以下の文章は████/██/██に██県██市のマンションより回収された日記帳の内容です。
先ずはこの日記帳を読もうと頁を開いてくれたことを、心から感謝したいと思う。ひょっとしたら書いているこの言葉が君たちの文化圏では新種の言語で全く読めないかもしれない。あるいは所々にシミや劣化の後などがあって最後まで読むことが出来ないかもしれない。それでもあなたが私のぐちゃぐちゃになった心を整理する為に書いた駄文に興味を持った時点で、私は嬉しい。
日記帳という媒体の中に書いているがそう何日も続くような長いものにはしないように心がけたいと思う。先ほども言った様にこれは私の心を整理して、私はどういう気持ちなのかを私自身が理解する遺書の様なものだ。…恥ずかしいことに、人というのは自分の心すらわからなくなってしまうことが往々にしてある。
私は元々アトラルという地にて画家をしていた。異世界を跳躍するエルマ外教において、画家というのは何よりも重宝されていた。まあ自分たちの常識が何もかも通じない異世界において、絵というのはあなたが想像する以上に大切なコミュニケーションの手段となり得る。故にエルマ外教の画家はその人の作風や独特なタッチなどよりも写実性が求められた。
…あなたの疑問もわかる。「それは画家というよりも、もっと相応しい名前があるのでは?」と。だが実質的に無限の世界から信者が集まってくるアトラルは言語を含めた文化が複雑かつ大量に混ざり合う。故にあなたが考えている画家のイメージとは少しかけ離れているのも事実だと思う。
前述の通り、初めて観測された宇宙でも有力なコミュニケーション能力を持つ私はエルマの信者に連れられて様々な異世界へと跳躍した。永遠に続いていく霧の中の桟橋、砂の中に眠る前時代のコロニー、見たこともない植物に覆われた惑星…現地の人間に会うたびに私は絵を描き、時には文字も交えて彼らと心を通わせようとした。
もちろん全てがうまく行ったわけじゃない。心を通わすのがうまく行ったとしても、30分とかからないこともあれば10日経ってもまだこちらの話を理解できない時もあった。だが、彼らの言いたいことと私たちの言いたいことが1つの相互理解の元結びつく瞬間は何事にも耐え難い悦びに包まれる。それを人は「友達になった」瞬間と言うのだろう。
だがある日を境にして、私の人生を大きく変える出来事が起こった。どこかの跳躍先でもらってきたのか不明だがエルマ外教の仲間たちが気を患い始めた。医者曰く病気の類ではないらしい。ただ、恐ろしい幻覚が見えるとのこと。どのようなものかと私が尋ねるとみな口をつぐんでしまう。食事も趣味も何もかもが出来ずふさぎ込んでしまい、最後には死を選ぶ。私は同胞が死んでいく姿に、悲しみ以外の感情を持っていた。
それは理不尽に対する怒りだった。対処法も分からず理不尽に死んでいく、未知の死因というのは異世界跳躍をする人間において覚悟すべき点であるというのは理解していた。だが、「この死に方」だけはあんまりだと思った。苦心の果てに得た相互理解が、「友達になった」証がボロボロと崩れながら死んでいく。何も話さず、コミュニケーションをせずに死んでいく。
私はその時始めて、自身の感情のままに筆を取ろうと思い立った。描写の精巧さなどを考えずに、心に浮かんだ理不尽に任せてただ絵の具をぶちまけ、筆を走らせ、時には自分の手さえも使って白いキャンバスに何かを描いた。私はそれを墓までもっていこうとしたのだが、それを見つけた信徒がこれを公表しないのは勿体ないとせがまれて結局そうした。
反響は想像以上だった。私の感情が顔も見えない誰かの心を揺れ動かし、自分の怒りをもっと貴方に代弁してほしいという意味を込めて賛美の感想を私に送った。
それから私は忠実に描写する作品ではなく、自らの怒りに任せた作品を発表し続けた。他人とコミュニケーションを取るための絵ではなく、勝手に他人の怒りを代弁して押し付けるような絵を描いた。自分ではそうは思ってないが…多分自己顕示欲もあったと思う。だが大抵は我々の相互理解の下に生まれた友情を嘲るような、理不尽な死に対する怒りである。
エルマ内で画家としての私の名前はどんどんと広まっていき、私の作品を心待ちにする声も増していった。その間にも幻覚を見る同胞は増えていき、何も言わぬまま死んでいく彼らに私の怒りは無意味であった。
特に何か大きな出来事が起こったわけじゃない。ある日を境にぱったりと描けなくなった。絶やすべきではないと思った怒りが、創作への原動力が、渇いてしまったんだと他人事ながら思った。私の心の中にあった思想や感情が、分厚い膜を何枚も隔てたように、自分のことのように感じなくなってしまった。死ぬまで憎悪の炎に焼けられ続けれるほど、人の心は強くないんだなとも思った。
私の作品を心待ちにしている声に迷惑をかけたと思って逃げ出したくなって、自室に3日ほど引きこもった。何がしたいのか、何のために絵を描いているのか自分でも分からなくなった。そうしていると幻覚を見るようになった。どこかをふらふらと歩く幻覚で、10回は超えるくらい見たと思う。色という概念がなくなったかのような寂しい、それでいて不安になるような場所だった。いるだけで神経が摩耗するような、思い出して描くことすら憚られる強烈な何かを感じた。ああ、ここは私の死に場所なのかとも思った。
何回目かの幻覚によるトリップの時に、それに出会った。おぞましい形をした何かであり、瞬間的にそれは人知の及ばぬ存在であると知覚した。「それ」は自分の体の細長い部分を生物の死体「だった」と思しき肉片を伸ばしたり、ちぎって別の肉片に繋げたりしていた。瞬時に理解した。「それ」は───創作をしているのだと。何のために、何を原動力としているのかは理解できなかった。私も創作の材料にされると本能で感じ取り、恐怖で心がぐちゃぐちゃになった。
その時だった。私と「それ」がいる場所が、宇宙になった。何を言っているかわからないと思う。だがそうとしか説明がつかないのだ。自分の足元が漆黒の空中に浮かび、周囲にはきらきらと光る星しか見えなくなった。いや、星以外にも目を引くものはあった。私と「それ」の真上に、女の顔が浮かんでいた。目も鼻も口も、全てが今まで見てきた全てとも合致しないのに女の顔だと理解できた。顔はやがて薄まるように宙に広がっていき、ぽっかりと真っ黒な孔が空いた。「それ」は黒い孔に崩壊するかのように吸い込まれていった。宇宙に1人取り残された私の眼に最後に映ったのは、虹色の形をした何かだった。
私は目を覚まして自室にあった紙と鉛筆を急いでひっつかみ、あの宇宙の光景を、あの女の顔を忠実に描こうとした。だが写実的な絵を描かなくなって久しい私の力では思い出すことすら難しかった。あれは私の信じた女神エルマだったのか?それとも───別の何かなのか?わからない。何もわからない。
私が幻覚から目を覚ますと、エルマに蔓延していた幻覚の症状がぱったりと止んだという報告があった。これもすべて貴方が理不尽に対して叫び続けてくれたおかげですと、私はその行いを称賛されることになった。だが、私にとってはそんなことはどうでもよかった。本当に描きたいものが見つかったからだ。
あの場所で、間近で見た神の御業を再現したい。もう誰からも理解されなくてもいい。誰からも評価されなくてもいい。私は、この目で見た神の存在を伝えたい。それが女神エルマではない別の存在だとしても、私はその神を信じるまでだ。故に私は名前を捨て、絵を描くための両手を捨て、生きた痕跡さえも捨てた。相互理解も捨てた。友も捨てた。私を代弁者として渇望する声も捨てた。
ここまで読んでくれてありがとう。両手を使えない、念力での筆談は慣れないが読める文字にはなったと思う。これが私が死んだ後に書いた遺書、別の私に生まれ変わるための心の整理。
私の絵を見て喜んでくれた異世界の友達へ、私の怒りは自分たちの総意であると思い込んでいた声たちへ、あの日あの場所で黒い孔に吸い込まれた「それ」へ、私が偽装した死に悲しんでくれた妻と娘へ。
私は、創作を続けるよ。描きたいものが見つかったんだ。どんなに辛いことがあっても、どんなに心が離れても、虹の羽根を持つ星空の神を描くことが私の生まれた意味だと知ったから。1人しかいない孤独な芸術家の世界だった、としてももう寂しくはないよ。
虹の根元に集まろう。
芝酒杏瑛改め世言者イアンサ
この日記帳の最後のページに女性の絵が油絵具で描かれていました。財団はこの日記帳に散見される複数の疑念を解消するため、解析を急いでいます。