神が存在するから信仰が誕生し、祭祀が行われるのではない。信仰があり、祭祀をすることで神が作られるのだ。昨今、そんな説をよく聞く。
では、信仰の無い祭祀があったとしたら、それは何を作るのだろうか。私が最初にその疑問を持ったのは、まだ私が一介の大学生であった1966年の事だった。
その夏、私は所属していた民俗学研究室の教授に連れられて秋田まで「山の神に捧ぐ儀式」なるものを見に行った。それに至った経緯は本筋に関係しないので詳しく書かないが、簡単に言うと「秋田の山奥のマタギの村に、変わった信仰を守っている集落がある」という噂を聞きつけて調査に赴いたのである。当時の日本には、まだ因習めいた伝統を守り続けている地域がたくさん存在した。
集落を訪れ、儀式をやって見せてくれないかと長に申し出ると、最初は断られた。儀式は神様に捧げるためのもので、学者とはいえ外部の者に見せることはできないと言うのだ。当然の反応だろうが、こちらが対価として金銭を渡す事を告げると渋々承諾してくれた。当時の東北の田舎は貧しく、僅かな現金収入にも事欠いていたのだ。それに付け込むようなやり方に、私の良心は少々傷んだ。
集落の者を長の家に集め、儀式が始まる。参加者は各々彦三頭巾1のようなものを被っていた。何事か呪文のようなものを唱えながら旗を振ったり、踊りのような動きをしたり…。なかなかの壮観だ。しかし、私はそれを見ながら違和感を抱いていた。これは一体、何を目的とした儀式という事になるのだろう?本来この祭祀は集落の稼ぎ頭であるマタギの無事を祈るためのもので、狩猟が本格的に始まる秋ごろに行うのだという。しかし今は真夏で、今年の分はもう少し後でやるはずだ。これは一体なんの儀式で、彼らは何を思いながら祈っているのだろうか?そんなことを考えつつ居心地の悪さを感じていると、突然大きな音がした。儀式用の燭台の1つが倒れたのだ。燭台の火は敷物に燃え移り、赤々と燃えている。村人たちは大慌てとなり、儀式は中断した。
「やっぱり、こんたこんなことしたらいかんべな。神様が怒りなさっただ」火はすぐに消えたが、村人たちは口々にそんなことを言い、すっかり消沈していた。我々を見る目も一層冷たくなり、私と教授は逃げるように集落を後にした。教授は飄々としたもので、「風で倒れたのだろうが、あれは流石に驚いたね」などと言っていたが、私は震え上がっていた。燭台はきちんと地面に固定されており、風などで倒れるはずが無かったのを私は知っていたのだ。祈る先を持たない空っぽの祈りが、何かを呼び出してしまったのだ。
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信仰のない祭祀は何を作るのか。その答えに私が近づいたのは、その事件から20年経った1986年のことだった。
当時の私は大学で准教授として働いていたのだが、たまたま近くに寄る用があったので例の集落を訪れる事にした。20年前の事件以来何となくそこへ行くのは避けていたのだが、ずっと気になってはいたのと、丁度祭りが行われる時期だという事なので意を決したのだった。
20年ぶりに訪れた集落は、大きく様変わりしていた。祭りの最中というのもあるが、あの寒村がたった20年でここまで活気づくのかと目を疑った。入り口には「来って来てくれ!マタギの村███!」と書かれた横断幕が下がっており、そばにある駐車場には10年前にできたという国道を通って東北じゅうから来た観光客の車が止まっていた。祭りは20年前に私が見たあの儀式をベースとしており、村人も観光客も頭巾を被って楽しそうに踊っていた。1人の若い村人を呼び止めて変貌のいきさつを尋ねると、国道ができた事をきっかけにこの村も近代化の必要性を実感し、その一環としてマタギの儀式を使った村おこしを始めたのだという。マタギという言葉は東京の人でも知っているから良い宣伝になる、伝統の黒頭巾もオカルトめいた風貌で観光客は面白がる、老人は神聖な儀式を見世物にしたら罰が当たると反対したが時代錯誤だと押し切った、などと色々なことを話してくれた。また、酒と祭りの勢いもあってか「明治大正生まれの老人は迷信深くていかん」とか「21世紀も近いのに神だの罰だの言っていられるか」とか、古い世代への揶揄もかなり主張していた。20年前に私がこの地を訪れた事を告げ、当時に儀式をやっていた古老と会えないかと尋ねてみたが、その頃に儀式の中心にいた者たちはほとんど墓の中かその寸前だ、とにべもなかった。
正直なところ、いち民俗学者としては残念な気持ちもあったし、年寄りに片足を突っ込んだ身としてその若者の態度にも好感を持てなかったが、変貌自体には納得していた。伝統を守ることは、どうしても実利や発展とトレードオフになる。伝統を捨て、実利に走ることもまた自然な人間活動であり、避けえぬことだ。閉鎖的な儀式より楽しい踊りの方が後世に残しやすくもあるだろう。しかし、彼らの踊りは何に捧げている事になるのだろうか?本来は、猟の無事を祈るため山の神に捧げていたはずだ。しかし、もはやこの集落に猟で生計を立てている者はほとんどいないだろうし、何より踊り手たちは山の神を信じてはいまい。それなのに儀式だけは残っており、形を変えたとはいえ規模としてはむしろ大きくなったと言える。信仰を伴わぬこの儀式は、何に捧げているのだろう。彼らの呟く祈りの言葉は何を意味し、何を呼んでいるのだろう?
そう疑問に思っていると、村人たちが妙な噂話をしているのを聞いた。なんでも、奇妙な格好をした異形の者を見かけた村人が複数いるらしい。その出立ちは見た者によってまちまちで、身体は人間で頭は鹿だったり、逆に頭だけ人間で身体は熊のようだったりするという話だ。しかもさらに奇妙なことには必ず巫女装束や法衣など、神や仏を思わせるものを身に着けているのだという。
「そりゃ妖怪のたぐいなんでねえか?」「んだども妖怪にしちゃあふざけた格好だべや」村人達はそんな事を言い合っていたが、私は祭りによってそんな異形が作られたのかもしれないなと思った。信仰を持たぬとは言ったが、人々は何も思わずに祈りを捧げている訳ではない。お金を稼ぎたい、伝統を娯楽として楽しみたいという欲、また既存の神への少しばかりの後ろめたさ、そういったものが混ざりあった思いが盛大な祭りによって増幅すれば、人ならざる何かを作り出すのは当然だ。そこに信仰が混ざれば神が誕生するのだろうが、信仰無しのよく分からない祭りという事で一定の形を持たない奇妙な異形として顕現したのではないか。神と仏の区別すら曖昧な存在のようだが、祭りの趣旨には一致しているともいえる。おそらく、20年前に燭台を倒したのもそれだろう。祈ること自体で現金を稼ぎたいという、普段とは異質の祭祀によって産声を上げたのだ。
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それから40年近くが経ち、年号は2度代わって令和を迎えた。とうに大学を定年した私は、自宅でテレビ番組を見ていた。番組は「沈没する地方 限界集落の最期」というタイトルで、ちょうど秋田の例の集落がついに無人となったニュースを取り上げていた。件の集落はバブル期こそ賑やかだったが、2000年代以降は次第に人口が減り祭りも段々と縮小せざるを得なくなったという。B級グルメやゆるキャラの開発、外国人観光客の誘致などの対策も行ったが、まるで天に見放されたように鳴かず飛ばずだったそうだ。私も2010年ごろ、祭りが担い手不足で休止する直前にもう1度だけ現地を訪れたが、かつてとは打って変わって閑散としていた。
私は、人口減少や高齢化は日本全体の流れとして仕方のない事だが、集落が無くなるまで行ったのは祭りによって作られた存在が怒ったせいかもしれないな、と思った。あれは金銭や娯楽への思いや賑やかな祭りによって顕現したはずで、祭りが年々縮小すれば一般的な神でいうところの貢物の減少と捉えただろう。怒りの結果が自然災害などでなくB級グルメビジネスや観光客誘致の失敗というのも、いかにもそれらしい。
テレビは秋田の集落からの中継を終え、スタジオに戻っていた。日本の高齢化と地方の衰退を表すグラフを映し、日本全体が危機的状況にあると訴えている。そこでふと、秋田のあの集落で起きたようなことは日本全国どこでもありうるなと思った。どこの地域でも祭りの伝統は残っているだろうが、本気で祭りによって神様が喜んだり豊作になったりすると信じている者が未だに大勢いるとは思えない。もしかしたら、あの異形のような「空っぽの祈り」に作られた存在は日本中に沢山いるのではないか?そして、それらが昨今の地方の衰退などによって一斉に怒り始めているとしたら?
そんな予想が、少しばかり頭をもたげた。だが、それが的中しているかを知る事は老い先短い私には到底不可能だろう。私は静かにテレビを消した。