Fの弾丸
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「プロトコル"パラドックス710"を開始します。SCP-710-JPの時刻を3年と3日前に設定し、エージェント・藤山に渡してください」
「はい」

人払いがされた路地で、時丘博士がプロトコル準備開始の合図を行う。博士の指示通り睦月研究員はSCP-710-JPのグリップ右側面を取り外して内部にあるつまみを操作し、時間を設定する。さらにrandomのスイッチもOFFになっていることを確認した。元々スイッチはいつもOFFになっているはずではあるが、SCiPを相手にしているのだから確認を繰り返すのは重要なことだ。特にSCP-710-JPはKeterクラスのオブジェクト。失敗は許されない。

しかし彼女は自身の思考がエージェント・藤山への同情で鈍っているのを感じた。こんな状態で実験に取り組んでいては取り返しのつかないミスをしかねない。頭を振ってその感情と先日の記憶を追い出そうとした。


エージェント・藤山が今回のプロトコル"パラドックス710"に志願したと聞いて、睦月研究員は何故、と思った。それでも彼なりの理由があり、彼自身が決めたことだ。その彼の気持ちを推し量ることは、彼女にはできない。部外者の自分が立ちいるべきではない。

「どうしてもあなたがやらなくちゃいけないんですか?」

しかし実際に口をついて出たのは、その考えとは真逆の言葉だった。その言葉が出てしまったことに、彼女自身が愕然とした。

「ああ、そうだ」

彼は動揺した素振りもなく、淡々と応えた。

「あいつが撃たれたって聞いた時は、信じられなかった。日本で銃撃事件なんて、SCiP絡みでもなかなか聞かなかったから、余計にな」

睦月研究員も知っている、3年前の事件。藤山の恋人はその日、帰宅中に人気のない路地で撃たれた。警察は事件を捜査したが目撃情報は全くなく、証拠はまともに残っていなかった。残っていたのは彼女の遺体と血痕、そして一発の銃弾だけだった。最も疑われた藤山にも完全なアリバイがあり、事件は迷宮入りとなった。

「信じてからは犯人を憎んだし、俺を疑うばかりで手がかりもつかめない無能な警察を憎んだよ」

睦月研究員は当時の彼の荒れた様子を思い出す。表面上は何とも内容に振る舞っていて、しかし内心で荒れ狂っていた彼に、彼女がかけられる言葉も、できることもあまりなかった。当時は藤山とは知り合いだったものの、まだ財団に勤務していたわけでもない一般の研究職だったから尚更だ。

「だから無断で記憶処理剤を持ち出してまで、事件を調べた。調べて、調べて、調べ尽くして、ああ、警察って有能なんだな、と思ったよ。調べれば調べる程、どうしようもなく犯人は俺だった」

財団に入った後で藤山から当時の話を聞いたことがあった。藤山は現場の痕跡も調べ尽くし、その痕跡から財団の知り合いに頼んでシミュレートもしてもらったそうだ。しかし結果は体格も、銃の撃ち方も、残された少ない痕跡からわかる全てが藤山が犯人であることを示していたらしい。

「俺の知らない生き別れの双子でもいるのかと思ってたよ。けど、こいつのことを知った時に全部分かった。あいつを殺したのは俺なんだって」

SCP-710-JP。それは弾丸を過去や未来に送る異常性を持った銃。それによって決定された結果を生むための射撃は、誰が何をしようと必ず起こる。銃弾が未来から過去へ放たれた歴史があるならば、SCP-710-JPは必ず未来で過去へ向けて使用される。それを止めることは誰にもできない。

だからこそのプロトコル"パラドックス710"だった。誰かがSCP-710-JPを使用するというならば、その誰かは財団でなくてはならない。そうでなければ、SCP-710-JPは財団でない何者かの手に渡ってしまうことを意味するのだから。例えいつか必ずそうなるとしても、それを可能な限り遅らせるためには財団の手でSCP-710-JPを使うしかなかった。

「でも、何も藤山さんがやらなくたっていいじゃないですか。藤山さんと体格が似てる人に同じような撃ち方をしてもらえば……」

睦月研究員は財団に入る前から藤山と親しかった。彼がどれだけ彼女を愛していたのか、それをよく知っていた。だからまだ人生経験の深くない彼女は、その理不尽な運命に納得できなかった。

「いいんだ」

藤山は深く息を吐いた。

「誰がやっても同じなんだ。あいつはあの日、死んだ。それは変えられない」

藤山の言っている言葉は、論理的には正しい。だが睦月研究員には、それに一番苦しんでいるのは彼自身に見えた。

「俺が一番あの事件を深く調べた。俺が一番あの事件について考えてきた。俺が一番、あいつを確実に殺せる」

睦月研究員はその重みを堪える藤山を見ていられなくて、逃げるようにその場を立ち去った。


睦月研究員はもう一度時刻とスイッチを確認し、間違いがないことを確かめると、グリップを取り付けてSCP-710-JPをエージェント・藤山に手渡した。そして一言付け加えようとして、やめた。また余計なことを言ってしまいそうだったからだ。

「エージェント・藤山は射撃の準備をしてください」

時丘博士からプロトコル開始の合図が告げられる。睦月研究員は藤山から離れた。彼女の顔にいつもの笑顔はなかった。

「10秒前。9、8、7……」

睦月研究員にできることはもう何もない。ただ黙して彼を、弾丸の行く先を見るだけだ。

「3、2、1……」

無機質なカウントが時刻を告げる。そして──

「0」

発砲音が鳴り響く。

硝煙の香りが残るが、直に優秀な財団職員たちの証拠隠滅で消え去るだろう。

銃弾は"今"にはない。

睦月研究員は無言で藤山からSCP-710-JPを受け取った。藤山はいつも通りの表情だったが、睦月研究員には無理をしているように見えたし、実際そうだったのだろう。だが、最愛の人を自ら撃ち抜いた男にかける言葉を彼女は知らなかった。

「先に戻ってる」

彼は自身にこびりついた硝煙が除去された後、そう言って歩き去った。

時丘博士は俯いている睦月研究員に声をかけ、SCP-710-JPを受け取る。

「あなたも少し休んだ方がいいでしょう。あとは私がやっておきますから」
「……はい」

睦月研究員は肩を落として歩いていく。時丘博士は黙ってそれを見送った。心の優しい彼女には酷なことだが、この仕事を続けるならばこれから先もこのような理不尽を何度も見ることになるだろう。だから彼女にはそれを乗り越える心の強さを身につけてもらわなければならない。

過去は変えられない。だからせめて彼女の未来が少しでもマシなものになるように祈りながら、時丘博士は最終確認のためにSCP-710-JPのグリップ右側面を取り外した。

そこには彼女の未来を示すように「F」の文字が記されていた。

 

 

SCP-710-JPの影響により今回の睦月研究員のミスが確定されていた可能性があるため、彼女の研究員補佐への降格処分は保留されている。

しかし二度と彼女をプロトコル"パラドックス710"に関わらせないように。-██人事官

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