Wの絶唱
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最初にそれに気づいたのは、母の棺に土をかけているときだった。どんよりと曇った空の下、一番激しく泣いていた父の大きく温かい手は私の肩に乗せられ、じっとりと汗ばんだ。優しく強い母だった。皆から愛され、その死を嘆く人々のすすり泣きの前に、空すらも同情しているようだった。でも、私はその時泣けなかった。涙がこぼれ落ちてこなかった。

葬儀を終え、私が感情を表に出さないことを母を亡くしたストレスによるものだと思い込み、父の方が精神の均衡を崩しかけていた。私は一人残った父には支えがいるのだと判断し、少なくとも精神的には支えであろうと努めた。とはいっても、いくら本を読んでも、いくら話を聞いても、私には事象と感情が繋がらなかった。だから、当座の間はそういったものとして演じることにした。楽しい時は笑うように、悲しい時は泣くように、腹立たしい時は怒るように。パターンを覚えるのは得意だったから、すぐに私は感情豊かな子どもだと捉えられるようになっていた。そうなれば、周囲は徐々に変わっていた。褒められるようになった、評価されるようになった、新しい母を迎え、家族の関係が良いものになっていった。父が死んだ。

私は感情を意味のあるものだと定義した。だから、その意味を探るべきだと考えた。

だが、成長するにつれて、私の中には疑問が膨れ上がっていく。大学で見た脳と情動の関係。薬物を投与するだけで人の感情などは簡単に動かすことができる。私たちが楽しいと笑うことは、悲しいと泣くことは、所詮脳内麻薬の見せる電気信号の路線図に過ぎないのではないか。刺激に対する反射的行為に過ぎないのではないか。ならばそれは本当に意味があるものなのだろうか? もしそうでなければ、何故。私はそれに答えを出そうと決意した。様々な人の感情を調査し、脳を分析し、心のありか、感情のありかを探っていった。気のいい、ジョークが得意で優秀な研究者として。

財団に誘われたのは私が学会でそれなりのキャリアを築いたころだった。財団外で様々な実験を経てどんな人物であろうとも、言葉が通じるのであればそこにはなんらかの感情が発生すると結論付けていた。怒り、蔑み、悲しみ、嘆き。ならばやはりそれには意味がある。そのはずだ、ではその意味とは何か。私はまだ答えを持てず、新たな方法を試す時期だと考えていた。財団からの提案は渡りに船だった。財団には多くの奇妙なものがあった、ヒト以外のものも多くあり、それらとも言葉を交わした。そして彼らにも感情と呼べるものがあった。大脳の縁が見せる電気信号か、高度にパターンされたプログラミングか、あるいは。探れば探るほど迷宮に陥っていく、進めば進むほど沈んでいく。苦しみは感じないが、延々と続く霧の中を歩いているようだった。曇天の空をひたすら眺めているようだった。怪物を知ったのはその時だった。

怪物は人語を解し、怒りの感情しか持ち合わせず人間を憎むと言われていた。だがその一方で人型オブジェクトの一部にはその感情を見せないともされていた。非常に人間的なその怪物を見たとき、私は違和感を覚えていた。酸の影響で露出した白い骨が腐食と同時に再生する。我々を見据えたように目が蠢き怨嗟の声を出す。確かにそれはそうだったが、私にはそれが入力に対する出力に思えてならなかった。殺すために殺すのであり、そこには過程と結果しか存在しない。鏡を見ているようだった。私は怪物の実験に志願した。

死刑囚を与えても怪物は一顧だにしない。複数のオブジェクトとの接触を行ってもその反応はいかにもだ。実験を続けるたびに、この怪物こそが私の答えを持つのかもしれないと思い始めた。過程と結果しか持ち合わせない存在が曲がりなりにも感情を模している理由とは何か? その答えに辿り着くことができるなら怪物と話してみたいとすら。死を意味するとしても。だから私は徐々に、徐々に周囲への演技を変えていった。幼い子供を怪物に食わせた、四肢を縛って食わせた、感情を抑制して食わせた。なるべく狂っているように、倫理観を失っているように、それをすらジョークとして楽しんでいるように。

何も楽しくはなくても演技は慣れている。悪魔じみたウクレレ男の前で唸ってやる。

ウーム……、たぶんもう一度試せばいんじゃないかな

最高の出来だ、賛辞は必要ない。賛辞を贈るなら、私を怪物の檻に放逐したあの男へ。

怪物の檻の中で私は泣き叫んでいた。ここから出してくれと喚いていた。心にもそんなことは思っていないのに、耳たぶを弄るように演技し続けた。そして私の前に怪物は現れた。大きな咢を開き、重機を思わせる質量が私に殺到してくる。断末魔の悲鳴をあげながら、私はつぶさに怪物を観察していた。眼球が食いつぶされる直前、目が私を見つめる、こんなに泣き叫んでいるのに、懇願しているのに、誰の目から見ても哀れな生き物なのに。怪物にはなんの感情もなかった、言葉はきっと通じているはずなのに、だというのに。

天啓が私を貫いた。それにすら意味がないのだ、演じる必要などなかったのだ。

全身を砕かれながら死に至る数コンマ、私は安堵していた。この怪物が示すように感情に意味などはない、だから、罪のない子供たちが食い殺されたのは私のせいではない、父が首を吊ったのは私のせいではない、母の葬儀が曇天だったのも私のせいではない。感情に意味などないのだから、それを以って進むことには意味がない。全身の細胞が声をあげた。押しつぶされた鼓膜へ歌声のように染み渡った。ああ、これは私の叫ぶ歓喜の歌、人生において最初で最後の歓喜の絶唱。


ああ、よかった、よかった、よかった! こんなにも吐き気がするほど意味はない! この絶唱にも意味はない!


どうしようもないほどの叫び! これを人は救いと呼ぶのだろう!

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