「ミーム制圧エージェント?」
サイト-8165の管理官室で伊勢山管理官と私が対面していた。
「はい。我々の機密情報を保護するべく用いられているミーム殺害エージェントの代替案、と言いましょうか。ミーム殺害エージェントの適用は当初は我々にすらアクセス権限のない"提言"のみに留まっていましたが、現在ではそれ以外の情報でも見受けられるようになりました。いえ、厳密には見てはいないので聞き及んでいる、と訂正しておきます」
「続けてくれ」
「実際のところ、ミーム殺害エージェントによる死亡者はゼロにはなっていないのが現状です。その死者がただの酔狂な馬鹿ではなく何らかの明確な意図をもって機密情報にアクセスしているのは想像に難くないでしょう。にも拘らず彼らがなぜその情報にアクセスを試みたのか、その究明を行うことなくその場で殺して終わらせる真似が果たして最善なのか、と私は考えたのです」
あらかじめ決めておいた内容を出来る限り感情を込めないよう努めながら話す。一先ず管理官の印象は悪くなさそうだ。
「なるほど。それで殺害ではなく制圧、と」
「そうです。現に我々は敵対GoIの大半の情報を掴めておらず、襲撃事件の未然防止が殆ど出来ていない上に我々のGoI拠点制圧も鳴かず飛ばずの状況にあります。故に機密に触れようと試みる輩は気絶させて尋問した方が有益だと考えました。ネズミ捕りです。私はミーム殺害エージェントが実際にどのようなものなのか、音声か視覚情報かはたまたそれ以外か知り得ませんが、恐らく技術的な障壁はないと推測しています」
「ふむ…わかった、確かに理には適っている。上に通しておこう」
「ありがとうございます、では……」
思いのほかすんなりと話が通った事に安心しつつ、私は彼の気が変わる前にさっさと退出しようとした。
「待つんだ、鳴瀬博士。一つ条件がある」
踵を返しかけていた私の体がピタ、と止まる。ゆっくりと正面に向き直った。
「は、はあ……」
ガコン、と音を立てた缶コーヒーを拾い上げ、管理官に手渡す。終業時刻を過ぎた休憩室は閑散としていた。西日で酷く暑い。
「ありがとう、鳴瀬君」
「いえ、この程度の事」
正直、私はこの管理官が苦手だ。どうも何を考えているのか分からない。現にこうして横並びになっている理由も分からない。
「それで、なんでわざわざコーヒーを奢れなんてせがんできたんですか?まさか金欠という筈もないでしょうに」
「なに、本音が聞きたかっただけだ」
うげ。
「声に出てるぞ、鳴瀬君」
つい心の声が漏れ出てしまった。しかしそうだろう、モロに核心を突かれた。やはり私はこの人間が苦手だ。
「……三割」
私はしばし悩み、口を開いた。
「三割?」
私の突拍子もない発言に、彼はオウム返しをした。
「50年前と比べた時の今の割合です。何の数だと思いますか?」
「ふむ……これまでの流れからして、襲撃事件の件数とかか?」
「Dクラスの終了件数です。国内だけではなく、全世界の統計です」
「ほう?」
「下らない実験に彼らを浪費させていた過去の我々と異なり、今や模範的なDクラスには個室さえ与えるようになりました。"替えは幾らでもある"なんて口走った日には人でなしを見る目を向けられるほどです」
昔は職員の間で"月例解雇"等という下らない都市伝説まで横行していた位には消耗品としての認識が浸透していたのが、今じゃ見る影もない。あの当時からしたら皆目見当もつかない事だっただろう。私は言葉を続ける。
「倫理委員会だってそうです、黎明期の財団をこの目で実際に見てきた訳では無いですが、少なくとも記録を見る限りでは当時の彼らに倫理委員会があったとしても付け入る隙など無かったはずです。倫理という概念を受容できるように我々が変遷してきた結果なのです」
「つまり君は……いや、君の言葉で最後まで言わせてやるべきだな」
「つまり。我々は間違いなく変革の時にあるのです、いや、常に変わり続けているというべきでしょうか。他に例を挙げるとすれば……そうですね、特別収容プロトコルの過剰な編集黒塗りも随分と消極的になりましたし、黎明期のずさんなプロトコルも改定が進んでいます。何れにせよ、その変化という作用は中々均一には変化せずムラが出来てしまいます、部分的に後れを取るとも言えるでしょう。そうした歪みは得てして忘れられがちです、だから気付いた人間が意識的に変える必要があります。それが移ろう時代に生まれた我々の使命だと思うのです」
どうせ隠しても勘繰られる、この際思い切ってすべてぶちまける事にした。別に倫理委員会ごっこをする気は更々ないが、それでも"変わる"という事に関しては誰よりも敏感でいたかった。
「……ううむ、なるほど……ありがとう。参考になった」
そう口にした管理官の顔は最初に比べてどこか渋くなっていた。何かが気に障ったのだろう。
「まだ、何かあるのでしょうか?」
「……最後に一つ訊いてもいいか?」
「ええ、勿論です」
「君はこの"変化"に納得しているのか?どうも、君の発言からは変化という概念そのものに拘る割に、変化の内容に対する意識が弱いように思える」
私は問いかけを最後まで聞き届けてから大げさに肩を竦めて見せる。是非もない、そんな意思表示をこめて。
「どんな形であれ、人がより多く生き長らえる事のどこに首を傾げる余地が有るというのでしょうか?」
管理官は繊細な表情を見せ、小さく息を吐く。令よく和なごやかと掲げられた時代が、一年を巡った。