クレジット
タイトル: 決して慣れるな
翻訳責任者: walksoldi
翻訳年: 2025
原題: Don't Get Used To It
著作権者: Captain Kirby
作成年: 2018
初訳時参照リビジョン: 8
元記事リンク: Don't Get Used To It
1歳児は憎悪を理解できない。悪意や暴力も分からない。もう2年かそこらの間は、彼らの辞書に「悪」という言葉が追加されることはないだろう。彼らはただ身の周りにあるものを見て、それを把握する。
一方で、6歳児は憎悪を理解できる。それを感じ取れるまでに成長したのだ。彼らは急に心の中がかき乱されることを知っている。視界が真っ赤に染まり、包丁を掴んで辺りが血塗れになるまで切り刻みたくなることを。そうして、心臓の鼓動は収まっていく。
30歳の大人も憎悪を理解できるが、その理解はより深い。彼らは憎悪を抱えて暮らすことができる。大きな憎悪、些細な憎悪、直に向けた憎悪、普遍的な憎悪。軽蔑も嫌悪も反感もそうだ。自分自身の失敗から、他人の失敗、身代わりで受けた失敗に至るまで、彼らは多種多様な理由で憎悪を抱く。
しかし、6歳児や30歳の大人が憎悪に慣れることはない。彼らはお互いに怒鳴り合い、脅し合い、「そんな口の利き方をしてはいけない」という理由で、一方がもう一方をベルトで鞭打たなければ気が済まなくなる。そうして怒鳴り合うのをやめた後で、両者ともに憎悪は普通のことではないと認識するのである。
1歳児は憎悪を理解できない。しかし何かを理解できなくとも、それに適応はできる。全く普通のことだと思い込める。憎悪とはそういうものだと。普通の夕食は怒号と悲鳴から成るものだと。金曜の夜のパパは罵倒とともに帰宅するものだと。どの家庭の姉も、背中と服の下の至る所にアザがあるものだと。
1歳児は微笑んだり、おしゃぶりをしゃぶったり、憎悪に慣れたりすることができる。
そうして2年が経ち、手錠を持った男たちがママとパパを連れ出して、姉を孤児院に連れて行く時に、彼らは3歳児を発見するのだろう。彼らはそれに憎悪を抱くのだろう。そしてそれは笑顔で憎悪を返すのだろう。なぜなら、憎悪はいつまでもその3歳児のそばにあり続けるものだからだ。愛から守るために。









