私と彼女だけの、そこらへんに溢れかえっているありがちな話
rating: +19+x
blank.png

その報せを聞いた時から2週間経った今も、私にはまだ少しの実感も沸いていない。

葬式はあまりにも簡素だったし、遺影は私のよく知る彼女の写真ではなかった。遺影の彼女はよそ行きの顔をしていて、よく私に笑いかけるような顔とは全く違う顔をしていた。
彼女はフィールドエージェントだったから、1ヶ月以上会えないこともざらにあった。いつの間にかひょっこり帰ってきて、出張先でこんなことがあったんですよって思い出話を沢山持ち帰ってきてくれる。それが彼女だった。私の中の彼女は、まだオブジェクト調査に出かけて行ったままだ。

別段隠しているわけでもなかったし、大々的に言いふらしていたわけでもないのだが、私と彼女が交際中だったことは多くの人が知っていた。よく一緒にいたし、お揃いの指輪もしていたから周りからみれば一目瞭然だったのかもしれない。彼女の訃報が入ってから、周りの人は色々と私を心配してくれたり慰めてくれたりした。でも私にはまだ実感がなくて、涙のひとつも流してはいないのだった。だから心配してくれる人達には笑顔で対応した。私は大丈夫だよ、心配してくれてありがとうね。幾度となくこの台詞を言った。

だって、まだ彼女は帰ってきていないだけなのだから。




彼女の訃報が知らされてから2ヶ月が経った。私はその間に何度か心理鑑定を勧められた。少しやつれてきていると同僚にも言われた。でも私はまた笑顔で対応した。私は大丈夫、ありがとう。……でもきっと大丈夫じゃなかった。今すぐにでも叫びたかったんだ。心のどこかでは解っている。彼女が亡くなったことは。それでも私は認めたくなかった。認めたら本当にもう帰ってこない気がした。

認めなくても、もう帰っては来ない。

そんなことにも気づかないまま、私はただ、崩れそうな心の柱を必死に守っていた。

ねえ、今どこにいるの。早く帰ってきて、お土産話を聞かせてよ。

送ったメッセージが返ってくることはなかった。毎日通知がなかったか確認して、通知があるとドキドキしながらその通知を開いた。でも毎回仕事関係の連絡で、私はその度にがっかりして、ただその仕事をこなしては彼女からの連絡を待っていた。




彼女が帰ってきた。

彼女はただ何も言わずに、私に抱きついていた。私も何も言わずに彼女を抱き返していた。言いたいことは色々あったのに、何も言葉が出てこなかった。ただ、彼女がそこに居た。それだけで私は嬉しかった。

しばらく抱き合ったあと、おもむろに彼女は私を離した。そして悲しそうな顔で笑って、ゆっくりと踵を返した。私は動揺した。まって、まだ何も話してない。この数ヶ月何があったの。ねえ、どうやって帰ってきたの。ねえ、ねえ、いろんなこと話そうよ。まって、お願い。まって。行かないで。彼女にいくら呼びかけても、振り返らずに彼女は去ってしまった。ついにその声も聞けないまま。

私は目を開いた。時計を見ると、夜中の3時過ぎだった。




それ以来、同じような夢を何度もみた。私はその夢を見るのがとても嬉しくて、そして苦しかった。夢の中でなら彼女に会えるのに、夢から醒めれば彼女の居ない現実に引き戻される。夢の中の彼女も私には何も返してくれない。ただいつも、曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。




彼女の肌は白くて、髪の毛は栗色で短髪、目は深い青だ。ほくろは左目の下と、口の左側にある。私は何度もその顔をみた。あれが私の彼女の顔だ。よく笑って、よく怒って、よく照れる子だった。私にしか見せない顔を、彼女はたくさん見せてくれた。でも今は、夢の中で同じような顔を見せるだけだ。

その顔でさえ、段々とおぼろげになってきている。




もう仕事の時以外はずっと寝ている。夢の中で彼女に会うことだけが最近の楽しみだ。

姿すらぼやけてきているのに、私はそれが彼女だとわかっていた。そこには、彼女がいる。私の大好きな彼女がいる。可愛くて、かっこよくて、綺麗な彼女が。

その夢から醒める度に、私は激しい後悔に襲われた。私は、何をしているのだろう。




本当に久しぶりに、コーヒーを淹れた。眠気が覚めてしまうからもうずっと飲んでいなかったし、そもそもあまり頻繁には飲まない方だった。でも今日は大事な資料をまとめないといけないから、仕方なくコーヒーを飲むことにした。

普段は料理なんかすると事故ばかりだからしないのだが、今回は珍しく上手くいって、まともなコーヒーを淹れることができた。誰に自慢する訳でもないのにちょっと得意顔でそのコーヒーを飲んだ。

少し、違和感があった。

久しぶりに飲んだせいかもしれないが、何だか私の知っているコーヒーと違う気がする。豆も機械も前と同じはずなのに。何かが足りていない気がした。酸味か、苦味か、それともコクか。決定的な何かが欠けているような。

「ねえ琴ちゃん、なんか足りなくな……い?」

口を突いて出た一言。それが答えだった。ただ、この場に彼女だけが足りていなかった。それを今、ようやく自覚した。コーヒーはいつも2人で飲んでいた。彼女が淹れたコーヒーを、テーブルを挟んで2人で飲んでいた。そこで色んな話をしていた。

  次の休暇は一緒に出かけようよ。
いいですね、何処に行きます?

  聞いてよ、この前こんなことがあったんだよ。
ええっ、そんなことが? 黒野さんが無事で良かったです!

  琴ちゃん、大好きだよ。
私も黒野さんのこと大好きですよ。
……黒野さんじゃなくて名前で呼んでよ。
……は、花さん、大好き……です。

鼻の奥がツンとして、目の前の景色が歪んだ。彼女との色んな会話が次々と思い出されては私の涙とともに溢れて行った。もう彼女とそんな会話はできないんだ。もう、彼女は帰ってこないんだ。今、ようやく解った。もう会えないんだ。彼女は、もう、死んだんだ。エージェント馬頭琴は、守ヶ洞琴音はもう、この世を去ったんだ。

服の袖で涙を拭った。拭っても拭っても、涙は溢れて止まらなかった。声を抑えようとしても、喉の奥から嗚咽が漏れ出た。もうどうにもならなかった。今まで必死で抑えていたものが濁流となって私の中から出ていっていた。涙を拭うのも、声を抑えるのもできなくなって、私は年甲斐もなく大声で泣いた。泣き声を聞いた周りの何人かの職員達が駆け寄ってきたり、遠くの方で誰かを呼んでいたりしていた。




それから1週間ほどして、私は仕事に戻った。あの一件以来、彼女の夢はもう見なくなった。私はようやく、彼女の死と向き合えた。

後輩の研究員が少し遠慮がちに話しかけてきた。まあ、あんな姿を見せてしまった後だ。少し気まずいのも頷ける。

「黒野博士、お久しぶりです。もう休まなくて平気なんですか?」

彼女はいない。でももう大丈夫。私はこれからまた少しずつ歩いていく。愛していた、彼女の思い出と共に。私は嘘偽りのない言葉と笑顔を返した。

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね!」

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。