今日初めて任務に出向くT.Dは、少し緊張しているように見える。なぜなら、Keterクラスの対処を指示されているのだ。『新人マニュアル~SCPクラス分類基準~』によれば、KeterクラスというのはSCPの中でも危険な部類で、人を食ったり殺したり、狂わせたりミームをばら撒いたり、あちこち跋扈したり世界を滅ぼしたりするものばかりだ。当然の如く、T.Dは上司に異議を唱えた。こんな危険な任務を新人に任せるのはどうかしているのではないかと。
「あの、書類によるとですね、SCP-3542は、えーっと、ミーム的効果を有し、現実改変が可能な、アブラハム宗教の背景を持つかもしれない敵性実体ですが……。しかも記録上では、対象は2ダースのDクラス特攻隊を一瞬で消し飛ばして、ついでに3機の装甲メカを蒸発させたとあります」
「まあ、それは事実ではある。だが心配はいらないぞ。もともと処分予定のメカだ、これで処理代が省ける」と、上司が彼にそう答えたのだった。
T.Dは状況を確認した。彼はスペシャリストとして徴募され、1年間の訓練を経てここにいる。現在の彼はSCP財団のフィールドエージェントで、セキュリティクリアランスはレベル1である。間違ってもDクラス職員ではない。Dクラスの特攻隊ではなく、福利厚生と人権が守られている財団の正職員なのだ。レベル1とDクラスは違う。
「それで、私は一人で対象を対処しなければならないのですか?たった一丁のショットガンで?」
「そうだ。まあ、あれはある意味形式的なものでしかないからな。どうしてもというなら重装備を申請してもいい、ただし損壊した場合の修理代は自腹だ」
上司はT.Dの懸念をよく知っている。ヴェールの裏側へ来たばかりの新人にとって、懸念は当然なものであり、かつての彼もそうだった。一人でドラゴンを対処してこい、などと昔の上司に言われた時、彼もそうやって怖がっていた。レートは不合格ではあるが、腐ってもKeterクラス。リスクはいつもある、理論上では。
上司は新人マニュアルを取り出し、あるページを開いてT.Dに渡した。「この部分をもう一度よく読んでみろ」
新人マニュアル~SCP Voteポリシー~
SCPの関連情報が観察者のポジティブな評価をもたらすかどうかについて、SCP財団はナンバリングされたアノマリーの評価システムを立ち上げた。前の章では、アノマリーの存在はSCP財団自身による注目と評価に関連があることを説明した――我々はアノマリーに対して評価を行うことで、その存続を左右することができる。この現象の理由について、未だに諸説紛々の状態である。しかし、財団の成立以来、このような関連は確かに存在することが幾度となく実証されてきており、例外は観測されていない。これは、アノマリーに携わる数多くの組織の中で、財団が優位に立てる理由でもある――我々は自然発生的に、アノマリーの審査員の役割を果たしている。これにより、他の要注意団体と人物が彼らの製作物を利用するためには、財団に察知されないようにするか、製作物をなるべく奇抜にしなければならない。
したがって、SCPの評価は収容に際してなくてはならない一部分である。価値の高いオブジェクトに対しては、高いレートを維持することで財団の制御下に留める必要がある。一方、収容に難しく危険性の高いオブジェクトに対しては、低レートで自然消滅させることは無力化の手段として安全かつ有効的である。現在、評価業務は財団のSCP評価委員会が担当している。委員会による評価およびその結果は、いかなる等級の組織・個人にも干渉されない。この評価業務は理論上、すべての財団職員により実行されることができるが、委員会の提案なしに、委員会外部の人間が関与してはならない。
初期の調査でSCPの異常性を同定した後、評価委員会はまず報告書に基づいてSCPに処置を行う。原則として、価値の極めて大きいアノマリーでもない限り、評価は通常のポリシーで行われる。評価が不合格となった場合、Keterクラスに対しては、その危険性を鑑み職員を直に派遣して無効化する必要があるが、それ以外のアノマリーに対しては処置不要、または経過観察のみとなる。通常では、これらのアノマリーは48時間以内で自然に無効化する。
現時点で評価委員会による評価の種類は以下の通りである。不合格――ネガティブ評価が過半数、または非ポジティブ評価が三分の二以上。不合格となったSCPは自然に無効化または脆弱化する。いままで例外は見られない。
合格――ポジティブ評価が二分の一超で三分の二以下。これらのSCPは存続し、一般的には無効化は困難となる。
優秀――ポジティブ評価が三分の二超。これらのSCPを無効化できた記録は存在しない。ただし、無効化という過程自体が評価点になった場合を除く。
殿堂入り――特別評価。存続させなければならない一部の重要なSCPに対しては、特別評価手順が適用される。これらのSCPは殿堂入りコレクションにリストされ、無効化は不可能となる。前述の通り、評価委員会は財団にとって極めて重要な部署である。評価委員会に加入するには、セキュリティクリアランスがレベル3以上、かつ勤務年数が5年以上でなければならない。委員会の一員になると、特別保護プロトコルが適用されるが、より特別な責任を負うことになる。委員会に加入したい場合は上司及び委員会に問い合わせること…
T.Dは当然この部分を熟読している。SCP財団の職員たるもの、ルールが分からないと何も始まらないからだ。彼はただ普通に、相手に改変させられるのではないかと心配しているだけである。
「俺の初任務はね、黒いドラゴンの対処だった。なんでも知性があって、黒の王とか自称してやがる。全長は何キロもあり、口からはチタン合金をも溶かす炎を吐く。あらゆる魔法を使いこなし、三峡ダムもあやうく吹っ飛んだところだったぜ。」
なにやら聞き覚えがあるようなフレーズに、T.Dは「これはなんか…」とつぶやく。
「その通りだ。評価委員会はこれを『大衆文化同調シナリオ』って呼んでる。これに引っかかったアノマリーの評価は死んだも同然だ。あの黒の王様とやらも可哀想だったな。もっと文化的な背景を持っていたら……例えばなにやらの神話と関連があるとか、なにやら涙必至のエピソードがあるとか、なんか奇天烈な技があるとかだったら、おそらくああ簡単には行かなかっただろうけどな。俺はかつての上司に三峡ダムのところまで引っ張られて、そいつもそこに居た、戦車よりもデカい目を大きく開いてね。そこで俺は拳銃で一発お見舞いしてやった。それですべてが終わった。『言霊』とやら火炎放射やら、あらゆる攻撃を受け付けない竜のウロコやら、俺は拝むことができなかったぜ。まあ心配はいらないって。堂々と近づいてな、そいつにパンチかビンタでも食らわせりゃいい。キック技を決めるとかもオーケーだ」
T.Dはまだ信じられないという顔をしている。
「なんちゃってな。まあ気を付けて行きな、銃は使うときに使え。安心しろ、ただの後片付けだ。実験室の掃除や一般人に薬を飲ませるのと大して変わらん。別に収容なわけじゃないからな」
--数時間後--
「どうだ?銃は使ったか?」
「いえ…」
「ほらな。まああまり節約するのもナンボなんだけどな」
T.Dは未だにさきほど彼が目の当たりにした場面を信じられないでいた。威厳に満ち溢れる天使は彼の前に立ち、20対の怪しげな翼で空間を歪ませていた。六本の腕は蒼に燃える剣を一本ずつ握り、三つの顔からは雷の如き言葉が発せられている(何を言っているかわからない。なにやらの経典かもしれないが、残念ながらT.Dの専門外である)。名状しがたき金色の幾何学的物体がその周辺に漂っており、認識災害を全世界にでもばら撒こうとしているという恰好であった。
天使は怒りをあらわにし、六本の剣を高く振り上げ、口から雷霆の如く一喝。T.Dはただ漠然と、これはきっと自分のご先祖ですら生まれたことがないようにする過去改変か、はたまた三千度の高温で一切を蒸発させる攻撃なんだよなー、と当て外れなことを考えながら、なぜか自分がやるべきことはその顔面にパンチを決めることだと確信した。彼は確信し、それを心のままに実行した。
そして天使は無言のままに灰燼になって、次に灰燼も残らないほどに、空気に溶けるように消えた。存在したことさえなかったように。
--夕食の時間--
「我々は、まるで神のようでした。これはある意味異常ではないのでしょうか?」
「その通り。神というのならばそうかもしれん。なぜそうなったかについては、未だに説明できる者はいないがな。だがいずれにしても、この力で、我々は世界を守ってきた。うまいことにね」
「それは…簡単すぎませんか?評価をするだけで財団が成立し、他の要注意団体も我々の思うがままというのは」
「ある意味でそうだが、そうでもない。別にKeterクラスのすべてがこんな安直なわけではない、ただKeterクラスになれるアノマリーは大体安直なだけだ」上司はラーメンを啜って、談義を再開する。「しかしそれもあくまで大体の話だ。ごく一部の脅威が、人を殺す怪物が、お前を狂わせるモノが――危険でありながら、人を引き付ける力がある」
「評価に基準があるのでしょうか?我々はこれを利用して、何かできないのでしょうか?」
「そんなものはないな。我々も好き勝手にできるわけではない。強いて言えば、基準とは『いいと思う気持ち』であり、自由心証主義の裁判のように絶対に正しい基準は存在しない。評価委員会が評価を操作しても無意味だ。なぜなら、委員会が成立したのはあくまで行政上の便宜を図るためであり、本当に意味を成すのは財団でそのSCPを知っているすべての人間の評価だ。我々は、単にそれを集約させているに過ぎない。例え委員会が682の評価を不合格にしても、あいつを殺すことができない――それがあいつの能力の一部かどうかはわからないが。ほとんどの職員から見て、あいつは凶暴で危険でありながら、どこか特別であることは確かだ」
上司はまたお茶を啜った。「同様に、我々が確実に保有したいSCP自体が単調なものである場合もある。無限のエネルギーを供給する永久機関、若返りの泉、あらゆる疾病に効く万能薬……価値は言わずと知れたことだが、アイデア自体が稚拙極まりない。俺が知っているもっとも評価に厳しい委員会の同僚は、これらのアイデアを『ゲロを吐くほどだ』と評している」
「しかし、SCP-500はまだ存在していて、『殿堂入り』にもなっています」
「これが微妙なところだ。我々は『面白いもの』を『面白くないもの』として扱うことを、すべての人間に強制させることができない。しかし、あるものを『面白いもの』にする――少なくとも、それを観察する評価者たちにとって面白いものにする――ことは容易い。例えば涙を誘う補遺の一つや二つとかな。委員会が秘密裏にSCP-500に対して特別評価手順を適用しようとした時、エージェントAAとアイリスはちょうどKeterクラスを二体も対処したことで酷い怪我を受けた。そこでO5は憎まれ役を買って出て自ら感動的な演説を行い、財団の勲章を贈るとか、まるで二人がもう死んだような言い草だった。そして隊員たちは“勝手に”2錠の万能薬を使って二人を救って、倫理委員会やO5評議会の内部に大きな議論を引き起こしたとさ。これだけドラマチックなエピソードがついてくると、生き残るのに十分だ」
T.Dは驚愕した。彼はAAとアイリスがKeterの襲撃の只中で暴走した隊長に対処したことをよく知っている。彼らは英雄だ。しかし、財団がこれほどの英雄をこんな風に利用したことは知らなかった。
「信じるかどうかはお前次第だ」上司は微笑んだ。
T.Dは黙り込んでお茶を飲み始める。不意に、ある考えが脳裏を掠めた。「さきほど、『知っているすべての人間』と仰いましたが……財団の誰にも知られなかったら、もしくはあるSCPは委員会だけが知っていたら、委員会だけが知っているようにしたら……」
彼はこれ以上言葉を発せられなかった。上司の微笑みがあまりにも謎めいていたからだ。
「一つ訂正するが、我々が知っていないアノマリーはSCPではなく、我々の制御下にもない。しかし、これは財団にとって些細のことにすぎない。なぜなら、我々はすでにヴェールの裏の世界のほとんどを支配している。知らないことなどどこにも存在しないのだからな」
沈黙の中で、携帯の着信音が響く。上司は画面に目をやる。
「今回は超能力者だそうだ。火と氷の操作と精神操作能力か。女性を催眠して一般人を攻撃するなんてやりたい放題だな。また顔面パンチをやりたいか?」
「…もう?」
「俺がお前のポストにいた時なんて、毎日平均で4人ぐらいのメアリー・スーを素手で対処してたぞ。早く行け、今回は銃を持ってくかどうかもお前次第だ」