微睡む廃墟
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これは、遺書になるのでしょうか。
それだけ書いて、諸知は一旦手を止めました。
寒々しい自室には、最低限の家具の他には、今向かっているパソコンがあるだけです。
初期設定のままの壁紙にメモ帳を立ち上げ、諸知はウィンドウを睨んでいます。
数分沈黙し、震える指をなだめながらようやく諸知はキーボードを叩き出しました。

空白

遺書というのは、適切ではないかもしれません。
これを書き上げたとして、果たしてその後わたしに死が訪れる気がしないからです。
変ですね、こんな場所で働いているのに、死ぬ気がしないなんて。
でも、そうなんです。
何かがおかしくなったのです。
いつからか、ゆっくりと、オブジェクトの新規収容やインシデント発生のペースが落ちていきました。
平和になってきたね、なんて呑気に笑っていたものです。
そのうち、何故か、写真のついた報告書が提出されなくなりました。
これについては認識災害や現実改変の可能性も検討されましたが、少なくとも、現場レベルではそれらと無関係だと結論づけられました。
この頃にはもう、わたしたちも異常に気づいていました。
苦難が起きない代わりに、発展も起きなくなっていたのです。
技術進化は止まり、名を成す若手職員など滅多にいなくなりました。
そして、ある年からオブジェクトが収容されなくなりました。
もう何年も、新しいオブジェクトも、超常現象も、アノマラスアイテムも、いえ、些細な事件の一つすらわたしたちは手にしていません。
新しい研究成果も、収容方法も、人材も手にしていません。
停滞しているのです。
わたしたちは、この状況を持て余しています。
執筆者が飽きて放り投げた物語の登場人物のように。
毎日毎日ルーチンワークをこなし、それ以外の行動を起こす気力すらありません。
可笑しいでしょう。死のうとしても、手足をそのために動かせないなんて。
どうしてわたしたちはどこにも進めないのでしょう。
この世界に作者がいたのならば、放り出さずに消し去ってくれればよかったのに。

空白

書き上げたものをじっと見て、諸知はおもむろに削除ボタンを押しました。
「これはわたしの意志でやったんだ、こんなの妄想だ、妄想に意味がないから消したんだ、わたしの意志だ、誰かにやらされているわけではないんだ…」
自分の身体が末端から煙のように消えつつあることも知らず、諸知は自分に言い聞かせるように呟いています。
最後まで残っていた唇が大気に溶けた後、部屋の扉が開き、誰かが入ってきました。

それは、先程溶け去ったはずの諸知でした。
諸知は爪を噛みながら椅子に座りました。眉を寄せ、ウィンドウを睨むと、重く息を吐いてキーボードを叩き始めました。

これは、遺書になるのでしょうか。

幾度も幾度も繰り返しているのに、諸知はそれに気づけません。

今、私がそう決めました。

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