秋落
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「あの女の子かい?もちろん覚えとるとも。すっかり歳を食っちまったが、まだまだボケてはおらんのでね」

エージェント・ドールは陳老人に続き、彼の住む小屋へと上がった。老人の歩みは遅々として進まず、ドールは辛抱強く後ろを付いていく。

陳老人の家はたいへん質素で、異様とも言える内装をしていた。室内で唯一の光源は天井の白熱電球であり、粗布を巻きつけた電線へと繋がっている。家具の輪郭が辛うじて分かる程度の、薄暗い明かりである。この独居老人は壊れた神を信仰している。作業台には機械部品や工具が山積みとなっており、それこそが彼の全財産であった。

「すまんねぇ、ここには滅多に人が来んもんで、つまらん物しか無いんだ」

エージェント・ドールは笑顔を見せる。「大丈夫です、どうぞお構いなく」

彼女は壁上の小動物に気付く。しげしげと見つめてくるそれは、金属で出来た機械の小鳥であった。ぜんまいの回転に合わせ、チクタクと音を発している。若干粗末な作りだが、赤青2色の顔料で丹念に色付けされており、室内にささやかな彩りを添えていた。

「この辺には誰も住んでいない、そうだろう?ここに越したのは、歳を取って邪険にされるのが嫌だったからだ。うちのワン公が娘を拾ってきたときゃあ、それはもうおったまげたよ」

「あの子は当時、本当に酷い怪我をしててな。足が2本とも無くて、チューブや部品が丸見えになっておった。彼女がどんな目に遭ったのか、1人でどうやって来たのか、俺にはさっぱり分からんよ。……ああ、彼女を思い出すと、こう、来るものがあるな……」

「彼女はその時、生きていたのですね」

「あたぼうよ。我々には壊れた神が付いている、そう簡単には壊れんさ。俺はあの子に応急処置を施した。ずっと前の話だが、俺は救命だの何だのを学んでいたんだ。だが、今時の機械はすっかり別物と化しておる。管や回路は針先よりも細く、むやみやたらと弄れそうにない。俺はただ、機能しない破片を注意して取り除き、簡単な蓋を被せたに過ぎん。不便な身にはなったが、他に異常が無くて良かったよ」

「面識が無いにもかかわらず、彼女はあなたをとても信頼しているようですね」

「そりゃそうさ!あの子の来訪はきっと、神様の思し召しに違いない。教会の同志は厄介事に遭い、脱落してしまった。彼女を救えるのは俺だけなのだ。肝っ玉がでかい奴でも、天の意志に背くことはできんよ!」

ドールは作業台にそこそこのスペースが空いていることに気付いた。大きな物体が置かれていたように見えるが、該当する物は見当たらない。

「その後、彼女はどうなりましたか?」ドールが尋ねる。

「あの子は本当に強い娘だった。かような苦痛を受けても、笑って俺に話してくれた。お爺さんに出会えたのは不幸中の幸いだった、とな。……俺はもう、ああ……」

老人はしばらく固まり、軽く頭を揺らす。

「残念ながら、俺の目ん玉は取り替えられちまった。それでもやはり、堪えるものがある。涙を流したい気分だよ、姉ちゃんなら分かるだろう?」

「お生憎ですが」エージェント・ドールは微笑して答える。「私のボディも同じでして」

「なるほど、そういうことか。……その後、彼女は外のことを沢山話してくれた。あの子の腕は映画を流すことができるんだ、カラー映画だぞ!現代の科学は実に不思議だ。それと、彼女はこんなことも言ってくれた。足を治し終えたら、一緒に外の景色を見にいこう、と。口惜しや、この身体を自由に動かせれば、彼女と共に外へ出れたというのに」

「だから、彼女を解体バラしたのですね」

ドールの予想は的中した。言葉を聞くやいなや、陳老人──あるいは、天井に備え付けられたロボットアーム──が、ギクリと硬直する。老人のカメラレンズが、じっと彼女を凝視する。壁外からは耳障りな金属音が聞こえてくる。老人の中枢部はそこか?……彼女にそれを確かめる術は無い。だが現代において、この手の問題はさほど重要ではなくなっていた。

「馬鹿が!お前は何も分かっちゃいない!俺には、生産ラインには、壊れた神には部品が必要なのだ!団長のこん畜生めが、こんな鳥さえ寄らないクソ田舎に、ゴミのように捨て置きやがって!何も言わずにだぞ?ラインが止まってから何年経った!百年、いや二百年?俺には鋼鉄とネジが要るのだ、工場を回さねばならんのだ!」

「戦争は終わった。終わったんです。」

「いいや、永久に終わらんよ!ちっぽけな日本を倒しても、第二の、第三の敵がやって来る!戦車や大砲を作らなければ、何をもって家族を守るというのか?遅れた者から叩かれるのだよ!」

壁外の喧騒がますます近づく。ギアと蒸気が織りなす怒りの轟音が、小さな家屋を取り囲んだ。震動する壁に合わせて、天井の電球がゆらゆらと揺れる。老人のアームと装置は赤色光を仄かに帯びており、さながら鮮血を流しているようである。

「それは罪なき人を殺す名分にはなりません」エージェント・ドールが言い放つ。

「あいつは気にせんよ!むしろ……むしろ、喜んでいるはずだ!娘はもう、壊れた神の身体に還された。俺があいつの真価を引き出してやるのだ。ネジの1本に至るまでな!」

ドールの背後から物音がする。横目で見ると、2メートルはある機械犬が門前に構えていた。巨体が出口をぎっちりと塞いでいる。犬はドールに牙を剥き、蒸気バルブから甲高い音を立てる。エンジンオイルが牙を伝い、ゆっくりと垂れ落ちていった。

「お前も一緒だ」陳老人は丸鋸を拾い、ドールの眼前に突きつける。「彼らと合流し、光栄なる神の一部と成るのだ」

エージェント・ドールは深い溜め息をついた。「ごめんなさい、要求には従えません」

ドールの肌に、点々としたノイズが浮かぶ。次の瞬間、彼女の身体は猛然と捻じ曲がり、その場から消え失せる。床には1台のホロプロジェクターが残されていた。

陳老人の工場から2キロほど離れた丘の上。ドールは砂漠の中心に立つ、つましい小屋を見つめていた。低軌道エネルギー兵器による光線が、天罰のように降り注ぐ。電子アイでフィルタリングされているにもかかわらず、それはなおも眩しく、陽のように絢爛だった。

足から来る衝撃で倒れないよう、彼女は半分うつぶせとなり、フードを手で押さえつける。腕のパイロットランプが赤く点滅し、暗号化データが700キロ先のサイトまで、光の速さで送信されたことを知らせる。サイト-CN-06のAICはセキュリティ証明を確かめ、特記事項が無いことを確認すると、直ちにデータベースへと追記し、永遠に残るようアーカイブした。

未探索地点記録

所在地: 内モンゴル クブチ砂漠内

発見日: 2043-03-06

概要: 合計6層に及ぶ大型地下施設。回収された壊れた神の教会の文献によると、当施設は第2次世界大戦中、完全自律型の工場として機能し、兵器や装甲、車両を製造していたとされる。教会の元民兵・陳陽によって管理されていたが、現在は不明な理由で廃墟となっている。

発見以来、無人機による周辺の監視を行っているが、顕著な活動の痕跡は見られない。一方で、内部の状況は依然として不明瞭であることから、探索チームには慎重な行動が推奨される。


更新、2043-10-19: 無力化済み。評価班と処理班が現在向かっている。

——エージェント・ドール

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