「こちら"山童"、潜入地点に到達しました」
「こちら"ぬらりひょん"、呪術部隊による奇襲作戦は順調に進んでいる。対応部隊の規模からして、"伏魔殿"内の戦力は相当手薄になっているはずだ。予定通り潜入を開始せよ」
下水路の暗がりの中、特殊工作員"山童"はその華奢な体を捻るようにしてダクトに滑り込ませた。SCP財団日本支部サイト-81██ —ここに存在するある異常物品の奪取が、蒐集院残党が残るリソースの大部分を賭けてまで彼女をこの場所に送り込んだ理由だった。小柄な体がやっと通れるだけの狭路を進む間、彼女は自分がここに来た経緯を思い出していた。
説明:推定600年前に作られた御神籤箱。日本神道の神職の監視の下当たりを引いた人間の精神に影響し、独善的な行動を取るようにさせる。複数の呪術を施した痕跡あり。
回収日:194█/██/██
回収場所:京都府八幡市 石清水八幡宮 (蒐集院管轄物品を継承)
現状:サイト-81██低脅威物品保管庫に保管管理室に保管し、必要に応じて各サイトに貸し出す。
「これが目標の品ですか?」
アジトの地下室で、私は上司であり育ての親でもある呪術部隊長"ぬらりひょん"に一枚の報告書を見せられていた。Anomalous —低異常性物品報告書と書かれたその紙には、憎き財団の紋が印刷されていた。
「そうだ。明日計画されている奇襲作戦に平行して、君単独で潜入し奪取、或いは無力化を行って貰いたい」
「これを奪えば、財団の脅威に対抗できるのでしょうか?」
「"老人たち"はそう判断したらしい。書いてある通り元は我々が管理していた呪物で、書面通りに受け取れば脅威度の低い物品だ。しかし断片的な現存資料を参照した結果、この物品は第一級呪物として厳重に封印されていたものであり、持つ者によっては大いなる災いの種になるとされていた。現に管理場所も厳重なものに変更されているようで、奴らがああなってしまった理由と深い関わりがあるに違いないだろう」
始まりはいつだったのだろうか。私が覚えている限り、3年前からこの世界は徐々に変わり始めていた。最初は至る所でU.M.A.や幽霊、超常現象の噂が実しやかに囁かれるようになり、その実在性が段々と認知されるようになっていった。それと並行するように、この新たな脅威に対抗すると称してネット上からいつの間にか広がった運動により、世界政府樹立が叫ばれるようになった。それまで戦争ばかり行ってきたような国が嘘のように大人しくなり、国際協調を呼びかけるようになった。そんな中、奴らは表舞台に姿を表した。超常存在を抑えこみ、人類を救う救世主たち。人々の目にはそう映っただろう。実際は自分たちが少しだけ逃がしたバケモノを再収容するという、ただのマッチポンプだというのに。それだけで殆どの人類は、万雷の拍手の中新たな世界の管理者として奴らを選んだ。無論、私達のように奴らがそういう団体だと知っている者たちも居た。しかし、それを声に出される前に、奴らはあらゆる口を封じていった。工場やトイメーカー、研究所などはどうやってかは知らないがその多くの人員が引き抜かれ、かつての勢いを失った。異常存在を扱う公機関は、かつての私達の同胞のようにその役割自体を終えて解体・吸収された。そして私達のように奴らと抗争を続けていた組織は、奴らの使い始めた異常な兵器の数々によって活動拠点と人員を尽く潰され、大幅な弱体化と地下組織化を余儀なくされた。辛くも生き延びた私たちは、今まで以上に日の当たる場所を避けて行動せざるを得なくなった。
「君は偵察任務中だったから知らないだろうが、情報が齎されたのは昨日。財団日本支部のサイト-81██に務める研究者と名乗る男が、この報告書やサイトの詳細な内部情報を持ってここに逃げ込んできた」
その研究者は記憶処理に関わる部署の人間で、急激に恐怖政治じみた方針に変わった財団についていけず裏切りを決意したのだという。そして同志を集め、自分が目撃した件の物品の情報や、サイト内部の保安情報を収集しそれを手土産に敵対組織に亡命する計画を練ったらしい。
「そしてその計画に・・・、"蛟"・・・彼が混ざっていたらしい」
その言葉に、私は絶句した。数年前から密偵として財団に潜伏し、ここ半年間全く連絡がつかなくなった兄。既に死んだものとして忘れようとしていたその名前に。
「君の気持ちもわかるが、話を続けよう。情報漏洩に気づいた財団は、半年前から情報と人員を完全に封鎖していたらしい。その環境下で独自に情報収集しながら脱出の計画を練っていた彼は、その研究員達の情報と引き換えに彼らと共に彼らの脱出を手引した」
「それでは、兄は・・・」
「裏切り者が居たのか、脱出計画が漏れていたらしく、あと一歩のところで包囲されてしまったそうだ。そして、自分を囮にしてその研究員だけを逃がした。自分も後から追いかけると言っていたらしいが、ここまで辿り着いたのは一人だけだった」
「そう、でしたか。・・・大丈夫です。私も覚悟はしていましたので」
「・・・それで任務だが、内部への侵入は排気ダクトを通じて行う。これは君にしか出来ない方法だ。そして、屋内では監視カメラと警備の巡回が最も少ない経路を既に策定済みなので、それを通ってもらう。君の超感覚的な気配察知能力を持ってすれば、この程度の人員なら戦闘を極力避けることが可能だろう。管理室内部の情報は残念ながら無いので、その部分は現地での自己判断に任せる。サイト管理者の暗殺は第二目標とし、呪物の方を優先してくれ。目標達成後は、館内での逃走と奇襲部隊への合流を目指してくれ。その頃には後続の応援も到着する手はずなので、指揮系統の混乱を狙って一気にサイトを制圧する。そしてもし、逃走中追いつめられた場合は・・・」
「呪物の破壊と自害、ですね。大丈夫です。ここに居るのも、私が望んだことですから」
「・・・すまない」
そう言った彼の目には、上官ではなく育ての親としての後悔の念が宿っているようだった。その後の作戦参加者全体での会議を経て、私たちはこの決死の作戦に望んでいる。それまでの戦いで散っていった同胞たちに報いるために。
そして今、私は目標物と、敵であるサイト管理者の待つ部屋の目前まで迫っていた。
サイト管理者の部屋の前には、屈強な兵士ではあるが2人しか警備が立っていなかった。先程からの館内アナウンスは、財団の相当数の戦力が釘付けにされていることを示していた。"山童"は死角から素早く飛び出し、苦無を一人目の頚椎に突き刺した。二人目は即座に反応し発砲したが、彼女は苦無を離した手で一人目の肩を掴み、走ってきた勢いと体重差を利用して自らの身体を宙に舞わせた。兵士は咄嗟の出来事に対応できずにいると、3mもの間隔を飛び越え背後に着地した彼女に一瞬で首を折られた。彼女はすぐさま周囲の気配を探ったが、管理室内に一人居るだけでそれ以外は確認できなかった。それがこのサイトのトップである確率は高いだろう、彼女はそう判断し、扉の方へと足を進めた。
しかしその瞬間、彼女は背後に突然気配を感じる。反応する間もなく、彼女の米噛みには拳銃がつきつけられていた。
「動くな、仮に部屋に入れたとしても、一瞬で蜂の巣にされるだけだ」
彼女にとって、それは予期せぬ出来事だった。たとえ自分から気配を隠すことが可能な者が身近に居たとしても、その人間がこの場所に居るなど誰が想像できようか。ましてや、既にこの世に居ないと思っていた人間ならなおさらである。
「そんな、どうして・・・」
"山童"の頭は真っ白になっていた。研究員を逃がすために囮になったはずの彼 —"蛟"が何故ここにいるのか、その理由をいくら考えても、彼女は自分自身の考えを認めることは出来なかった。
「賊を捕まえました。蒐集院残党のネズミです」
彼は彼女の言葉を無視し、扉の方に向けて淡々と事務報告を行った。
「よくやった。その小娘をここに連れて来なさい」
天井のスピーカーからしゃがれた声の返事が返る。その声は酷くねっとりとした、虫唾の走るような声色だった。"山童"はその言葉に本能的な危険を感じたが、銃を突きつけられた状態ではどうすることも出来ず、促されるまま部屋へと歩き出した。そして管理室の扉が開いた瞬間彼女の目に入ってきた光景は、机の上で弁当の天ぷらを口に運ぶ壮年の男の姿だった。
「済まないね、君のお仲間が突然来るものだから、この通り部屋に缶詰めにされててね。ここの料理は、やはり弁当であってもなかなかいけるものだ」
サイト管理者は、食事を止めると品定めをするような目で彼女を見据えた。
「やはり表の連中で陽動を行い、内部での暗殺や破壊工作を行う作戦のようです」
「まあ合理的な手ではあるな。ただ、人手が足りてないにせよ忍ばせるにはちと役不足だったようだな。華はあるが」
管理者のその言葉を聞き、"山童"は敵が自分の最大の目的に気づいていない事を知った。
「ああ、もしやこの男と既知だったかな?この男はネズミとして離反者たちを扇動していたようだが、勤務実績自体はなかなか優秀なエージェントだったそうでな、人手不足というのもあって"再雇用"してやったよ。離反者は一人取り逃がしたようだが、結果的に要注意団体の残りを一網打尽出来たのは幸いだ」
彼女はこみ上げる怒りを抑え、努めて冷静に今までの管理者の言葉を分析した。この男は、自分の勝利を確信して慢心している。そう考えた彼女は、一か八かの賭けに出た。
「呪物を好き勝手利用して支配者を気取るのが、今のお前たちのやり方か?確保・収容・保護の理念が聞いて呆れる」
それまでの沈黙から一転、突然喋り出した彼女の言葉に、管理者は眉間に皺を寄せながらこう言い放った。
「理念を捻じ曲げているとは心外な。これは我々の理念を貫くためには仕方のない事なのだよ。その理由を君に話す義理はないが」
「その為には独裁も辞さないのか?知っているぞ、貴様らが世界支配を進めるために、室町時代の凶悪な呪物を使っていることを」
彼女がかけたカマに対して、管理者は少し驚いたような表情をした。
「なるほど、お前の狙いはこれか。確かにこれは我々の計画に不可欠なものだが— 」
そう言いながら、管理者は自らの机の引き出しを開け、古びた木製の正八角柱の箱を取り出した。その瞬間、"山童"は全身の筋肉を強張らせた。八幡神に清められた短刀を突き立てれば、自分が死のうがあの箱の力だけは無力化出来る。そう考えて、飛び出しの体勢を取ったのだ。しかし、その瞬間"蛟"は彼女の襟を掴んだ上で、落ち着き払った声でこう呟いた。
「それだけを狙っても、仲間を支援することはできないな」
その言葉の意味を理解するより早く、"山童"は短刀を箱へと投擲した。短刀が箱の上部に命中すると、何かの叫び声とともに金具が弾け、木片と共に何かの毛髪や骨が辺りに飛び散った。
「何をしている、小娘を殺せ!」
管理者は"蛟"に、絶叫ともとれる命令を下した。"山童"は身構えたが、その瞬間掴まれた襟を引っ張られ、瞬く間に屋外へと放り出された。受け身をとり、何が起きたのかわからぬまま閉まり始めた扉を見ると、そこに自分へと優しい顔を向けながら管理者に銃を向ける彼の姿を見た。その瞬間彼女は全てを理解したが、理解しすぎた故に感情に任せて彼を助けに行くことが出来なかった。
彼女の咆哮は、数発の銃声とその後の無機質な掃射音が絶えた後も続いていた。
朦朧とした意識の中、サイト管理者は辛うじて頭を働かせていた。胸からの血液流出は止まらないが、頭は致命的な部分を外れたため即死は免れたらしい。自分を撃った男が血の海に沈んでいるのを確認した後、彼は這いずって部屋の奥に飾られていた屏風の下へと移動した。その屏風 —SCP-800は先日米国本部から送られてきたもので、届いた時には絵巻物の状態だった。それが今や、弓で武装した平安時代風の装束の集団と、鉄砲で武装した戦国武者風の集団の戦争の屏風絵に変わっていた。
彼にとっては、裏切り者とネズミどもの小芝居にまんまと嵌められた事よりも、それによって自分が財団に損失を与えることのほうが恐ろしかった。どれほど尊大になろうとも、財団への忠誠心だけは変わらなかった。故に、死ぬ前に少しでも財団の役に立つべきだと思ったのだ。だからこそ、彼は報告書に書かれた情報を元にして、屏風に描かれた絵の内平安風の出で立ちをする人物が描かれている部分に自らの血を塗りたくった。事切れるその瞬間まで。
侵入者の逃走を告げるけたたましいアナウンスの中、"山童"はサイトの出口近くまで来ていた。幸い内部の人員の大半は最初管理室に詰めかけたため、その隙をついて極力戦闘を避けながら脱出することができた。後は財団側が混乱している間に、陽動部隊に合流して一気にサイトを制圧する。そうすることが、散っていった彼に対するせめてもの餞になるだろう。彼女はそう思いながら、主戦場になっているロビーへと飛び出した。その先に更なる絶望が待っていることも知らずに。
翌日、サイト-81██の管理室に一人の日本支部理事が訪れていた。部屋にあった死体は片付けられてはいるが、未だに硝煙と血の匂いは消えていない。傍らに立つ秘書官が、事務報告を行った。
「申し上げます。蒐集院の残党狩りは現在も進行中で、他サイトからの応援も加わっております。また、件のスパイの"再雇用"に関わった人間に、逃亡犯の一人の記憶処理部門の研究員と懇意にしていた医師が居たことが判明しました」
「そうか、恐らくまだ内通者が居るはずだ。それと、その裏切り者が開発に関わった薬品とその投与者を徹底的に調べ上げ、適切に処置しておけ」
「了解しました」
秘書官が去った後、理事はデスクの上の壊れた御神籤箱を眺めて呟く。
「この程度のオブジェクトに血眼になるとは、年月を経て"老人たち"の分析力も地に落ちたか。この呪物の力は、権力を行使する資格がある者にとってしか意味を成さないというのに」
室町幕府6代将軍、足利義教が将軍位を得るために使ったというその御神籤箱には、権力を強く望むものに当たりを引かせるような呪術が施されていた。彼の治世が独裁的だったのが果たしてこのオブジェクトの異常性によるものだったのかは分からないが、彼が失われつつあった幕府の権力を急速に回復させたように、このオブジェクトを使ったサイト管理者達は、強権的かつ合理的なサイト運営で高く評価されていた。とあるオブジェクトの収容違反が避けられなくなったことで、その無力化のため急遽必要となった財団による世界支配。その支柱となるサイト管理者の中には、冷徹に物事を進めるには余りにも善良すぎる人員が多く存在した。この籤は、彼らを冷徹かつ有能な支配者に仕立てあげるために非常に都合が良かったのだ。
「しかし今回の事件を鑑みるに、少し慢心する精神影響があったと見るべきか。既に使用した他のサイト管理者に、注意を促しておかねば」
財団が成し遂げた世界支配は、確かに自分たちの理念を貫くために仕方ないことだったかもしれない。しかし、権力の座につくものはほぼ例外なく慢心し、いずれその最初の理想を忘れていく。今は人類の庇護者として尊崇される彼らも、その支配体制を維持するためにやがて個人の自由意志までも管理下に置くようになるだろう。
"統治者"The Dominatorの名の下に。