄"を務めていた。厳しいところも荒々しいところもあったが、誰よりも忍者の在り方に真剣に向き合い、そして誇りを持っていた。

そんな"玄"が抜け忍に、つまり裏切者になった。
今回の2人の任務は、"玄"及び彼に同調した2名の男忍者と1名のくノ一、計4名の抜け忍の抹殺である。
当初は行方が分からず探す宛がなかったが、無尽月導衆に諜報員として潜入している闇寿司忍者の一人から"玄"に関する報告があった。8月25日の午後23時、静岡県の掛川城2にて無尽月導衆の会合があり、そこに"玄"も参加するという。そこで"玄"は正式に無尽月導衆の傘下となる手筈である。そうなれば手を出しづらくなり、抹殺した場合無尽月導衆との関係が悪化し、最終的に全面抗争に発展しかねない。つまり、正式に傘下となる8月23日の会合までに落とし前をつけなければならない。これは、頭領だけでなく闇寿司忍者全体のメンツに関わる任務だ。

「品川まで行ったら"こだま"に乗り換えたら良いんよね?」改札口を通り、山手線のホームに並ぶ。

「ああ、この調子なら10時34分発の"こだま"にも充分間に合う。そこから──」

そこまで言いかけて、"翠"は咄嗟に振り返った。此方に向けられた視線と意識、そして近付いてくる何者かの気配を感じ取ったためである。それは"紅"も同じだったようで、"翠"とほぼ同時に振り返っていた。
2人の視線の先には──

「あの、お客様、あいにくですが現在、内回り電車は人身事故の影響で見合わせておりまして……」

そこには、狸の顔にまるでそっくりな駅員が立っていた。2人が急に振り向いたために驚いたのか、ただでさえハの字になっている眉を更に傾けている。
電光掲示板を見やると、なるほど確かに「見合わせ」の文字が右から左に走っている。

「ああ、そうなんですか。では、外回りのほうを利用するしかなさそうですね。」

「ええ、ご迷惑をおかけしてしまって……」

「駅員さんは悪くありませんよ。ちなみに、外回りだとここから品川駅までどのくらいかかりますかね。」

「品川駅ですか、だいたい45分程かと思いますが。」

「(45分か、34分のには間に合いそうがないな)分かりました、教えてくれてありがとうございます。」

「いえいえ、こちらこそ……」

駅員は禿げあがった頭を下げながらそう言うと、「あーこわいこわい。」と呟きながら離れていった。それと時を同じくして、外回りの電車が駅のホームに滑り込んでくる音が遠くから響く。

「外回りだったら品川駅より東京駅のほうが近いな。」

「東京駅からでも静岡って行けるっけ。」

「ああ、大丈夫だ。」

「なら良っか。それにしても席空いてたら良いな。立ってるの疲れたー。」

そう呟いていた"紅"の顔は、桶盛り寿司のようにびっしり人が詰められた外回り電車を見ると明らかに虚脱していた。

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「ふー、快適快適ー。」

10時56分、東京駅。2人は予定を変更して、東京駅発の"こだま719号"に乗っていた。"紅"はレモンティーを飲みながら手足を目一杯伸ばしている。

「少し疲れすぎじゃないか?この仕事終わったら鍛え直したほうが良いよ。」"翠"もまた緑茶を飲んで一息つく。まだ正午ではないのに気温は30度を超えている。疲れていないとは言え、火照った身体に冷えた緑茶が染み渡る。

「あのね、あたしは先週仕事で休みなしで走り回ってたの!昨日今日ですぐ疲れが取れるかっての!」

「"蒼"さんならきっと一ヶ月走りっぱなしでもピンピンしてるさ。」

「あの人と比べるのはナンセンスっしょ。」

「……それもそうだな。すまない。」

「うん、分かればよろしい。」

ドアが閉まり新幹線が発車する。ここからは静岡県掛川駅まで1時間40分の快適な旅である。

(聞こえるか、"紅"。作戦会議をしたいんだけど良いかな。)

"翠"は精神酢飯接続を用いて"紅"と念話を繋ぐ。今のところ抜け忍たちや敵の気配は感じないものの、新幹線内ではどんなに小さな声で話しても目立ってしまう。精神酢飯接続ならば外部からの干渉もなく、盗聴の心配もない。2人ともスマホをいじったり寝たふりをしながら念話をする。

(りょー3。掛川駅には12時35分くらいに着くんだっけ。)

(そうだ、着いたら掛川城周辺を張りながら"玄"さんの居場所を突き止める。)

(目星は?)

(人目に付かないところに身を隠しているのであれば北の粟ヶ岳か南の小笠山が最有力候補だな。ただ"玄"さんは忍術の達人だ、陽忍術で人混みに紛れている可能性もあるし断定はできない。"玄"さんが現れるまで掛川城で待ち伏せるという手もあるが……)

(それだと、その場にいる無尽月導衆ともバトっちゃう可能性が高いよね。何人いるかも分からないし、数によっては2人で対処しきれるとは限らない。何より無尽月導衆との抗争は頭領とか闇寿司の親方に迷惑がかかっちゃう。)

(これは最後の手段といったところだな。やはり、会合前に根城を叩いて終わらせるのが最善手だ。)

(それに、できれば日中にバトるのは避けたいね。明るいうちだとあたしたちのできる行動には制限があるし、それに対して相手は逃げるだけで良い。つまり追う側の圧倒的不利。他の3人はともかく"玄"を逃がしちゃ元も子もない。でも夜だったらあたしたちも全力を出せる。)

(ならば、今日明日で準備を整えつつ"玄"さんの居場所を突き止めて、明日の日没から早暁に任務遂行ということになるな。着いたらまず君は小笠山に行ってくれ。僕は粟ケ岳のほうに行く。手がかりを見つけ次第即時連絡し準備を整える。)

(分かった。明後日の早暁までに手がかりが見つからなければ市内を捜索、それでも駄目なら20時から掛川城で張るってことで良い?)

(そうだね、それで良い。じゃあこれで──)

(あのさ、一つ言いたいことがあんだけど。)

(──なんだ?)

("玄"のこと、さん付けしないほうが良いよ。彼はもう仲間じゃないんだから。)

(……それもそうだな。でもそれを言うなら、君も"玄"って呼ぶべきじゃないと思うよ。もう"五色組"でもないからね。)

(……そうだよね。ごめん。)

(いや、謝るのはこっちのほうだ。)

(大丈夫……着くまで寝る、おやすみ。)

(ああ、おやすみ。)

精神酢飯接続を切り、"翠"がふと横を見やると"紅"は既に軽い寝息を立てていた。いつも通り明るく振る舞ってはいるが、本当のところは彼女も気が滅入っているのだろう、言葉の端々にショックや疲れが感じ取れる。
"玄"は2人にとってただの先輩忍者ではない。親が任務に出かけている間、老齢が理由で里にいることが多い"玄"が子どもたちの親代わりだった。ご飯も作ってくれたし、修行していないときはよく一緒に遊んでくれた。"玄"のことを慕っている者は多いが、特に両親を早くに亡くしていた2人にとっては育ての親と言っても過言ではなかったのだ。今目を閉じても、つらかった思い出より楽しかった思い出のほうが多く頭をよぎる。
"翠"は祖父がまだ健在であるためまだショックは少なかったが、身寄りの無い"紅"にとっては数少ない頼れる人が抹殺対象になってしまったようなものなのだから、そのショックは計り知れない。

(この任務が終わったら好きなもの買ってやるか。それともスイーツのお店のほうが良いか……)

そんなことを考えながら、"翠"も静かに寝息を立て始めた。



12時29分、新幹線が掛川駅に到着する約5分前に2人は起床した。"翠"は乗車時に設置した外敵探知用忍具の確認をし、その間に"紅"は頭領への報告やくノ一衆への連絡を行う。寝る前は気分が沈んでいた2人だったが、今はだいぶ回復しているように見える。実際の胸中は複雑だろうが、憂いに沈んでいる暇はない。ここからは時間勝負、一刻の猶予も惜しいのだから。

新幹線が停車し、アナウンスとともにドアが開く。降車してそのまま改札口を抜け、近くの観光案内所の前で立ち止まる。

「それじゃあ、手筈通りに。」

「うん、気を付けてね。」

「ああ、君もね。」

そうお互いを鼓舞し合うと、"紅"は南口を抜けて小笠山へ、"翠"は北口を抜けて粟ヶ岳へそれぞれ向かって行った。

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時間は流れて8月24日21時30分、2人は粟ヶ岳の山頂付近に鎮座する阿波々神社の社殿前に集合していた。阿波々神社は祭神として阿波比売命を祀り、736年に創建された神社である。境内には、素戔嗚命と櫛稲田姫を祀った八重垣神社も併設されている。また、遠州七不思議4の一つにも挙げられる「粟ヶ岳の無間の鐘」の伝承で伝えられている井戸が残されている。

2人の服装は集合前とは打って変わって、忍び装束を身に纏っており、"翠"は傘を背中に背負い、"紅"は。この忍び装束はリバーシブル仕様となっており、任務や個人の好みによってスーツや軽装、着物など様々なバリエーションがある。これは日頃の移動や情報収集の際に怪しまれないための変装という面も勿論あるが、いざというときに逆に着替えて敵の目をごまかすこともできる。

2人は社殿の裏に広がる境内林を抜けていく。今宵は上弦の月が出てはいるものの、青々とした葉の天蓋で包まれた森の中はまさしく一寸先の闇であり、虫の鳴き声が響き渡っている。時折風で揺れ月明かりが漏れるものの、少しすれば再び暗闇に閉ざされる。一般人であれば迷わないどころか歩くのすら精一杯だろう。しかし、夜目が効く忍者にとってはさほど問題ではなく、我が家の中を歩くように迷いなく進んでいく。
5分ほど歩いて、2人はある場所で足を止めた。

「ここだ、ここにしばらく休憩か野宿で滞在し、そのあと移動した痕跡がある。」

「確かに形跡があるねー。いや、"無がある"って言ったほうが正しいかな。」

「ああ、移動した痕跡は南と西に伸びているが、南のほうが時期が古かった。少なくとも今日ついたものではない。だから、あいつらが進んだのはここから西だ。」

忍者は自身が移動、潜入した痕跡を残さず、手練れであるほどその隠蔽は優れている。痕跡を残すのは三流以下、全ての痕跡を消し何も残さないのは二流。一流は一般人や獣の痕跡に偽装し、周囲の環境に溶け込ませる。全ての痕跡を消せば確かに滅多に見つからないものの、実力者相手には何も無いが故に怪しまれそこから足がつくことがある。
しかし、自身の痕跡のみを消し去って他者の痕跡を残すのは難しい。例えば、ドアノブの指紋を拭き取れば全ての指紋が無くなるし、掃除機をかければ全てのごみを吸い取ってしまう。痕跡を偽装できる実力者は頭領や"五色組"などごく一部の実力者に限られる。
"玄"は"五色組"の中でも特に痕跡の隠蔽には秀でていた。それほどの手練れにしては杜撰な隠蔽ではあるが、あちらには"玄"の他に抜け忍が3名ついている。流石に"玄"一人で隠蔽しきるのは難しかったのだろう。

「さあ、西に進もう。」

痕跡は徐々に山を下るように続いている。
その痕跡をなぞるように進んでいく。

10分ほど歩いただろうか、今まで耳を劈いていた虫の鳴き声が不意に止み、静寂が訪れた。まるで、そこだけ世界がいきなり切り取られてしまったかのように。
2人は足を止める。
耳の中で反響していた鳴き声が遠のいていく。心臓の鼓動が体内で響くだけになった頃、風が吹いて月明かりが差し込んできた。

それとほぼ同時だった。頭上から敵意と殺意が2人に降り注いだ。

樹の上から8つ、風を切りながら鉄製の手裏剣が月明かりをなぞってきた。"翠"は傘で、"紅"は苦無クナイでそれぞれ手裏剣を打ち落とし、それが地面に音を立てて突き刺さる。

2人が辿ってきた痕跡は"玄"たちがあえて残したもの、つまりこの場所へおびき出すための罠だった。逃げるのではなく、迎え撃つために。
しかし、2人もただ無策で敵地に踏み入った訳ではない。むしろ、あえて踏み入ったと言うのが正しい。2人の中には"玄"が痕跡を残していることにやはり違和感があった。そのため、この痕跡が罠であるという結論に至るのにそう時間はかからなかった。とは言え、何時何処で攻撃を仕掛けられるかは予想できない。それを2人に悟らせるような痕跡も残っていない。だから2人は、警戒をより強めながら進んでいた。急襲にも対処できたのはそのためである。

樹の上から男の抜け忍が2人、それぞれ鎖鎌と手甲爪を振り下ろしながら飛び降りてくる。これに対し"翠"と"紅"はそれぞれ受け止め、押し返し、そして距離を取る。

「久しぶりだね、左吉。」

「よっ、大ちゃん。元気してた?」

2人の抜け忍、小泉 佐吉と布生 大平は呼びかけに応えず、再び得物を構える。

「ここは僕がやろう。」

そう言うと、"翠"は傘を腰帯に差した。

──闇寿司忍者のスシブレーダーの中に「巻物使い」と呼ばれる者たちがいる。田園詩三姉妹を始めとして、彼ら彼女らは鉄火巻きやかんぴょう巻き、納豆巻きなどの巻き寿司を扱う。"翠"もまた巻物使いの一人であるが、彼の巻物は多くの巻物使いの中でも一際異彩を放っていた。

「藤林一刀流──」

右足を半歩前に出すと同時に腰を軽く落とし、柄に右手を乗せる。そう、"翠"の傘は仕込み傘、忍刀である。本来、忍刀は戦闘に用いることを目的としておらず、携帯性や機能性を向上させるため刀身は短く反りが無く、そして腰帯に差すこともない。忍者として異質なその構えに覚えがある抜け忍たちは先手を打とうと一歩踏み出す。しかし、その足が地面に着くも速く"翠"の忍刀は抜かれ、抜け忍たちの喉元に触れていた。

「──居合"渇浜斬かっぱまき"」

悲鳴を上げる暇もなく、緑色に光る忍刀の残像に赤色の血しぶきが散らされる。海苔のような闇夜も相まって、それはさながら胡瓜の乗ったいくら軍艦のようであった5

「いつ見ても見事だね、あんたの忍刀捌きは。」

「凄いのは爺様が打ったこの刀だ。僕なんてまだ未熟者だよ。」

「はははっ、またまたご謙遜を。」

忍刀「河伯」、翠の祖父であり先代の"翠"でもある藤林 保蔵が打った銘刀である。里で育てた百地胡瓜を幾重にも積層し鍛造、研磨することで高い柔軟性と硬度を兼ね備えた刀に仕上がっている。また、鞘は手裏剣と同様に黒米を圧縮し、更にその上から海苔が巻かれている。これはもちろん補強の目的もあるがそれだけではない。納刀することで海苔、米、胡瓜の三層構造となり、忍刀をかっぱ巻きとして扱うことが可能になるのだ。

先程の居合"渇浜斬"は胡瓜の発射を応用した超高速の抜刀であり、藤林一刀流の根底を成す技でもある。通常の日本刀で行う居合いとは異なり、制御しきれない速度で発射すれば手元を離れ、逆に速度を抑えすぎれば反りのない忍刀では攻撃力が大きく落ちる。どれだけ速度を上げ、それを制御しきるか。藤林一刀流の門下生たちは、より強い巻物使いになるために日々鍛錬を重ねている6

「さて、あと2人か。そう遠くには行っていないはずだ。」"翠"は忍刀を納める。先程まで2人に向けられていた敵意は消え去っていた。

「うん。さっきこいつらが降りてくるのとは別に、樹の上を北と西に移動してく音が聞こえた。二手に分かれたんだと思う。」

「分かった、じゃあ僕たちも二手に分かれよう。僕は"北"に行く。」

「りょ!」

酢飯精神接続があれば距離がある程度離れていても意思疎通はできる。そのためごく簡潔に情報と作戦を交換しあい、"翠"と"紅"は二手に分かれた。

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"紅"は西に向かって疾走していた。撒菱がいくつも撒かれているが、これを暗闇の中器用に避けていく。

不意に撒菱の道が途切れる。どこへ向かったか意識を強めた瞬間、今度は頭上から苦無が9本降り注ぐ。これを"紅"は再び苦無で打ち落とす。6分程それを繰り返し、痺れを切らした"紅"は立ち止まった。

「ねえ、さっきからワンパターンすぎん?そろそろ追いかけっこも飽きたっしょ。出てきなよ。」

"紅"がそう言うと、前方の樹の影からくノ一、田屋 爽香が出てくた──いや、前方だけではない。左右と後方からも爽香が姿を現した。忍法"分身の術"、爽香の得意とする忍術の一つだ。

「"玄"さんじゃなくてがっかりした?"紅"。」


「さっさと"翠"の助けに行きたいだろうけど、無駄だよ。」


「あなたはここで殺される。」


「"翠"も"玄"さんに殺される。」


「それでお終い。残念でした!」


四方から爽香の声が重なって聞こえてくる。爽香が次の言葉を紡ごうと口を開いた瞬間、"紅"がその内の一方、右側へ苦無を放った。苦無が爽香の額に刺さり、分身が消失する。

「勘違いしてるようだけどさ、あたしは最初からあんた狙いだったよ。確かにあいつの首も大事だけど、あたしにとっちゃあんたの首も取らなくちゃいけないんよ。くノ一衆の落とし前はあたしがつけなきゃ。"翠"も、それを知っててあたしをこっちに向かわせてくれたんだし。」

「そうなんだ。なら良かった。私も、あなたを負かしたかったから。あなたの首を持っていけば、私は無尽月導衆に認めてもらえる!」

"紅"を取り囲むように、更に爽香の分身が増える。10人、20人、いやもっと分身しているだろうか。それぞれが手裏剣や苦無を構え、"紅"へ向けている。

「あんたさ、なんで抜け忍なんかになったの。」

「なんで?私はね、あなたが大嫌いだったの!可愛いからってちやほやされて!"紅"にも選ばれて!さぞ良い気分だったでしょうね!それなのに私は!どれだけ任務をこなしても誰も褒められない!失敗しても誰も宥めてくれない!"玄"さんだけが優しくしてくれた!だから!」

爽香は"紅"へ得物を放った。それでも"紅"は避ける素振りを見せず、その身体に突き刺さった──ように思われた。

「闇寿司忍法"爺狐ジーコの術"」

次の瞬間、爽香の円陣の中央からは"紅"がいなくなり、代わりに得物で細切れになった葉が舞っていた。

「どこにいるの!出てきなさいよ!」爽香は怒り狂いながら叫んだ。

──百地一派は、闇寿司忍者と名を改め闇寿司の刃となって以降、様々な技術の交換・応用が行われてきた。伝統的忍術をスシブレードに応用した結果、"光学的隠れ蓑の術"やイカスミ散布型煙幕、カツオノエボシ撒菱などの寿司技術が誕生したように、スシブレード技術もまた忍具や忍術に応用されていった。"翠"の扱う忍刀「河伯」もその一つだ。そしてその一方、忍術に応用した結果誕生したのが闇寿司忍術である。
その中でも闇寿司忍術"爺狐の術"は"ジーコ"の技術を応用した忍術である。自身を別のものに、別のものを自身のものに外見を偽装する忍術である。古来から伝わる忍術として"変わり身の術"があるが、"変わり身の術"は周囲に身代わりになるものが必要であるのに対し、"爺狐の術"は身代わりにならないものも自身と錯覚させることができるのが優れている点の一つである。

「任務をこなしてくるのは当然だし、失敗してもめそめそしてる暇があったら反省して次に活かしなよ。それに、あんたも知ってるでしょ。忍者ってのは実力主義なの。実力があれば誰でも評価されるし、実力が無ければいつまでも認められない。」

どこからともなく"紅"の声が森の中に響く。

「何、自慢話?そんなのを聞きたいわけじゃ──」

「自慢?そんなんじゃないし。あたしが言いたいのは、ただ一つだけ。」

突如、爽香の円陣の周囲を紅い敵意が取り囲む。そこで初めて、首を刈り取られるのは自分のほうだと強く自覚した。

「実力が劣っているのを、人のせいにするな。」

爽香の全ての分身体と本体の頭と心臓を、"紅"の分身体が放った得物が貫いた。爽香の全ての分身体が消失し、息絶えた爽香が前に倒れこむ。
"紅"は、懐に"ライドデッシュ"を納めた。"紅"は闇寿司忍術"皿分身の術"によって分身体を作り出して操っていたのだ。"紅"は"皿分身の術"で最大50人の分身体を作り出せる。これは、里の闇寿司忍術使いの中でも最大の数である。
爽香の死体に"紅"が歩み寄って語りかける。

「あたしは、あんたのこと結構気に入ってたんだけどな。」

そして、"紅"は"翠"の元へ疾走していった。任務をこなすという当然の使命を果たすために。

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"紅"が撒菱を避けながら爽香を追いかけている間、"翠"は"玄"と猛攻を繰り広げていた。

"玄"の放つ手裏剣を"翠"が忍刀で打ち落とす。"翠"の斬撃を"玄"が苦無で受け流す。
鉄と胡瓜がぶつかり合う音が木々に反響する中、2人は問答を繰り返す。

「なんで抜け忍なんかになったんですか!」

「なんでか?分からんか?分からんよなあ!技術の衰退と怠惰に身を浸すお前らなんかには!」

怒号と共に忍刀を押し返し、"翠"が体勢を崩しかける。"玄"はそこを見逃さず、更に猛攻を仕掛ける。

「手裏剣が押し寿司で作られるようになったのはまだ良かった!銃刀法には誰も勝てんからな!仕方がないよな!ああ、仕方がない!でもな、闇寿司なんていう寿司を回して遊ぶ奴らと組むなぞ到底許せん!ましてや喜んで刃になるなどと!」

"翠"は徐々に"玄"の猛攻に押されていき、切り傷が増えていく。"翠"は体勢を保つので精一杯だ。

「主の無い忍者は死んだも同然!だが、主を選ぶ心眼の腐った忍者など死者ですらない!実際、あいつらの刃からになってからの堕落は見るに堪えなかった!修行もろくにせずに楽な技術に頼りおって!」

「くっ……藤林一刀流"河流"!」

一瞬の隙を突いた"翠"の横薙ぎの斬撃を"玄"は万力鎖で受け止め一気に巻き付ける。"翠"が忍刀を抜こうとするが、"玄"がそのまま力を加えたことにより忍刀が折られてしまった。

「お前もそうだ、"翠"。忍刀はそんな風に使うものではないだろうが。お前の爺さんには世話になったが、あいつの目も腐っていた。ましてや胡瓜で刀を打つなど愚行にも程があるわ!」

「爺様を悪く言うな!」

「忍刀を折られたお前に何ができる!"紅"が来るのを待つか!?まあ、既に爽香に殺されているかもしれないがな!」

"玄"は懐から巻物を取り出し広げる。巻物には鳥獣人物戯画が描かれており、"玄"が描画を上から指でなぞる。

忍法"口寄せの術"!」

「あんたも道具に頼ってるじゃないですか!」

「寿司で忍者ごっこしているお前らと一緒にするな!」

巻物から猪が現れ、"翠"に一直線に突進してくる。"翠"はなんとかこれを往なすが、そこを"玄"の手裏剣が飛来する。正に万事休すだ。

次の瞬間、"翠"は納刀された忍刀のこじり7を地面に突き立て、鞘の上に立った。

「藤林一刀流"滝登"!」

直後、"翠"の身体と忍刀は空高く飛翔し、下げ緒で忍刀を手繰り寄せる。

「逃げるのか!良い様だな!」

「逃げませんよ、残念ですが。」

"翠"は空中で下げ緒の先端を掴むと、鎖鎌のように振り回した。青々とした葉の天蓋が斬られたことで、戦地に月明かりが差し込む。

「そんなことより、上ばかり見ていて大丈夫ですか?足元にも気を付けたほうが良いですよ。」

"玄"は咄嗟に足元に注意を向ける。しかし、そこには罠などは無かった。あったのは地面と"玄"自身の影のみ。そう、そこには月明かりによって一層色濃くなった影があった。その影に、折れた忍刀が上から飛来し突き刺さる。

「忍法"影縫いの術"」

"翠"が印を結ぶと同時に"玄"の身体が硬直する。忍法"影縫いの術"は、影に対する暗示を相手にかけ、忍具を当てることで相手の動きを止める忍術である。忍具に関する忍術は"翠"の得意とするものである。いつもは手裏剣などを用いるが、今回は折れた忍刀によって忍術を発動させた。

「この……餓鬼が……!」

硬直しているはずの"玄"が身体を動かし、手裏剣を懐から取り出そうとする。流石は"玄"、忍術の効きも回復速度も別格である。
しかし、次の一手は"翠"が先に打った。着地した"翠"が鯉口8を"玄"に向ける。

「藤林一刀流"九貫刃きゅうかんば"」

鯉口から折れた忍刀の刃先が発射され、"玄"の胸を貫き後ろの樹に音を立てて刺さった。同時に忍法"影縫いの術"の効力がきれ、"玄"が倒れこむ。

「俺は……許さんぞ……闇寿司なぞ、許さん……!」

「もう立ち上がらないほうが良いですよ。勝ったのは僕です、大人しく──」

"翠"が刀を振り上げながら降伏を促そうとした瞬間、左側から突如飛んできた鎖鎌によって"玄"の首が斬り落とされた。飛んできた方向を見ると、暗がりから忍び装束に身を包んだ男が現れた。"翠"は咄嗟に身構え戦闘態勢に入る。

「やめな、オラはあんだらと闘うつもりはない。ただ、そいづの首と貸してた巻物を回収できれば良いんだ。その刀を一旦下ろしてくれ。」

「あなたは……無尽月導衆、ですか。」刀を折らしつつも警戒を緩めずに"翠"が言う。

「違う、と言ってもこの身なりじゃバレバレだな。ああ、そうだ。」

「首と巻物を回収したいと言っていましたね。巻物はそちらのものですから構いませんが、首は譲れませんね。そもそも、この人はまだ無尽月導衆の傘下になっていないでしょう、なぜ首が必要なんです?」

「そいづは、無尽月導衆の掟を破ったんだ。『一つ、他流への敬意を失わば業は鈍りゆく。研鑽に努め、常に鋭くあれ。』最初に傘下になりたいと言っできたときは動機を言わなかったから分からなかったが、あんだとの会話でよぐ分かっだ。掟も守れない奴を傘下にしようとした落とし前を、オラもつけねぇばなんねえ。」

忍者にとって掟は特に重要なものの一つだ。
自身の心を強く戒め、勤勉かつ正しい心がけで任務を遂行するために。
主が移り変わろうとも、何世代にも渡って流派や一族が生き永らえさせるために。
そして何より、忍者が一致団結するために。

「……なるほど、確かに掟は重要ですね。しかし先程も言った通り、僕も同様に首を譲る訳にはいきません。そこで提案なのですが、半分にするというのはどうですかね。」

「半分だど?」

「ええ。昔は戦争で戦争で殺した敵の耳を首の代わりに戦功の印として切り取っていたそうです。それが『取』の漢字の成り立ちなんだとか。でしたら、首半分なんてあまりにも充分すぎると思いませんか。」

「……ふん、確かに一理あるな。良いだろう、それで良い。」

「ありがとうございます。そうだ、実はこの人の右目は義眼なんですが、うちの頭領が贈ったものなんです。ですから、右目がついてるほうをもらいたいんですが。」

「好ぎにしろ。」

「それはどうも──藤林一刀流"皿割"」

"翠"は"玄"の頭に刀を振り下ろし、その頭蓋を割った。しかし、左右ではなく、前後に。

「あんだ、何を──」

左右半分とは誰も言っていないでしょう?約束通り、右目のあるほうは貰いますよ。安心してください、両耳は後ろ半分についてますから。」

「……はっ、こりゃ一本取られたな。しゃーない、してやられた此方の落ち度だ。掛軸を回収できただけでも良しと思わんとな。」

"翠"は、"玄"の頭の後ろ半分と巻物を無尽月導衆の忍者に投げ渡す。それを確認すると、忍者はその2つを持って樹の上に飛び登り、一瞬で姿を消した。恐らく、忍法"狸隠れの術"に類する忍術を使ったのだろう。

「終わったー?にしても凄い傷だね。」一息ついていると、木の影から"紅"がひょこっと顔を出した。

「そんな所で何をしているんだ……」

「だって、あたしが出てったら話がこじれるっしょ?2対1だと向こうが何してくるか分からないし。勿論、戦闘になったら助太刀に入るつもりだったけどね。」

「そういうことにしておくよ。」

「ほんとだってば!」

いつも通りの軽い会話を交わしながら、2人は抜け忍たちの首を回収しに向かう。

「それにしても何だったの、あの忍者。ここら辺の人の方言じゃなかったけど。」

「僕の予想が正しければ、彼は伊達藩の忍者、"黒脛巾組"の末裔だと思う。方言も東北のものだったし、何より黒革製の脛巾を身に着けていた。そして彼は、昨日渋谷駅で話しかけてきたあの駅員だ。」

「マ!?」

「声色も変えていたし標準語で話していたけど、若干東北訛りが混じってたし、「こわいこわい」とも言っていた。あれは東北の『疲れた』の意味の方言だからね。体型と目つきが同じだったから、十中八九間違いないだろう。」

「ふーん、なんのために接触してきたんだろ。情報収集かな。」

「それか、抜け忍の誰かに殺してくるよう頼まれたのか、かな。まあ、今はこちらも向こうも任務を終えているんだ。こちらが深追いしなければ大丈夫なはずだよ。」

「なら良っか。向こうから来たら返り討ちにするだけだし!」

そう息巻く"紅"と"翠"の腹が低い音を上げた。静かな森の中で、その小さな音は獣の唸り声のように響いた気がした。

「その前にお腹減った!なにか食べに行こうよ!」

「そうだね、賛成だ。ちなみに確認なんだけど、君の所持金は?」

「無一文!」

「はあ、全く……」

森の中を歩く2人の闇寿司忍者。風が吹き、月明かりが彼らを一瞬照らした。





──ちなみに里に戻った後、忍刀を折った"翠"が彼の祖父にこってりと絞られたのは言うまでもない。




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