独白
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これは私の勝手な言い分だ。ある意味、自分勝手な独白だ。君はこれを聞いてくれてもいいし、聞き流してくれても一向にかまわない。君からしたら、取るに足らない話かもしれない。もしかしたら、聞く価値すら無いかもしれない。だが、私が話すことだけは許してほしい。君に伝えたいんだ。

私は、小学校の頃の担任の先生からよく叱られていた。入学して、暫く経ってからずっとだ。恐らく、いやほぼ確実に、『彼』は私の事が大嫌いだったのだろう。『彼』だけじゃない。他の『教員』、『生徒』も、皆、私を嫌っていたはずだ。いつものように職員室に呼びだされ、私は扉を開けた。私は何も思っていないかのような表情を浮かべて、その呼出が、何を意味しているのかもわかっていないような風貌だった。

「何でお前はそうも生意気なんだ。」

これが『彼』の常套句だった。丸いメガネのレンズ越しから、『彼』の怒りに満ちた視線が私を襲った。口調こそ丁寧だったが、その眼差しは十分に私を罵っていた。
それとは正反対に、私は自分自身の表情に一切の躊躇いも映さず、ただ『彼』の顔をまっすぐに見つめているだけだった。あまつさえ、今自分が一体何について怒られているのか、それすら分かっていなかったんだ。その結果、『彼』の顔はより険しい物へと変わり、客観的に見てもそれはそれは恐ろしいものだった事だろう。生憎、私にはその怖さが分からなかった。『彼』のその表情から、私は『彼』の中にある黒いドロドロとした物がにじみ出ているような錯覚に陥った。恐らく、これは単なる怒りという感情ではない。もっと生々しい、今の私の年代の人間には決して向けない物だ。あまりにも具体的過ぎる負の感情そのものを、私は残酷なまでに真正面からぶつけられたのだ。『彼』の顔が、そのドロドロとしたもので覆われていく。今にも、『彼』が座っている椅子から立ち上がって、私にその握りしめた拳を振り落とそうとしているようだった。
私はそれを見透かしていたのかもしれない。自然と『彼』の、恐らく無意識に握りしめられた拳に目が行った。『彼』もそれを察知したのか、そちらに視線を移す。そして我に返り、先程までの顔を改める。あくまで理知的な人間であるというカモフラージュを実行した。すぐにドロドロが引いていく。だが、引いていくだけで『彼』の心の奥底へと戻っていっただけだ。
『彼』が何故、私に対してそのような感情を抱いたのか。想像することは容易だった。たかが一人の年端もいかない子供が、大人の自分に対して全て知っているかのような態度で、同等の立場で物を言ったからだ。まさに正論を言われ、皆の前で赤っ恥をかかされた上に複数の生徒に嘲笑された。しかも、それが一回や二回ならいざ知らず、この職員室に私を呼び出す度に。最早、怒りなどはとうに超え、それは憎しみにも等しい物になっていたことだろう。汚い言葉を使うのならば、私は『彼ら』からしたら殺したいほど憎い糞餓鬼だったに違いない。『彼ら』はあくまで教師という職に就いている。私があの時点で生きていられたのは、その役割が『彼ら』に課せられていたからにすぎなかったからだ。

「生意気だ。」

子供の時はこう思われていたほうが良かったのかもしれない。世の中には、生意気な子供などいくらでもいる。そう呼ばれて、そうカテゴライズされていたほうが、私にとってそれが安寧の地へと変貌していたに違いない。しかし、時の流れというものは残酷で、正直だ。無慈悲にそれは加速していき、いつしか私の『他者』との違いを浮き彫りにしてしまった。

そう、君も知っての通り、私は他の『人間』とは少し違う。見た目とか、なにか特異性があるとかじゃない。問題なのは、私の心だ。

私は『他者』というものを細分化して認識することが出来ないんだ。私にとっては『他者』という物は皆が皆平等であり、それ以上の何かへと分類することが出来ない。
私からしたら、例えその『他者』が年長者であろうとも、自分よりはるかに年下であろうとも、何億という財産と地位を持っていようとも、路地裏で泥水を啜りながら生きていようとも、皆、ただの『他者』としか認識できない。男か女か、その個人の情報というものまでは何とか頭で整理することはできるが、それから先は何もわからなくなるのだ。
そして、私は『彼ら』から特別なものを見出すということも出来ない。人が誰かに何かを感じるということは、その誰かがその人にとって何かしらの特別な存在へと昇華しているからだ。それがたとえ憎しみであろうとも、愛であろうとも、友情であろうとも、ただの『他人』という認識から脱しているのには変わりは無く、だが、先程も言ったとおり、私はその特別な人間というものを『造る』という技術を知らない。全ての人間が平等に見えてしまうがために、憎しみも、怒りも、愛さえも『他者』に向けることが出来ないのだ。

私には母がいた。私からしたら、『母親』というレッテルの貼られた『他者』でしかなかった。勿論、私はその『母』から生まれた。お腹を痛め、一人で私を育ててくれた。多分、『母』は私を愛してくれていたのだろう。しかし、私は『母』のその思いに応えることが出来なかった。想像してみて欲しい。世間では私にとって『母親』、『家族』とされている『人間』だが、私にとったら『赤の他人』でしか無く、そんな『人間』と24時間ともに生活するという状況を。この現状を苦痛言わず、なんというのだろう。自分の価値観が、明らかに普通の人間と違うということを常に突きつけられているのだ。自分にとって、本来大切な存在であるはずの『家族』という物がこうも無機質なものに見えてしまう自分という存在が、その当時はとてつもなく恐ろしかった。冷血な鬼にも思えた。ホームドラマを見て『彼ら』のまね事でもしようかとも思ったが、それも駄目だった。どうしても私には、この『母親』という存在が全く持って取るに足らない、ただそこにいるだけの存在にしか思えなかったからだ。
自分に絶望した。愛を知らない、いや、人を愛することが出来ない、誰かを、家族でさえ愛することの出来ない自分に、心の底から、私は絶望した。

私は一応は人並みに恐怖することはあった。しかし、それは自分自身に何かしらの危害が加わる可能性が発生した時だけだ。自分の死に直面した時、社会的地位が転落し生きていくことが困難になった時。『他者』には何も感じない。『他者』から受けた被害に関しては何かしら思うかもしれないが、それをいざ『他者』に向けようとした途端に何も思わなくなる。正確に言えば、その『他者』へと向けられた嫌悪、怒りのような感情がその他の『他者』へと分散しているのかもしれない、そんな感覚だ。私にとって『他者』は皆平等だ。何かしら『彼ら』から突出するものは私には無い。だからこそ、もたらされた現象に対する怒りなどは存在するが、そこから先は有耶無耶になってしまうのだ。

私が中学校に進学すると同時に、『母』は死んだ。重い病を患っていた。気づく筈がない。私にとったら、『彼女』は『他者』だから。『家族』とすら認識できていないから。リビングに倒れている『彼女』を見て、私が最初に思ったことは。

「・・・ただ、この人は死んだんだ。」

それ以上でもそれ以下でもない感情だった。いや、感情と呼ぶには些か冷たすぎた。
まるで流れ作業をするかのように私は救急車を呼んだ。受話器を取り、流石に今の落ち着いた態度でこれを知らせたら私が『彼女』に何かしたのではないかと疑われてしまうと危惧し、慌てて電話をかけたという演技をした。葬儀の日も、私は内心何も思っていなかったが、参列者の『人間』に涙を流しながら礼を言った。

「なんで、『彼ら』は泣いているのだろう。」

演技をしながら私は思った。そして、そう思ってしまっている自分が、化け物のように思えた。

私は冷酷なのではないか。感情を保たない、化け物なのではないか。私以外いなくなったアパートの一室。その中の洗面所で、鏡に映った自分を見つめながら自分に問いかけた。
『母』が死んだんだぞ。鏡面に立っているもう一人の私に言う。お前は、本当に何も感じないのか? 全ての『人間』が同じに見えるからといって、人が死んだことに対して何も思わないのか?
私は、戸棚の中に入っていたカミソリを取り出した。

「今、鏡に映っているお前も、僕からしたら『他人』なんだろ? なら」

右手でしっかりとそれを掴み、自分に首筋へと持っていく。ゆっくりと刃をあてがい、力を入れていく。まだ押し付けているだけ、切れはしない。ここで、一思いに手を引いてしまえば、簡単に楽になれる。私はそう確信していた。それに、案の定、鏡に映っている『自分』も、私は『他者』として認識しているようだった。これは好都合だ。こんな化け物、消えてなくなれ。私は右手を引いた。
しかし、それは何者かの手によって阻まれた。手首をひねられ、握っていたカミソリが床へと落ちる。私は驚いて、背中から倒れた。後頭部に激痛がはしり、歪む視界の中で私は私の右手を掴んでいる手の持ち主を探した。

「・・・なんで。」

そこにあったのは、私の左手だった。私は意識などしていなかったのに、左手が勝手に動いた。防衛本能。自分の命を守るための反射だった。死ぬことすら出来ない。私という存在は、私の死すらも否定した。『他者』を均一化し、そんな『他者』というものから私を隔離しているにも飽きたらず、私自身は、私の最後の救いすらも、無慈悲に奪いさってしまった。
私は『他者』に対しては恐怖などは覚えない。しかし、自分の事に関しては違う。私は、この時ほど自分という生き物が、気味の悪い、怪物に思えたことは無かった。鳥肌が立ち、嫌悪感にまみれた。吐き気すらも覚えた。まるで、生体を保存するプログラムで動いているかのようなこの冷静過ぎる動作に、私は私自身により一層の冷酷さを痛感させられた。

私はそれから勉学に逃げた。学問というものは『他者』とは違い、私の中の人間らしい感情を呼び起こしてくれたからだ。努力すれば、それが点数となって返ってくる。その達成感というものに私は病み付きになっていったんだろう。そんなことを繰り返していく内に、私は大学の助教授という立場になっていた。友人なども作らず、いや、正確に言えば作れず、ずっと一人で。『他者』という存在には特別な感情は持たなかったが、孤独感というものは人並みには感じていた。ある意味、私の中の新たな発見だった。この時からだろう。自分を分析し、自分に関する発見をすることをライフワークにしていたのは。
皮肉な話だ。一時期は、『他者』からもたらされるかもしれない被害を恐れて、普通の人間らしく振る舞おうとしていた時期もあったのに、それを止め、この私の『他者』という物の見方の改善を諦めてしまった途端にこの地位を手に入れてしまったのだから。
しかし、私のこの特性が役に立つことがこの頃になって判明した。それは『他者』に対する観察眼の異常な鋭さだ。私は『他者』という物の認識が常に平等になる。しかし、だからこそ『他者』という存在を見た時に、何ら偏見や情報の偏り、感情という物を蔑ろしてそれを観察することが出来た。結果、その『人間』の仕草から伺える心情の変化や、本人も気がついていない癖などが手に取るように分かった。お陰で、心理学などの学問の深いところまで精通することが出来た。これもまた、皮肉な話だ。

ある意味、その時の生活は安定していたかもしれない。しかし、相変わらず『他者』の認識は変わらなかった。人に物を教えると言う立場で、言動こそは何の違和感もなく『生徒』に受け入れられてはいただろう。だが、全ての『生徒』が同じ風に見えているのでは話しにならないのは事実だった。結局、私は『他者』というものを認識する力がないのだ。このような『病人』が、人に物を教える立場にいていいのだろうか。安定こそしていたものの、私の中の心のモヤは広がっていくばかりだった。毎日が苦悩だ。私自身の『欠損』を自覚し、それをひた隠しにしながら取り繕って生きる。一歩間違えれば私は、私の目的のために『他者』を排除するという行動にも出てしまうのだろう。所詮は平等な『他者』でしか無く、それに対し何かを感じているわけではないのだから、何の躊躇いもなくそれを実行するだろう。そんな不安感に苛まれた。平等に見えてしまうからこそ、一人減ったところでと言う思考に到達してしまうのではないかと言う恐怖だった。

またも、私は逃げるように海外へと出た。休みを貰い、心身を労ると言う名目で飛び出していった。正直、どこへでも良かった。『他者』というものが存在しない場所へさえ行ければ、たとえそれがジャングルの奥地であろうとも。どうせなら、ずっとこのまま誰もいない場所で生きていっても良かったのかもしれない。そうも思ったが、「現実的ではない」という私の理性の声が聞こえた。だが、これは私の人生の中での大きな転機だった。
私はそこで出会ったのだ。『異形』に。『人ならざる者』に。
私はその瞬間、またも自分に新たな発見をした。私は、この『異形』と呼ばれるであろう存在すらも『他者』と認識してしまった。
『異形』は私を見ていた。私は、『異形』に対し、一切の恐れも抱かなかった。ただ落ち着いて、『他者』として見続けた。

私は驚いた。その『異形』が存在していたことだけではなく、自分自身のこの特異性の行き先にだ。頭では分かる。こいつは、人からしたら恐ろしい生き物だ。行動パターンからも人を死に至らしめる大きな力を持っていることは明白だった。だが、私は動じなかった。否、動じることが出来なかった。静かな水面のごとく、そこには一切の波もなかった。しかし、そこには例の冷たさだけでなく、何か穏やかな暖かさを持つものも確かにあった。私はそれを感じた。私の胸の中の何かが飛び跳ねた。鼓動か? 血流か? 違う。これは心だ。私の心が踊っているのだ。しかも、それの直接な原因が、この『異形の他者』によってだ。この事実が、私に感動をもたらした。初めての感覚に、私は膝から崩れ落ちた。嗚咽にも似た声で、私は泣いた。何故私は泣いたのか。証明されたからだ。

「私は・・・・私は、化け物なんかじゃなかった・・・! 私は、誰も愛せないわけじゃなかったんだ・・・・! 」

そう、私は誰も愛せないんじゃない。誰か『一人』を愛せなかっただけなのだ。この『異形の彼女』を見て、私は確信した。私は、『全ての他者』を愛することが出来るのだと。偏見など持たない、公平な愛を。純粋な愛を。皆を愛することが出来るのだ。
私はその『異形の彼女』に関するレポートをまとめた。何故、このような行動に取ったのかは私にも分からない。もしかしたら、成り行きで科学者になったものの、突如そこに芽生えた「科学者の知的探究心」と呼ばれるものがそうさせたのかもしれない。学者などなりたくてなったわけではなかったのに。私はあまつさえ、『彼女』が私の住んでいる場所でどのようにすれば快適に生活できるかについても考察した。私のこの観察眼がこのような形で役に立ったのは大変喜ばしいことだった。

私はもう冷酷な化け物などではない。私は全てを愛せる。

私は、ここで改めて言いたい。声を大にして。


「私は全ての『他者』を愛している。」

私は言った。私の周りには『他者』だった者達とまだ『他者』であり続けている者達が散在していた。真っ赤に染まったその場所で、私はその中心に立っていた。そして目の前にはか弱い『少女』。この惨劇を生み出した張本人だ。

「可哀想に。」

「怖かっただろう。」

「君は悪くない。」

こう伝えることが『彼女』にとって正解であり、愛を持って接することに繋がるのだろう。これが正しい。私にとっての愛。『彼女』に与える私の最上の愛だ。

「だから、私はここにいるんだよ。『野々村』君。」

そう。だから私はいるんだ。私の愛がその証明だ。愛してる。全てを愛している。

その思いが、私の口をふさいだ。言葉など必要無いからだ。この感覚だけでいい。心地良い。これが愛なのだ。皆の視線が愛おしい。

私は、全てを愛しているのだ。

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