財団メシ:サイト-81NNのバナナ餃子
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1.

「ねね、バナナ、お好きですか?」

垂れ目で浅黒い肌の優男、山月 龍介さんげつ りょうすけが尋ねてきたのは、暇も極まりつつある日の昼下がりのことだった。聞かれた方である同じ職場の桜戸 鉄雄さくらと てつおは、その質問があんまりに唐突すぎたので、思わず首を捻ってしまう。

「うーん、バナナねェ…。俺は普通に好きだぜ。工房とかで飯替わりに食うこともあるからな。」

桜戸は技術職なので、研究や工作の用事で工房に篭ることがしばしばある。そんな時には、安価で手軽に食べることができるバナナがかなり重宝されるのだ。無精で自他共に認めるズボラな彼にも、バナナを剥いて食べるくらいの気概はある。なのでバナナは好きだし、結構機会があれば食べている方なのである。

だいたいそのようなことを話すと、山月の顔がぱっと明るくなった。

「了解ですー! 桜戸さんはバナナ好き、と。いやー助かります。」

そんなことを呟きながら、山月は手元に取り出したメモに何かを書き込んでいる。桜戸が覗き込んでみると、今二人が居るこの職場、サイト-81NNに所属する職員(そんなに多くはない)の名前が書き連ねられていた。わざわざリストアップとは、「バナナが好きか」という他愛ない質問にしては大仰である気もする。桜戸はやはり首を傾げ、やがて「何か裏がある」という可能性に行き当たった。いかに今が平和な瞬間とはいえ、本来この職場では何が起きても不思議ではないのだ。

「なぁ、バナナ好きか聞いて何すんだ? 食わせてくれるのか?」
「お、鋭いですねー。実はそうなんです。ちょっと、バナナがたくさん手に入るので、サイトの皆さんにお配りしようかと。」
「おお、殊勝な心掛けじゃねぇか! ありがとよ。何本くらい食って良いんだ?」
「五千万本です。」
「五千万。」

思わず意味もなく周囲を見渡す。ここはのんびりとした平和なオフィスそのもので、ドッキリを仕掛けるようなスタッフも見当たらない。そもそも辺りには自分たちしかおらず、フロア内は閑散とし切っていた。とすれば、今しがた聞いた数字は何かしら実体を伴った値ということになる。こいつは冗談言うタイプじゃないんだよな、と思考を巡らせて、ようやく桜戸はのほほんと笑う山月の顔に目を向けた。

「んー、聞き間違えたかなァ~。今、"五千万"本つった? いちじゅうひゃくせんまんの、万の単位の方の。」
「そうですよ~。あぁでも、五千万本は言い過ぎたかもです。そのうち多少は食べきれないので処分することが決まってますから。」
「だ、だよな。ジッサイのとこ、俺らが食わされる量はどのくらいだ?」
「えーっと…とりあえず五万本くらい食べることになる、かも?」
「待て待て待て待て。」

やはり、ただのおやつ談議ではなかった。桜戸の背筋に冷たいものが走る。ここは『財団』、異常な存在を収集し管理する秘密組織の内部なのだ。"普通じゃない"ことの方が"普通"だと考えるべきだった。

「はぁ…分かってきたぜ。そのバナナ、異常絡みだな?」
「正解です。幣サイト業務の一環で、五千万本のバナナが横浜の現場から搬送されてくるんです。遺留物、兼、バイオ廃棄物として。」

サイト-81NNは、異常存在を管理する財団の中にあって特異な立ち位置にいる。異常存在を一切扱わず、異常でないもの、すなわち「かつて異常であったもの」だけを集積し保管しているのだ。財団ではそのような存在を「Neutralized(ニュートラライズド)オブジェクト」と呼称し区別していた。そして、そのようなオブジェクトは大概「何かの死骸または残骸」か「異常現象の残留物」のどちらかに分類される。山月の寄越した報告書によると、今回のバナナ五千万本というのは後者に当たるらしい。

SCP-3521?」
「そう、バナナはSCP-3521の副産物なんだそうです。」

山月が隣の席に腰かけ、説明を続ける。

「SCP-3521は黄色い錠剤で、アマチュア超常薬理学者として有名な"dado"という人物によって作られたとのことです。で、効能なんですが…見てもらった方が早いですよね。添付画像見てください。」
「うげ、なんだこの黄色い雪崩は。倉庫丸ごと埋まってんぞ。これ三階建てだよな?」
「錠剤を飲み込んだ人物の胃の中に、大量のバナナを出現させるらしいんです。その総重量は約9,150t、だいたい東京タワー二個分の重さだそうですよ。」
「…身体の内から跡形もなく爆散、か。可哀想にな。で、このバナナらは主が死のうが消え失せようが、お構いなしに出現し続けると。にしても、なんでバナナなんだ?」

山月は苦笑いを浮かべて、別の紙を手渡した。「一応、"暗殺のため"らしいですよ。」手渡された紙には、一群のグラフと測定結果の表がズラリ並んでいた。その測定内容は。

「ガイガーカウンター? このバナナ、放射能持ちか?」
「『バナナ等価線量』という用語も付いてます。天然のバナナは元々、微量の放射性物質を含んでいるんだそうです。」
「ハッ、てことはあれか。この錠剤の効能は『致死量の放射性物質が集まるまで大量のバナナを食わせる毒薬』ってところか。」
「正解です。まあー、大抵死因は放射線障害でなく、圧死みたいですけどね。」

あほらし、と呟いて、桜戸がバサリと音を立てて書類を机の上に広げる。椅子に深く座り直した彼は、大きめのため息を一つ吐いた。

「んで、バナナの出どころは分かったんだが、ウチ来る経緯がまだ分からん。さっきの話を聞くに異常性も解明されてるみてぇだし、ウチで保管して経過観察するって訳でも無いだろ?」

財団の標榜する主義の一つに、『保護』というテーマがある。異常性を持つオブジェクトの状態を保全し、十分に分析・研究できるように維持する。サイト-81NNでは対象が異常性を失った物に限られるとは言え、基本的なその原則が反故にされることはない。…裏を返せば、十分に異常性が解明されていて、これ以上の分析・研究が必要なければ、貴重なリソースを割いてまで保護する必要はないのだ。異常の本体でもなく、生成された副産物という今回のケースではなおさらだった。

「あー…それはそうなんです。でも、問題がありまして。」
「問題?」
「量が多すぎるんです。港湾、今埋まってるんですよ。横浜港なんてメジャーな港ではこれ以上の余裕が無いらしくって…民間の焼却場もフル稼働みたいですが…。」
「んで、ウチで引き取って処分してくれってことか。はァ…。」

要するに、サイト-81NNは負けたのだ。ただの大量のバナナ(しかもまったく非異常性らしい!)など、異常の研究に忙しい財団ではお荷物でしかない。それならば同じお荷物(と偏見を持つ者も多い)のサイトに、厄介事を押し付けよう、ということなのだろう。政治的駆け引きがあり、弊サイトは弱小だったというだけのことだ。桜戸は比較的若くしてサイト管理官を務めている野間女史の心労を忍ばずにはいられなかった。南無三。

「という訳で、サイト-81NN総出のバナナ消費令のお達しがあったんです! 桜戸さんもご協力ください!」
「イヤイヤ、待て待て、落ち着けよ。一本や二本じゃなく、五千万本だろ? ゴリラじゃねぇんだから、生バナナなんかすぐ飽きちまうって!」
「そこを何とかってサイ管(サイト管理官の略)に言われちゃったんですよー! "無力化物(Neutralized判定済み)の廃棄・処分も確かにウチの仕事だから…"と言うんですよ。弊セクター内の焼却場でも処理してもらってるので、できるだけでいいんです!」
「処理中って、もう焼却場も満杯なのか!? んなもん並大抵の方法じゃ平らげられねえぞ。なんかこう…革命的アレンジをくれ!」

ここ財団という異常の中枢にあって最も手薄いもの、それは"普通の"異常事態への対応力だ。「バナナの在庫がパンクしました」なんて非異常の異常事態、誰が想定し対策を立てているだろうか。この窮地、なんの変哲も無い「普通のバナナ」を如何に効率よく消費するのかが問われている。桜戸には、普通の食べ方では攻略など到底できないように思われた。何か「異常な食べ方」が必要とされているのかもしれない。

「なら、餃子にしちゃうのはどうですか?」

不意に聞こえる、涼やかな女性の声。虚を突かれた二人は周囲を見渡し、僅かな寒気を覚える。やがて二人はすぐ傍の目線より少し下に、背の低い白衣の女性が立っていることに気が付いた。髪も肌も色素の薄いその姿は、二人にとって見覚えある姿だった。

「神恵さん!」

長い髪と巻き付いた氷の華をなびかせて、神恵研究員がえへへと温かな笑顔を見せてくれた。



2.

神恵 凪雪かもえ なゆきという女性は、山月や桜戸の職場からほど近い、サイト-81HAに勤めている財団の研究員だ。「素手で触れたものを凍らせる」「周囲の気温を低下させる」「身体の至るところに氷でできた華と蔓が巻き付いている」などの特異な性質を持つ、所謂"異常性持ち職員"でもある。三人は年も近く、職務の都合で神恵がこの場所(正確には隣の81AAの方が多いが)に度々来訪するのでいつしか打ち解け、それから長いこと親しくしている仲だった。

「今日はマクロライン(財団が運営する専用地下鉄線)に乗って、植物系Anomalousの搬入に来てたんです。それで帰りに寄ったらお二人が話しているもので、つい口出ししちゃいました。」

神恵はちらりと、山月の手にする報告書に視線を落とす。「バナナ、餃子にしてみましょうよ。私、以前教わったことがあるんですよ。」そう言って小さく微笑んだ。

神恵は、料理会やお茶会を趣味で主催したりする人として有名だ。だから、今回のように調理法のアドバイスをくれることも覚えがあるし、その実績から来るであろうある程度の説得力も兼ね備えている。だが、その聞きなじみのない料理名の響きに、桜戸は未だに我が耳を信じられずにいた。

「いや…えっ、バナナに、餃子を?! うえーっ。」

頭を振って自信ありげな闖入者を見つめる。桜戸の脳内には、ビールに良く合い塩気と肉汁が食欲をそそる餃子と、ケーキやクレープの上に乗っている甘ぁいバナナのイメージが交互に入り乱れていた。やはり、普通じゃない組み合わせなように思われる。

「うーん…僕もちょっと想像がつかないですね、神恵さんの『バナナ餃子』は。」
「あ…そう、でしたか。」

少し表情を曇らせる神恵。バナナと餃子で想像つくやつの方が少ないだろ、とは桜戸の心のボヤキだ。

「確かに普通の食い方じゃ無理だとは俺も思ってたが、その…。流石に異常じゃねぇか? バナナと餃子なんて、正直まったく結びつかないんだが。」

横やりで追撃する。だが、反対に桜戸の攻撃にはやる気を取り戻したのか、神恵はパッと元の表情を取り戻した。

「やっぱり最初はそう言いますよね、分かります。」

ふっふっふ。神恵が不敵に笑う音が聞こえて来る、ような気がする。神恵はしたり顔で身長差のある桜戸を見上げると、ついと近づき挑戦的な目を向けた。ビシィッ、と鋭く人差し指が突き立てられる。

「桜戸さん、食わず嫌いはよくありませんね! 食べる時って、口から身体へ物を取り入れますよね。つまり『食べる』ことは『受け入れる』ことなんですよ。ここでビビってたら、財団職員としての対応能力が廃るってもんですよ。さぁ、受け入れて、レッツ・トライ!」
「へっ、ビビってなんかねーよ! 分かったよ。したら『バナナ餃子』、食わせてもらおうじゃねーか。」

売り言葉に買い言葉、売られた喧嘩(?)は正面切ってぶつかるのが桜戸らしさだ。とはいえ流石に桜戸も、予想も付かない『バナナ餃子』なる料理に不安を感じない訳ではなかった。

「ただよォ、如何に異常ひしめく財団とはいえ、『バナナで餃子』ってのは、どう作るんだい? 異常な組み合わせが異常な料理になる気がしてならねえが? あれだ、"異常食"だ、"異常食"。」
「ヒィ! い、異常ですか。それはちょっと…。」

"異常"というワードに敏感に反応した山月は、恐々とした表情で神恵の方を伺う。彼には"異常アレルギー"とでも言うような体質があり、異常性のあるモノを酷く怖がることで有名なのだ。唯一の例外は、ある程度慣れることができた神恵くらいのもので、人一倍"異常"に対して敏感な性質は相変わらずだった。

「大丈夫ですよ、山月さん。異常組と言っても、バナナも餃子もそれぞれ美味しいものでしょう? キチンと組み合わせれば上手くいくんです。そのためのレシピなら…ほら、ここに。」

外出先までレシピを持参とは、何故そんなことを? なおも怪訝な表情を見せる山月がそのように訝しむ最中、神恵は目を細め、手に持っていたポーチから二枚綴りの紙を取り出した。その紙は少し古びて皺が付いてはいたが、外装の丁寧に綴じられたファイルからは大切に保管されていたことが伺える。神恵はそれをひどく大事そうに胸中に抱き、桜戸と、山月の方へとそっと手渡した。

「私、『バナナ餃子』でとっておきのレシピを持ち歩いているんです。"異常食"がマズいかどうかは、これを作ってみてから決めてみてください!」

山月と桜戸の視線が集中する。それは簡潔かつ手短に、ステップごとの料理の指南が記された一連の作業手順書(プロトコル)だった。「スゴい、なんだか不思議な料理ですが、これならイケるかもです!」わっと顔をほころばせたのは山月だ。山月はそう呟くなり、顔を上げ扉の方へと駆け出して行ってしまった。

「僕、厨房にアポを取ってきますー! "異常食"、試作してみましょう!」

バタバタバタと、山月が慌ただしく去っていく。忙しないその後姿を見て半笑いになりながら、桜戸は彼の後に続いた。神恵は、どこか遠くを見つめるように目を細め、その後ろに付いて歩きはじめる。きっと、美味しく受け入れられるから。神恵はぽつりとそう呟いた。



3.

サイト-81NNの食堂は、職員数に比して占有面積が広く、メニューも豊富なことで知られている。無駄に広いセクターに在って土地が余っているからだとか、閑職過ぎて暇を持て余したため料理研究に余念がないだとか、色々無駄口叩かれているが、評判は良い食堂だった。そんな食堂の隣、ガランとした昼下がりの厨房に、山月たち一行は陣取っていた。

「今日は人も少なく、自由に使ってくれて構わないそうです!」
「ありがてえ!」
「そしてあれがバナナ第一便です。コンテナごと持ってきてもらいました。」
「うへえ。」

"特別食の試作のため"と言って借り切った厨房の端、業務用搬入口に天井ギリギリの巨大なコンテナが鎮座している。その中身は見事なまでに真っ黄色で埋められていて、横浜から移送された(もちろん洗浄済みの)バナナの山…のごく一部であることが伺えた。

「美味しく…調理できんだろうな…? バナナ餃子ってヤツは…。」

聴いてはいたが途方もない多さに、桜戸の小さな呟きがこぼれる。その音は広い厨房の中を漂い、大量のバナナが吸音材となって染み入り、消えた。…ここで試作メニューが上手くいきさえすれば、サイト-81NN限定メニューとして採用され、バナナの消費に大きく貢献することができる。それを思いながら、バナナ山盛りコンテナ(おかわり有り)を眺めると、自然と三人の肩に力が込められていくのが感じられた。異常でもなんでもいい、この難局を美味しく乗り切らなければ。

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ガサリと音を立てて、エプロン姿に着替えた山月がレシピを広げた。桜戸はそれを肩越しに後ろから、神恵は横から覗き込む。それは、たった二枚の紙で構成されていた。

「結構手順は少ないんですね~。たったの五工程でできるなんて、僕でも寮で簡単に作れそう。」
「調理レベル"Safe"ですからね。山月さんも、すぐに、覚えることができますよ。きっと。」
「それよか、俺はレシピの書き方が気になるぜ。まあ調理には問題ないんだけどよ…。」

瑣末事だが…桜戸には引っかかるものがあった。レシピの前半には、こう書かれていたからだ。

料理名: バナナ餃子

調理難度: Safe

特別調理手順: …

Special Cooking Procedure(特別調理手順)? どう見てもこのレシピは、財団職員が他の職員のために、わざわざ茶目っ気も加えて書き下したものだ。神恵の字はもっと小さくて綺麗だった覚えがあるし、このような少し癖のあるやや汚い字を書くようには思えない。神恵オリジナルではなく、誰かから貰ったレシピなのだろうか?

「はい、それでは特別調理手順のスタートですよー。まずは僕がやってみますね。」

山月の声に意識を引き戻される。テーブルを見ると既に材料は揃えられていた。

餃子の皮に、皮を包んで閉じるためのお椀に入ったお水。色味豊かな"トッピング"の数々。そして、バスケットにこれでもかと盛られた黄色いバナナ。餃子という身近な料理に、バナナという異常を包み込む準備は整った。

「バナナ餃子、作っていきましょう!」



4.

机の上に、本日の主役たるバナナが転がされる。初めに行うのはやはりバナナの下ごしらえだ。

「まず、バナナの皮を剥きます。」
「まぁ、やっぱりそこからだよな。」

なんてことの無いバナナを、普通に手で剥いていく。つるりと皮を取り去れば、バナナの芳醇な甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。普段なら一、二本剥けばそれで終わりだが、今回ばかりはそうもいかない。二本、三本、五本、十本と、あるだけどんどんバナナが剥かれていく。案外まだ固めだった中身が次々と、工場のラインのようにまな板の上へと転がされていった。

「多すぎるので初回は十五本くらいにしましょう。僕が家でやるなら、五本くらいで十分ですよねー、これ。」
「しゃあねえ、俺らのバナナ在庫はほぼ無限だからな。ジャンジャン作ろうぜ。」
「剥いたバナナは細かく切るので、ある程度本数をまとめて置いておくとやりやすいですよ。私の方でまとめちゃいますね。」

神恵がバナナをまとめ、包丁を手にする。盛りに盛ったバナナはまな板からはみ出しつつある。もっと小分けにして用意すればよかったな、と桜戸がツッコみを入れる頃には、もう後の祭りである。

「あ、そしたら切っちゃいましょう。一番目の工程は、バナナを一口サイズにカットしていく、です。」

トントン、と小気味よい音が響く。もとより固いものでもないバナナは、包丁を入れれば途端にするりと切れてくれる。ともすれば小学生のように見えなくもない小柄な神恵でも、まったく苦労することなく山盛りバナナはカットされていった。

「私からのアドバイスです。一口サイズといっても色々あるので、バナナは大体指の第一関節か、その半分くらいでいいと思いますよ。あとで餃子に入れるので。」
「うげ、この後に餃子の手順が待ち構えてんのか…。」

そうこう言っている間に、ボウル一杯のカットバナナができあがる。神恵はボウルに入りきらない部分を集めてビニールの小袋に入れると、きゅっと素手で握りしめた。するとたちまち袋に霜が付き始め、あっという間に丸ごと凍りついてしまった。(便利な異常性だ。)

「バナナは水分が少ないので、凍らせて解凍してもべちゃべちゃにならないんですよ。面倒な人は、ここまでやって冷凍しておくと良いかもですね。これは後でお菓子作りに使うのでお持ち帰りさせてもらいます!」
「あ、なるほどな。まァ消費してもらえれば何よりだ。次に調理する時の手間も省けるしな。」
「そうですね、これが上手くいったら、あのコンテナのバナナちゃんたちも切り刻んで氷漬けにしてやんよ!です。」

神恵は手をワキワキさせて得意げな顔をしている。なんやかんや、こうして面倒見のいいお姉さんでいてくれる彼女のような存在はありがたい。そう桜戸は感心して、胸の前で親指を立てておいた。今はイキイキとしてくれた方が良い。これからの作業のために。

「二番目の工程! ここでついに餃子パートですよ。まー、皆さん予想通りの流れかもですけれど。」

山月は鋭く声を上げると、用意していた水入りお椀と餃子の皮を引き入れる。「あ、くっついてる…。」餃子の皮がくっついており、剥がすのにやや苦戦している様子だった。手際は余り良くない男なのだ。

「あー、餃子の皮は直前まで冷やしましょうね。くっついたり乾燥したりするので。」
「なるほどー…。この工程は包むだけだと思って油断してましたー。」
「ん、この工程、包むだけなのか?」

そうですよ~、という気の抜けた声が山月の口から洩れる。見ると、指示は「バナナを餃子の皮に包みましょう」という内容だけで〆られていた。

「ずいぶん簡潔な説明だなオイ。これで五つの手順の半分が終わりか?」
「あっ桜戸さん、ここで気を抜いたら死!ですよ。餃子の命は皮を包むときに掛かっているんです。しっかり濡らしてきっちり閉じないと、中から内臓がまろび出ることに…。」
「おうおう、分かった、分かったよ。閉じ加減の甘さは餃子にNGってことな。まあそれは普通の餃子もそうだろうから納得だ。」

煽られ慌てて餃子の皮を持つ。丸くてさらさらとした餃子の皮は、肉以外の固形物を包むには少し小さくも見える。もしカットバナナが厚ければ、包むどころの話ではなくなってしまうだろう。

「桜戸さん、餃子の皮の真ん中にカットバナナを置いてください。そしたら一周ぐるりと指で水を付けて、二つ折にするんです。そこで端に折り目を付けて、あ、折り目は個人の付け方でいいと思いますけどね。それで大切なのは、ギューッとしっかり押して閉じることです。皮と皮を癒着させて一つにしてあげてください。私の素手だと冷凍餃子になっちゃうので、ここは素手で力が出せる桜戸さんと山月さんにしっかりお願いします…!」

餃子を前に熱弁をふるう神恵に、ややたじろぐ桜戸だった。横目に見れば、山月は純粋に指示に聞き入り真剣に餃子を閉じている。そういえば、神恵は好みの料理(ザンギとか)に対して熱血なんだよな。そんな風に思っていたことを桜戸は思い出した。

「この工程が山場①です! バナナ消費に向け、峠を越えましょう!」

肉も野菜も塩コショウにニンニクショウガの類もない。純粋な「バナナ」の「餃子」は、黙々と作るには単純で向いている構造だ。桜戸は山月に習い、意識を手元に集中させる。クレープのような無地の生地にくるまれた甘いバナナ切れは、なるほど確かに美味しそうに見えなくもないかもしれない。

「なるほど。組み合わせは意外でも、素材からすると案外美味しいのかもしれんな。」

餃子を包み閉じる指に力が入る。多くのバナナが次々と、二人の手によって白くてかわいらしい小包に変貌していった。

「ふー、包み終わりましたー。」
「こっちも終わったぜ。これ一気に調理すんのは大変だし、皿分けて半分は一旦冷蔵庫に入れとくか。」
「あー、なるほど。僕の分、ラップして入れますね。さっきの乾いたりくっついたりする失敗が回避できましたね。」

ぱたむ、と冷蔵庫の扉を閉じて、三人は今までいた調理台の横…コンロへと目を向ける。日本の餃子の多くはフライパンで焼きで、中国など多くのアジアでは専ら茹でと、同じ火を使うにしても調理法がだいぶ異なる。今回はそのどちらでもない第三の技法が重要になる。すなわち。

「百七十℃! 深めの鍋! いい感じですよ~。」
「ヨシ! 投入!」
「ちゃんと跳ねないようにそっと入れてくださいね…。水分少ないので事故は少ないですけれど。」

『揚げ』である。ドーナツと同じく、カラリと揚げてしまえば餃子でもお菓子顔負けの食感を楽しむことができるのである。

「山月さん、桜戸さん、油物なので気を付けて。ここが山場②です。バナナはあまり火を通さなくても良いので、表面だけさっと揚げちゃいましょう。」
「そうでしょうけどー…形がいびつだと、油の中で浮き上がっちゃって、焦げ目をつけるのが難しいんですね。あっ焦げる。」
「なるべく平てぇ包み方の方が裏返しやすいか…? なんにせよ、きつね色になるまで揚げる、だな。」

三番目の工程は油で揚げること。普通の揚げ餃子と違い、中は水分の少ないバナナで満たされている。そのため中から汁が蒸発して破裂することも、皮がふやけて破れることもない。そのような点では、むしろ普通の揚げ餃子より調理はやりやすい工程だった。ただ、バナナは軽いため餃子がプカプカと浮いてしまう。この事実は三人の頭を大いに悩ませた。難しい顔をして、じっと鍋の底を覗き込む羽目になる。

「今ですっ! 山月さんはアミで引き上げてください! 桜戸さん、トレイにキッチンペーパーを敷いてください。」
「お、おう…!」

アワアワと、鍋に浮かぶバナナ餃子たちがアミですくい取られていく。それはさながら金魚すくいの金魚のようで、ぶくぶくと煮立つ黄色な油の海を、こんがりとした茶色が、玉のようにあちらこちらと散って行くのが楽し気に見えた。「わ、カリカリになるんですねー。」山月が手を動かしながら呟いた。

やがて、最後の一つがトレイの上に載せられる。山月、桜戸、神恵の三人は、ようやく揚がった山盛りのソレを見て、お腹の中から自然と笑みが湧きだして来るのを感じた。もうほとんど完成だ。

「ちょっと冷ましてもいいんですけれど、今回はアツアツを頂きましょう。工程四は器への盛り付け。工程五はトッピング。ここは粉砂糖を全体にまぶします。」
「僕は後でハチミツ掛けも試してみます。」
「黒蜜きなこってアリか? できるなら俺はソレで。」
「なんでもOKです! 後で皆さんめいめいにやってくださいね! 今回は粉砂糖です。」

わいのわいの、味付けに盛り上がる。工程の五番で記載された指示は「お好みの甘いトッピングで召し上がる」こと。神恵の取り出した粉砂糖に、ハチミツ、黒蜜、チョコレート。それぞれの夢が重ね掛られていった。

そして、遂にその時は来る。

「…完成です!」

そこには、こんがり揚がったきつね色の揚げ餃子に、雪のような粉砂糖が振りかけられた一山がそびえている。山際からほわりと滲み出て浮かぶ湯気には、その餃子が暖かく、まだ中に熱を秘めている様子が伺えた。異常とも言われた料理は、こうして完成の時を迎えたのだ。

「できましたね…! 僕らの異常食、揚げスイーツの『バナナ餃子』 完成しました!」



5.

バナナ餃子はきつね色の半月の形をしている。その表面は揚げの工程でポコポコ凹凸が生まれ、さながら茶色い月面のようだ。箸で持ち上げようとすると、揚げたてのこんがりとした香りが鼻腔をくすぐる。カラリコロリとバナナ餃子同士擦れ合う音が聞こえ、口元に持ってくる頃にはすっかり次に来る味が気になってしまっていた。この餃子の中にバナナが仕込まれているとは、言われなければ気づかないものなのかもしれない。

「それでは、えーっと…僕から試食しますね。」

エプロン姿の桜戸と神恵に見守られながら、着席した山月がバナナ餃子をゆっくり口元へと運ぶ。バナナ×餃子の異常な組み合わせは、いかように実を結んだのか。その味を知る時が来たのだ。

「いざ…いただきます!」

ぱくりと口に含み、噛みしめる。カリッ、サクッと軽い音がして、揚げたての餃子の殻が砕かれた。その中の甘いバナナは熱を抱いたままトロけるように溶け出し、口の中へと沁み渡る。その控え目な甘さは砂糖の魅惑的な甘さと絡み合い、揚げたての皮の香ばしい薫りとともに身体の中を駆け抜けていった。芳醇な、甘さだ。

これが、バナナ✕餃子の異常な組み合わせなのだろうか? 殻に包まれた、この異常は、

「美味しい…!」

思わず顔がほころんでいた。傍らの桜戸と神恵にも安堵の表情が広がった。

「僕、これ好きですよ! カリッとした揚げ餃子の食感と、トロリとした温かいバナナが最高です! 異常な組み合わせじゃないかと思ってたのに、こんなにも合うものなんですね〜。」

あんなに身構えてたのが阿呆のようだ、と山月は笑う。受け入れてみれば、初めに耳にし戦慄したバナナ餃子という響きは、実に上手くマッチした組み合わせであるように思われた。美味しい異常もある。それもまた世の中の理の一つなのだろう。

「どら、俺にもくれ。」

ヒョイ、パクッと、桜戸が手で摘まんで口にする。餃子は一口サイズなので、熱さえ気にしなければスナックのように手軽に食べることもできる。カリリとした食感と柔らかな甘さに、当初は想像もできなかった豊かさが感じられた。桜戸は仰天した。

「うんめェ、これ。甘くて軽くて、いくらでも食えるぞ。」

二個、三個とおやつ代わりに口に入れる。ほとんどスイーツと言ってよい仕上がりだろう。

「良かった…気に入って、いただけましたか? 山月さん。」

神恵が小さく笑うと、山月がその十倍くらいの笑顔で応えた。

「はい、とても! こんな美味しいお菓子は初めてですよ。神恵さん、教えてくれてありがとうございます!」
「…はい。とっても、良かったです。」

桜戸はと言うと、もう関心は次の味変にあった。チョコバナナ風のチョコレートソース掛けも良いが、粉砂糖にシナモンパウダーを加えたトッピングも捨てがたい。アツアツのバナナ餃子に、バニラアイスを添えるなどもアリだ。夢は膨らむ一方だった。

「あ、神恵さんも一緒に食べましょうよ。僕が取り分けますから、ほら。」

ちらりと目をやると、ついと箸で差出し、隣に座った神恵に食べさせている姿が見える。神恵はそれは嬉しそうに笑い、二人は温かい雰囲気に包まれているように見えた。

だからこそなのだろうか。

山月がおかわりを取りに席を立った時、口をつむいで、その背を見つめる姿を目にする。その笑顔は、どこか泣き出しそうにも見えたのだ。

桜戸は無粋で無遠慮である。それゆえに、人の機微は気兼ねなくジロジロ見るし、声を掛けるのだって躊躇わない男なのだ。

「なあ、この"バナナ餃子"って…」

こちらを振り返り見上げた神恵の瞳は、綺麗な天青石色をしていた。



6.

三人の口内を駆け巡ったバナナ餃子は今や、サイト全体へと広まりつつあった。入荷された五千万本のバナナの噂と共に、「謎の異常料理"バナナ餃子"」の評判が(主に聞かれたら誰にでも正直に答えた山月のおかげで)急速に拡散されたのだ。ここに、サイト-81NN非公式のおやつタイム「特別献立候補の事前テスター業務」が勝手に成立したのである。

バナナは消費されなくてはならない。昼下がりのデスクワークには糖分が必要である。購買促進には試供品の供与が効果的に作用する。

サイト内全職員の考える需要と供給が噛み合い、試食と称したおやつ配給を求める声が噴出する。図らずも試作担当の役を果たしていた山月と神恵、それと桜戸の面々は、それぞれがバスケットいっぱいの揚げたてバナナ餃子を携えてサイト内を行脚する羽目になったのである。





「あーっ! バナナ餃子屋さん! わたしにもくださいなー!」

目の前で、金色の髪と青いワンピースがひらひらと揺れる。通りかかった神恵を見つけてぴょんぴょんと跳ねているのは、マリーと呼ばれる 少女だった。十五にも満たないと見える姿からは想像もつかないが、彼女も訳あって財団に雇用されている身なのだ。

「はい、マリーちゃん。私からプレゼントだよ。お菓子みたいに甘いから、きっと気に入ると思うな。」

神恵が微笑み、そっと手渡したフォークにはバナナ餃子が据えられていた。マリーの碧玉のような瞳がパッと輝き、嬉しそうに楽しそうに、小さな白い手で差し出されたバナナ餃子を受け取った。

「なゆちゃん、ありがとう!」

マリーは躊躇なく、パクッと一口に食べてしまう。サクサクと小気味良い音を立てて噛みしめるたび、「んー!」と喜ぶマリーの黄色い声が漏れ聞こえた。やっぱり年頃の女の子、甘い物には目が無いようだ。

「ふぅ…おいしかった! ありがとう、なゆちゃん。しあわせな午後だよー。」

にへらと笑う笑顔が眩しい。甘い物で幸せになれる時がある。そのことの幸せを知らぬ間に噛み締めながら、マリーはくるくると喜びの舞を踊って見せた。

「この料理、バナナ餃子っていうんだっけ。ネットで調べてもちょっとしかヒットしないから、口頭で伝わったものなのかな? よく組み合わせ見つけたね、すごい!」

回りながら、虚空を滑るように読み解いてマリーは笑う。視線の先にディスプレイは何も無いが、これこそ彼女が内に秘めた異常な要素なのだ。

「えっと、脳でネット検索したの?」
「うん! クックなんとかってサイトに四件ヒットしたよ。今動画をダウンロードして、再生しながらおしゃべりしてるんだけど、みんな味付けがバラバラなんだー。おもしろいから、また食べたいな!」
「スゴい、山月さんはあんなにビクビクしてたのに。マリーちゃんは知らない料理も良く食べてくれるんだね! 私、嬉しいな。」
「だって、バナナに餃子だよ? どっちもおいしいもん! おいしい+おいしい=二倍おいしい、だもん。」

けらけらと、鈴を転がしたように笑うマリー。彼女の脳は電子頭脳に完全換装されていて、記憶も人格もエミュレートされた女の子なのだ。身体一つでネットに直通する彼女も、その異常さを内包したまま、普通の女の子らしくお菓子に飛びついて笑っている。そんな彼女には、異常な食物など恐れるに足らず、なのかもしれない。

「今の味覚記憶、ストレージに保存したよ! また今度作ったらちょうだいね。記憶更新するから! じゃあねー!」

そう言って笑う。マリーはちぎれんばかりに手を振ると、機嫌よくスキップしながら廊下の奥へと駆けて行った。





カチリ、と音が立ち、暗い部屋に明かりが灯る。ここはサイト-81NN内の外勤エージェント用個室なのだが、今は使われていない部屋だった。そんな部屋の中へと一人で、神妙な表情の山月が入って来る。その手にはお皿とバナナ餃子を携えていた。

「ここに入るのも久しぶり、ですねー…。」

部屋を見渡す。綺麗に清掃された室内は空っぽで、そこに居た誰かを思い出す物はもう何も無い。だがその明確な空白こそが、誰かがそこに居た記憶となって見つめる者の前に立ち昇るのだ。財団とは、そう言う場所だった。

この部屋の主だった女性、エージェント・幽谷かそやは既に死亡している。彼女は数ヶ月前、未知の異常現象に巻き込まれ、MIA(作戦中死亡)となっている。異常と向き合い、時に戦う財団では、時々行き着く末路の一つだった。

「あんなに皆で楽しく過ごしたのに、こうも空っぽだと…寂しいです、ね。」

幽谷は太陽のように明るく朗らかな女性だった。皆のお姉さんのような存在で、居なくなってからは81NNの全員が悲しみに打ちひしがれたものだ。亡くなって数ヶ月経った今も、彼女の死は影を落とし続けているように思われる。異常と向き合いその身で触れると言うことは、こんな結末を迎えることだってあるのだ。否応なく、その事実が山月の脳裏へと刻み込まれた。

山月は、そこまで考えて頭を振った。だからこそ、こうして"お供え"を持ってきたのだ。不幸の内に無くなった彼女を見舞うため、見舞って偲ぶことしかできない自分たちを慰めるため。食べることは生きることだが、食べるものは生きるものだけの物では無いのだ。

コトリ。バナナ餃子の乗ったお皿が机に置かれる。こうしてこの部屋に何かをお供えすることは、81NN内暗黙の了解でもある。山月はふっと息を吐き、揚げたてのバナナ餃子を見つめた。その甘さも香りも、今は皮の向こうに閉じこもっている。立ち昇る湯気だけは絶えることなく沸き立ち、あの日火葬場で見た煙のように透明になって流れ、消えた。

山月は祈る。彼女の冥福を。あの世での安息を。バナナ餃子の甘さに顔をほころばせることを。…自分が同じように、異常に殺されないことを。異常と謳われた突飛さを内包した、バナナ餃子というお供えを見つめながら。

ぎゅっと手を合わせ、一礼し、山月は踵を返した。まるで逃げるように速やかに戸を開き、部屋を退出する。その後ろ姿は怖気づいたようにも、もう一度振り向く勇気を失ったようにも見えた。

だから、扉が閉じられたその後のことを山月は知らない。部屋の中で、バナナ餃子が皿ごとすうっと浮き上がり、そしてそのまま消え失せる。そのことに、気づいた者は誰もいなかった。





桜戸は、サイト管理官室の前で難しい顔をするスーツ姿の壮齢な男性と、無表情で凛とすました若い女性を見かけた。言われて渋々バナナ餃子の行商を行っている彼だが、この組み合わせは珍しい。これも珍しいことだが、今回は先に桜戸から声を掛けてみることにした。

「おう。石場のおやっさんとニーナじゃねぇか。こんなとこで何してんだ?」
「ああ、桜戸くんか。いや、儂は野暮用で訪ねて来たんだが、無碍もなく断られてしまってね。今はてんやわんやなんだそうだ。」

石場と呼ばれたスーツ姿の壮齢な男性は、豊かな口髭をモサモサと触りながら、ニカッと笑った。

「君だろ? バナナ餃子という聞き覚えのない新しいお菓子を作ったのは。陽子くんも気にしていたよ。」
「野間のヤツが? なんて言ってんだ?」
「ふむ。私が用事を伝えたら、『バナナ餃子とかいう提案の処理と、五千万本の処分手配と申請と回覧でホント忙しい。今は少し待って。お願い。』だそうだ。何か少し涙ぐんでたようだが。」
「あー…ご愁傷さま…。」

そもそも発端のバナナを上層部から押し付けられたのは彼女なのだ。サイト管理も胃が痛い業務であることは容易に想像が付く。そこに謎の新メニューの噂と食堂・購買での供与開始の要望が雪崩込み、可哀そうに対応に忙殺されてしまったのだろう。本来サイト管理官の仕事でもないような気がするが、ここサイト-81NNは閑職ゆえ人も少なく、こうした業務の集中が起こりやすいのである。南無三。

桜戸が苦労人のことを偲んでいると、ニーナと呼ばれた女性が桜戸の袖を引っ張った。そちらを向けば、彼女の透明に近い透き通るような白い長い髪が視界に入り、少し眩しく映る。彼女は相変わらず無表情だが、けしてその手を放そうとはしないようだった。

「私は偶然この場に居合わせましたが、今こうして桜戸様に出会えて感謝の感情が生じています。貴方の有する未知の食物との巡り合わせが、同じく未詳の存在である私にとって嬉しく思われるためです。」

仰々しい物言いに次いで、継ぎ目のある、白くて滑らかな手が差し出される。「それゆえバナナ餃子を所望致します。」そう述べる音声は硬質かつ高音で、彼女が今は財団製アンドロイドとして機能していることを思い起こさせた。

「あァ、これな。ほらよ、二人とも一つずつやるぞ。」
「儂にもくれるのか。…ありがとう。ここで頂いていこう。」
「感謝申し上げます。私も頂きます。」

受け取った石場博士はと言うと、怪訝な顔をしてバナナ餃子を見つめていた。「ふうむ」「ううむ」とか難しい表情を浮かべている。初めバナナと餃子が結びつかず、さんざ異常ではないかと疑ってかかった自分を見ているようで、桜戸は反対に感心してしまった。そうだよな、これが普通の反応なんだよな。よく分からない料理なんだし。

だが、逡巡していたのもわずか十秒足らずだった。ふいに表情を緩めると、石場博士はそれをポイっと口の中に放り込み、白い口髭をモサモサと動かして味わい始めた。

「ほ! これは良いね。カリッと硬い殻に甘い塊が内包されている。さながら砂糖菓子の晶洞(ジオード: 空洞内を埋め尽くすように密集して結晶した鉱物)のようだ。」
「おぉ、食った。"バナナ餃子"なんて得体が知れなかっただろ? まあ、美味いとは俺も試食して知ったんだが。」
「儂とて普通のオジさんだからな。怖いは怖いさ。だが、肝心なのは寛容さだよ。異常とも思えるものにも受け入れることで初めて得られることがある。それを知っているというだけが儂の有利なポイントだな。」

特に、異常ひしめく財団ではなおさらだ。そう言って彼は大きく笑った。彼は桜戸と同じく何の異常性も無い普通の地質学博士だ。けれども長い人生経験からか、落ち着き払った所作と寛容な精神を身に着けた人物でもあった。彼のような熟した心を持つからこそ、財団で異常と上手に付き合い続けられるのだろうな。桜戸にはそう思えてならなかった。

『――ぁ、あああ。…ん…う…う、おいしい…。』

ノイズ交じりの機械音が頭上から聞こえたのはその時だった。その音は館内放送用のスピーカーから発せられている。壊れたラジオのように、おいしい、おいしい、と繰り返す挙動はさながらホラーの一幕のようだ。だが、これは桜戸にとって身に覚えのある現象だった。

ピンと来た桜戸は、先ほどまで傍にいたアンドロイド機体を見る。機体は電源が切れて沈黙しており、他に彼女の姿はどこにも見えない。だが、それは彼女が居なくなったことを示してはいないのだ。桜戸は続けて、辺りを見渡し探し始める。すぐに、バナナ餃子だけが空中に浮かんでいる場所が見つかった。それは断続的なヒューム異常による自然現実改変と、空間の変動に伴う空気の圧縮・開放から来る微小気流の成す奇跡的均衡だった。が、これも桜戸は見慣れている。

すると見ている間に、空中のバナナ餃子に一筋の歯型が付く。空気が、空間が、様々な偶然で変動し結果もう一つの歯型を生む。それを繰り返し、バナナ餃子は跡形もなく消失してしまった。

「相変わらず妙な光景だなァ。見方によっちゃ奇跡だがよ。」
「お褒め頂き光栄です。義体では食事できないため、体外で食事を行いました。大変美味しいと感じました。」

先程動かなくなったアンドロイドが再び動き出す。見ると、胸元の電源マークはOFFのままだ。つまり、彼女は完全に誤作動のみで動作している。これこそ彼女を"異常"たらしめている特異性だった。

ニーナこと超常現象記録番号2718には実体が無い。厳密には人間では無く、自然界の現象が偶然若い女性の存在を示唆し続ける、そんな現象そのものを指していた。つまり、異常がたまたま財団職員の体を成しているだけなのだ。

そんな"異常"そのものが、"異常"と謳われた組み合わせに舌鼓を打ってのは可笑しいようにも思えた。思わずフフフと笑みがこぼれる。桜戸はニーナにそのことについて聞いてみることにした。

「なぁ、アンタにはバナナ餃子、どう感じた? "バナナ餃子"なんて得体が知れない料理、怖くなかったか?」
「いいえ。私は元より異常の側である自覚がありますから。別の異常を受け入れる恐怖心などは持ち合わせておりません。むしろ完全に非異常ながら、皆様が変だ異常だと慌てる様は、普段異常とされる私にとっては大変愉快に感じることができました。あと、美味しかったです。」

ありがとうございました、と丁寧に最敬礼する彼女を見て、桜戸は少しだけ誇らしい気持ちになった。そうなのだ。普通の人にとっても異常な人にとっても、未知を受け入れ楽しむことはできるのだ。

不思議な料理、バナナ餃子を作ってから、あちこち様々な職員の反応を見てきた。その誰もが、様々な形でそれと向き合い、交渉し、受け入れて甘露を教授していた。認めてその身に取り入れることで得られる喜びは、確かに存在する。その事実は桜戸を勇気づけた。…その時思い出されたのは、神恵の泣き出しそうな笑顔だ。あの時、言いたかったのはこれなのだろうか。桜戸はようやく、自分の中でもやもやとしたものが晴れていくのを感じていた。

「俺の方こそ、ありがとうな。もうちょっと味わって、楽しんでみるぜ。」

ひらりと手を振り、桜戸は二人と別の方向に進む。進むべき場所は決まっている。桜戸は一路、最初のできごとが起こった食堂へと足を向けることにした。



7.

桜戸が食堂に足を踏み入れると、そこはささやかなパーティー会場だった。中央に固めて置かれた長机の周りには、サイト-81NNの職員たちがめいめいに集い駄弁っている姿が伺える。山月やマリー、いつの間に来たのか石場やニーナなど、先ほど見かけた顔も居るようだ。サイト中のメンバーが勢ぞろいだった。

「あ、桜戸さーん。僕も丁度戻ったんですが、サイト内で招集があったみたいです。」
「みたいだな。にしてもウチのサイトの連中、平日昼間から暇なのかね?」
「それが、サイト管理官じきじきに招集があったようですよ。」

野間のヤツが招集? 桜戸は訝しんだ。先ほど彼女は「バナナの処理で死ぬほど忙しい」とベソをかいていたらしいではないか。人を集めてどうしようと言うのだろうか。

その疑念は、当たり半分外れ半分といったところだった。正面の扉が開き、目の下にクマが濃い、パンツスーツ姿の三十代前半の女性が入って来たからだ。誰の目にもその姿は疲労と憔悴の色が濃く現れ、ベソかきのイメージも頷ける。しかし同時に、何かを決意したような、どこか安堵すら漂う表情も浮かべていた。何か、策があるのだろう。

「えー、ごほん。サイト管理官の野間です。この度は急遽お集まりいただきありがとうございます。」

正面に立った野間は、流石管理官とでも言うべき美しい姿勢で全員に向き直った。その姿からは先ほどまでの憔悴しきった表情は伺えない。真面目モードな彼女の鋭い眼光に、食堂に集った職員たちも口を閉ざし、辺りはしんと静まり返った。

「端的に今の状況を申しますと、ヤバいです。もうご存じの方も多いかと思いますが、一万トンほどのバイオ廃棄物が昨日から幣サイトに押し寄せ続けています。焼却炉は満杯で、サイクルは完全に止まってしまい一般業務に回す余力がありません。かといって路傍にナマモノを置いてしまっては、いくら幣サイトが広いとはいえ施設運営への影響、悪くすれば近隣社会への影響も懸念されます。最悪、ヴェール施行の妨げになる可能性も否定できません。後は単純に、場所と処理リソースが圧迫されて業務にならないとも聞いています。ここに集められた皆さんも、何かしら業務に支障を来して放免されてきたことでしょう。」

そうなのか? 元から職人気質の桜戸には余り関心が無かったが、どうもあのバナナは、予想以上に職場環境を悪化させていたらしい。

「私自身、昨日から涙が出る程の努力で付帯業務をさばいて来ました。ですが、この危機には皆さんの力を借りる方が最良と判断しました。」

野間は背伸びをして、山月の方を見た。

「今日、『バナナ餃子』なる妙な組み合わせのお菓子が流行っていると聞きました。私も食べてみたのですが、美味しかったです。作って下さりありがとうございます。」

い、いつの間に。

「これを食べた方から、食堂や購買で売り出して欲しいとの要望を多数いただいています。実際、ある種の異常じみた組み合わせとギャップのある美味しさは、サイト内外にも受けの良い商品だと考えています。」

ざわざわと、ざわめきが広がり始める。山月たちのぶらりバナナ餃子配布の旅のおかげで、ここに居る者たちはほぼ全員が一度はそれを口にしている。それが取りざたされ、あまつさえ管理官の口から直接言及されているのだ。これは、何かが起こる予感と言っても、過言ではない。

そして、全員の予感は的中することになる。

「前置きが長くなりましたね。決定事項を伝えます。第一に、『バナナ餃子』を幣サイトの臨時メニューとして加え、食堂や購買で期間限定販売します。第二に、サイト内外、それと一部のフロント商店に『バナナ餃子』を卸し収益を上げます。そして、第三に…。」

野間は食堂を見渡す。講堂ではなく、食堂を演説の場に選んだのは正解だったと確信できる。彼女は初めてふっと笑みを浮かべ、最後の決定を皆に公布した。

「第三は、今日は業務が止まって仕方がないので、ここで無償の『バナナ餃子パーティー』を開催します。食堂の職員の方にご相談し、既に揚げたてを作ってもらいました。それと、合うので、冷えたサワーと、近隣サイトから提供して頂いたソフトクリームを供給します。ここに居る皆さんで、消費の限りを尽くしましょう!」

ワッと会場が湧き立つ。初めから立っているがスタンディングオベーションが巻き起こった。仕事を休んで酒と菓子を口にできる! 大義名分を得た大人たちは水を得た魚のように勢いづき、降って湧いた幸福を喜び合った。

それを待っていたかのように、厨房が開かれ、巨大な皿にこれでもかとばかりに盛られたバナナ餃子が姿を現した。集合を掛けている裏で、厨房ではレシピに従い調理の工程が進められていたのだ。野間が忙しくしていたのは、この仕込みのためだった。ようやく得心が行き、桜戸は心地よく口笛を吹いた。

「あくまで消費のため、業務の一環なんですからね!」そう鋭く叫ぶ野間の声も、ざわめきと歓談でかき消されてもう良く聞こえない。目の前の机に配膳されてきたバナナ餃子と種々のトッピング、そして酒とアイスに、皆が夢中になっていた。自然とこみ上げる声が、重なった。サイト-81NN、万歳!

「桜戸さん! スゴイことになりましたねー! このアイスとバナナ餃子、合いますよ! 今日はお腹いっぱい食べられそうです~。」
「おう、試作頑張った甲斐があったってもんだな。それはそうとそのアイス、SCP-1689-JPから取った"空飛ぶソフトクリーム"だろ? 元は異常由来だが、良いのか?」

山月が手に取るアイスは、一見何の変哲もないバニラアイスだ。しかしその出自は普通とは言えず、"上空五千メートル以上の大空に浮かぶ、ソフトクリームでできた積乱雲から採取された"という曰く付きだった。ここサイト-81NNにほど近いサイト-8129には、このソフトクリームがトン単位で貯蔵されている。余りに余っているそのソフトクリームは、今回のバナナと同じようにそれ自体は全くの非異常性であるということも相まって、この近辺では非常に一般的な異常由来の食物として流通しているのだった。

が、山月は異常アレルギー持ち。この事実を知ってどう感じるのか、桜戸はそれを知りたがった。

山月の答えは、予想よりもシンプルなものだった。

「実はちょっと背筋が凍りますけど、美味しいんです、アイス。バナナ餃子も同じくでしたからねー。少しずつ、慣れていくしかないし、そうやって味わっていくことはできるんじゃないかなと。そんな気持ちです。」

そう言って、山月はふにゃりと笑った。

「今日は試作から頑張りましたし、お酒も出るので、思い切ってたくさん食べちゃおうと思います。とっても良い一日でしたよ。あのレシピを教えてくれた神恵さんには、ホント感謝しかありませんね!」
「ああ、アイツには感謝しないとな。山月、お前も良く頑張ったよ。たくさん味わってくれよな。」

えへへ、了解です。もうほろ酔いになったのか、山月はそう言い残して雑踏の向こうに消えていった。桜戸はその後ろ姿を、ただそっと眺め、見送った。





「無料提供は81NN勤務者に限らないとさ。アンタも功労者なんだから、たらふく飲み食いしてきたらどうだ? 神恵の嬢ちゃん。」
「いえ…。私は、良いんです。山月さんに、皆さんに知って、美味しく食べてもらえれば、それで。それでお役目は果たせました。」
「…そうか。」

食堂脇の屋外の休憩所。今は人もまばらなその場所に、桜戸と神恵が並んで立っていた。桜戸はタバコ片手に、神恵は、あのレシピを手元に携えて。

「…山月さんは、美味しく食べてくれてましたか?」
「ああ、たっぷりな。それと一緒に出されてた"空飛ぶソフトクリーム"も食べてたぞ。まだちょっと怖いけど、それでも美味しんだそうだ。ちょっとずつ、慣れてくしかねぇんだろうよ。」

桜戸は白い煙を吐き、窓から洩れる会場の橙の光を、その中で笑う山月の顔を眺めた。その姿は幸せそうで、昼間には知識の外にある食の組み合わせに躊躇し、異常というレッテルに怯えた姿は影形もない。そのことは、彼にとってさぞ幸福なことだろう。「だがな、山月…」呟きと共に吐き出した煙は、夜の暗闇に絡まり消えていく。

レシピを、神恵から受け取り手に取る。

「山月。このレシピはな、アンタが神恵の嬢ちゃんに教えたものだったんだぜ。」

神恵は、顔を伏して動かない。

山月 龍介という男には、異常アレルギーとでも言うべき特性を持っている。それは彼の生来の性質で、異常性有無の判定や異常存在の探知に時折役立つこともある体質の一つである…というのは、財団お得意のカバーストーリーで。

本当は、山月こそが異常そのものなのだ。

現実改変者という分類の異常存在がある。彼らは自分の思う通りに現実を書き換え、湾曲し、物事を根底から作り変えてしまう。それはここにいる全員が働く財団でも認知されていて、有名な研究対象、あるいは放逐すべき生物災害として専ら認識されていた。危険で終了処分もやむなしとされる存在。山月は、その現実改変者なのだ。

「…私は、良いんです。山月さんが"忘れてしまうように"改変することは、これまで何度もあったことですから。"無かったこと"になっても、このレシピは残してくれた。だから、良いんです。」

神恵は、ぎゅっと紙を握りしめる。それは皺として刻まれて、神恵の手の中で小さく音を立てた。

山月は現実改変者だが、その処分を免れているのには理由がある。彼は異常であって、その中でも更に異端だった。すなわち、「自分が現実改変者であることを知らない」上に、「現実改変者であることを忘れるように改変を行う」特異な存在であったのだ。これは、彼が財団に捕捉され、雇用と称して準収容された当時から変わっていない異常性だ。

「神恵さん、アンタはそう言うかもしれないけどよ…。大切な記憶ですら"無かったこと"になるのは、誰だってつらい。山月の前以外でなら、アンタも泣いていいんだぞ。」
「…………ありがとう。でも、本当にいいんです。つらいのは、彼も同じことだから。」

二の次は告げず、黙って紫煙がくゆらされた。神恵が心を痛めていること、山月が時に自分の記憶すら改変して消し去ってしまうのは、彼に問題があるためだ。

山月は、「自分が異常である」ことを受け入れられない。その一点だけで、自らの持つ異常な力を行使するのが、彼なのだ。記憶を消し、不都合な現実を改変し、自身が異常であることから目を背け続ける。そしてそれを知らないのは、彼自身だけ。山月とは、そういう男だと、全員が知っていた。

これは、三人が知り合った当初から明らかなことだった。彼と交流する職員は全員、彼自身について記した報告書の通読が義務付けられていた。今更そのことに反発するつもりは、財団職員である桜戸にも、神恵にも毛頭ない。だからこそ、たまに訪れる絶対的な隔たりに、どうしようもなく嘆いてしまう時があるのだ。それが、異常と付き合うということだと、二人は理解していた。

だが。

「今日は、バナナ餃子がある。あれは、良いことだったんじゃないか?」

怪訝な表情をして神恵が顔を上げる。その目は拭い去られて乾いていたが尚も赤く、彼女が何をしていたのかを雄弁に語っている。痛々しいその姿を尻目に、桜戸はつっかえていた二の次の言葉をつないだ。

「山月のヤツにとって、バナナ餃子とは最初異常そのものだった。バナナと餃子、俺にも異常に思えた組み合わせだからな。だが、アイツは勇気を出して食し、受け入れた。バナナ餃子が美味しいと知った。自らの体内に、一度は異常と見なしたものを受け入れたんだ。小さいけど、大きな進歩だよ。それもこれも、全部アンタのおかげなんだぜ、神恵さんよ。」

タバコの火をもみ消し、そう伝えてほほ笑みかける。慣れない気遣いに桜戸の表情筋は震え、すこぶる異常者の風体だった。その絶妙な下手の顔を見て、思わず神恵は噴き出した。

「そうですよね。山月さん、美味しく食べてくれましたもんね。私の伝えた、バナナ餃子。」
「そりゃもうパクパクな。それにあれだ、今となっちゃバナナ餃子食うわ、異常由来のソフトクリーム食ってるわで、今日一日で大躍進なんじゃねぇか? いろんな思いを包んでアゲた餃子に、一本借りができたように思えるぜ。」

ワハハ、と声を上げて、桜戸は笑った。『食べる』ことは『受け入れる』ことで、それはまさに今の山月に必要なことだ。少しずつではあるが、今夜はそれが成ったのだ。ひとえに、甘くて香ばしいこの小さな揚げ菓子のお陰だった。大量バナナの災厄と神恵さんに感謝だな。そう心に呟いて、桜戸は大きく伸びをした。

「あー笑ったら腹減ってきたわ。神恵さん、食べ物ある?」
「桜戸さんもさんざ食べたものなら。バナナ餃子、数個は袋に入れて持ってたんです。食べたければどうぞ、いっぱいありますからね!」
「サンキュー!」

神恵から手渡されたそれは、見慣れた半月の形。夜闇に紛れてよく分からない見た目をしているが、今はそれが美味しいと知っている。その記憶を大切に嚙みしめ、桜戸は残りのバナナ餃子を口の中に頬張った。

「うん、美味しいんだよな。バナナ餃子。」

食べることは、生きること。生きることは、何かを口にすること。何かを口にすることは、我が身に受け入れ糧とすること。受け入れることさえできたなら、飲み込んだ異常は素敵で甘美なものなのかもしれない。今日この日に揚げたての、香ばしいバナナ餃子のように。

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