「何者かは知らぬが、ここは握り道場!許可なき者は通さんぞ!」
門の前に立つ5人の寿司職人。いずれの男も新品のように真っ白な調理衣を着ているが、それが飾りではないことは彼らの手の厳つさから伺うことが出来る。彼らの調理衣が白いのは、その卓越した握りで決して服を汚すことがないためだ。
「退けよ、雑魚が。俺はジジイに用があんだよ」
5人の前に立つのは薄汚れた風貌をした2人の男。一人の男は気だるそうな様子で腕を組んでみせ、もう一人の男は何も言わずにその後ろで控えていた。
「ならば尚更!老師様の元に貴様を行かせる訳にはいかぬ!」
「だから痛い目を見ねぇ内に退いとけって。魚はスシのネタにはなるが雑魚なんて相手にしても話のタネにもならねぇ」
手をひらひらと振ってみせ相手にする素振りすら見せない男。その様子に一際大きな背格好の寿司職人が前へ進み出た。
「……警告はしたぞ。帰らぬと言うなら貴様らをここで打ち倒す。5対2だが悪く思うな」
「雑魚が幾ら頭数揃えたところで相手になんかならねぇよ。おい、お前アレを見せてやれ」
「はい、師匠」
そう言うと後ろに控えていた男が懐から何かを取り出す。その寿司のネタは″ハンバーグ″だった。
「まさか、貴様らがあの闇……!」
「ご名答。悪く思うなよ。引かなかったお前達が悪いんだぜ」
ハンバーグを取り出した男は黙って寿司を構える。戦いは避け得ないと理解した寿司職人達も各々の寿司を構え始めた。
「3、2、1……へいらっしゃい!」
「たっくよお。手応えも歯応えもありゃしねぇ。お前達の寿司はスーパーのパック寿司か?」
そう言いながら闇は散らばった寿司の残骸を忌々しげに踏み潰す。どのスシも本来の力を失ってただ地面にばら撒かれていた。
「どうした?俺達を止めるんだろ?やってみろよ」
闇は白い調理衣を赤茶色に染めた寿司職人達の体を蹴って問いかける。だがどの寿司職人も呻き声を上げるのが精一杯の様子で男に抵抗することが出来ない。
「師匠、行きましょう」
ハンバーグで寿司職人を蹂躙した男が寿司職人を弄ぶ闇にそう言った。
「……あぁ、そうだな。ジジイの弟子と聞いてはいたがこの程度とは拍子抜けだ。ジジイの寿命も近いな」
「待て……お前達……まだ試合は……」
寿司職人のうちの一人が力を振り絞って手を伸ばす。闇は舌打ちをしながらその手を足で払うと黙って門の内へ入っていった。
ハンバーグを操っていた男も闇に続く、その足が床の赤い液体を弾き飛ばした、その液体が寿司の体をまた赤く染めた。寿司職人は頬に飛んだ液体を舌で舐めるとこう呟いた。
「これ、デミグラスソース……」
その言葉を最後に寿司職人の意識は深く沈んだ。
「老師!大変でございます!門を守る職人達が皆敗れたという報告が!」
「そうか、遂に来たか」
老師と呼ばれる男性は低い声で返す。
「門番の者達は?」
「皆傷ついておりますが、命に関わる傷ではございません」
「ならば良い。お前達は皆今のうちに逃げなさい。侵入者は私が相手をしよう。」
「老師、それは……!」
若い寿司職人の青年が目を剥く。
「それは出来ません。私達は皆老師のために命を投げ出す覚悟が出来ております!」
「お前達の使命は寿司を後世に継いでいくこと。安心しろ、ここで敗れるほど私もやわではない」
「しかし!」
老師の言葉になおも納得できないと引き下がる若い寿司職人。しかし、その次の言葉を口に出すより先に扉を破壊する音が部屋に響いた。
「よおジジイ、邪魔するぜ」
破壊された扉の残骸をけり飛ばし、気軽な様子で部屋に入ってくる闇。その少し後ろからもう一人の男も侵入してくる。
「貴様ッ!」
「待ちなさい!」
寿司を取り出そうとする職人を老師が引き留める。老師はおもむろに立ち上がり若い寿司職人の前に歩み出た。
「良い判断だぜジジイ。そんな握り慣れしてない若造を相手にしたらうっかり三枚おろしにしちまうからな」
「御託は結構。闇、お前の噂は聞いているぞ。……お前が道を違えたのは私の責任だ。せめて私がお前の相手をしてやろう」
そう言いながら老師は胸元から寿司を取り出して手の内に収めた。いつでも寿司を回す準備は万端だ。
「……おい、ハンバーグ貸せ。俺が相手をする」
「はい。師匠」
そういって闇も寿司を手に収めた。静寂が室内を包む。開始の合図は闇から発せられた。
「3、2、1……へいらっしゃい!」
両者の手の平から寿司が射出される。まずは左回転のハンバーグが右回転のスシブレードの正面を捉え──
「な!?」
──ることにはならなかった。老師の手から放たれたスシブレードはハンバーグの後ろから強烈な一打を叩き込む。
「左回転のスシブレードだと!?これは一体!」
「お前の噂は聞いていた。左回転の闇寿司を操るとな。左回転には左回転。道理だろう」
話している間にも脅威のスピードで動く老師のスシブレードは後ろから連打を叩き込む。お互いに初動の激しさが収まり始め、老師のスシブレードの正体が何だったのかがこの場にいる全員に明らかになった。
「な、玉子焼きの握りだと!?」
「出汁巻き玉子だ。出汁巻きはその味で寿司屋の実力が測れるともいう一品……それゆえに握りのうまさが強さに直結する。誰が握っても大差ない闇寿司とは反対だな」
「クソジジイが……!」
「私の新たな愛寿司……卵焼きの寿司、エッグ、そう!『エグドラゴ』!その強さをとくと味わうが良い!」
「左回転の、エグドラゴ──!」
エグドラゴの猛攻から逃れるため、一旦ハンバーグを操り距離をとる闇。ハンバーグとエグドラゴは互いに部屋の反対側を周回する形になる。
(落ち着け……まずは現状の把握だ。ジジイのスシブレードは玉子焼き。ふわふわに焼き上げられた出汁巻きが特徴だ。それにシャリだってあのジジイが握ってんなら優しく握り上げられてるはずだ……ならどうして出汁巻きと米が分離しない?)
一般的に玉子焼きが敬遠されるのは握りの難しさと玉子焼き自体の柔らかさだ。どれだけ上手く焼き上げられた玉子も、いや、上手く焼き上げられたからこそそのふんわりさが仇となり相手のスシブレードに容易に破壊されてしまう。
シャリもそうだ。優しく握られたシャリはあっという間に米がバラバラになってしまう。故に玉子焼きは持久力と防御力を捨て攻撃力に全てを振った寿司。お子様に玉子焼きが好まれるのもそれ故だが、ならば何故玉子焼きは短期戦に持ち込まずこの状況を静観しているのか──
(そうか!海苔だ!)
闇は玉子焼きとシャリを繋ぎとめる海苔に目を付けた。おそらくアレが玉子焼きの耐久能力を底上げしているに違いない。
「そうと分かれば話は早い!その海苔さえぶっ壊しちまえばジジイのエグドラゴはおしまいだ!」
「クソ、あのジジイどんな握りをしてやがる……」
海苔に標的を絞って攻撃する闇だったがその攻撃の結果は芳しくない。ほとんどの攻撃はシャリと玉子に阻まれてしまう。もともとの海苔の面積が小さいためだ。まさに手にシャリ握る……いや手に汗握る戦いだ。
「それにしたってシャリへの攻撃が全然通らねぇ!食品サンプルに攻撃しているみてぇだ……!」
優しく握り上げられたはずのシャリが猛威を振るう。崩れないようにシャリを握り上げるそれはまさに職人技だ。
「玉子への攻撃も玉子がふんわりなせいでほとんどのダメージが通ってねぇ!吸収されてやがる!」
「これは私も想定していなかったことだがな。優れた寿司は戦いの中でも進化をする。寿司を握るとはそういうことなのだよ。さしずめ、今のエグドラゴは進化したエグドラゴ……メテオエグドラゴというところだな」
「攻撃を吸収する、メテオエグドラゴ──!」
うっかり右回転のスシブレードでも出していたら大変なことになっていただろう。回転を吸収してさえいたかもしれない。
(だがラバーのような玉子の柔らかさに勝機がある!)
闇が攻撃する度に持ち前の柔らかさで攻撃を吸収するエグドラゴ。だがハンバーグの攻撃が玉子焼きに沈み込む分だけ攻撃面積が広がっている。つまり、その分だけ海苔に攻撃があたりやすくなるのだ。
「つまりジジイの玉子焼きと俺のハンバーグの持久力勝負って訳だ」
ハンバーグが力尽きる前に海苔を破ることが出来れば自分の勝ちである。そう信じて闇はエグドラゴに攻撃を加え続け──
「海苔が切れた!」
遂に玉子焼きの海苔が破れた。玉子焼きのバランスは数撃でも加えればあっという間に崩れてしまうだろう。
「見たかジジイ!これで俺の──ッ!?」
海苔を破り、老師の方へ向き直る闇は老師の姿に驚愕した。
「ジジイ!なにお茶なんか飲んでくつろいでやがる!」
「やはり私は熱いのが苦手だな……」
「本格的にくつろぐな!」
「秘蔵のガリはどこにしまっていたかな……」
「口直しもしようとするな!」
「いい加減にしろ!自分の状況が分かって──」
「それはお前の方だろう、闇。ハンバーグを見てみろ」
言われるとおりにハンバーグを見る闇。
「俺の方……?ッ!」
気づけばハンバーグはエグドラゴ以上にボロボロだった。無茶な攻撃のせいで想像以上にダメージが溜まっていたらしい。おそらく、後1度でもエグドラゴと打ち合えばハンバーグは崩壊してしまうだろう。
「お前の弱さはそこだ。闇、お前は強さを追い求めるばかりで寿司と向き合うことをしてこなかった。これが今の状況だ」
「……」
「寿司を大事にしないスシブレーダーに成長はない。これに懲りたらもう闇寿司などやめて──」
「……あぁ、身に染みるよなぁジジイの説教はよぉ」
「──?」
闇の態度の変化に眉をひそめる老師。それに構わず闇の言葉は続いていく。
「いつでもジジイの言う言葉は正論だよなぁ。ためになってためになってしょうがねぇぜ」
「闇、お前何を言って……」
「これも!テメェが教えてくれたんだぜジジイ!」
そういって雄叫びを上げる闇。その途端、ハンバーグから無数の刃が飛び出す。
「寿司を握るときは隠し包丁が大事だってなぁ!」
「それは魚の寿司を握るときの話──!」
無数の隠し包丁の攻撃に耐える老師。だがみるみるうちに玉子焼きの姿はボロボロになっていく。
「耐えろ!エグドラゴ!」
「これで終わりだ──!」
──そしてハンバーグの最後の包丁が玉子焼きを両断した。
「老師!」
青ざめた顔で老師に駆け寄る若い寿司職人。老師の呼吸は浅く、誰の目から見ても危険な状況にあるのは明らかだった。
「闇……待て……」
「……まだやる気があんのかよ。信じらんねぇ」
おぼろげな意識の中、なお手を伸ばそうとする老師に嘆息する闇。
「おい、帰るぞ。やることはやった」
「はい。しかしその前にここで奴の息の根を止めて……」
「いいから帰るぞ」
「しかしそれではここに来た意味が」
「──いいつってんだろ!さっさと着いてこい!」
「は、はい!」
男は不本意ながらも何故か不機嫌な様子の闇に着いていくことを決めた様子だ。2人を睨んでいる若い寿司職人を一瞥すると、そのまま部屋の外へ歩いていった。
「クソ……ムカつくぜ……」
闇の中には強い感情が渦巻いていた。いつぶりだったろうか、これほどに熱くスシブレードをしたのは。ハンバーグを手に入れてからというもの、圧倒的な力で全ての相手をねじ伏せてきた。しかし今日の試合はそれだけでは終わらなかった。少なくとも闇は相手を倒すために全力を尽くした。相手を観察し、知略を尽くした。
こうして相手を倒すためにスシブレードに真剣に向き合ったのは、確か兄とスシブレードをしていた頃で──
「チッ、気分が悪ぃ」
やりたかったことは成し遂げた。だが、求めていた以上のものも手に入れてしまった。
この感情を誰にも悟られまいと、闇は歩みを早めて道場を去って行った。