容疑者X²の献身
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20██/3/27

「如実に面白い」

「……」

「ん~如実に面白い」

中年に差し掛かる男は自デスクの卓上立て鏡に向かって顔をキメる。顔をキメるというのは説明時において非常に曖昧で手抜きな印象を与えるため避けるべきであるが、つまりこの男は右手の人差し指、親指、中指の間隔を均等に開き、眼鏡の上に覆うように被せ、顎を引き、……くだらない、説明はここで取りやめることにする。

お詫びにもならないが代りの説明をさせてもらう。この男の名前は下田。下田源三郎。財団サイト-8101-5、すなわち8101を警察署とするとその管轄下の5つ目の交番のようなものに勤めている。異常発見部門という、財団がいまだに見つけていない異常現象、異常物品を探しに東奔西走するのがこの男の職務である。

異常の確保、収容、保護という一連のプロセスには広範かつ熟達した知識の動員が必要である。周囲に放電する化け物であれば絶縁対策を施した確保作戦を立案する必要があり、伝承上の災厄を収容する際は史学的な考察と調査が安定な収容プロトコルの端緒となる。カウンセリング技術と巧みな論理的思考が知性を持つ異常実体の保護観察には欠かせない。当然この下田も人文学関係の博士号取得者である。

文化史学、日本文化学、地理学、歴史文化学、宗学、民俗学、ヒューマンエコノミー学、湯川学のプロフェッショナルである彼は、日本各地を回って異常を発見するのに適材というわけである。

「なんですか、その変なの」

繰り返される下田の大きな独り言に対し、川田が呆れたように返す。川田薫子は戦術神学部門から異動して異常発見部門に来た、下田の後輩である。都地下の巨大施設から北海道のペンション擬きのようなサイトに追いやられた彼女は、下田とは対照的な物理学、物性科学、奇跡学、応用生物学のプロフェッショナルである。

財団の「研究」の起点は大学や研究所のような「探求心」とは違い、「対応事案」である。異常を見つけてから、それに対する適切な確保作戦、収容プロトコル、保護計画は何かを研究するのである。そのため、異常へのファーストコンタクトにあたって学問のたった一分野のプロフェッショナルでは心もとない。下田と川田のタッグは、ある意味で最適なものとなる。

「超常現象に見えるものも、一般社会の科学技術で説明が可能なものなのさ」

「ふ~ん」

「この世にオカルトなど存在しない、あるのは論理的な真実だけだ」

「へ~」

財団職員であればオカルトはある程度信じた方が良い……が、川田は下田の演技がかっている口調にはなんら興味を持っていないため、前記のような指摘も行わない。

下田の変な口調の元になっているのは、彼の中でマイブームになっているドラマシリーズの影響である。日曜9時から北海道放送局(HBS)にて再放映されている「探偵ケプラー」というミステリードラマだ。このドラマの特徴としては、探偵役がその卓越した論理的思考と(一般社会の中では)深い物理学知識を持つ教授ということである。探偵役はその特徴から、有名な天体物理学者ヨハネス・ケプラーの名前をとり「探偵ケプラー」と称されているのだ。

「今回の件は、如実に面白いと思わないかね、川田刑事」

如実に面白い、というのは探偵ケプラーの口癖のようなものであり、探偵の知的好奇心が刺激された時主に発せられる言葉である。なお原作小説では言わないらしい。

下田博士は10cm四方程度の一枚の雑誌の切り抜きを見せた。

悪人に天罰を下す審判者? 老人(77)その場で急死


3月11日、北海道北府標(きたふしべ)町██の寺社施設、刹戒寺(さつがいじ)にて、ある儀礼のたった一時間後に一人の男性が死亡した。死亡した男性は同町在住の黒森應治(77)であり、解剖で判明した死因は心筋梗塞と見られている。
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事件が起きた刹戒寺内部の写真(記者撮影20██/3/20)

道警の公表した情報によると、黒森氏の死因である心筋梗塞は慢性的な高血圧によるものであり、珍しいものではなく、かつ氏の身体にはいつ起きてもおかしくない状態であった。黒森氏の持病等の情報はなかった。

検査の結果に全く不可解な点が無かったとはいえ、寺で死ぬとは何かの因果があるのではないか、そう思える。黒森氏の死の直前、彼は刹戒寺の行っている「みそぎばばあの儀」を受けていたことが分かった。「みそぎばばあの儀」とは同寺院の年長住職による特徴的な儀礼であり、それを受けたものは過去の罪を禊ぎ、新しい自分になれるらしい。寺院なのに「みそぎ」?その儀礼の論拠は?起源は?謎は深まるばかりである。記者は、ここで恐ろしいアイデアを思い付いた。「みそぎ」は一説によると伊邪那岐が黄泉の国で得た死穢(しえ)を洗い流したことが由来とされる。黒森氏が死亡したのは彼自身が強い死穢に身を侵されていたのではないか。黒森氏の過去については賢明な取材虚しく詳しいことは分からなかったが、何か強い死穢の付くような所業を犯していたのかもしれない。また、地域住民の間ではこの死亡事件がみそぎばばあによる「天罰」なのではないか、黒森氏らは本当に大罪人であったのではないか、そういった噂も立ち上り始めているだろう。真相を探るため、我々月刊█ー取材陣は…………

記事のキモはそのくらいで、あとは記者の誇大な妄想話だった。「かもしれない」、「だろう」そういった適当な文末表現が多用されている記事であった。さつがい…刹戒寺の住職は明王の使いだとか、日本神話をモチーフとした代理戦争だとか、口減らしのための警察までグルになった奇習だとか、そんな感じである。こういったオカルト雑誌のストーリーについて、川田は嫌いではないものの、馬鹿馬鹿しいとは思っていた。口減らしなら裏でやるもんだし、本当に神格実体が何かかかわっているなら、そもそもこんな記事は出されない。

「心筋梗塞で死んだ上に、ゴシップ誌に悪人扱いですか。ひどいもんですね」

「だろう? 科学的な知見から見れば、馬鹿馬鹿しい行いにしか見えないな」

「それで、調査結果は?」

こういった「怪しさ」のある事件は、警察内部の潜入エージェントから連絡され、異常性の有無について調査が行われる。事件捜査のどさくさに紛れて現場の現実値(これが変な値を示すと異常性の関与が分かる)を測ったり、ハルトマン霊体撮影機で霊体(いればの話だが)を撮影したりする。もっとも、現場のエージェントの勘も大いに用いられる。

「全くの白だ。なんなら事件性もない。心筋梗塞を起こしうる外的要因も当時の状況下では存在しないという見解だから、異常でないとしたら、まあ偶然だろう」

「そりゃそうですよね」

事件に異常性があると分かれば財団が隠蔽する。異常性が無ければ、引き続き警察が調べる。その結果が殺人だろうが、事故だろうが、偶然だろうが、財団はもう関知しない。

「刹戒寺の年長住職、つまり『みそぎばばあ』のことだが、浦見益江、75歳、過去異常性との接触記録無し、親族も調べてみたが、とくに怪しいところは無かったようだ」

「じゃあ、行く必要はないですね」

「まあ待て……待ちたまえ」

「なんですか?」

「調査の結果非異常だとしても、行くべきだ」

「それはどうして?」

下田は雑誌の切り抜きをサイト8101-5の使い古されたオフィスデスクに置き、再び顔をキメた。

「一連の不可解な事案に、北府標町の人々は不安に駆られていることだろう」

「そうかもしれませんね」

東京から北海道に左遷され日の浅い川田にとってはあまりモチベーションにならない。

「科学者としては、このようなオカルチックなストーリーで無辜の人々が脅かされているのを見過ごすというのは、矜持に反する。ならばみそぎばばあの儀に乗り込んでその迷信を解いてやろうじゃないか」

声もなんだか低く響くようにトーンを変えてきた。どこまでドラマに影響されているのだろうか。

「何より川田君、この事件は如実に面白いと思わないかね」

「申請はそっちがやってくださいね」

下田がここ数週間で頻繁に発するようになった「ロジック」だとか「科学的」だとか「如実に面白い」だとかの文節に、川田は絶対に反応しないようにしていた。反応するとより面倒くさい芝居が始まるからである。


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サイト-8101-5⇒北府標町██刹戒寺


20██/3/28

サイトから出発した中型の団用車(秘密組織なので社用車、公用車とは呼ばない。だがダサいので誰もこう呼ばない。)は、北海道の蛇行する山道を進んでいく。苔むしたガードレールが片脇に並び、もう片方は山。どちらを向いてもカエデやナラ、ときどき針葉樹が多く茂っている。このような混交林が北海道の一般的な風景である。いくつか山を越えると、白地に青の道路標識が見えてきた。「北府標町」という文字と、その上に花と山の簡単な絵が描かれている。町と町の境目はこのように一枚の看板で区切られている。

下田と川田の二人組は、4月とはいえまだ寒さの残る北海道の気候に合わせた服装をしている。下田はフォーマルなシャツ、セーターにグレーのロングコート(中古車ゆえに暖房が弱めである)を着て、運転席についていた。服装に割と気を使っている下田は、それこそフィールドワークにきた人文科学の教授といわれても信じる見た目であろう。川田はコートではなくダウンジャケットである。服に洗いやすさや機能性を求めた彼女らしい装いである。

「ふむ、北府標、いいところじゃないか。如実に面白い」

北府標に入ったとはいえ、まだ山道である。家屋が見えてくるのはしばらく後だろう。如実な変化は何も見られない。

「北府標には初めてくるんですか?」

「いや、調査で何度か来たことがある。今回で7回目かな」

7回目の訪問でも如実な面白さが見つけられるのは心の豊かな証拠である。川田は感心した。

「じゃあ刹戒寺は知ってましたか」

「少しなら知っている。でもまあ、普通の町のお寺だ。北府標の世帯のいくらかはそこの檀家で、まあ檀家といってもそこまで大層なものじゃなく、葬式や永代供養墓の管理を任せているって感じだな」

「はぁ、そうですか」

「ああ、エリートコースなら知らないのも無理はないな。いい機会だ。この際に地域の寺というものがどんなものか教えよう」

川田は財団の運営するプリチャード学院の運営する小学校、中学校、高校、大学、大学院をエスカレーター式で進級し、そのまま財団の研究員となった。つまり財団生え抜きの職員であるため、一般社会のコミュニティの文化だとか、風習には疎い。

「寺、まあ神社や教会もそうだが、簡単に言えばその地域の冠婚葬祭を執り行う。寺の場合は主に葬式だな。人が死んだとき、葬式を寺もしくは坊さんを家や葬儀場に呼んで行うんだ。宗派によってさまざまだが、坊さんは読経を行って遺族はご冥福を祈る。そのあとは火葬して、墓に入れて、ときどき法要」

「法要って何ですか?」

「法要は四十九日とか、一周忌とか、葬式のあとも何回か行うやつだ。葬式と中身はそう変わらない。もちろん葬式以外も、結婚式やお祭りを行うこともある。最近はあまり聞かないが、子供の命名を寺が行うこともある。儀式も祭礼もない時はお墓の管理や寺院の管理、修行が主な仕事だな。ま、つまりコミュニティには必須の宗教組織と分かればいいさ。……ああ、もっともそんな非科学的な活動に時間を割けるほど、私は暇ではないがな」

下田は思い出したかのように探偵ケプラーの真似をした。中型車のルームミラーに吊るされた交通安全のお守りが揺れている。

「じゃあ『みそぎばばあの儀』っていうのは、なんでしょうか」

「『みそぎ』は禊のことだろうな、禊っていうのは心身の穢れとか、罪とかを洗い流す行為だ。『ばばあ』は単純に年長の住職が行うからこう呼んでいるんだろう。ただし、禊というのは主に神道のタームだ。寺にはこういった神事は無い」

「前来たときも、『みそぎばばあの儀』というのはありました?」

「いや、無かったはずだ。刹戒寺に行ったことはないが、そんな名前の儀式があればなにかしら調査していただろう。思うに、刹戒寺は衆目を集めるためにあえて目立つような名前を付けている」

「そうだったら、ちょっと胡散臭いですね」

「ああ。この事案は興味深……如実に面白いな」

無理に慣れない物真似をしなくてもいいのに……下田とケプラーの語彙の乖離をみて、川田は憐れんだ。下田が探偵ケプラーの物真似をやめられないのは、周囲の少し冷たい視線を「クレバーな博士への畏敬」と解釈するからである。だが、誰も彼を止めないのは、彼のその冷え冷えする愛嬌が左遷職員達の緊張と諦念を和らげるという一面も僅かに存在するからだろう。


そうこうしているうちに、いや、まあ、大したことはしていないが、一行は目的地に到着した。湧別川中流に作られた、北府標のこぢんまりとした中枢である。北海道の山奥とはいえ学校、商店、郵便局、役場、銀行など生活に必要な施設はあらかた揃っている。深い青色や灰色のトタン屋根が谷あいに身を寄せ合うように並んでいた。

「北府標町、いいとこじゃないか、如実に面白い」

「雪が少なかったので、思ったより早めに来れましたね」

山道に揺られ続けた二人は、車から出て背伸びをした。車を停めた刹戒寺の駐車場は葬式などで親戚がたくさん来たときのためであろうか、かなり広く取られている。今日は大きな法事も無いのだろうか、小さめの砂利が敷き詰められた駐車場に数台のみが停められていた。

そして刹戒寺が駐車場と生垣で区切るように存在していた。意外と立派な構えであり、2mほどする生垣の外からでもお堂の太い軒桁が見える。軒桁が高いということは、当然寺の屋根も高いということである。中には大きな仏像でも鎮座されてあるのだろう。虹梁、これはお堂の入り口などに付けられる湾曲のつけられた横木のことだが、これにも彫刻が施されており、なかなか見栄えが良い。屋根は見事な緑青のついた銅板屋根である。寺だから瓦葺きではないのか、と思う人も居るだろうが、北国に瓦屋根は少ない。雪が落としやすいトタンや金属が用いられるのがスタンダードであり、決して安さで選ばれたのではない。

「でもちょっと、さびれてますね」

「まあ最近はお寺も人手不足なんだろう。こと北海道では珍しいことではない」

駐車場から寺の入り口に向かって生垣に沿って歩きながら、二人は会話した。初見こそ立派な寺であるが、じっくり見ると川田には少しずつそのさびれが見えてきた。梁には蜘蛛の巣がついており、また生垣のツツジも形が乱れている。しっかり庭師に剪定されていれば、本来は1.5mくらいの高さだっただろう。寺社施設は少子高齢化の中でも基本的に困ることはない職業である。だが、僧の生活についた厳格さのイメージがあるからか、成り手は少ないのだ。経営が順調であっても、人手が足りないためさびれていく、こういった場所は地方に少なくない。

「だが、まあ自然に優しく浸食されている寺というのも、乙じゃあないか」

生垣を回ってたどり着いた寺の前には門が構えられており、石畳がお堂まで一直線に敷かれていた。石畳の脇には、黄色い花が咲いている。寺が植えたものではなく、勝手に生えてきたものだろう。

「フッ、花の香りか。春の訪れを感じるな。如実に面白い」

細長い楕円形の花弁が数十重なり合い、二次曲線を描いている。生物学の素養もある程度ある川田は、これがフクジュソウであると気づいた。

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フクジュソウ

「フクジュソウは蜜を作らない生物種なので、香りはしないですよ」

「………」

「………」

「嗅覚に作用するものだけが香りではない。季節の移り変わりが香りの思い出を想起させ、それを感じることもまた香りの一種である」

「………」

ずいぶんと非科学的、感覚的な探偵ケプラーだ。如実に面白い。

「さて、今日することだが」

「はい」

「15:00から『みそぎばばあの儀』が行われる。それについては、ひとまずは『見』に回る。その後は調査と称して儀式になにか異常性が無いかどうか調べる。まあどうせ無いだろうが」

「はい」

「その後、次の儀とかの時だな、大学教授の名の下に科学的説明を行い、町民の迷信を解く」

「別に町民が迷信に惑わされているとは限らないですけど」

「みそぎばばあの儀」の直後に死んだ黒森氏は、記事の中で勝手に天罰が下ったとか死穢がついたとか尾ひれがつけられているだけであって、それらは全て記者の想像によるものである。そもそもゴシップ誌の一記事なのであるから、北府標の町民がそんな想像を真に受けているかどうかは分からない。確かに、雑誌の中で故人に対し勝手に悪い印象を与えるような書き方も、刹戒寺にオカルチックなイメージを擦り付けようとする表現も、よろしくは無いが、それならば雑誌の出版社に言えばいい。

にも拘らず、下田は刹戒寺に行くことにした。彼は彼なりに、なにかこの件について直感的な怪しさを抱いているのではないか。川田はそう考えた。(もちろん探偵ケプラーの真似事をしたいという一面も大いにあるだろうが。)

「でも、非異常だとして、つまりそれはただ黒森さんが寺に来たタイミングが悪かったというだけの話じゃないですか。あの記事を信じている人に説明したとして、納得してくれますかね?」

「フッ、私を誰だと思っている。世界最高学府の大学教授だぞ」

「はぁ、なるほど(財団職員の偽装用の身分を自身の名声の為に利用するのは職権濫用なのでは?)」

二人は石畳を渡りつつ本堂へと歩を進めていった。


「遠路はるばるよくおいでなさいました」

「こんにちは。私はマサチューセッツ工科大学教授の、下田です。よろしく」

ケンブリッジからMITに偽装先が変わっている! 探偵ケプラーを意識した、細かい理系要素の導入だ。

「こちらは助教、まあ助手みたいなものですが、川田です」

「まあ、助手さんも、遠路はるばるようこそ」

下田教授と川田助教授を迎えたのは、「みそぎばばあ」こと浦見益江本人であった。初見の印象としては、優しいおばあさんといった感じである。住職らしい袈裟姿に、丸めの顔の輪郭がフィットした、ごく普通の尼さんという外見だ。一応事前にアポは取っていたが、世界的な学術的機関の権威を前にしているからだろうか、浦見は恭しさを醸した態度であった。これがいつもの態度である可能性もないわけではないが。そもそも、この浦見は記事にあった事故の「容疑者」でもある。

「工業の大学の教授が、わざわざ田舎のお寺なんて、珍しいですねえ」

「はっはっは、まあね、最近はうちのような大学もリベラルアーツに力を入れていますから。サイエンスをインクワイアする研究者も、文化的な教養を身に付けねばならないという傾向がありまして」

随分と苦しい言い訳を聞いて、川田は今度異常発見部門のより上のものにフィールドワークにおける最適な身分偽装の講義を再度この男に受けさせるよう提案しようだと思った。

「あら~そうなんですねえ。でも、こんな寺、特別なものとかはないんですけどねえ。そんなに歴史が長いわけでも無いですし」

ギリギリで通った。だがまだ浦見は我々を疑っているようなので、ここでアシストをするべきだろうと、川田は空気を読む。

「いえいえ、こういった普通の町のお寺の方が、観光とかのために整えられたところと違って実態的な調査結果が得られるんですよ」

「あら、普通で悪かったわねえ」

「謙遜かよ……」川田は心の中で悪態をついた。やはりこの部門に送られてまだ日の浅い川田よりは、下田の方がスムーズに交渉ができるのだ。戦術神学部門はコミュニケーション相手が同僚の研究者か神格なのでしょうがないといえばしょうがないが、川田本人的にはこのふざけ倒した男に遅れるというのは悔しいことでもあった。

「いや~すいませんね~この助手、礼節というものを知りませんで。大目に見てやってください」

「いいのよ~下田先生。ささ、中に上がってください」

「では、お言葉に甘えて…、お! あれは薬師如来坐像ですか。見事なものですねえ」

下田は刹戒寺の本堂に上がりながら、会話を続けた。本堂の奥には約2m程の大きさの仏像が、蓮の花の上に座った姿で存在していた。蓮の花と台座の分も加えれば、もうすこし全高はあるだろう。その一番大きい仏像の隣には、蓮の葉の装飾や一回り小さい仏像があった。中心の仏像は金属製だが、それ以外は木の彫像のようだ。

「そうなんですよ、明治にお堂を建てたときから安置させてもらってるんですが、なかなか大きいでしょう。明治はもう仏師がかなり減っていましたから、先々代は苦労したんですよ」

「ほう、明治時代にこの大きさの仏像を……表面の加飾もしっかりと維持されている、浦見さんがちゃんと手入れしているようですね」

「あら~そんなもったいないお言葉、住職冥利に尽きますわ」

下田という男、八葉上村の件から薄々思っていたが、老人の懐に入り込むのがうまいのか……? 川田は感心した。

「はっはっは、僧侶ジョーク1がお上手で」

「ジョーク……? ええっと、あっ、そうですね~」

そんなこともないのか……?川田は訝しんだ。

「………ああ、そういえば、この町の人からふと聞こえた、まぁ~噂といいますか、眉唾物なんですがね、『みそぎばばあの儀』というものを、ここの寺はしてるらしいじゃないですか」

「ああ! 『みそぎばばあの儀』ですね! それならありがたいことに、ここ数か月沢山の方にご参加いただいております」

「そうですか! 寺なのに禊とは、研究者としてはこれまた興味深く感じておりまして。文献調査では分からなかったので、是非当職の方に伺いたいと思っていたんですよ」

「まあここ数年で始めたばかりの催しですから、文献に無いのも仕方ないですね。みそぎという言葉を使ったのは、ただそうした方が適していると思っただけですよ」

「なるほど、そうだったんですね。ちなみに儀式を始めようと思った由来とかは、教えていただけますか?」

下田は思ったよりフランクに話してくれる浦見に若干驚きつつも、インタビューを進める。

「由来、由来ねえ…。まあただ、町の中の思い悩む人の心の支えに少しでもなればと思って始めたものなんですよ。北府標、というか北海道の多くの町がねえ、やっぱり人口が減っていって活気も減ってきているわけですから。町もお年寄りばかりで、先行きも暗い時世だからこそって感じて。ふふ、まああまり僧としては褒められたことではないかもしれないですね」

「いえいえ、立派なことだと思いますよ! そのような清い志で始めたのに、ああいった記事を出されるのは私としても許せない……」

「えっ?」

下田は口を滑らせた。

「記事って、あの月刊█ーのことですよね?もしかして、あの黒森さんの記事のこと、知ってらしたんですか?」

浦見は目を丸くさせて言う。まさか大学教授ともあろうものがあのような三流オカルト雑誌を読んで寺に来たなんて、正直信じられないといった感じだ。

「…ええ、実は数日前に偶然その記事を見まして」

これはまずい。調査相手に警戒されてしまったら今後の動きに大きく支障がでる。川田はそう予感し僅かに冷や汗を浮かべた。(なお下田は冷や汗ダラダラである)しかし、浦見の反応は予想していたものとは真逆だった。

「それなら話は早いです! 下田先生、あなたにあのデマ記事を正してほしいんです」

「ええっ!?」

「私も数日前に黒森さんが亡くなられたことに脚色を繰り返したあの記事を知ったんです。東京の孫から記事の存在を教えられて。そりゃあ腸が煮えくり返るような思いです。まだ噂にはなっていないようですがもしあの記事の存在が広く知れ渡ってしまったら、黒森さんにも申し訳ないし、このお寺にも悪い評判が付きます」

「確かに、そうですね……」

「有名な大学の教授がこんな記事嘘だと、一筆添えてくださるだけでもありがたいんです。そうだ! 下田先生、『みそぎばばあの儀』に参加してください! 先生ご自身が参加していただけば何も怪しいことなんて無いと分かるでしょうから」

「えっ、いいんですか?」

「ええ! 本来であれば『みそぎばばあの儀』は町内の人にしかしないんですけどね、下田先生は特別です」

「おぉ~それはありがたいんですが、今日の所はちょっと……」

下田が断ろうとした瞬間、川田が脇から小突いた。


「何断ろうとしてるんですか、受ければいいじゃないですか」
「嫌だよワンチャン死ぬかもしれないだろ」
「え?下田さん的には事故だと思ってるんですよね」
「そうだけども」
「非科学的な迷信を信じる町民たちの為に、儀式に何も仕込まれていないことを示すのならねぇ、受けた方が説得力になりますよねぇ」
「いや、なら、ここは川田君に受けてもらって俺が観察するって形で」
「浦見さんはあなたをご指名ですけどねぇ」
「…」
「大丈夫ですよ、儀式はこれまで何人も受けて大丈夫なんですからぁ、ほら、儀式によって穢れが落ちて、下田さんの血尿も治るかもしれませんよ」
「何で知ってるんだよ!」
「え、本当に血尿なんですか」

「ダーーーッ!! OK、OKです、浦見さん。やりましょう」

「ええ! では今から準備しますね」

川田の言葉をかき消すように、吹っ切れた声で下田は快諾した。

「みそぎばばあの儀」の調査は、意外にもとんとん拍子に進んでいった。しかし、この時の二人はこれから起こる惨劇を知る由もなかったのである。


儀式は本堂で行われた。下田はいかにも仏具っぽい装飾の施された寝台の上に載せられている。寝台には寺らしい、菊の刺繍を施した紫色の布が敷いてある。浦見は半径30cmほどはあるだろう大きな鈴を下田の寝そべる寝台の直上に吊り下げている。寝台を手術台、鈴を無影灯に見立てれば、なんだか宗教色の強い手術室のようだ。

本堂には、浦見、下田、川田以外にも数人の参加者がいた。うち一人は下田の次に儀式を受けるらしい。平日の午後だから当然といえば当然だが、お爺さんおばあさんの集まりである。儀式が始まる前にはいかにもほほえましい井戸端会議といえるような、天気の話だとか孫の学校の話だとかをしていたが、なるほど、たしかに「みそぎばばあの儀」の活気を取り戻すという目的はこのように作用しているのか。町の集会所としての役割を十二分に発揮している。川田は納得を得た。

「それでは、みそぎばばあの儀を始めます」

浦見は厳かに儀式の開始を宣言した。儀式の観覧車たちは会話をやめ、本堂全体が静かになる。少し前に表情豊かに話していたおばあさんとは思えないほど、緊張感が漂っていた。プリチャード学院の牧師も説教の時は和やかだったのに祈りの時や讃美歌のときは結構固めだったな、川田はそんなことを思い出していた。

下田はその雰囲気に流され、ガチガチに固まった表情をしている。無理もない。

「ハッ!」

浦見は掛け声とともに、鈴を鳴らす。映画館のような轟音である。

ガンガンガンガン!

「うおおっ!?」

下田は驚嘆の声を上げる。

浦見は下田の動揺に気づいていないのか、それとも無視しているのか構わず鈴を鳴らし続けた。浦見住職の他にも、少し若い男性の副住職が太鼓を鳴らしている。いや、刹戒寺は禅宗系だから正しくは法鼓か。寺の外観に見合うような立派な仏具たちである。そんな頭の中の分析も轟音でかき消される…。

ドンドンドンガンガンガッガンドンドンドン

あ、ここなんか太鼓の達人みたいだな

ドンドンガンガンドンドンガッツ

今「ガッツ」って鳴らした? どうやって?

どうやら音を聞くに鈴は一つではなく、いくつかあるらしい。シャンシャンした軽い鈴の音とジャンジャンとした重い鈴の音もアクセントとして聞こえる。無秩序かのように思えた轟音の中にも一定のリズムを刻んでいるのが聞こえる。

ドンドンドンガンガンガッガンドンドンドン
ドンドンガンガンドンドンガッツ
ドンドンドンガンガンガッガンドンドンドン
ドンドンガンガンドンドンガッツ

儀式は約10分続いた。最後に浦見は「祓い給え、清め給え」と祝詞を上げ、儀式は厳かなまま終了した。最後の祝詞が神道すぎることに、あえて川田は突っ込まなかった。

「以上でみそぎばばあの儀は終わりです。お疲れ様でした」

「あ、ありがとうございました…」

次の儀式があるらしく、浦見と副住職は準備を始めた。またあの轟音を聞いてはかなわないと、下田は一旦退出を申し出た。


本堂から出て右手にある、梵鐘のある建物の側に下田と川田は避難した。本堂のすぐ近くでは、またあの轟音を聞かされるからだ。

「黒森氏は轟音による精神性ショック死だな」

下田は断言した。

「いやそれはないですよ」

川田もすかさず返す。

「だってあの轟音だぞ!? 老人の弱った心臓もびっくりして動きを止めてもおかしくない」

「確かにそれで死ぬ人は出るかもしれないですけど、少なくとも黒森氏は違いますよ。だって大きな音によるショックなら、儀式中に心筋梗塞にかかるはずじゃないですか」

「あっ」

「記事には儀式の一時間後に死亡とありました。心筋梗塞が一時間も伸びることは少なく、普通その前に心臓が完全に止まります。老人ならなおさら早い傾向にあるでしょう。つまり、黒森氏は儀式を行っていたときに心筋梗塞を起こしたわけじゃないです」

「じゃあ儀礼と心筋梗塞は関係ないじゃないか」

「そうですよ…あっ、だから道警も自然死と見たんじゃないですか」

「それもそうか……ちなみに、計数機はどうだった?」

川田は下田が儀式を受けている間、カント計数機による測定も行っていた。カント計数機は前述した、現実値を測る機器である。

「いえまったく。針は一ミリも振れませんでした」

「なるほど……じゃあ異常の存在する可能性も低い、か」

「まあこれは前回の調査でも分かっていたことですけどね。あのお寺の中に、現実改変能力を持つ物体は存在しないと断言できるでしょう」

「ふむ……じゃあ解決だな! 異常性無し、事件性無し! 黒森氏の死亡は偶然!」

その時、本堂から鈴の鳴る音が聞こえてきた。どうやら本堂の防音性は意外に高いらしく、正面の障子を開けているにもかかわらず梵鐘まで聞こえてくる音は一般的な話声程度の大きさに感じられた。

ガンガッツガッツガッツガッツ

ガッツ多くない?

「一応、下田さんも儀式を他人が受けてる様子、見ていきます?」

「ああ」

ガッツガッツガッツガッツガッツドドン


20██/3/29

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Genzaburou Shimoda Ph.D. 20██/3/29





下田源三郎のちゃっかり解決 異常事件⑱

今回の事件も非常に難敵だった。

もしこの事件に当たったのがシャーロックホームズであっても、エルキュールポアロであっても、解決には導けなかっただろう。

しかし、

私、下田源三郎の科学的知識と論理的思考と虹色の脳細胞をもって、ついに解決することが出来た。

舞台は北府標、刹戒寺。20██年三月初頭の話である。

ある一人の老人、これを仮にK氏としようか。

刹戒寺にて不運にも、心筋梗、硬、耗←どれだっけ?で亡くなったのだ。しかs

「下田さん大変です!」

旅館の個室の外から、扉をたたく音が聞こえる。

「なんだぁ、こちらは今回の事件の真相に、少々脚色を加えて公開しようとしていたところだというのに……」

下田は腰痛持ちの腰を上げ、部屋のスライド式の扉を開けた。外には、ダウンジャケット姿の川田がいた。どうやらこんな朝から外出していたらしい。

「昨日、私たちの後に来ていた、あの、石松さんが」

「石松さん? ああ、俺たちが寺を出ていた時に儀式を受けていた人か。あの、ガッツガッツの。どうしたんだ?」

「そうです、その、ガッツの、石松さんが」

「ああ」

「心筋梗塞で亡くなりました!」

「なにぃ!!?? どこで!?」

「自宅です」

「は? 自宅!?」


石松武文(いしまつ たけふみ)、78歳、男性、北府標町在住。無職。一人暮らし。刹戒寺にて「みそぎばばあの儀」に参加した次の日の朝、新聞配達員によって玄関で倒れていることが確認された。救急搬送先の病院で死亡が確認され、医師によると、死因は心筋梗塞による心停止である。発見時は、死亡後10時間が過ぎていたとみられる。石松氏には特筆すべき持病はなかったものの、高齢男性一般にみられる心機能の衰えは健康診断上でも確認されていた。よって、医師の見解上は、自然死である。

「川田、どう思う」

下田と川田は病院の内部ネットワークから取り寄せた警察の死体検案書を見ていた。

「普通に考えれば、この死亡診断書は妥当な見解です。でも、黒森さんの死亡事例も併せると、たまたまでは片づけられないです」

「ああ。偶然に偶然が重なればそれは必然といえるだろう」

「心筋梗塞……遅効性の毒ですか?」

「いや、それなら黒森さんの時のエージェントの調査で判明しているはずだ。それに、そもそも毒を盛るタイミングが無い」

「じゃあなにか仕掛けが?」

「心筋梗塞を起こす仕掛けがあそこにあるのか? もしあったとしても、じゃあなんで俺は無事なんだ。石松さんは俺が儀式を受けたすぐ後に、同じ儀式を受けているんだぞ。そこに怪しい行動がなかったことは、俺も君も確認している」

「それもそうですね。う~ん、刹戒寺に行って調べてみますか?」

「待て。一旦状況を整理してからだ。もしかしたら、俺たちは逼迫した状態にあるのかもしれない。変に嗅ぎまわって怪しまれるのもよくない八葉上村の時のようにな」

「ぐっ、そうですね」

川田と下田は以前、インチキで村民を支配する詐欺師に突っかかって捕縛されたことがある。

「まず、3/11に黒森氏が死亡した、次に、石松氏が3/29に死亡した」

「はい」

「どちらの場合も、異常性行使の痕跡は無し。黒森氏は儀式後1時間で死亡し、石松氏は儀式後、えー新聞配達員が見つけたときに死亡後10時間だから、前日の午後7時くらいか。つまり儀式後4時間は経っていた。うむ、このことからも毒を仕込んだ可能性は無いな。毒だとしたら効果が表れるまでの時間がバラバラだし、検出不能な毒なら、もしそういうものがあればの話だが、警察に疑われることはないんだから遅効性にする必要が無い。そしてなにより仕込むチャンスが無い」

「みそぎばばあの儀は数年前から行われて、たくさんの人が受けていたものの、ここ最近のような死亡事例は確認されていなかったんですよね」

「いや、石松氏のように儀式が終わって帰宅してから……というパターンがこれまでに無かった、とも限らない。その場合みそぎばばあの儀と心筋梗塞を結び付けられることはないだろうからな。黒森氏がたまたま儀式後もしばらく寺に居座ったためにたまたま関連性が浮かんだという考え方も出来る」

「じゃあ、やっぱり一連の死亡事例は偶然ですか」

「まあ待て、結論を急いてはいけない。論理的に、そう! 論理的に、科学的に……ふむ、如実に面白い」

「あ、モードに入った」

探偵ケプラーモードに入った下田の思考力は大きく変化する。異常性の関与する余地、突飛な想像を排除し現実的な可能性のみを考慮して結論を出すのだ。つまり思考力は低下する……わけではなく上昇する。そもそも普段はあまり思考していないから!

「理解した」

「なにか分かったんですか?」

「みそぎばばあの儀はカモフラージュ、犯人は別にいる」

「なるほど、みそぎばばあの儀自体は事件に関係無いと」

「もし浦見が一連の死亡事件の犯人だとしたら、行動がちぐはぐすぎる。浦見は昨日私たちが訪れたときに、儀式に関するゴシップ記事の否定をお願いしていた。確かに、疑いの目を避けるために教授のお墨付きを得ようとしたのであれば、来た当日に次の事件を起こすわけがないだろう。さらに疑われるだけだ、なんなら記事の内容も相まって疑心バーストだ」

「そうですね、疑心バーストです。なら、真の犯人は儀式が終わった後に、人為的な方法で心筋梗塞を起こしたと」

「そうだ。みそぎばばあの儀という如何にもオカルチックな儀式に注目が集まるようにして、自分が疑われるのを避けた。注目アボイダンスだ。これなら筋は通る」

「注目アボイダンスですね。でも石松氏はともかく黒森氏は儀式後も寺にいたわけですよ、いつ心筋梗塞を誘発したんです?」

「わからん。推理ノーアイデア」

「推理ノーアイデアですか」

「トリックは正直迷宮だが、タイミング的に怪しいのはむしろ浦見氏以外ということだ」

「じゃあ、どうするんです?」

「昨日石松氏と一緒にいたおじいさんおばあさんがいただろう。彼らからならなにか手掛かりが得られるかもしれない」

かくして、石松氏の死亡時期から、下田一行は刹戒寺外部の人間によるカモフラージュ目的の殺人を予測した。


「高山さんですね」

下田と川田が訪ねたのは刹戒寺からそう遠くない一軒家だった。二階建ての平均的な、北海道の田舎の戸建て住宅の風除室付き玄関の前には、「高山」という木製の表札がある。二人の応対のため出てきたのは、一人のお爺さんであった。

川田が訪ねた相手は、昨日石松氏と一緒にいた人物である。川田は念の為、儀式が終わった時に軽く連絡先を聞いておいたのだ。

「はい」

「ああ失礼、私の方は自己紹介がまだでしたね。MIT教授、下田です。この度の悲報、まことにご愁傷さまです」

「ええ、あの元気だった石松さんが、こんな突然亡くなるてぁ。今はまだ現実感が湧がんですね」

下田は友人を失ってすぐの高山をいたわる様に、優しく話しかけた。

「余所から来ていきなり聞くってのもなんですが、個人的に気になる物がありまして。よろしいですか?」

「いえ、まあ、隠すこともなけん、先生の聞きたい事なら何でも答えましょう。といっても、私も石松さんももう70過ぎばんだがらね。いつお迎えが来てもなんも不思議なことでもありません」

「石松さんは生前なにか、心身の不調を訴えることはありましたか?」

「まあ、私達みんな年を食ってんがら、体が万全なことなどはあらせんだども、石松さんは比較的元気ばあったほうです」

「『みそぎばばあの儀』の後、なにか変化はありましたか? 僅かなことでも」

「そういえば、胸やけがするとか、そんたらこと言ってました。んだども、あん儀式受けたら感覚がおかしくなることもあります、特に気にばせんかったですね」

胸やけ……心筋梗塞の予兆としてあるにはある。

「ふむ……ちなみに、石松さんとは何年来の友達付き合いで?」

「30年くらいです、石松さんは確か、旭川の方から引っ越して北府標に来たど、聞いたことがあります。石松さんはたしが、詐欺かなんたらで若ん時しょっ引かれて、それで釈放されてからここの郵便局で働いてました。んだども、別に悪い人の感じはせず馴染んでました」

「そのあたり、詳しく聞かせて頂けますか」

「いや、本人ももう物忘れさ激しくて、忘れていましたね」

詐欺……なるほど、詐欺か。「みそぎばばあの儀」は確か記事内で「過去の罪を禊ぐ」「大罪を犯したものは天罰を受ける」とあった。だが、詐欺は天罰を受けるには少々釣り合いが取れないのではないか?というか詐欺に関してなら下田も身分詐称をさんざやっている。いや、そもそもカモフラージュ殺人説なら実際に過去に犯罪を犯していたかはどうでもいいはずだ……下田の脳内で推理が巡る。

「ちなみに、石松さんの過去について、他に知っている方はおられますか」

「もしかして、あの儀式ば疑ってますか? そいは違うと思いますね。だって、このことば知ってるの、私と他数人くらいですから。多くの人にそんた言いふらすことでは無いですから。住職さんも知らんと思います。加えれば、あの儀式だって何百人もがもう受けて無事だったんでよ、前科がある人だって受けてたことあるだろうし、石松さんだけ、なことありえん」

「そうですか……」

「まあ変わった儀式ではありますが、繰り返して言うように私らいつお迎えが来てもおかしかないですから、たまたまでしょう。石松さんも、黒森さんも」

「黒森さんについては、知っていることはありますか」

「……ああ! 確か黒森さんも30年くらい前に札幌から越してきたど、聞いたことばあります。でも悪いことしたとかは、聞かないです」

「なるほど、黒森さんもここに引っ越してきたと。でも、札幌ですか……なにか、石松氏か、黒森氏が恨まれるようなことをしたとかは、心当たりはありますか」

「いやあ、全く」

正直、これ以上高山さんから得られそうな、なにか事件にかかわる有益な情報はない。下田はそう判断し、インタビューを切り上げようとした。石松氏も黒森氏も、経歴に大きな共通点があるわけでも無いし、特に疑わしい点は無い。無差別殺人の可能性もあるのだろうかと下田は考えた。その時、

「北府標に来る前の石松さんや黒森さんについて、知っていそうな方に心当たりはありますか?」

「それも全くだね」

「二人とも、北府標に来る前について詳しくは話さなかったんですか? 出身地とか、家族の話も?」

「ん? そんだば確かに、思い返せば変だな。仕事の話はしても、家族や故郷の話は聞かなかった」

「黒森さんが北府標にやってくる前は、もしかして『運送会社に勤めていた』とか、『メーカー工場で働いていた』とかですか」

「……そうだ! そうそう、確か黒森さんは『運送会社』で働いていて、早期退職してここば来たんだ。あんた、良く分がったな」

最後に川田が数個質問をはさんで、聞き取りは終わった。高山さんは通夜の準備があるからということで、家の中に戻っていった。


旅館に戻るや否や、川田はサイトへの無線通信端末を手に取った。ラップトップ型の端末を展開し、カタカタとメッセージを送る。下田にはその行動の意図が全く見えなかった。

「川田、あの最後にした質問はどういうことなんだ? なぜ、黒森が運送会社勤務だったことを当てたんだ。何か分かったのか」

「ええ、黒森さんも、石松さんも、過去記憶処理をされた人で多分間違いないです。今サイトのデータベースに通信して、確認をはかっています」

「記憶処理? 確かに、黒森も石松も自身の過去を語らなかったらしいが、それだけで記憶処理を受けたと考えられるものなのか?」

「家族や生まれについての記憶があやふやなのは、それだけならただ物忘れがひどくなっただけかもしれません。しかしながら、石松氏が前科者というのは、少し引っ掛かりました」

「どうしてだ」

「詐欺師がこういった儀式を信じるものですかね?」

「人付き合いというのもあるかもしれないぞ」

「そして、刑期を終えてやってきたのが北府標というのにも引っかかります。仕事を探すなら、旭川の方が楽なはず。記憶処理された人物であることが露見しないよう離れた場所に引っ越させるというのは、財団ではよくあります。記憶も怪しくて、行動も怪しくて、そして怪しい事件で死んだ。でも、一見二人の経歴に大した共通点はない。ここまでくると、逆に『自然さ』が不自然さを感じさせません?」

「言われてみれば、そんな気もするような、しないような」

「運送会社を当てたのは、記憶処理を受けた人物であるとアタリをつけていたからです。記憶処理、特に数年単位の大規模な記憶の処理後は代わりの記憶をはさみますが、無論人間関係や経歴に全く矛盾無いような記憶をはさむことは不可能です。そのため、本人にも周囲にも記憶の不自然さが無くなるよう『運送会社の運転手』だとか、『刑務』だとか、なるべく他人との交流が少なく場所と人間関係両方が流動的な記憶を植えつけます」

「なるほど」

「もちろん、ここまでの状況証拠は確信とまではいかないので、今確認しているところです」

川田はラップトップのディスプレイを凝視する。

「どうだ」

下田は右隣りからディスプレイを覗き見た。

「いえ、30年前の北海道の被記憶処理者だけでも、数千人いますから、ちょっと待ってください」

「い、い、いし……あった!」

被処理者番号: 127849
氏名: 石松武文(解放前名義: 鬼山猛)


被処理事由: 要注意団体「篠生会」構成員の一般社会復帰のため
処理後措置: 北海道北府標町にて、旭川からの移住者として戸籍改竄後解放

「黒森さんのもありました!」

被処理者番号: 127863
氏名: 黒森應治(解放前名義: 蛭沼半吾)


被処理事由: 要注意団体「篠生会」構成員の一般社会復帰のため
処理後措置: 北海道北府標町にて、札幌からの移住者として戸籍改竄後解放

「篠生会(しのうかい)……、なんだか死にそうな名前ですね。下田さんは知っていますか?」

「ああ、上司から聞いたことがある」

篠生会。五行結社の下部組織、つまり大きな暴力団の参加のような組織である。終戦後間もない迷走期の北海道に勢力を伸ばした。しかしながら財団と蒐集院の合併が完了し、日本国内の異常性社会の統制のための組織が再編成された後はじわじわと勢力を逓減した。19██、今から30年程前にGOCと財団の共同作戦によって根絶、あっけない最後を遂げた。

会の壊滅後構成員は根こそぎ捕まったが、減ったとはいえ相当数いる元篠生会構成員を全員収容し続けるのは合理的でないと判断された。会の中心的人物等を除いた、下級の構成員は記憶処理の後解放された。


「なるほど。そうなると、心筋梗塞のタネも見えてきたな」

朝から石松氏の死亡騒ぎ、高山氏への聞き取りを経て、既に午後になっていた。旅館の一室で、コンビはそれぞれ通信端末を開き、石松氏と黒森氏の所属していた「篠生会」について、資料を読み進めていた。なにぶん、30年以上前の資料ということで、フォーマットが現在の報告書とは異なる部分が多くあり、読むにはいささか困難を要した。

「これを見てくれ」

下田は川田に分かるよう、ディスプレイのウィンドウを指差して見せた。下田の人差し指の先には「篠生会構成員に施された人体改造について」とあった。

「なになに……『篠生会は構成員の離反を防ぐため、下級構成員が篠生会の内部情報の曝露、もしくは著しく反抗的な発言を行った時に作用する検知不能な神経毒を埋め込んでいたことが判明。作用の機序としては、心臓付近にあるカプセルに対し五行結社特有の呪術的作用が働き破裂、カプセルに内容されていた毒が解放されることにより……』、毒薬の入ったカプセル!?」

「ああ、そうだ。映画とかで見るだろ、尋問されてるマフィアが歯に仕込んだヒ素を飲んで死ぬ……みたいなシーン。あれと同じだ」

「神経毒が働いて、二人は心筋梗塞を起こしたってことですね」

「うむ、こういったアングラな団体にはよくある話だ。財団やGOCが自白剤を簡単に使う以上、心の強さじゃ尋問は耐えられんからな。冷酷だが、合理的な方法だ。だが、篠生会が解体されたため、毒カプセルは破裂の条件を満たさずただの毒カプセルになった、というわけだ」

「この心臓に付けられた毒カプセルを破壊することによって、心筋梗塞で黒森さんと石松さんは殺されたということですね。それなら、現実改変が起きず、しかも一見自然死のように処理できた」

「その通り。毒が仕込まれたのではなく、『もう仕込まれていた』、というのが真相だ。犯人はそれを破壊したんだ」

「……」

「……」

下田と川田は、十秒近く沈黙する。

「……下田さん、それは、どうやって?」

「……知らねえよぉ!」

二人の脳内は新たな謎に戸惑っていた。心臓付近に埋め込まれた神経毒のカプセル、これによって二人の死の説明はつく。自然発生の心筋梗塞のように見えたのは、検知不可能な毒薬が仕込まれていたから。(特に黒森氏には)毒を仕込むチャンスが無かったのに毒が仕込まれていたのは、はじめから毒が仕込まれていたから。しかしながら、今度はどのようにその毒を作用させたのかという謎が生まれた。

「下田さんのカモフラージュ殺人説もこれで振り出しですね。毒を仕込む必要はなかったわけですから」

「ぐぬう……」

心臓付近のカプセルの破壊、そんなものは普通考えて出来ない。胸を掻っ捌いて心臓のカプセルをプチっと?いやいや、そんなことをしたら胸に大きな傷跡が残る。みそぎばばあの儀?いや、あれは騒音だけのものであり、カプセルに作用するものはない。カプセルの劣化……?いや、それならば北府標以外でも不審死が起きるはずだし、この二件はあまりにもタイミングが良すぎる。

黒森氏と石松氏両方の死亡直前に共通しているのは刹戒寺の浦見だ。では、浦見がなにか小細工を……?いや、それはそれでおかしい。昨日の儀式で石松氏を殺すつもりだったのなら、下田と川田を急に儀式に参加させたりしない。浦見は下田に儀式の擁護を頼んでおいて、きな臭い行動をしていたことになり、辻褄が合わなくなる。

「ぐぬぬぬ……」

下田は頭を抱える。やはり、高山が言っていたように偶然死なのか?


数時間後。

「下田さん、あれですよ、戦術神学部門で習ったことがあります。共振パンチ!カプセルの固有振動数に合わせてパンチしたんです!」

川田ももうだめそうだ。戦術神学部門にいた頃に知能が退化している。

『………………考えてな』

『………………科学的に考えてな』

朝から回しに回して疲弊した下田の脳は、ふとあるセリフを思い出した。

『…………明晰な思考は十分な酸素を脳に行き渡らせることだ。科学的に考えてな…………』

探偵ケプラー、第2クール第5章「暴虐(しば)く」で探偵ケプラー本人が言ったセリフである。

「新鮮な酸素か……」

下田は旅館の謎のフローリングスペースに貼られた窓から外を見る。

北府標の自然豊かな里山が見える。小川のせせらぎ、葉のこすれ合う音。環境音が彼を落ち着けてくれた。

「川田、もう異常無しってことで、帰ろう」

「奇跡論メリケンサックと同じ原理ですよ下田さん!中国の化勁って知ってます?」

「聞いてない…………」

下田は呆れて、フローリングスペースに近寄った、全面ガラス張りの窓から濡れ縁を見ると、黄色い花が咲いていた。

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フクジュソウ

「花の香りを感じたい………いや、あれは香りが無いのか」

ピーン!そのとき下田に電流が走った。みそぎばばあの儀、刹戒寺、篠生会、全ての要素の点と点が線になる。

「川田!」

「うわびっくりした。下田さん、何か思いついたんですか? 私は石松さんが筋肉ソーマトロジートレーニングのやりすぎだったんじゃないかと疑っているんですが」

「この花、なんで香りが無いんだ?」

「ああ、フクジュソウは香りを出す蜜以外の方法で虫を集めるんです。フクジュソウの花弁の形を見てみてください。これって横から見ると二次曲線になってて、ちょうど雌蕊に熱が集まるんです。二次曲線の反射定理って言って、二次曲線の形のものに上から入射した光線は、焦点に集まるんです」

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川田は持っていたメモ帳二次曲線を描いて見せた。

「パラボラアンテナと同じ原理っすね。というか、下田さんも真面目に考えてください」

「………これだよ」

「え?」

「反射定理、カプセルを破壊したのはこれだ! うおおお如実に面白いぞおお!!」

言うや否や、下田は身支度を始めた。

「どっか行くんです?」

川田は聞いた。

「決まってんだろ、刹戒寺だよぉ」

下田は車の鍵をガシとつかんだ。


「いいか、思考を逆転させるんだ。論理的にな」

「どういうことです?」

旅館から刹戒寺へと団用車を走らせる中、下田は説明を始めた。

「大きな謎を解く前に小さな謎を解く、誰が犯人か考える前にある人が犯人であることの反証から考えるんだ」

「はあ」

「まず俺は、やはり浦見益江が怪しいと考えた。『みそぎばばあの儀』の後に二人は死んでいるわけだからな」

「それはそうですが……それでは説明のつかない部分がいくつかあります」

「挙げてみろ」

「まず、なぜ私達が来た直後に石松さんを殺したのか。次に、浦見さんはどうやって石松さんと黒森さんに仕込まれた毒カプセルの事を知っていたのか。そして、なぜ石松さんが死ぬまでと黒森さんが死ぬまでの時間に差があるのか。何より、どうやってカプセルを破壊したのか」

「チッチッチ……全部『逆』なんだよ、それが。ハンロンの剃刀って知ってるか? 浦見は殺すタイミングを『選べず』、殺す相手が誰かも『知らず』、いつ死ぬかも『知らず』にいたってことだ。だから彼女を犯人とすると不自然に感じたんだ」

「どういうことですか」

「浦見は『カプセルを壊す方法』だけ知っていたんだ。誰にも疑われず、本人に接触しない壊し方をな。誰がカプセルを埋め込んでいたかなんて知らない」

「まだちょっとよく分かりません」

「いいか、篠生会は30年前に解体された団体だ。もちろん財団によって構成員のデータは封印されているし、元構成員が記憶を消されてどこに行ったかなんて情報も財団しか持ってない。特定されないよう丁寧に元戸籍も改竄済み。記憶も記録も消されたのなら、どうやって篠生会の元構成員を殺せたのか? 無差別に殺したかもしれない? いいや、心臓のカプセルを壊していた以上、犯人は『カプセル』の事だけ知っていたと考えられる。実際に、財団外の人からすれば、『カプセル』だけが篠生会であったことを示す証拠なのだからな」

「『カプセル』だけ知っていたのなら、どうやって彼らを狙って殺せたのか。答えは『狙わなかった』。浦見は『みそぎばばあの儀』を隠れ蓑にして、カプセルを持つやつを釣ろうとしていたんだ」

「じゃあ『みそぎばばあの儀』というのは、カプセルを埋められているヤツが来たときに、カプセルを壊せる儀式、ということですか。でも、それが結局一番の謎なんじゃないですか」

「それを解く鍵が反射定理だ。刹戒寺に行けば分かる」

北府標のこじんまりとした町は、施設間の移動にそう時間はかからない。下田が解説しているうちに、中型団用車は刹戒寺に着いていた。


車を再び砂利の駐車場につけて、二人はずかずかと歩き本堂の前で浦見に面会した。

「あら下田さん、またいらしたんですね」

浦見は昨日と同じように、優しく応対した。どうやら下田一行が石松氏の死を知っていることを、まだ知らないようだ。まあ、下田は昨日この町に来たばかりの学者(と浦見の中では認識されているの)だから、当然の態度である。

「すみません、昨日調べ忘れていたことがありまして」

「?…………ええどうぞ」

「昨日の儀式中、どうも気にかかったことがあるんですよ」

「まあ、なんでもお答えしますよ」

「『寝台の下』を見せていただきたい」

下田はそういうと、本堂の側に寄せられている、みそぎばばあの儀にて用いられた紫布の敷かれた寝台を指差した。浦見は鳩が豆鉄砲を食らったように目を見開いた。

「二つ目の鈴は、寝台の下にあったのでしょう?」

下田の指摘に際し、川田も思い出した。あの時、川田の視点では、鈴は浦見が持っている1つだけでなく"複数"聞こえていたのだ。

「あの、いや、寝台の下には特に何も」

下田はもはや浦見が許可をだすかどうかも聞いていなかった。本堂の畳を革靴で歩き、寝台に近づいていく。川田もそれを見て、慌てて靴を脱いで本堂に上がる。

「あー! 困ります! 下田さん! あー! 下田さん!」

下田が寝台の紫布をめくると、そこには"水で満たされた"、"楕円形"を長辺で半分に割ったような半径30cm程の鈴が、上下逆に置いてあった。

「フッ、やはりな。川田、楕円の反射定理は知ってるか?」

「えっ、あっ、はい! 楕円の場合は、二次曲線と少し違って、『一方の焦点から出た直線が、もう一方の焦点に集中します』!」

川田は言うや否や、メモ帳に図を描いて見せた。

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「その通り!」

「あの、さっきから何を」

「とぼけるのも大概にしゃい! この鈴を見るといい、楕円の焦点っぽいところに舌(ぜつ)がある。このタイプの鈴は舌が振動することによって音を出すのさ」

下田が指す鈴は楕円形に湾曲した形になっているが、中心に長細い分銅があった。小さめの鈴なら鉄球が入っているが、ここでは大きめの鈴のため、代わりに分銅を入れているようだ。

「寺だからこんなものが見つかっても仏具で通せただろうが、この下田教授の目は誤魔化せないねえ、この鈴は『衝撃波発生装置』なのさ」

下田は川田のメモ帳を半ばひったくるように取り、もう一度浦見に見せた。

「この図において、矢印が出ているのが鈴の舌、矢印の向かっている先が心臓のカプセルだ」

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「この鈴から出るのは音だけではない。水を媒質として衝撃波も伝える。この見物者からの視覚に存在する鈴の舌から衝撃波を発生させると、楕円の側面で反射し、カプセルに伝わる。そしてカプセルは割れる。衝撃波発生のためには舌を激しく打ち鳴らしてもいいし、電極放電という手もある」

「何を……」

浦見は狼狽える。

「確かに、心臓ピンポイントが焦点に来るようにするのは難しい。でも、みそぎばばあの儀のように『十分掛けて衝撃波を発し続ければ』どうなるかな。ああ、確かに完全に傷をつけられても、割ることができるかどうかは微妙だろう、でも少しだけ割れればいい。多少『死ぬまでの時間にばらつきは出るだろうが』、心筋梗塞は起こせるのだから」

「そうか、二人の死ぬまでの時間に差があったのは、カプセルの破損状態すら、操作不可能であるからゆえの偶然だったんですね」

「その通り。まあ、犯人の貴方なら分かりますよね。浦見さん」

浦見は苦し紛れに言う。

「何を言ってるのか、さっぱりですわ。下田さん、なにかお疲れなんじゃなくって?」

「浦見さん、いや、浦見! もしかして、カプセルの毒は検知不能だからどうせ犯罪にはならないとでも思っておられますか」

「浦見さん!私たちは『財団』ですよ。下手な真似はよした方がいいです」

「…………財団」

「浦見、この鈴という動かぬ証拠があるからには、お前が犯人であることも揺らがない。今投降すればそう冷酷な仕打ちは受けないだろう」

「まあ、財団職員を殺したわけじゃないですからね」

「財団…………!!! この五行結社『始末人』、浦見益江が成敗しちゃらああああああああ!!!」

もう相手は全てを知っている。ほとんど会話は無かったにも拘らず、浦見はそれを悟ったようだ。浦見は豹変する。穏やかな顔は般若のように歪み、下田に駆けていく。その振り上げた右手には鈍器のような鈴が持たれていた。

「祈念メリケンサック!」

「ぐあああああああああああああ!!!!」

一撃。五行結社:浦見益江と財団:下田源三郎の戦いは一瞬で終わった。川田手製の祈念メリケンサックから出てきた第六生命エネルギーが浦見の右脇にクリーンヒットしたのだ。

「財団職員たるもの、武道の心得くらいあるさ」


かくして、北府標における「五行結社による篠生会元構成員の暗殺」事件は幕を閉じた。下田と川田はあくまで異常発見部門である。要注意団体への対処は他の部門の仕事である。財団の偽装救急車、偽装パトカーが刹戒寺に集うのを後ろに、中型団用車は北府標から離れていく。

寒冷色のトタンが、小さくなっていく。川田は助手席のサイドミラーからこじんまりとした町を眺めた。

「みそぎばばあの儀、終わるんでしょうか」

「もう続ける人がいないからな」

「篠生会が解体して何年も経つのに、どうして五行結社は構成員の始末なんて始めたんでしょう。しかもこんなにめんどくさい手で」

「めんどくさいが、それしか手段はなかった。理由は……まあ知らんさ。五行結社みたいなカルトの考えることは論理的じゃない」

川田には一つ疑問があった。いくら探偵ケプラーを見ているからといって、果たしてド文系の下田は楕円の反射定理を応用したトリックを解けるのだろうか。そもそもトリックに気づく順番も不自然だ。下田は前日、二次曲線の反射定理の着想元となったフクジュソウの生態すら知らなかったはずなのだ。夜の内に調べた? あの下田が?

ともあれ、一件落着。穏やかな山間で起きた事件は、町民の誰も気づくことなく穏やかに閉じた。





























20██/██/██

さて、これは川田が後に気づいたことであるが、二次曲線の反射定理を応用したものにパラボラアンテナがあるように、楕円の反射定理を利用した人工物もある。ESWLという。ESWL: Extracorporeal Shock Wave Lithotripsy(体外衝撃波結石破砕治療)とは、衝撃波を半楕円形の装置で反射させ、焦点にある結石を破砕する、という"治療法"である。これを用いれば、心臓のカプセルを破壊したように尿管、尿路の結石を破壊できるのだ。外科手術の必要もなく、痛みもない。現在の尿路結石の取り出す方法としては、最もメジャーなものである。

心筋梗塞の前兆に胸やけがあるように、さまざまな体の不調には副症状がある。尿路結石の場合、破砕後に尿路が結石の欠片で傷つき、血尿を出すことがあるらしい。川田は探偵ケプラーの如実に面白い真相に、ほくそ笑んだ。

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