神社の中道に存在する、テーブルクロスが掛かった長机の前に立つ。テーブルの上には無数の銀の皿が置かれており、その上には願いの書かれた絵馬が置かれている。今日の願いはどんなものかな、と絵馬を注視する。
神として崇められている者は信仰を、願いを喰らう。この行為は人間や動物で言うところの"食事"と同義である。いくら神であったとしても、信仰や願いを喰らわなければ衰え、最終的に死んでしまう。
本来、この行為は概念維持のための"補充"に過ぎない。だがしかし、ただ"補充"するだけではつまらないだろう。人間が美食を追い求めるように、神も食に対する美を追い求めるようになった。そして、その流行りの波は他の神々にも伝播していき、今や夜な夜な美しく奇抜な願いを求めて神社に多くの神が集まるようになった。
「今日とれたての新鮮な願いね」とどこかから感想が聞こえてくる。この感想からして、本日の願いの質には期待できそうだ。そう考え、目の前の銀皿の上から絵馬を取り、願いを一口かじる。
「うーん、この願いは……"平和に暮らせますように"かな?」
そう呟き、絵馬に書かれている願いを見る。願い事は"平和に暮らしたい"。的中したことに対して少しにやけてしまう。私の舌も肥えてきたものだな、と一人考える。
「平和に暮らせる系は甘くて優しい味わいだけど──いまいちインパクトに欠けるんだよね。これといった旨味や奇抜さがない感じ、かなあ」
そう言い、願いを飲み込む。さて、次の願いはどれにしようか、と銀皿の上の絵馬を吟味する。しばらくして、「これだ」という直感を信じて別の絵馬を手に取る。手に取った絵馬の願いを専用のナイフとフォークを使ってカットする。
「やわらかい切れ味」と思わず口から言葉が漏れ出る。柔らかいというのは新鮮である証拠だ。これは期待できる、そう呟いて一口大にカットした願いを口内に放り込む。一口噛むだけでとろけるほどの脂。これは新鮮だ、食感がたまらない、と内心呟く。だが──
「んー……なんかありきたりな味だなあ」
そう感想を吐露し、絵馬に書かれた願いを見る。書かれた願いは"彼女がほしい"。この手の──煩悩丸出しの願いは脂っこい。例えるならラードをそのまま齧っているようなものである。胸焼けするほどの脂を日本酒で流し込む。
下界の生命特有の代謝機能もアルコールの分解機構も持っているわけではないが、ヒトが飲む酒は嗜好品として神でも嗜むことが多い。異国では煙草や変な草がこれに該当するらしい。私達──神とヒトを近づけたり結びつけたりする効果があると聞いたことはあるが詳しいことは知らない。
次に選んだ絵馬の願いはスープ状だった。ということは夢系の願いだろうか、と考えながらスプーンを使ってスープを口に運ぶ。口の中で液体を転がし、鼻を抜ける風味を楽しむ。うん、味は上々。問題は──
「この願い、めっちゃ後味悪いなあ。たとえるなら──味の濃いものの強みを無理やり消してる感じかな」
書かれていた願いは"サラリーマンになりたい"。職業柄と味がマッチしていない、こんなのだめだ。と内心呟き、その場に置かれていた日本酒を一口含む。まろやかな米の風味がまずい願いの最悪な後味を調和していくのがわかる。
その後も、私は願いを食べ続けた。"絶対合格"、"打倒ライバル校"といった学生の願いや"カブトムシを飼いたい"、"ミニカーがほしい"といった子供の願い、"上司むかつく"、"会社休みたい"、"親知らず痛い"といったもはや願いとも呼べない何かを喰らう。
大量に願いを喰らうも、私の舌は満足しない。むしろ不満が募っていく一方だ。口直しの日本酒で膨れた腹を抱え、次に喰らう願いを定める。
目を凝らし、次なる願いを探す中、明らかな"異質"が目に留まる。"それ"はみずみずしいだの美しいだの、俗っぽい言葉は到底似合わず、言語化するにも一苦労する代物だった。
その絵馬の願いを一口サイズにし、口の中に放り込む。咀嚼し、風味を味わおうと舌の組織が願いに触れた瞬間。口内から脳髄にかけて走る、電撃のような旨味。その旨味は鼻を抜け、全身を駆け巡っていく。
「──!! この願いは!?」
そう独り言を呟き、急いで願い事を確認する。願い事の欄にはただ一言、"世界の終焉を止めてほしい"とだけ書かれていた。世界の終焉が何を指すかは分からないが、これほどまでに美味しい願いを口にしたことはなかった。味のインパクトはもちろん、素の味も強力なこの味をいつまでも噛みしめていたい。そう考えながら、名残惜しく飲み込む。
「待って喉ごしもめっちゃいいんだけど!」
思わず大声を上げてしまう。この喉ごしの良さは言葉で表すことなどできないほどに優れているものである。それを実感し、思わず感涙の涙が零れ落ちる。
「これは過去最高の出来と味でしょ!」
ああ、ここまで美味と感じたものを食べたのはいつ振りだろうか。食べたことがないのではないだろうか。肥えた舌を持つ神がそう考えてしまうほどの、美味な願いを喰らった私の口から言葉が零れ落ちる。
これだから願いを食べることはやめられないんだ。
私の食に対する美の道は続いていく。