cthulahoop 15/05/05 (火) 17:19:19 #5572301
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エスケイプ・フロム・テルミナスのボックスアート。
ダンジョンズ&ドラゴンズの前 — エンパイア・オブ・ペタル・スローンの前 — チェインメイルや、ホワイト・ベア&レッド・ムーンや、シージ・オブ・ボーデンバーグよりもさらに昔 — エスケイプ・フロム・テルミナスというゲームがあった。
一部の人々から現代的テーブルトークRPGの父と見做されているエスケイプ・フロム・テルミナスは、1965年、アルビオン・ゲームズによって最初に配布された。1年後、この会社は倒産した — 印刷された700部のうち、売れたのは50部以下だ。
しかし、70年代の爆発的な卓上ゲーム流行に至るまでの数年間で、エスケイプ・フロム・テルミナスは隠れた人気作になった。343ページのルールブックの折り目だらけの写真複写を詰め込んだルーズリーフ・バインダーが、1973年のVCON(カナダのファンタジー/SFゲームコンベンション)で回覧された — 折り畳むとプレイに必要な特殊ダイスに変形する穴開き段ボールのシートも一緒に。
猛烈な関心にも拘らず、大半のバインダーは不完全だった。幾つかの章は丸ごと欠落していた。ゲームを完成させようと無我夢中になった人々は、こういう穴を自家製のルールで埋めた。すると他人はそれらのページをオリジナルと誤解して、自分のルールブックにコピーを挿入する。時間と共に、どれが本物のページで、どれが熱心過ぎるプレイヤーのでっち上げなのか、判断するのはほとんど不可能になった。
エスケイプ・フロム・テルミナスへの関心は、70年代後半から80年代初頭にかけて薄れていった。もっと単純で入手しやすいゲーム(ダンジョンズ&ドラゴンズ、トンネルズ&トロールズ、ロールマスター)が人気を博した。それでも、残虐無道のミノタウロスを出し抜こうと知恵を絞る小さく活発なプレイヤー層が踏み止まっていた。
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エスケイプ・フロム・テルミナスのオリジナル“7面ダイス”の1つ。
ゲームの舞台は、6面全てがドアで接続された“六角形の小部屋”から成る広大な複合施設。プレイヤーはこの無限に続く六角形(“ヘクス”)の迷路を1部屋ずつ移動し、新たに踏み込んだ部屋をマップに書き加えていく。ヘクスの中に何があるかは、ダイスを転がし、参照表と照らし合わせて決まる。罠あり、アイテムあり、メッセージあり、食料あり — かつてのプレイヤーの死体さえ見つかる。戦闘コマンドが無いこのゲームは探索と生存を重視している。だが、エスケイプ・フロム・テルミナスのユニークな点はその遊び方にある。単独プレイなのだ。仲間も“ダンジョンマスター”もいない。
プレイヤーが(罠、飢餓、またはミノタウロスによって)死亡すると、そのヘクスには印が付けられる。その後、マップを受け取った別のプレイヤーがゲームを新しく始める。誰かが過去に探索した部屋に入ると、新しい参照表で時間経過とミノタウロスの行動がシミュレートされる。後続のプレイヤーにアイテムを残したり、チョークでヒントを書き込むこともできる(メッセージはヘクスの番号を記した封筒に収められてマップの付属品となる)。
何年もプレイを続けると、マップは各々独自に発展していった。プレイヤーはマップ内の目印に精通し、過去の挑戦者が時ならぬ終わりを迎えたヘクスで黙祷した。マップの設計に合わせて巧妙な戦略を練る者もいた。部屋には何十年ものプレイで蓄積された多数のメッセージが残されることもあった。ミノタウロスの挙動さえもゲームごとに唯一無二のように感じられた — まるでその性格が住処のマップによって定められたかのように。
最終的に、マップは複数のシートが必要なほど広くなり、どのパーツをどう接続するか細かい注意書きが添えられるようになった。中には巨大化し過ぎてプレイヤー間で持ち運びできなくなったマップもある。エスケイプ・フロム・テルミナスの最長セッションは1974年、ミネソタ州のとある友人グループで始まり、やがて彼らの友人たちへ、そのまた友人たちへ受け継がれた。1985年、広大になったマップは地元ゲームショップの地下室に移設された。最後のプレイヤーが2008年に失踪する前、このマップには20万を優に超えるヘクスと、600通のメッセージが含まれていたと伝えられている — 実際に読まれたメッセージはほんの一握りに過ぎない。
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ミノタウロス(出典不明; 2011/10/27のIRCチャットに投稿)。
2005年、エスケイプ・フロム・テルミナス攻略に熱心なプレイヤーたちの交流拠点として、ウェブフォーラム(“テルミナス・ベロシティ”)が立ち上げられた。参加者たちは発見できる限り全てのマップとルールブックをスキャンした。そして、数ギガバイトにも及ぶ手書きのデータを念入りに調べ上げ、戦略を最適化する初の試みに乗り出した。
エスケイプ・フロム・テルミナスの全ては、6個の7面ダイスとコイントス(逆ベル曲線の確率判定用)を使った複雑なメカニズムで決まる。結果はそれぞれ内容が異なる数百種類の参照表と比較される。修正値(プラス/マイナス)は状況、アイテム、更には隣接するヘクスに応じてダイスロールに適用される。誰かが“脱出ヘクス”、つまり外部への階段があるヘクスを発見したらゲーム終了だ。各ヘクスはランダム生成なので、エスケイプ・フロム・テルミナスの最適化とは即ち、このヘクスが生成される可能性の最大化を意味していた。
ところが1つの問題があった。ミノタウロスだ。毎回誰かが“脱出ヘクス”の生成に近付く度に、そのプレイヤーはエスケイプ・フロム・テルミナスの目に見えない大敵の餌食になった — 罠を仕掛けられるか、ドアに鍵を掛けられるか、大事なオブジェクトを破壊されてしまう。“脱出ヘクス”の可能性を最大化すると、ミノタウロスが出現する可能性も最大化された。何年も必死の試みが続いたものの、多くのプレイヤーはやがて、死なずに出口を生成するのは不可能も同然だと気付いてしまった。
事実上攻略不可能なゲームだとプレイヤーが悟ると、大半のコミュニティは沈黙した。ウェブフォーラムは2012年に思いがけずオフラインになり、エスケイプ・フロム・テルミナスについて分かっている情報の大半を巻き添えにして消え去った。不完全なルールブックや、途中で投げ出されたセッションのページが詰まった箱は、今でも時々あちらこちらのヤードセールに現れる — でもそれ以外ではどうだろう。エスケイプ・フロム・テルミナスは、テーブルトークRPG史上のどうにも目立たない脚注に変わった。
最後にもう1つだけ — オフラインになる2日前、“テルミナス・ベロシティ”では短期間のアクセス急増が起こった。ある新しいスレッドが、過去のスレッド全てをまとめたものよりも多いコメントを24時間で生み出していた。問題の投稿はこうだ。
やぁ皆さん、ランドール・ペトロフの息子です(父は60年代にアルビオン・ゲームズで働いていました)。
皆さんがここで成し遂げた事を知ったら、父はきっと大いに感激し、誇りに思うでしょう。皆さんは父とアルビオンの望みを遥かに超えて、テルミナスの物語に新しい生命を吹き込みました。様々なバリエーションを読んでいるととてもワクワクします。でも1つ聞かせてください。ミノタウロスは誰の発案だったんですか?
エスケイプ・フロム・テルミナス
ページリビジョン: 7, 最終更新: 10 Jan 2021 17:48