ダンス・ホール、ジャズ、自動人形。世の中を語るにはその三つで事足りる。煌びやかな閉塞感、揺籠に似たフレーズ、日常の中の贋作達。
帝が作りたもうた世の中は、芸術品のような美しさを喧伝している。言うならば世界そのものが、文化人の文化的な作品だというわけで。
全く、くだらない世の中に生まれてしまった。
ダンスホールがわざとらしく漏らす音楽に、噛み殺せない欠伸を一つ。同じ大學の知人達は様々な店に散っていくが、自分はどうにもその気になれない。いつものように真っ直ぐ列車に向かう、つもりだった。
「……?」
駅前の広場に、男が立っている。異彩を放つ男を人々は怪訝そうに見て、避ける。否──男は、少しの彩りも持たないように見えた。ボタンの取れたコートと、コートより上等な絹のような黒髪。足元の一点を見続ける視線。物乞いのような彼は、しかし、手袋に覆われたその手に、物乞いとは違う物を持っていた。
年代物のギター。彼の見た目も相まって、糸付きの板と見做されそうなソレを構えて、男は何やら呟く。
「……どうせ、君たちには聞こえないだろうけど」
六弦を優しい手つきで撫で、聴かせる気が有るのか疑問な小声で、彼は世界に宣言をする。
「歌います。『日は落ちる』」
音響一切なし、声とギターだけ。点数も、名前も付けようがない、荒削りな衝動一本。当然、その声を聞く他人など現れやしない。彼だってそんなことはわかっているだろうに。何故、彼は歌うのだろう。
──そんなこと、どうだっていいと。その音は明確に俺達に告げていた。
音を出すのは、糸付きの板でしかない。奏でているのは、人間でしかない。俺たちは物でしかない。それ以上の意味を求めない音。
その音全てを、俺は聴いてしまった。人いきれの中、他の誰もが気に留めなかった音楽を、俺だけは通しで聴き終えた。
「──ありがとう、ございました」
息も切らさず、彼はお辞儀一つ。まばらな拍手が彼に無造作に与えられ、それで終い。
そうなるのが、俺は許せなかった。
「あの」
群衆の最前列まで一息に飛び出した俺から、多段ロケットみたいに感情が吐き出される。
「曲、良かったです」
「……ありがとう」
「なんというか、音楽なんてくだらないって思ってたんですけど」
「……音楽が、くだらない?」
「あ、いや、違くて」
相手の声は冷ややかで、勢いのまま失礼なことを口走ったと悟る。慌てて首を振る。
「なんというか、この音だけは作り物じゃない気がした、というか。生きた音が本当にすごくて」
しかし相手の視線は変わらず──いや、むしろより冷たくなっていて。
「作り物が、悪いことだとでも?」
「え?」
「流行りを否定する為に、僕等の音を使わないでほしいな」
苛烈な一言は俺を凍らせて、彼はそのままギターを手に広場を去る。
自分が間違ったこと、間違っていることだけ突きつけられて、俺は広場に立ち尽くしている。
漫然と生まれる人間と違い、自動人形は理由があって生まれてくる。こんな言い方をすれば、人間より人形の方が上にも聞こえるだろうか。けれど自動人形の生まれてくる理由は、人間様の代用品である。
それが悪いことだとは、僕は思っていない。人形には人形の快不快があり、人の代用はそれなりに「嬉しい」仕事だ。
不満があるなら、いつまでも流行らないこの音楽にだ。手元のギターが鳴らすのは、この世界から外れた調子。
「俺はもう死ぬから、俺の音楽は死なせないでほしい」。そんな願いを込め、彼に作られた僕と音楽は、実のところひっそりと死んでいる。強すぎる音、綺麗さのない詩。主人には才能がなかったのだと、実のところ諦めていた。
駅の広場で歌う日課も、毎日が毎週になり、最近ではよりまばらになっている。いつ歌っても、観客の反応は同じだった。「悪くない、でも聞くほどじゃない」。
だから、二日連続でこの広場に立つのは久しぶりだった。それは人形の気紛れであり、昨日の青年を思い出したからでもあった。
この音に、確かな熱量で応えたあの青年。本当はもっと丁重に持て成すべきだったのだろう。けれど──チューニングしながら、あの青年の言葉を思い出す。被造物として、この音を続けるものとして、それは許せる言葉ではなかった。
彼は無自覚だろうけれど。踏みにじられた側は無自覚ではいられない。あそこで跳ね除けたことを、間違いだとは思わない。
……なんて、まるで人間みたいな自己判断を下して。僕はいつものように、無い息を吸い、吐く。
「歌います。『廻れ、音』」
そこで目が合った。昨日の青年と。だから、というわけではないが。
全力で語り、響かせる。──僕等の音を。
「……ありがとう、ございました」
「あの」
青年はまた飛び出して来た。昨日と変わらぬ、いや昨日以上の熱にあてられて。
そして彼は、先日の謝罪も無しに、薮から僕に質問を切り出す。
「名前。教えてください」
嘆息。自動人形である自分にそれを聞くことは、愚かだ。
いや、自動人形であることを隠している自分も、また愚かではあるのだが。しかし、そんなもの、音には関係がないのだから。
「僕に名前は──」
「いや」
しかし、彼は、私の予想を超えた近さで詰め寄って来る。
「その音の、魂の名前、なんて言うんですか」
私は。その質問を聞いて。
「は」
彼の代わりに、あるいは彼と一緒に、久方振りに笑って答える。
「ロックンロール。それが、僕の魂の名前だ」