明かりの消えた映画館の劇場、私はその座席に深く腰掛けていた。周囲を見渡すが他に客はおらず、スクリーン上では白黒ネズミが右から左へと歩き続けるセル画が永遠と繰り返され、映写機の乾いた駆動音だけが劇場に響き続けている。
ああ、またか。私はイラつきながら立ち上がると、足早に劇場内から立ち去る。行く当てもなかったが、この場所に留まっているよりは幾分かマシだろう。そんなことを考えながらトイレの洗面台で顔を洗う。そう、これはいつもの嫌な"夢の世界"だ。そうでなければ、目の前の鏡に映った私の姿が見覚えのある白黒ネズミであるはずがない。
夢見がこんなにも味気なく、むしろ苦いとまで感じるようになったのも、全ては現実での病魔のためか。いや、それだけではあるまい。私の後任が、誰一人として私の思い描いた夢物語を正しく実現させるに至らなかったためだ。
夢見ることが出来る限り、その夢は必ずや現実のものとすることが出来る。だが、残された時間がないというのに、今の私には色褪せた創造性のない夢しか見られない。ああ、全ての悪因は焦りか、失望か。私が死して夢へ降下した後では、全てが遅いというのに。
「やあ、どうしたんだい、こんなところで」
ややしわがれた声が室内に響く。続いて、紺のビジネススーツを着たアヒルと鏡越しに目が合った。
「はは、現実での療養や後任者たちへの引継ぎが上手くいっていないためか、こちらでも少し気分が優れなくてね。何、いつものことさ」
そう言って私は彼の方に改めて向き直る。彼は私の昔馴染み……と言っても、彼に関する詳しいことはあまり知らない。何でも、夢の中で一事業を行っている団体の一員だとは聞いているが、彼とそう言った仕事絡みの話をしたことは今までなかった。ふと、視線を彼の後ろに回すと、奇妙な頭をした羊を連れていることに気が付いた。
「何だい、その羊は?」
その問いかけに、彼は待っていましたとばかりに目を輝かせる。
「ああ、これはうちの新しい試作品でね。夢に居ながら現実との通話ができる代物なんだよ。その内、これを使った"オーダーメイド・ドリーム"の受注でも請け付けようかって話も挙がっていてね」
「現実との通話……それは、私でも使えるのかい? 例えばの話だが、私が死んで純粋な夢の住人となった後に、とか」
私は思わず彼の話に喰い付いた。夢からの現実との通話、それが叶うのであれば願ってもない。時間の制約という枷に悩まされず、自由がまま夢を思い描けるだけでなく、それを正しい形として実現させ得るビジョンを持った者へと伝えることが出来るかもしれない。どこかタイミングが良すぎるとも思ったが、考える間もなく私は矢継ぎ早に尋ねる。
「もし使えるのであれば、私にも1台……いや、1体? 買わせてほしいのだが。値段はいくらほどだろうか?」
「残念ながら、これは売り物ではなくてね。それに、降下後に現実の者へと何か言葉を伝えたいのなら、彼、もしくは彼女の内部で直接伝えることもできるだろう?」
「それでは私の夢見を的確に伝えられないんだ。何人が白黒ネズミの夢からのお告げを信じると思う? なあ、頼むよ。何かほかに手段はないのかい?」
私はなお食い下がる。彼は「うーん」と言いながら腕御組みをし、それから少しした後に言葉を続けた。
「まだ開発中なんだけど、手段はあるにはあるんだ。だがね、少しばかり手間と工数、それに君の協力が必要でね」
「それでも構わない。代金も、私に払える限りならば、いくらでも出そう」
「いや、代金は結構。私たちは、君が君自身の夢見を、現実にて実現してくれるだけで充分なんだ。つまりは、君の夢見が現実の世界へと反映、持ち出され、より永続的な形ある姿へと生まれ変わる実例こそが、私たちにとっての何よりの資産となるわけさ」
「私の夢見を実現させることが代金の代わりか、それはむしろ嬉しい条件だ」
物好きも居たものだ。内心そう思いつつ、私は二つ返事で答えた。だが、一体どうやって夢から現実へと通話を行うのだろう? 私は肝心の手段を聞きそびれていたことに気付き、再び尋ねる。
「それで、どうやって現実の者と通話するんだい?」
「ああ、それはね、まずはこうするんだ」
そう言うと、彼は私の頭へと両手を伸ばす。不意に何かが倒れる音が聞こえた。私はその音の方へと身体を向けようとしたが、なぜだか身体が一向に動かない。仕方なく、私は視線だけをその方向へと向ける。はて、人型の何かが倒れている。
「さあ、まず最初の準備は完了だ。下は現実とのやり取りの際に、思考反応の妨げとなってしまうからね」
私の顔は徐々に鏡の方へと向いて行く。そして、私は自分の姿を鏡で見た。ああ、そういうことか。
「それで、次はどうするんだい?」
首だけの私は彼に尋ねた。