真北迷牌伝説
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実戦部隊の業務のうち多くを占めるものは何か。それは戦闘でもなければ訓練でもない。長い時間が必要でかつ面白みのないもの、それは移動と待機である。必然的に各地のサイトでは、要員たちによって非公式ながら遊戯室が整備されていた。

「よっと、通らば立直リーチ1す」
「悪いね、そいつだ」
亦好またよしサン、二枚切れの字牌2単騎待ち3って鬼ですか」
「18000点だよん」

そんな彼らが暇をつぶす定番の遊びに、麻雀がある。機動部隊員の面々だけでなく、時には非番のエージェントや職員も面子に加わっていた。中でもサイト-81██勤務の亦好久は、悪い待ちにするほど手が付けられないと恐れられている。変人フリークとあだ名される通り、待ちもやはり変なのが好きなのだろうとは同僚たちによるもっぱらの噂であった。

「亦好サンに勝てる人誰もいないすね」
「俺も、この人が凹んでるのは見たことないな」

スイッチを押すとテーブルが中心にむけて凹み、牌を落とす穴が口を開ける。ジャラジャラと牌を内部へと流し込みつつ、お追従に見せかけて慢心を誘いに掛かる二人だったが、当の本人は涼しい顔だった。

「いやいや、自分なんてまだまだだよ。真北まきたちゃんとか、他の強い連中に比べればさ」

意外な名前だ、と二人は思った。真北向と言えばとにかく道に迷う人物として有名で、およそ賭け事には縁のない印象であったからだ。

「あれ、聞いたことない?真北ちゃん、学生時代は雀荘でバイトしててさ。常連がどうも怪しい筋の人だとかで、知らないうちに代打ちとかしまくってたんだって」
「うわ、あの人らしいというか」
「信じがたいというか」
「しかも北家ペイチャの時とか、北を重ねた時のアガリ率が異常でね、他にも七対子は狙えば裏目は絶対に引かない程に芸術的だったとか。付いたあだ名は"超絶ノース"、"北斗七対子チートイツ4"」
「訂正します。なんだその異名、絶対うそでしょ」

カシャン、と新しい牌がせり上がってくる。見やすいように手牌の順番を変える二人を尻目に、亦好は話を続ける。

「その真北ちゃんも危なかった、って話があるんだ。彼が人事職員うちらと接触するより前のこと、それは強い雨が降る冬の夜だったらしい」
 


 

 
「あ、自模ツモりました。一発5付いて4000オールですね」

牌を倒して点数を申告したのは、ぼさついた髪と首から提げた方位磁針が目を引く青年だった。これで三連続のアガリである。

「や、やめてくれ、頼むもう一回」
「俺は違うんだ、今日は誘われただけで────嫌だ、助けてくれ!」

負けた男達が手荒に引きずられ店の奥へ消えていく。扉が閉まり、くぐもった悲鳴が何度か響いて、それから静かになる。
真北向はその日も仕事を淡々とこなしていた。自分が呼ばれたということは、チンケなイカサマでもしたのだろう。二人組になって牌を融通しあったり、符牒で情報をやり取りしたり。いずれにせよ真北には興味のないことだった。

仕事で卓を囲むのが良からぬ面子であるのは分かっているが、危ない分と口止め分は給料に入っている。ならば黙って打って早めに終わらせる一手だ。帰り支度を始めた真北に、残っていた男が声をかけた。最近よく見る客だ。黒いワイシャツにオレンジ色のネクタイを締めた巨漢である。

「おう、帰るのかい」
「もう人もいませんしね」

雀荘と呼ばれる、牌や卓を有料で貸し出して麻雀を楽しめるようにした店内に人は残っていない。そろそろ始発が動く頃合いだった。

「じゃあ俺も引き上げるとするか」

黒服の男は強面だが、腕前も相当のものだった。通常対局を重ねればマイナスにもなる収支はきっちりプラスに揃っている。口の周りに生やした髭で目立たないが、頬から顎にかけて一条の傷跡が走っており、素性は知れたものではなかった。あまりお近付になりたくないというのが真北の率直な感想である。

と、静かになった奥の部屋から、手をハンカチで拭いながら初老の男性が姿を見せた。手には厚みのある封筒。

「真北クン、急に来てもらって悪かったけど助かったよ。これ今日の分ね」
「ありがとうございます。でも卒業に向けて忙しいんですから、あまり呼ばないでください」

真北のそっけない調子に、その店のマスターである男性は苦笑いを浮かべた。

「じゃあ、お疲れ様です」
「マスター、また頼むぜ」

店を出ると明け方の空気が肺に雪崩れ込み、澱み切っていた勝負の空気を洗い流すようだ。見上げると冬の星空が広がっていた。これならよい観測ができるに違いない。北極星を探す真北の背中に、黒服の男が声をかける。

「いや、寒いな。兄ちゃん、学生さんなんだろ。この辺にうまいラーメン屋でもねえかな」
「ないことはないですが、教える理由もないです」
「打ち子と客に過ぎない、か。つれないね」

男は暫く沈黙した後、声のトーンを急に下げて言った。

「なあ、兄ちゃん。もう随分と稼いだろ。悪いことは言わねえ、しばらくここらに近寄るのは止したらどうだい」
「そのつもりですよ。今日だって来るつもりはなかった」

真北は振り向かずに答えると、駅へと歩き出した。途中、黒塗りのバンとすれ違う。背後で止まる音。あの客の迎えなのだろうか。

真北は特段麻雀が好きでも得意でもなかった。だが運は強かった。選択が裏目になることは皆無に近く、ここぞという勝負強さもある。そうした実力を買われていつしか用心棒の真似事をするに至ったが、続けている強い理由があるわけでもない。あまりバイトが長続きしない彼にとって、一晩でまとまった収入が得られるのは好都合であったというだけだ。

手持無沙汰を持てあまし、対局中は電源を切って放置していた携帯を取り出した。闇の中が少し明るくなり、真北の顔が青白く浮き上がって見える。画面に並んだ不在着信の山を見て、真北は反射的に再度電源を落としたくなる。しかし放置しても面倒が予想され、起きたら大学に行くと最新のメッセージに返信をして、今度こそ携帯を閉じた。
 


 
昼前に起きた真北が大学の学食にて日替わり定食を食べていると、足音を立てて近づいてくる人物がいる。荒々しく正面の椅子を引き、ラーメンの載った盆をテーブルに置くと、両手を付いて真北を睨みつけた。

「こんにちは、真北くん。昨日はどうして来なかったの」
「こんにちは、水分みくまりさん。食事は静かにした方がいいよ」

水分藍。真北が去年まで所属していた天文部の同期であり、数少ない友人の一人である。腹立たし気に着席すると、豪快に割った箸で麵を掴み上げにかかった。本当なら、昨日の夜は水分や後輩と観測の手伝いをする予定だったのを、急に入ったバイトですっぽかしてしまったのである。

「とはいえね、僕らはもうOBな訳だし、現役生に口を出しすぎるのもどうかと思うよ」
「現役時代から全然来なかったくせによく言う。それに人手不足なのも知ってるでしょう?」

大体身の丈に合っていないのだ、と真北は思う。天文部は長い歴史を誇り、専用の天体観測器まで数多く所有している。だが現在は著しい部員不足に見舞われ、整備の手間の方が勝っていた。どうやら昨今の新入生は星を見上げることに興味がないらしい。満足に動く機器はどのくらいだろう。

暫く無言で食事をしていると、水分がポツリと問うてくる。

「麻雀のバイト、まだ続けてるの?危ないでしょ」
「危なくはない。普通に勝てばいいんだから」
「いつも勝てるわけないじゃん。そもそも違法でしょ。賭け麻雀なんて、いまどき流行らないし。それともそういうのが好きなの?」

なるほど、そういう意味では天文部に入るのと牌を握ることにそう大きな違いはないのかもしれない。そんなことを考えていると、水分の箸がさっと伸び、真北が残しておいた餡掛け餃子を搔っ攫っていった。

「って、ちょっと!」
「うるさい、昨日の詫び代よ詫び代」

二口で餃子を無に帰し、水分は席を立った。いつの間にかラーメンも平らげられている。

「今夜20時から、大望遠鏡の解体整備だから。絶対来てよね」

一方的に告げて、食器からラーメンの汁を零さんばかりの足取りで歩み去る背中を、真北は生気のない目で追った。遅れて定食を平らげ、食堂を出る。

昨日はあんなに晴れていたというのに、今日の空は分厚い雲に覆われた曇天で、黒い雲が風に流されていく様子は天気の悪化を予感させるものだった。今から部室に行くのも気が引けて、真北は居室に赴く。珍しく無人だったのをいいことに、応接セットをつなげて寝床を作り、身を横たえる。院試の勉強をする気分でもなかった。

部活も、麻雀も、心理学部での勉学も、何かを見据えてのことでもなければ、楽しんでいるわけでもない。ただ目の前の事柄を淡々とこなし、食事をし、生きていく日々に意味はあるのだろうか。疲れていたのか、悩み事も無益と感じたのか、いつしか真北はそのまま寝入ってしまう。

そろそろ水分との約束の時間が迫ろうという頃、その眠りを醒ましたのは携帯電話から流れるクラシック音楽だった。割り当ててある番号は一つだけである。

「真北クン、大変だ。急いできてくれ」

温和なマスターには似つかわしくない、差し迫った声。

いつの間にか、天気は激しい雨へと転じていた。
 


 
電話口でマスターに伝えられた抜け道を使うと、どこかでワープでもしたのかというほど早く店に到着した。地元の住人でも知らないような隘路をいくつも抜ける複雑な経路だったが、奇跡的に正しい道順を辿ったらしい。店で待ち構えていたのは、昨夜も同卓した黒服の巨漢である。

傘を畳みつつ、店内に足を踏み入れて後ろ手に扉を閉めると、音を立てて一人でに鍵が閉まる。

「真北クン!」

正面の卓に着き項垂れていたマスターがほっとしたような顔をしたのとは対照的に、男の険しい顔に更に苦みが走ったようだった。耳に前回は着けていなかったオレンジ色のピアスが光っている。それに手をやり、男は瞬間どこか遠くを見るような眼をした。

「この人がね、店を立ち退けっていうんだ。それを賭けた麻雀で、みんなやられてしまった。もう真北クンしか……」
「マスター、そういうのはいいですから。任せてください」

勝負の背景になど興味はない。今はただ、この手強い相手を打ち負かすのが最優先だ。

しかし、そう言えば今この場には三人しかいない。席決め6の準備をするマスターを見て、真北はふと疑問を覚えた。

「あれ?マスター、北家は決めないんですか」
「ん?そりゃ、これは三麻だからね。北家はなしさ」
「な、なるほど」

真北向は三麻、つまり三人麻雀を知らなかった。しかしこの鉄火場で敵にそれを悟らせるのはまずい。何食わぬ顔で、牌を引くと南と出たので、南家の席に移動する。黒服の男が東家、マスターが西家となった。北家不在という未曽有の事態に、真北の背を一筋の汗が流れる。

『麻雀のバイト、まだ続けてるの?危ないでしょ』
『悪いことは言わねえ、しばらくここらに近寄るのは止したらどうだい』

真北の脳裏に水分と、なぜか昨夜の客の言葉が再生された。
 


 

黒服の男     35000点    
真北:親番    35000点    
マスター     35000点    

 
不安はあったが、配牌7を見ると、いつも通り北が揃っている。豪勢にも三枚。そう言えば、北家が居ない場合に北の牌はどういう扱いになるのだろう。

考えているうちに、黒服の男が山から牌を自摸ツモり、代りに一枚を手から切り出した8

真北もすかさず牌を自摸ツモる。有効牌、つまり手札に使える牌だ。

ちらと左手に座る男の様子を窺う。立ち退きを要求するとは、一体何者なのだろうか。マスターの腕前はよく知らないが、この男と打ってまだ大きく負けていないのなら悪くはない。真北とマスターで協力すれば、勝てる。

「どうした、切らねえのか」
地和チーホー9、なんてね」

真北が軽口を叩いて見せても、男はいつものようには乗ってこない。心なしか張り詰めた面持ちであった。だが気にする必要はない。まずはこの手を仕上げることが先決である。そしてその機会は四巡目に到来した。

立直リーチです」

真北は立直リーチを宣言し、点棒10を出す。今は黒服の親番だ。何も遠慮することはなかった。一巡後、真北は引いた牌を加えた手牌の一部を晒す。

カン11──」

更に追加で牌を取り、鋭く宣告した。

自摸ツモりました。2000-3900です」

珍しい役である嶺上開花リンシャンカイホー12も絡め、好調なアガリである。真北は不敵な笑みを浮かべて黒服の男を見た。しかし妙なことに、男もマスターも揃って意外なものを見たという顔をしている。

「あれ、嶺上開花見たのは初めてですか?」
「い、いや。さすがは真北クンだ。うちはツモ損なし13だから2500-5200だね」

マスターがいそいそと点棒を出すので、真北は釈然としないまま卓の中心にあるコンソールを操作し、卓の中へと牌を落とし込む。心の中に引っ掛かりを抱えたまま、真北はせり上がってきた配牌を起こした。
 


 

黒服の男     29800点 (-5200)
真北:親番    42700点 (+7700)
マスター     32500点 (-2500)

親の手牌としては凡庸であった。相変わらず北は二枚あり、対子である。七対子を含みにして手を進めていく。

動きのないまま中盤に差し掛かった頃だ。手番のマスターが、ふと呟くようにして牌を切り出した。

「抜き北、とね。三麻だと北の牌が風牌14に使えない分、手牌から出せばドラ15として扱えるんだ。足りない分は王牌ワンパイ16から引く。うちのルールだと、抜き北は嶺上なんかとも複合するよ17
「おいマスター、余計な事言うんじゃねえ」

広く知られたルールとはいえ、露骨な助言行為であった。同時に真北は先程のマスターと男の不可解な表情の意味を理解する。なるほど、あの手は潜在的にドラが三枚あったわけだ。単純に計算すれば、前局の真北の手は7700点から12000点になっていた。

「真北クン、悪いけど立直リーチするよ。この勝負、早めに決めよう」

マスターがキビキビとした所作で牌を曲げる18。対して、真北は手牌に安全牌がないことを確認した。

何故か、黒服の男がいつになく焦った調子で牌を切る。かなりの危険牌だが通った。一瞬の違和感を、普段の真北ならば見逃さなかっただろう。だが、マスターを優先して黒子に徹すると決めた真北は、ひとまず一度牌を切るのを遅らせる決定をしてしまった。

「じゃあ、僕も抜き北を──」

マスターの笑みが深くなる。

「真北クン、ゴメンよ。ロン19だ」

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「槍槓20もついて16000。本当にゴメンよ」
「マスター、何を」

衝撃を受けたのは、マスターの非合理的な選択にだけではなかった。その言葉と共に、真北は自分の体の内部で、形容しがたい感触──例えるならば何かがプツリと途切れてしまうような──を感じていた。湧き上がる尋常ではない焦燥感に、咄嗟に中座を申し出る。

「えっと、少しトイレに」
「その足で、どこに行こうというんだい」

立ち上がろうとして、真北は両足の感覚が丸ごと失せているのに気付く。力を入れようとしても全く意のままにならず、卓に崩れるようにして上体をぶつけてしまった。

「大丈夫、大丈夫だよ。この男から点を奪えば、きっと元通りになるからね。さあ、続けようじゃないか」
 


 

黒服の男     29800点 (-5200)
真北       26700点 (-8300)
マスター:親番  48500点 (+13500)

 
麻雀の親番は、全ての得点が1.5倍になるという非常に有利なポジションである。故に、自分や味方が親番の時はそれを保持するように、相手が親番の時は手早くゲームを終わらせるのが肝心である。しかし、前局のマスターはその原則を大きく破った。つまりマスターは真北を味方とは考えていない。

立直リーチするよ」

非情な宣告。温和なマスターの皮だけはそのままに、中身が別の物に入れ替わってしまったのか。店の床が傾いているかのように感じるのは足の感覚がないからだ。普段なら踏ん張って地面の存在を確かめるところだが、それを封じられたことで、まるでこの空間そのものが捉えどころがないものになってる。

いや、そもそもここは今まで過ごしてきた店内と本当に同じなのだろうか。麻雀をしていて手足の感覚がなくなるなど、夢といった方が納得がいく。

真北は体のバランスを取るのに苦慮しつつ、牌を取った。なんとか平静を保って見せてはいるが、内心では混乱と疑問が渦を巻いている。それに伴う動揺は、いつになく牌捌きを鈍らせていた。

「ポン」

何気なく捨てた牌に、黒服の男が動く。一拍おいて、真北はそれがキー牌であったことに気付いて愕然とした。一方で、牌を絞る21という利他的な戦略を続けることに意味がないのではという懸念も同時に真北の精神を苛む。普段なら感覚としてわかる筈の、相手の手がどれだけ進み、自身がどのくらい危険にさらされているのかが皆目分からない。この場にいるのは敵なのか味方なのか。

十三巡目、手牌は一向聴イーシャンテン22。ギリギリの選択として、一枚切れの字風、西を切る。黒服の男の目がほんの僅か、鋭くなった。

当たったか。息をのむ真北の背筋に怖気が走る。

「ポン」

男の太い指が真北の河23に伸び、心地よい音と共に右端に寄せた。三巡後、今度こそ守備的に打つ真北を尻目に、男はマスターの出した牌に手を晒した。

「ロン。8000だ」

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「おおおっ」

マスターが左腕を押さえる。黒服は懐から悠然と煙草を取り出して火をつけた。

「マスターさんよ、随分温いじゃねえか。ずっと人の陰で打ってるからそうなるんだ」

真北はその捨て牌に目をやる。真北の牌を鳴いた後、手出しで二度同じ牌が切られていた。確証はないが、西を出した時に実際は当たっていたのではないか。それが意味することは何だ。少なくとも、黒服は真北から点を奪うことを避けたのは事実だ。

真北が見ていると、煙草を吸い終えた男がふと顔をしかめ、おもむろにピアスを外してサイドテーブルに投げ出した。黒服の男の正体が分からない以上、下手に動くのはまだ危険だと結論付ける。しかし、先ほどまで真っ白だった頭に思考力が戻り、働きが正常に戻りつつあることは自覚することが出来た。
 


 

黒服の男:親番  38800点 (+3800)
真北       26700点 (-8300)
マスター     39500点 (+4500)

 
南場に移り、マスターが依然としてトップである。そのまま得点差を活かして逃げ切るのを、牽制しつつ戦っていくことになる。

「抜き北です」

ともかく、真北としては打点を稼ぐ必要があった。立て続けに手牌から北を抜き、王牌ワンパイから自模って入れ替える。しかし、全てが孤立牌となってしまった。

「くそ、手が重い」

真北は感覚の無い足を庇いつつ、身を乗り出して牌を操作した。だが、有効牌を一つも引けないのならば、単に手を遅らせただけである。

「ポン」

それを尻目に黒服の男が動く。真北の手牌は完全に遅れた格好だ。回避しつつ打ちまわそうとするが、今度はマスターの手が動く。

「ポン」

黒服と、マスターの間で打ち合いが始まる。ここで、牌は無情にもマスターに利することを選んだようだった。

辛うじて真北が通した牌を、マスターがなぞるように手を進めていく。一方で、黒服の打牌はいかにも苦しげだった。

「つ、自摸ツモだ!1300-2600」

自風ドラドラ、40符2翻でマスターが上がり切った。ここで決めるという意思が表れているアガリである。

真北は脳裏に点数表を呼び出した。真北とマスターの点差は18000点。これをひっくり返すには、親番に賭けるしかなかった。
 


 

黒服の男     36200点 (+1200)
真北:親番    25400点 (-9600)
マスター     43400点 (+8400)

ふと、雨が弱まっているのに気付いた。足の感覚はまだないが、余裕が出てきた証拠だ。男の行動についても、理由はともかく方針は掴めた。この黒服の客は、真北の敵ではない。それどころか、守るようにして行動しているのだと、真北は確信した。

それと並行して、真北は現状に対する答えを見つけていた。北の牌を活かすことでしか、勝つことはできない。マスターからの直撃を、なるべく早く取ること。真北は配牌を見る。

麻雀の基本にして最速の手を作る。開始四巡目、真北はマスターの捨て牌に手牌を倒した。

「ロン。3900です」

葛藤は勿論ある。手変わり24を待つでもなく、立直リーチを掛けるでもなく、染め手25を作るでもなく、打点を高めるでもなく。それらの迷いの中から、最適な一つを選んでいくということ。

それこそが真北向の麻雀であったと気付いたのだ。漫然と運に頼るのではなく、選択の結果として達成される物事に価値を見出す。その為に必要なもの、足の感覚が戻っている。

「初めてですよ、こんなに麻雀を楽しいと思ったのは。ほら、一本場26です」

真北はマスターの背中を捉えていた。手は高くなくてもいい。三度刻めば逆転に繋げることが出来る。

「真北クン、残念だよ。大人しく盾となって協力していてくれればよかったものを」

マスターの放つプレッシャーが突然高まる。全自動で動く雀卓が、謎のエラーを起こして異音を立てた。時を置かずして再起動するが、先ほどまでとは明らかに空気の重さが異なっている。

「そうだ、私としても、もう後がないんだ」

マスターが初巡で白を鳴く。意図は明らかだ。真北は落ち着いて手を一つ進める。黒服の男が露骨に牌を絞り、真北のサポートに回った。一騎打ちとなる。

立直リーチ
「ポン」

真北はマスターの鳴きから3巡遅れて立直リーチを宣告したが、それをすかさず食い取ってマスターが動く。蘇った真北の感覚が、マスターが聴牌テンパイしたことを伝えている。

「あんまり除け者にするんじゃねえよ」

黒服の男が、無造作に手牌の中頃から牌を引き出した。真北に差し込み27を図ろうというのだ。真北の待ちは、筒子の1,4,7の三面張。緊張の一瞬ではじき出されたのは、九筒。真北の待ちは外れている。そしてマスターの手にも安牌28

次は真北の番だ。ここで引き当てれば、望みは繋がってくる。自摸る手、軽くこすった裏面から、それが筒子であることが分かる。返すと、九筒──。

無言で切った直後にマスターがアガリ牌を掴み取る。

「自摸だよ。白のみ。安くてゴメンね」

1本場は1000点、500-1000は1000-1500。対局の趨勢が決しようとしている。 


 

黒服の男     35200点 (+200)
真北       26800点 (-8200)
マスター:親番  43000点 (+8000)

長い夜が終わろうとしていた。真北の勝利条件はマスターに満貫29以上を直撃すること、男の勝利条件はマスターに倍満30以上を直撃するのみである。

真北は、ふと残してきたものについて考える。結局のところ、自分は何をしたくてここにいるのだろうか。対局を無事に切り抜けたとして、もう二度とマスターと働くことはないだろう。さりとて研究活動に打ち込むことも、天文部に入り浸る景色も見えてはこない。

配牌を開く。先程の立直リーチをはじめ、ようやく普段通りの自分らしい麻雀が戻ってきた。真北は筒子の七対子が好きだ。特に北を絡めたそれは、夜空に輝く七つの星を表しているようだったから。義務感でも虚無感からでもなく、今この手を作り上げることを純粋に楽しもうと思った。

最初にマスターが抜き北で動く。早くも幺九ヤオチュウ31を払いにかかったのだ。自ら安手で上がることも視野に入れているのだろう。中盤、黒服の男が中張チュンチャン32を処理し終える気配。国士無双33だと読んで、真北も染め手に向かって余剰牌を処理、12巡目にはそれを終えていた。ギリギリまでリーチは避ける。

最後の巡目へと向かい、前半までとは打って変わって落ち着いたペースで対局が進行する。マスターに動けない事情があるのか、と無意識に想像する。次に選択を迫られたのは、黒服の男だった。手牌を前に動きを止める。真北はその一挙一動を見逃すまいと神経を集中させた。

男の行動は──。

「抜き北だ」

北を抜き、王牌から一枚牌を引く。今度こそ、真北のセンサーが異常を捉える。国士無双の形は例えば次のようになる。

勿論、清老頭34等の可能性もあるが、男の打ち筋からして可能性は低い。ならば、この抜き北の意味は何だ。考えろ、考えろ。そこにあるメッセージを読み取れ。

最後の巡目、残る牌は三枚。真北にとって最後の自摸番を迎える。

手に加えた牌は──九筒。先ほどは活かすことができなかった牌が、再びやって来た。

真北は敗者の運命を正確に悟っていたわけではない。今牌を倒せば、自摸・面前混一・七対子で12000のアガリだ。それで真北の逆転勝利である。今夜は無事に帰ることができるだろう。だが──。

黒服の男の目を、真北は朝も程近くなった今にして初めて見た。穏やかでいて覚悟を決めた目。それでいい、と訴えかけてくる目。間違いなく、男は真北に止めを刺される可能性について理解している。

真北の最後の選択は、迷いと共に下された。

「抜き北です」

発声に、マスターがびくりと体を震わせる。

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北の牌を抜くこと。入れ替わりに星を象った牌を引き込むこと。
一筒に描かれた円。一説によると、それは満月を指す牌である。

「もう一枚」

男は目を閉じ、真北の選択に身をゆだねている。

連続して、北の牌を晒す。自らを表す牌を手放し、遠く眠る星に手を伸ばすこと。そして約束されていたかのように、真北は最後の牌を手に加える。

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自摸ツモです。メン清・自摸ツモ・嶺上開花・海底ハイテイ35・七対・ドラドラ。12000-20000」

大量の点数移動に、マスターの顔面から血が噴き出し、卓を巻き込んで牌をまき散らしながら倒れ伏した。
 


 

黒服の男     23200点 (-11800)
真北       58800点 (+23800)
マスター:親番  23000点 (-12000)

長い夜が終わった。真北は立ち上がると、床に横たわるマスターの体を軽く爪先でつつく。動かないのを確認すると、黒服の男の元に向かった。胸を押さえて椅子に沈み込んでいるが、息はある。

「よう、兄ちゃん。まったく、お前さえ来なければもっと楽が出来たのによ」
「うるさいですよ。大体最後の一筒は何ですか。マスターがああじゃなかったらとっちめてます」
「おうおう、証拠でもあるのかい。手牌ならそこでバラバラになっちまったがね」

真北はこの男が最後に仕掛けた賭けを、七つの星に八つ目を見い出すようなアガリを想った。黒服の男は小さく笑い声を立て、真北に外へ連れ出すように頼む。迎えが来るはずだ、と。真北は苦労しつつ男の脇の下に身を入れ、何とか立ち上がった。

「で、マスターは何者だったんですか」
「知る必要はねえ。まあ人食い妖怪みたいなもんだろうよ──そう言えば、俺のピアスそこらに落ちてないか」

滅茶苦茶に散らかっている店内を見渡したが、くすんだオレンジ色の装飾品はすぐには発見できそうもない。そう伝えると、男は首を振って、探す必要はないと言った。

出口に近付くと、押し扉には鍵など存在していなかった。代りに、酷く重かった。極度の疲労によるものである。二人分の体重をかけて何とか開き、一歩外に出ると弱く雨が降っている。これからどうしようか、通報でもするのがよいか。そう考えつつ玄関口にへたり込むと、男が荒い息の中から何かを言おうとした。耳を近付ける。

「兄ちゃん、うまいラーメン屋をな、大事にするんだぞ」

そこで、真北の意識は突如として奪われた。
 


 
目を覚ますと、真北の体には女物の上着が掛けられていた。払い除けようとした拍子に妙にいい香りが鼻腔をくすぐり、真北は顔をしかめた。

「おはよう、真北くん。よく眠れた?」

身を起こして水分に上着を投げ返し、真北は目をこする。

「ごめん、結局手伝えなかった」
「珍しく殊勝じゃない。まあ、昨晩は居なかったよりはマシだったよ。ありがと」
「え、いや」

言い掛けて、真北は夜の間に何をしていたのかを一切覚えていないのに気付く。だが、水分が何やら満足気なので追及する気も失せてしまった。せめて片付けを手伝うことにして、二人は寒さに震えながら望遠鏡の下部に潜り込む。内部に置いていた工具を撤去し、蓋を閉めた。残りは後輩に任せてよいとのことで、二人は軽い挨拶をして観測室を後にした。

天気は悪かった気がするが、雲一つない夜明けの空が広がっている。

「来てくれて、嬉しかった。帰りにさ、ラーメン食べていかない?この時間でも開いてる美味しいお店見つけたんだよ」

水分の頬が心なしか染まっているのは寒さだけではないのかもしれない。

「やめとく。帰ろう、途中まで送ってくよ」
「そっか」
「でもさ」
「なに?」

真北はこれだけは固い決意として口にする。

「夜のバイトはもう辞める」

それを聞いて、水分はにっこりとほほ笑んだ。
 


 
「なーんてことが、あったとかなかったとか」

亦好の話に聞き入っていた二人は、そこでようやく息を吐いた。話し手が話し手だけに、真偽を計りかねているのか。確かに、話した内容は全て真実というわけでもない。だが、財団職員としての真北を見出したのが亦好なのは確固たる事実だった。

「それでその店、結局どうなったんですか?」
「んー?異常性の中心たるオブジェクトマスターは収容できたからね。後はいつも通りさ」

カバーストーリを流布して閉店、ログの精査と付き合わせて収容手順を構築し、一件落着。想定外だったのは、単なる異常性の評価作戦の筈が収容まで進んでしまったことか。

「おやおや、噂をすれば真北ちゃん。珍しいね、折角だから遊んでいくかい」

遊戯室の入り口に真北が立っていた。そう言えば、サイト内で彼が麻雀を打っているところは見たことがない。真北は露骨に嫌な顔をして答える。

「え、普通に嫌ですけど」
「だろうね。何か用?」
「定例の報告書です。一応、直接渡そうと思って」

真北の持参した書類を亦好は手早くチェックすると、そのまま受け取ることにする。

「お疲れ様。じゃあ悪いけど、これ処理してくるから」

同卓していた二人に声をかけ、亦好は執務室へと向かう。道すがら、あの頃のことを思い出す。

真北と彼が共に戦った夜。作戦前の最終ブリーフィングの光景。限界まで対局してデータを取得するという過酷な任務だった。

『あの兄ちゃん、今日は来ないんだろうな』
『手は打ってあるよ。天文部がらみの用事も入れておいた。ただ、こっちも人手が足りなすぎる。後はミーム頼りかな』

この目論見は結局、マスターが用意していた秘密通路で破綻することになるのだが二人は知る由もない。男は見かけによらず繊細で器用な動きをする太い指でオレンジのネクタイを軽やかに締め、カメラや観測機器を収めたピアスを耳に着けた。今にも降り出しそうな冷たい闇へと足を踏み入れようというところである。命の保証がない作戦に従事する前とはとても思えない気軽さ。

『なあ、本当に、その真北ってのはオブジェクトの類じゃないんだな』
『それは裏が取れた。丸っきりの一般人だよ』
『信じられねえ、あの打ち筋は常人のもんじゃねえぞ』

呆れた顔をするDクラス。絶対に確率操作能力だ、ついでに収容を考えた方がいい、などとボヤく彼に、亦好は柄でもないとは思いつつ最後になるかもしれない会話を続けた。

『また、打てるかな』

Dクラスはニヤリと笑った。

『まだ返してもらってないツケがタンマリあるからな、え?亦好の旦那』
『そうだね。君くらいなもんだよ、エージェントに貸しを山と作ってるDクラスなんて』
『そうさ。それに、勝っちまってもいいんだろ?』

結局、その夜に勝利を収めたのは彼ではなかったけれど、財団は無事にあの人型のオブジェクトの収容に成功した。作戦要員も無事に回収されたと聞く。

しかし、以降あのDクラスが遊技場に現れることはなかった。亦好の職掌とは外れているので、その去就は知れない。だが職員相手に築き上げたツケは亦好が責任をもって回収し、今でも引き出しの奥深くに保管してある。その一番上に真北の書類をしまい、ふと思う。

共に過ごした多くの時、赴いた修羅場を越え、築いた縁がまた新たな仲間を招き入れることもある。それに──。

「亦好サン、助けてください!真北サンと、顔に傷のあるデカいDクラスが……僕らじゃ歯が立ちません!」

夜の世界にあるのは別れだけではない。亦好は腕を大きく回すと、赤い縁の眼鏡のツルを押し上げた。
 

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