遺作
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自分の書く作品が大嫌いだった。

読み返す度に虫唾が走った。

何故自分の作品はここまでつまらないのか。

どうしてこんなにも人を引き付けることができないのか。

かつて自身が望んでペンを取っていた男は既に原稿と向かい合うことにすら恐怖を感じていた。

怖かったのだ。

何よりも自分自身と向き合うことが。


結末を考え始めたのはいつからだっただろうか。

例えば、道路を跨ぐ陸橋を渡っている時。

例えば、駅のホームで電車を待っている時。

ふとしたきっかけで終わりに考えを馳せる。

けれど怖かったのだ。

誰の記憶にも残らずに、誰にも語られずに終わることが。

何も遺せずに忘れられることが。

本を読むのが好きだった。小学校の頃、クラスで一番本を読んでいた。

文章を書くのが好きだった。中学生の頃、作文コンクールで入賞した。

あの頃は、ただ楽しかった。

いつからだろう。

こんなにも苦痛を感じるようになったのは。


男の重い足取りは近所の小さなギャラリーに向いていた。

名画であろうそれらを通過していた足が1つの絵の前で止まった。

目立った特徴のない絵。

だがそこに何かの強烈なシンパシーを感じた。

貼り付いたような笑顔をしたギャラリーの主が求めてもいない説明をする。

絵の作者は一時は持て囃されたものの凡才であったこと。

薬物に手を染めたこと。

刑期を終えたその作者はまるで廃人のようで、1つの作品を残し行方をくらましたこと。

なぜだろう。

気が付けばその最後の作品を見たくなっていた。

ギャラリーの主は渋々といった感じで、決して面白いものではないことを釘で刺してからそれを引っ張り出してきた。

漆黒のキャンバスに浮かぶ3つの菱形の中央から不気味な赤い目が何かを訴えようとこちらじっとを睨んでいる。

その視線と目を合わせた瞬間に理解した。

この絵が彼の最期の作品だということを。


何時の間にやら商談に移行していた話を切り上げ帰路に着く。

あの絵の作者は、彼は自分と同じだったのだろう。

何も遺せない自身の才能に絶望した。

だが彼は気付いたのだろう、そして実行に移したのだろう。

文字通り全てを賭けて。たった1つの作品を遺すために。人々の記憶に残るために。

目を瞑らずともはっきりと絵の内容は頭に浮かべることができた。

覚悟が必要だ。

命を、時間を、過去を、未来を、何もかも捧げる覚悟が。

そうしてようやくスタートラインに立てる。

今こそもう一度ペンを取ろう。

命をインクにして綴ろう。最初で最期の作品を。


SCP-309-JPは1988年█月██日に██県██市のギャラリーで、ギャラリーの所有者である美術商██ ██氏の異様な変死体が発見された事をきっかけとして財団の注目を引きました。現場に設置されていた監視カメラに██氏の体表にSCP-309-JP-2が出現し同氏が死亡するまでの映像が残されていた事から、エージェント・██の捜索によりギャラリーの倉庫からSCP-309-JPが発見され、その後収容されました。関係者・目撃者にはクラスBの記憶処理が施されましたが、その際にSCP-309-JP-2が出現、██名の死者・終了対象者を出しました。


Anomalousアイテム記録:

説明:全て読み終わると、著者とされている[編集済]という人物を想起する原稿用紙███枚分の文学作品。コピーでも異常性は発生するが、Aクラス記憶処理で問題なく異常性は除去可能。著者とされている[編集済]という人物は現在まで存在が未確認である。
回収日:1987-11-██
回収場所:██県██市
現状:サイト-81██で保管。

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