雪、金積もれど道は忘るべからず
評価: +17+x
blank.png

1ヶ月という期間は思っていたよりもはるかに身の回りの環境を変えてしまう。景気のいい音を立てていたエアコンはついに誤魔化しの修理を受け付けない程に壊れ、年季の入ったパソコンはエンターキーとバックスペースキーからの指示を受け付けづらくなった。そしてなにより私の兼務職が5つも増えた。……いや、7つだったか? 14だったような気もするが……とまあ、こんな感じで圧倒的な糖分不足のおかげで思考回路の巡りも記憶の貯蔵庫もボロボロになっている。

世間では新たな年を迎えて意気揚々としている家族友人が屯しているようだ。資金源にするために売り払って公園になったAnomalousオブジェクト収容棟跡地からは楽しそうな声が聞こえてくる。だがそんなことはどうだっていい。何が謹賀新年だ。こっちはきんが欲しいねん。

カッツカツさん、ただでさえ寒い部屋なのにそんなこと言わないで下さいよ」

私の背後から眼鏡をかけた男が不服そうに声をかける。どうやら口に出てしまっていたらしい。私はすまないの意を込めて手を上げ、コーヒーカップの底に溜まったヘドロに口をつけた。

……そういえば、この男は誰だったか? 別サイトがいよいよ壊滅的な状態になったとのことでどこぞの親戚の依頼でかろうじて原型を維持しているこのサイトに移送されてきた人型オブジェクト、というところまでは覚えているが肝心のナンバリングも異常性も完全に頭の中からすっぽ抜けてしまっている。だが、発声するだけのエネルギーも惜しい今となっては別に聞かなくても問題はないであろう。現にこちらに危害が加えられたということはない。

「うぅん、はぁ」

時たま何かむず痒そうな、耳障りな声を発する点を除いては。


賞味期限が何週間も切れているであろう売れ残りのカップ麺1を眼鏡の男とかき込んだところで今日は就寝することにした。眼鏡の男はバネや綿が飛び出しているソファの上で、私は氷のように冷え切ったコンクリート床の上に何年もの間私の体臭と汗を吸い続けた毛布を被って、それぞれ寝息を立て始める。

「……か」

「……かっ、た……けて」

「誰かぁっ……! たっ、助けて!」

しんしんと降る雪の音だけがが空間を支配しきった頃、矢のように女性の声が差し込んできた。私は眠い目を擦り、極力エネルギーを消費しないよう極めてゆっくりと体を起こす。そうするや否や、私のもとに女性が飛び込んできた。

「お、お願いします! 私を、ど、どうか、コホッ、私をどうかかくまってください!」

手に見慣れないがどこかギターに似た楽器を持っている女性は、息を荒げながら私に語り掛けていた。ボロボロの思考回路ながら何かしらの緊急事態が起きていることを飲み込んだ私は、よろけながらも女性の右肩を抱きながら立ち上がる。一旦訳を聞こうと口を開くが早いか、耳に群集が駆けてくる音が入ったので咄嗟にそばにあった柱の陰に入る。顔を少しのぞかせて様子をうかがうと、群集は昼間賑わっていた公園であたりを窺っていた。

「クソ、あのアマどこ行きやがった!」
「なぁに、所詮オンナだ。そう遠くには行けやしないさ」
「この一帯を探すぞ!」

あの装備……どうやらGOCの標的にされているみたいだ。となると、この女性はアノマリー、か。貧乏になってからというもの、GOCにはちょくちょくアノマリーを売って助けてもらってはいたが、未だに人型のアノマリーを捕らえる時のこのやり口は、私は認めたくない。そうして身体的にも心的にも傷ついたアノマリー達を私は裁判所で何人も目にしているから。

一旦集団が散っていったのを見届けたのち、場所を移すことにした。いびきをかいている眼鏡男をなんとか叩き起こし、一番近くにある"Sold売約済"の扉を探した──のだが。

「だ、めだ! びくともっ、しないぞ!」

長いこと放置された弊害はかなり大きかった。鉄扉は錆び、1mmもその場を動こうとしなかった。諦めて別の扉に向かうも、行く先々の扉が同じ結果を吐き出した。そして当然、男衆とはいえロクな食事を摂っていなかった私たちは、

「よぉ兄ちゃん」

体力が底をついた。

床にへばりついた私たちのもとに、はるかにガタイのいい3人の男が静かに歩み寄る。

「エスコートご苦労様でした。あとは俺らが引き継ぐから安心しな」

血の気が引いていく。キンキンに冷えたコンクリートの感触が体の奥底まで刺してくるのを感じる。

想像したくないが、想像してしまう。彼女が、間もなくどうなってしまうのかを。

悔しさと不甲斐なさのあまり、つい涙が一滴滴ろうとした、その刹那。

「ありがとうございました、もう大丈夫です」

彼女は、私の耳元でそう呟いて男共の前に立ちはだかった。

そして、

びぃぉ~~~~~ん

弦を弾いた音が廊下を貫いた。

「ひ、退けっ、退けぇぇぇぇぇ!!!!!」

男共が慄いて逃げ出すや否や

ちゃりん

どこからか湧いた

ちゃりん  ちゃりん ちゃりん   ちゃりん ちゃりん

たくさんの硬貨が

ちゃりんちゃりんちゃりんちゃりんちゃりんちゃりん
ちゃりんちゃりんちゃりんちゃりんちゃりんちゃりん

男共が去った方向を

ぢゃら ぢゃら ぢゃらぢゃら ぢゃら ぢゃら ぢゃらぢゃらぢゃら ぢゃらぢゃら ぢゃら ぢゃら ぢゃら ぢゃらぢゃら ぢゃらぢゃら ぢゃら ぢゃらぢゃら

埋め尽くしたのだった。


「これでしばらくは大丈夫でしょう。お二方とも、ありがとうございました」

一旦危機は去った廊下で彼女は私たちに向けて頭を下げた。

「いえ、我々の方こそ……それで、あなたの異常性って……」
「はい。先ほど見せたように、この琵琶を鳴らすと硬貨が降ってくるといったものになりますね」

そう言って軽く弦を弾くと8枚ほどの硬貨が落ちてきた。それから彼女は、今までこの異常性を利用して恵まれない人たちのもとに訪れていたことやその道中の出来事、GOCに見つかってしまった経緯等々を語ってくれた。

「おっと、冗長に話し過ぎてしまいましたね」

彼女の発言にハッとして東の空を向くとまもなく日が昇ろうとする頃になっていた。未だ追手は来ないが、これ以上留まらせるのは危険だろう。

「そろそろ、行ってください」
「ちょ、カッツカ──」
「すみません、ではそろそろ行かせてもらいますね」

彼女は深々と頭を下げると白んだ街の中へと姿を消していった。完全に見えなくなったのを確認して眼鏡男の口から手を放す。

「何やってるんですかカッツカツさん! 彼女を収容すれば財政難を乗り越える絶好のチャンスだったじゃないですか!」
「そう、絶好のチャンスだった。でも、今この状態で彼女を満足に収容させられたと思うか? それ以前に、裸同然の私たちがGOCとまともにやり合うことすらできないじゃないか」
「それは、そうですけど……」

眼鏡男が言い淀んだところで振り返り、硬貨の山へと歩みを進める。

「まずは足場、いや、基礎から建て直そう。そうすればきっと、いずれ彼女を収容することができるさ」

私は、朝日が差し込んで輝きを放つ硬貨をじっと睨みつけ、

「さあ、もう一度始めようじゃないか! SCP財団を!」

手を伸ばし──

はぁぁぁぁう!!!!!

──たはずだった。

私が掴んでいたのは眼鏡男の、腰だった。

「な、何するんですかカッツカツさん! 放してください! い、痛いです!!!」

……私は先ほどの事象がすべて夢であったことに対して大きく落胆すると同時に、彼の悲鳴を聞いて思い出した。

彼の名は、クラーク・ディッキンソン

形而上学的陰茎および睾丸を持つ男性だ。

そして今の彼の反応を考慮するに──

形而上学的な金を掴んでしまったようだ。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。