薄氷
彼が愚痴る。私は聞く。それが日常。
彼が猫なで声をだして甘えてくる。いい年した大人が何やってんの、と思いつつ、私はそれに答える。それが日常。
また実験中に誰が死んだとか、誰が昇進したとか、誰に無視されたとか、そんなことを、彼は私に毎日しゃべる。機密保持はどうしたの?
私が返事をしようがしまいが、彼には関係ないみたい。彼は一方的にしゃべる。私はただ聞いてあげる。それが幸せ。
でもある日、彼は帰ってこなかった。
私は彼を信じてるから、心配なんてしない。
その次の日も、彼は帰ってこなかった。
私は彼を信じてるから、心配なんてしないけど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、私は不安になった。
私はひとりでも生きていけるけど、彼は一人で生きていけるのかな。
そのまた次の日も、彼は帰ってこなかった。
私は彼を信じてるけど、その日はちょっとだけ泣いた。
その次の日、彼は帰ってきた。
ひげがボサボサだった。爪が伸びていた。くさかった。
私はすぐさま彼をお風呂に追いやった。
まったく、私がいないと自分のことすら何にもできないんだから。
私はお風呂のドアの前に座り、毛づくろいをはじめた。
「ただいま、なりたさん」
「うにゃ」
ページリビジョン: 3, 最終更新: 10 Jan 2021 16:00